この道を歩むと決めた
「私に黙ったままにしてたよね?」
アベリアがアレウスにやや怒るような口調で訊ねる。
「魔王の一部とか、ドラゴニュートの死人とか」
「黙ったままじゃないと、みんなに反対される。反対されたら僕は復讐を果たせない」
「……でも、私には言ってほしかったよ」
「御免」
「私は絶対にアレウスの敵にはならないんだから」
そうは言っても共犯者になればアベリアも同等の罵りを受けることになる。知らないままであれば全ての悪意はアレウスだけに向くのではないかと少しばかりの期待があった。
でもそれは、自己犠牲のように見えた自己満足でしかない。
「それで、ひよくれんり……ってなに?」
魔王の話は措く。ここにリオンがいないのだから詳細を知るのは後回しでいい。そのように判断してアベリアはアレウスにヴェラルドが発した言葉の説明を求めてくる。
「多分、ヴェラルドのアーティファクトの名称だけど、この世界じゃない喩え話から来ている言葉だ」
「それが、ひよくれんりなの?」
比翼の鳥と連理の枝。連理の枝はまだ見る機会があるかもしれないが比翼の鳥など空想上の産物であって産まれ直す前の世界には存在しない。それどころかこの世界でも一度としてそのような鳥を見たことがないのだから、恐らくこの世界にも存在していない。
「その喩え話、気になるけどあとでいいかも。それよりも……」
ヴェラルドとナルシェの魂を解放することが先だ。
「ジッと待つ気もなかったんだが、悲しい行き違いがあってもいけないからな」
憧憬の男はアレウスたちが身構えたところを見て小さく呟く。
「今生の別れを前に、行き違ったまま死ぬことほどやるせないこともない」
ナルシェの魂が起こす魔力はヴェラルドの言葉に呼応するように激しく噴き出し、その手に握られている剣に集約されていく。
「行くぞ」
ヴェラルドの振るう剣とアレウスの振るう剣が激突する。貸し与えられた力を剣に込めることで硬度が高まっているのかヴェラルドの重撃で砕ける様子はない。しかしながら込めた魔力に耐え切れるほどの名剣でもないため、そうしない内に崩壊する。手持ちの剣や短剣、そして短弓を使い切る前に憧憬の男と尊敬する女の魂を仕留める。全力を尽くさなければならない相手を前に、万全の状態でないのは歯痒い。しかし、この場に間に合わせることができなかったのだから仕方がない。
逆にそれ以外は万全に整っている。エルヴァがオーディストラ皇女に助力を求め、アライアンスの許可を取り付けた。そこから冒険者や兵士が寒村に集う前の全てはリゾラや各地のギルド長が貢献してくれている。それも全てリオンを討伐するため。そして現在、リオンを世界へと誘き出すことにすら成功している。
万全にできなかったのは武器だけ。その一点だけに目を瞑れば物事はアレウスにとって良い方向へと動いている。
ならば、その唯一欠けた部分は己自身の技量で乗り越える以外にない。
剣戟を打ち合い、金属音を奏で、互いに魔力の炸裂と爆発を乗り越え、土煙を払い飛ばし、数度の跳躍を経て、再び剣を交える。力押しで来るヴェラルドの刃を捌き、アレウスは剣戟の数で攻め立てるも体幹を維持したままの回避で致命傷を受けず、防御によって魔力の鎧はビクともしない。負った傷はナルシェの魂が起こす回復魔法によってすぐに塞がれる。
アベリアが飛翔し、空中から火球の雨を降らせる。狙いはナルシェの魂に絞られているがヴェラルドはアレウスが足止めしているにも関わらず、爆発的な力でアレウスを押し退けると凄まじい速度でナルシェの魂に駆け付けて、その身一つで火球の雨を全て受け切る。鎧には傷一つなく、火傷は全て魔法で回復する。
「“観測して”」
続けざまに来るナルシェの魂が放つ旋風を避けながらアベリアが放った光球は二人の近場で弾ける。
「『堅牢なる守り』、『飛躍』、『死守』、『勝鬨』、『絶対防衛』、『剣術』、『鎧の防衛術』……『比翼連理』。他にも色々あるけど、習得している全技能のレベルがあり得ないくらい高い」
「ただの『戦士』の技能じゃないな。聞いた限りだと『重装戦士』だ」
