憧憬の男、尊敬の女
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「こんなにも後ろに布陣して意味があるのか?」
オーディストラは不満を零す。
「私は村を一望したいのではなく異界獣を討ち果たしたいのだが?」
「オーディストラ様が異界獣に命を奪われてはなりませんので」
「この私の命が簡単に取られるものか」
返答するエルヴァに不満を露わにする。
「僭越ながら申し上げますと、皇女殿下は異界獣を甘く考えていらっしゃいます。『魔物を束ねる巨大な魔物』。そのように思っていらっしゃらないですか?」
「違うと言うか?」
「あれは強いて言うのであれば、星々の名を刻まれた十二の魔物の王。異界という縄張りを持ち、互いに威嚇し、時に喰らい合う。そこにひとたび人間が巻き込まれることがあれば村一つ、街一つに留まらず国すらも消えるほどの強大さを秘めております」
「王? あんな悪知恵しか働かない魔物たちを束ねるのが王だと? くだらんことを言う」
「……魔物を生み出すのは異界獣。魔物が世界に散らばり続けるのも異界獣によるもの。異界に潜みながら世界に危害を及ぼす。そして各々が持つ異界には異界獣が決めた概念があり、堕ちた者を魂の虜囚として魔力の貯蓄として抱え込みます。その支配力を王と呼ばずなんと呼びましょうか」
「しかし魔物はいずれは駆逐できるもの。我ら人間に魔物の王が敵うわけもない」
季節――緑栄期が未だ残した暖かさに一瞬の寒気を連れて村の方角から凄まじいまでの生気と殺気がオーディストラたちの体を駆け抜ける。空間が歪み、捩じ切れると漆黒を孕んだ“穴”から異界獣の片足の爪が突き出す。
「ノールード調査隊の帰還と共に地下の“穴”が消失。代わりに村中央上空に“穴”の生成を確認。尚、アレウリス・ノールードとアベリア・アナリーゼが未帰還である模様」
オーディストラよりも前方で構えていたレストアールが部下から伝えられた内容を一言一句違わずに連絡してくる。
「直に現れます!」
「あの者たちが帰っておらんのは不安だな」
「不安に思う必要はありません。あの男は復讐に囚われた者。復讐を遂げるそのときまで命を散らす選択を取りません。そして女もまたそれに追随する者。持ちこたえていればいずれ姿を現しましょう。しかしながら、その帰還を待たずして討伐してもなんら我々に落ち度はありません」
エルヴァが発破をかける。
「では、手はず通りに異界獣の討伐を、」
“穴”から飛び出ている一本の爪が空間を引き裂き、残りの爪が世界と異界の境界線に引っ掛けられる。そこにもう一本の脚の爪が加わり、左右に境界線が引き裂かれると、おおよそオーディストラが予想した大きさを凌駕するほどの巨大な肉体を有する獅子が顔を覗かせる。鉱石のように爛々と輝く牙と、全身に纏われた岩の毛皮。まさに世界を引き裂かんとする剛爪。
そして、一部の存在のみが有する何物も寄せ付けんとする覇者のオーラによって放たれる『異常震域』は遠く離れたところにいるオーディストラの体さえも恐怖に震え上がらせる。
「あれが、異界獣……だと」
「ええ、皇女殿下が王と呼ぶに値しないと言い放った存在にございます」
「待て……待て! あんなものの異界に飛び込み、こちらに引き込んだとでも?」
「左様です。アレウリス・ノールード率いる第一調査隊が四日という期日を設けておきながら二日目に果たした成果にございます」
「あんな……あんな存在に、追い掛けられながら……?」
「左様です」
エルヴァは淡々と告げる。
「そして、あれに対抗するべく立ち上がった我々の統率者は皇女殿下。あなたの指揮と采配が異界獣と戦う兵士たちの生き死にを決定付けます。冒険者についてはご安心を。シンギングリンのように異界にある街を呼び寄せたわけでもありませんので、甦る覚悟はできておりましょう」
「私、私が?」
「はい」
能力を推し測るようなエルヴァの視線から逃れるようにオーディストラは彼方より現れし異界獣を見つめる。しかしその瞳には一切の闘志はなく、恐怖の色が窺い知れる。
「……剣を取れと伝えよ」
「よろしいのですか?」
「そんなものは知らない。今、この瞬間に剣を取らせること握らせることが正しいかどうかなど私にはまるで分からない。だが、世界に仇名す存在を前にして剣を取るななどとは言えん。そう、戦うために我らは集った。ならば逃げるのではなく戦うことを命じる。たとえこの言葉で多数の死者が出るのだとしても、私はその死者の魂を背負ってでも進まねばならん」
瞳には恐怖がある。迷いもある。しかし、選んだ言葉に逃避はない。己が背負うべき責任には向き合っている。少なくともエルヴァはそのように受け取った。
「であればリスティにもそう伝えます」
エルヴァが地面を踏み締めて魔力を流す。
「“総員、傾聴せよ”!」
『指揮』を行使する。
「“リオンを討伐することが皇女殿下の命であり、そして願いである”」
前提を告げて士気に影響を与える。
「“侮るなかれ! しかし、異界より現れるはリオンのみにあらず。リオンの尖兵たる魔物も排除せよ”」
エルヴァは声に力を込める。
「“奴らの陣形を崩せ”!!」
*
「『どうして』、なんて野暮なことは言わないよなぁ!」
剣戟に迷いはない。ヴェラルドは本気でアレウスを切る気でいる。だからアレウスの剣戟もヴェラルドを切る気で放っている。両者の太刀筋に殺気があるからこそ剣と剣は金属音を奏で、互いの刃が交わって止まる。迷いがあったなら、この最初の剣戟でどちらかは死んでいる。
「あなたがリオンの尖兵になったことは知っている」
「へぇ、一体どこのドラゴニュート様だろうなぁ!」
鋭い縦の一撃を受け止めるも衝撃は殺し切れず、アレウスは下がりたくなくとも体が勝手に後方へと滑る。
「あの人のことを知っているのか?」
「むしろ知らないままでリオンの尖兵をやれると思っていたのか?」
剣を肩に乗せ、好戦の意欲をそのままに語る。
「リオンにとっては目の上のタンコブだ。死人ではあるが魔力を吸収しようにも力及ばず、尖兵にしようにも概念にも一切囚われない。追い出そうにも並の魔物では相手にならず、だからといって“穴”を近くに置いても出ていく気配すら見せない。それどころか好き勝手に色々な異界獣の巣を渡る。正直、『異界渡り』を自称していた俺よりもずっと『異界渡り』らしい存在だよ」
「そんな力を持っていながら、どうしてあの人はリオンを討たない……?」
「聞いているんじゃないのか? リオンを討つことは魔王の復活を早める。たとえ異界であってもあの方は屠ることさえワケないのだろうが、討ったとて他の異界獣がリオンの亡骸を喰らいに来てはなにも変わらない」
「だけど、放置し続けてもいずれ異界獣は喰らい合う」
「死んでいる異界獣を喰らうことと、生きている異界獣同士で喰らい合うことには明確な時間の差異がある」
「魔王の復活を遅らせるために放置して、討たないことで争い合う時間を引き延ばしているとでも?」
「話が早い! やっぱりお前は頭が回る!」
トントンと剣で肩を叩き、己の調子を確かめるように笑みを零してからヴェラルドは一足飛びでアレウスに接近する。
「さすがは俺たちが助け出すと決めた子供だ!」
「僕はもう!」
「大人だとでも言いたいってか?!」
剣戟の一つ一つに重みがある。アレウスが剣を振るう要領とヴェラルドの振りには大きな違いはない。体から迸る勢いがそのまま剣に乗っているのだとしても『カッツェの右腕』を駆使しているアレウスの剣戟や防御が押されてしまう。
技能の差。最も高められている『短剣術』ではなく『剣術』を参照しているアレウスと、『剣術』をひたすら高め続けたヴェラルドでは剣戟そのものに関わる威力が異なるのだ。なにより、ヴェラルドは他の技能も『戦士』に寄っているはずだ。『猟兵』という中衛的な立ち回りと技能を持っているアレウスでは『力』の能力値以上に前衛の技能を豊富に持ち合わせている憧憬の男に、搦め手以外では剣戟が通りにくい。
「俺からしてみればまだまだ子供だな。世界じゃ十八を過ぎれば成人なのかもしれねぇし、童貞を捨てれば一人前の男なのかもしれねぇが、俺の中では二十歳を過ぎるまでは成人じゃねぇよ」
「それは産まれ直す前の」
「そうだよ。産まれ直す前の世界での話だよ」
強烈な蹴撃を空振らせて、ヴェラルドの真横を取って剣を振るう。待っていたと言わんばかりの好戦的な形相で身に付けている鎧の肩で剣戟を弾かれる。