アベリアが観測したヴェラルドの技能はどれもこれも防御に寄っている。防御に寄っていながらアレウスよりも強い剣戟を繰り出している状態がおかしいのだが、ナルシェの魂に超絶的な速度で防衛に入れる理由が分かった。それらのレベルがあり得ないくらいに高いというのなら、どんな状況であっても憧憬の男は彼女の魂に危機が迫れば全力で守りに入ってくる。だからナルシェの魂を先に倒してからヴェラルドを倒すという方針は不可能に近い。
この絶対防衛をアレウスとアベリアで越えなければならない。
ヴェラルドに狙いを集中する。特にアベリアはナルシェの魂の動向を気にしつつも魔力の炎を連続的に撃ち出し、憧憬の男の移動先を限定させる。アレウスのそこに先回りして炎の剣戟を放つ。
目で見ている。気配を消しつつの移動を行ったはずだがヴェラルドの目は剣戟が向かってくる先であるアレウスのいる方角に向いている。目が追い付いているのだから体を追い付かせることはワケない。不意を突いたつもりだが、炎の剣戟は憧憬の男が握る剣によって阻まれる。その場で炎を起こし、ヴェラルドを熱と炎で焦がし尽くそうとするが、一切合切を否定するような特大の水球が頭上で爆ぜて水流となってアレウスとヴェラルドを押し流す。
足元を確保し顔を上げた直後、同様に押し流されておきながら先に立て直しを終えたヴェラルドの無情な一撃がアレウスの左腕を切り落とす。
「“癒やして”!」
水を一気に蒸発させるほどの強大な炎がアレウスを包み込む。たまらず下がったヴェラルドを尻目にアレウスはその場に剣を突き立て、地面に落ちかけた左腕を右腕で掴み、切断面を合わせる。アベリアの炎と回復魔法が骨や神経、筋肉、皮膚のあらゆる全てを接合し縫合する。そして自らを包み込んでいる強大な炎の全てを手元で吸収し終えるとアレウスは突き立てていた剣を引き抜き、その場で振り下ろす。起こされる飛刃に炎が乗り、下がったヴェラルドの体を焼きながら引き裂く。だが、その身を焼く刃を力でねじ伏せるかの如く片腕で打ち飛ばし、直後にナルシェの魂が起こす回復魔法で傷口が一気に塞がる。
「終わりがない」
「すぐには終わらせねぇよ。俺たちに勝ち目があるとすれば持久戦だからな」
リオンの尖兵であるヴェラルドたちにはほぼ無限の魔力供給がある。だがアレウスとアベリアを繋いでいる『原初の劫火』は彼女が持つ魔力を消費する。どれだけ魔力の器が大きく、蓄えられている量が膨大であっても憧憬の男と尊敬する女の魂が持つ魔力には到底及ばない。
普段なら持久戦はアレウスが得意とする性分だ。短期決戦は苦手ではないが、持久戦に持ち込むことを決め込んでいる相手と対峙する場合はリスクが大きい。相手はこちらの消耗する動きを取るだけでいい。それだけで魔力を維持し切れないアレウスたちは段々と追い詰められていく。とはいえ、それしか突破口がないのもまた事実である。
「アベリア」
「うん」
攻め立てるヴェラルドの剣戟からアベリアを守り、彼女は後方で詠唱を始める。ナルシェの魂が起こす氷晶の刃が辺り一帯を切り払うが、その程度の裂傷は炎で焼いて止血させる。
「“赤星”!!」
ヴェラルドの頭上より巨大な一つの火球が落ちていく。落ちるまでの間に自壊し、炸裂し、大量の小さな火球となって憧憬の男のみならずナルシェの魂にまで範囲を広げて降り注ぐ。
「習得条件の難しい魔法だな。『賢者』の魔法を見た者だけが使える魔法だ」
降り注ぐ火球の雨――無詠唱で放たれたただの『火球』よりも圧倒的な灼熱と爆発を一つ一つが有するそれをナルシェの魂を庇うためにヴェラルドは全身で受ける。
「『赤星』は『火星』を見なければ着想を得られない。そして『火星』は『賢者』だけが使える魔法の一つ。『食人木』、『煉獄』、『冥土』、『神剣』、『王水』。まだまだ手持ちはあるが、土の精霊に愛されているアベリアが先に火の高度な魔法を使えるようになるとはな」
全身が焼けているが鎧は無傷であり、そして焦げ付いた肉体は回復していく。ほぼ永続的な回復魔法の行使。それだけでのナルシェの魂に負担が掛かっているはずだが、おぼろげな存在である彼女の魂からは疲労の色などまるで感じ取れない。
「ただ、『賢者』の魔法を知っているのはお前たちだけじゃない」
「“紺碧の星”」