「いってぇ~! 思った以上に力があるじゃないか!」
そのまま片腕で剣を払ってきて、ヴェラルドが反撃の刃を振り抜く。腹を切られる前に引き切って、距離を開こうとするが憧憬の男は構わず突っ込んできてアレウスに再度、剣戟を繰り出す。
受け止めてもその重撃は凄まじく、やはり衝撃を殺せずに体が滑るがごとく後退してしまう。自ら開いたとも言うべき距離をヴェラルドが再び詰めてくる。
「産まれ直す前の記憶ってのは意外と厄介だ。この世界じゃ道徳を持っている者ほど早死にする。死にたくないと抗い、道徳心を欠如させて縋り付いてくる者を片っ端から蹴り飛ばせなければ生きることさえ難しい」
「……なら僕たちのことも見捨てればよかった!」
「だから道徳を持っていたから俺は早死にしたんだよ」
重撃を一つ一つ丁寧に捌き、蹴撃も事前に予期して回避する。激しい詰め寄りと攻撃ではあるが、対処はできる。一撃に重たさはあっても、受け止め切れないのだとしても、それを考慮すれば立ち回りが乱れる要素にはならない。
「『こんなものじゃないはず』って思っているだろ?」
「なん、で」
「お前は俺に対しての憧れが強すぎる。だから言ってしまうが、俺は“こんなもん”だったんだよ。それを足りない頭で考えて、色々と魔物を観察して弱点を見出し、危険だと分かっていても『異界』を渡ったりもした。それでも、当時のお前にとっては俺は憧れるべき冒険者だったのかもしれねぇが、当時の俺はどう足掻いても“こんなもん”が限界だった」
だがな、とヴェラルドは続ける。
「こんな俺にもアーティファクトがあるんだよ。一人じゃなければ“こんなもん”を一気に突破する。そこにナルシェの魔法も重なると、大抵の魔物との戦いじゃ負ける気がしなかった」
「……ナルシェ、は」
「ナルシェのアーティファクトが役目をはたして、ナルシェの魂のほとんどはもう残っちゃいねぇが」
ヴェラルドの視線の先におぼろげな存在が見える。陽炎のように揺らめいて、その存在の周りだけ空気との境界が曖昧になっていて、近いのか遠いのかの判断すらも狂わせる。
「見せてやるよ、アレウス。決して尖兵になったから得たわけじゃない俺がナルシェと組むことで発揮させていたアーティファクトの全てを」
ヴェラルドが纏う鎧から魔力が噴き出し、半身が包み込まれる。魔力は炎のように揺らめいて、煌々と輝きながらも寂しげな気配を漂わせる。憧憬の男の視線の先にいたおぼろげな存在が片腕を上げる。
刹那に生じた旋風に巻き込まれないようにアレウスは後退する。それを読み切っていたかのようにヴェラルドが詰め寄り、魔力の乗った一撃が振り下ろされる。
「本当ならこの力でお前たちを守りたかった。だが、異界獣に『栞』を駆使して、このアーティファクトを持ってしても勝てなかった」
「……僕たちは守られた! ここに僕が戻ってきたことがその証明だ! あなたたちの生き様は、無駄じゃなかった! 僕たちが生き残ったんだから! 僕たちが、あなたたちと同じように冒険者になると決意したのだから!」
「ありがたいねぇ、そう言ってもらえるのは」
高められた魔力が強すぎる。避けはしているが、一振りで地面が砕けた。受け止められるものじゃない。そうなると回避に徹しなければならないが、その足元をすくうような旋風が次から次へと発生し、アレウスの逃げ場を抑えにかかってくる。
憧憬の男よりもおぼろげな存在を仕留めに掛かるべきだ。あの存在が片腕を上げてから旋風が起こったのなら、旋風の根源は間違いなくあの存在にある。
アレウスはヴェラルドの攻撃を避けて、培った瞬発力で一気におぼろげな存在へと接近する。
「俺がナルシェを切らせると思うか?」
どういう理屈かは知らないが、出し抜いたはずの憧憬の男がアレウスの眼前に立っているだけでなく振り下ろした剣戟を受け止めている。
「あれが、ナルシェだって?」
「そうだ。お前たちがアーティファクトを終わらせてくれたからナルシェの魂の半分はもう消え失せた。だが、ナルシェはあんな姿になってもまだ俺に力を貸してくれる。魂の全てを俺に捧げてくれている」