今まで口を開かなかったナルシェの魂がボソリと詠唱を終えるとアベリアの『赤星』とは正反対の巨大な水球が空高くから落ちてくる。落ちる間に崩れ、分かれ、範囲を広げ、そしてそれらは一つ一つが質量を持ったまま落下してくる。
雨が肉体に触れても痛みすら伴わないのは質量が小さいためだ。しかし、あの分散した水球はそれぞれが人間の頭部一個分にも該当するほどに大きい。そんなものが直撃すれば肉体は損壊しないかもしれないが内臓は間違いなく潰れ、破裂する。
アベリアが炎の障壁を張り、アレウスがその後ろに入る。
「そうやって凌ぐことが本当にできるか?」
背後に回ってきたヴェラルドの剣戟をアレウスがアベリアを庇って剣で防ぎ、力ずくで炎の障壁から押し出される。
「属性の関係で言ってしまえば、火は水には敵わない。水を圧倒するほどの灼熱の炎を用いなければ覆せない」
だが覆すほどの炎を放出してしまえば大量の魔力を消費する。炎の障壁では防ぎ切れないとアベリアは事前に予測し、その後の順序も立てていたのだろうがアレウスがヴェラルドに押し出されたことで彼女自身は水球から身を守れる。ただし、アレウスを守るための炎の障壁を張るために魔力は回せない。
着火を強める。自身の体が纏う炎の熱を上げ、『原初の劫火』が持ち得る炎の真髄を引きずり出すほどの魔力放出を行う。ヴェラルドは不敵な笑みを浮かべながらアレウスを剣戟で打ち飛ばし、水球の雨を縫うようにして後退していく。逆にアレウスは自身に降り注ぐ全ての水球を解き放った炎の火力だけで蒸発させ、自身に触れるときには雨水にも満たない水の粒へと変えて防ぐ。
「っ、はぁっ……はぁっ!」
途端に来る体への強い負荷。水球全てから身を守ることこそできたが、立っていられない。貸し与えられた力をほぼ全て使い切った。それを現すように自分自身を包み込んでいた炎は燃焼を終えて、少しずつ消えていっている。手に握っていた剣も放出した魔力に耐え切れずに崩壊し、柄すら残っていない。
「アレウス!」
「近付けはさせねぇ!」
炎の障壁で身を守ったアベリアがすぐさまアレウスへと駆け付けようとするがヴェラルドが妨害してくる。
「残念だ、俺を終わらせることはできなかったな」
「大詠唱、泥よ、濁流となれ」
一体どのタイミングで詠唱を始めていたのかも分からない大詠唱。ナルシェの魂の後方に五芒星が浮かび上がり、その内の『水』と『土』を司る星が一際強く瞬き、アレウス目掛けて濁流が放たれる。
「アレウス!」
――外に出たって、なにをして生きれば良いか……。
――冒険者になれば良い。
迫る濁流を見つめながら、かつての言葉が脳内を巡る。
――誰かのためになんて、生きられませんよ。
――人のためではなく、自分の世界を維持していると考えろ。
誰かのためではなく自分の世界のために。
――異界を壊せ。
そう言ったのはヴェラルドなのだ。
――こんな異界は全て等しく破壊しろ。
壊したいと願っているのはアレウスだけでなく、ヴェラルドもなのだ。
終わらせない。終わらせられない。
こんなところで、アレウスは終われない。
終わるのはアレウスではなく、終わらせなければならないのはヴェラルドの生き様だ。
「だから僕は!」
アレウスの前方に『身代わりの人形』が飛び出し、濁流を左右に分かち、絶対の防御によって自身を押し流そうとする全てを妨げる。
「こいつ……さっきまで全力で身を守っていたからその一手は無いだろうと決め込んでいたってのに……いいや、奇跡なんて信じてねぇから『身代わりの人形』に自分の命を完全に委ねた捨て身の一手を避け続けていたのか」
「異界を壊すんだ!!」
濁流が残した泥に両手を沈め、ナルシェの魂が残した魔力の残滓を吸収して自らの物とし、貸し与えられた力を再着火させて身を燃やしながら最後の剣を引き抜く。
「ナルシェの魔力を吸収……? アレウス、お前は本当に人間なのか?」
「人じゃなくてもいい。化け物と呼ばれたって構わない」
どう呼ばれようとも本質さえ歪まない限りは前に進み続けることができる。
「僕はあなたたちを越え、リオンに復讐を果たす。そしてありとあらゆる異界を全て等しく破壊する。あの日からずっとこの気持ちは変わらない。あなたたちが示してくれた道が僕の進むべき道だから!」
そして、歩み続ける。過去の犠牲をここで断ち、新たな道とするために。