ヴェラルドが守ったおぼろげな存在――ナルシェの魂がアレウスを指差す。小さな魔力球が顔面に迫り、そこで閃光が迸った。指先よりも小さな魔力が起こしたにしてはその閃光はあまりにも眩しく、アレウスの視界を一瞬にして奪うには十分だった。
だが視力に頼らずともアレウスには感知の技能がある。殺気を孕んでいるヴェラルドの剣戟も、その足運びも手に取るように分かる。避けることはできる。
それでも先んじてナルシェの魂が魔力を回す。アレウスが踏み付けた地面から火柱が生じ、身を焦がされる。
「ここにナルシェのアーティファクトが残っていなくて助かった」
焼かれた体は自然と治り、火柱の魔力をアレウスは片腕を振るって薙ぎ払う。
魔力的な炎への絶対的な耐性。アレウスにはたとえナルシェの魂が起こした炎であっても、それが魔力である限り通じない。
眩んだ視界が回復し、振るわれる剣戟を右に避ける。地面が抉れ、破砕されたつぶてが足を打つ。そんな鈍重な痛みなど気にせずにヴェラルドの猛攻を耐え抜いて反撃に掛かる。
剣の速さ。アレウスが勝っているとすればそこしかない。とにかく手数と足運びに全力を込めて剣戟を放つ。多少はヴェラルドに傷を付けることができたようだが、好戦的で意欲的な笑みは崩れない。
だが足止めはできた。だからアレウスは再びナルシェの魂へと走る。
「だから俺を無視してナルシェを傷付けることは許さねぇ、って」
しかしやはりどういうわけかヴェラルドが先回りしてくる。
「お前は俺のアーティファクトを根本的に理解していねぇ」
またも窮地に立たされるが、今度はナルシェの放った魔力球だけを避けることに徹し、生じた氷晶の刃から逃れる。しかしヴェラルドの一撃を剣で受け止めざるを得ず、受け切った直後に剣が砕けることを想定した上で後退することでありとあらゆる追撃を凌ぐ。
新たな剣を鞘から引き抜き、身構える。
「ナルシェの魂をあなたのアーティファクトが繋ぎ止めているのだとしたら、ただただ苦しませているだけだ」
「分かっているよ、そんなことは。俺もそう言ってナルシェの魂の消滅を望んだ。けどよ、あいつはたとえ苦しむことになっても俺の半身であり続けることを選んでくれた。これがどういうことか分かるか? ナルシェにとっての生き様は終わったが、俺の生き様は続いている。それを終わらせるのはアレウスだと、リオンの尖兵になってからずっとずっと言い続けていた。その想いを汲んでくれた。そして、数週間もしない内に現れた」
「……僕がヴェラルドの生き様を終わらせる、のか?」
「最初にそう俺は望んだはずだが?」
「僕が、終わらせると……信じていた?」
「そうだ。俺たちを終わらせられるのはお前たちしかいない。現にナルシェのアーティファクトは終わった。その兆しがあったから、俺も一縷の望みに賭けることができた。お前たちが近い内に現れるだろうと思えた」
氷晶が舞い、旋風が踊る。その合間を縫ってヴェラルドが差し迫る。
憧憬の男をまともに相手にするには、やはりナルシェの魂を倒してからが望ましい。だがナルシェの魂に接近すれば問答無用でヴェラルドが守りに入ってくる。距離や体勢など無視して、一瞬の内にやってくる。
ならばヴェラルドから倒すべきなのだろうか。しかし、憧憬の男に手一杯の状況でナルシェの魂が起こす魔法の数々が加わるとどこかでアレウスの立ち回りに綻びが生じ、死に繋がる。
片方ではなく両方を一気に攻撃する以外にないが、そこに注力すれば個々への対応が遅れる。
ヴェラルドをナルシェの魂が援護し、ナルシェの魂をヴェラルドが守る。まさに一心同体。二人一組でありながら『異界』すらも渡ることができた者たちの行き着いた戦闘技術だ。
「一心同体だと言うのなら」
貸し与えられた力を着火させる。
「僕もまた一心同体の力を使う」
「そうだ、それでいい。だが、お前のパートナーは先に『異界』を出た。それで本来の力を発揮、」
言葉を続けるヴェラルドに特大の火球が後方から落ちてくる。剣で受け止め炸裂する爆炎をナルシェの魂が跳ね除ける。
「私がアレウスを一人残して『異界』から出るわけがない」
“穴”の後方からアベリアが姿を現し、『継承者』としての力を発揮させながらヴェラルドに杖を向ける。
「飛び込んだと思わせておいて、魔力と気配を消したのか。しばらく俺とアレウスを戦わせたのは戦う理由を吐き出させるためだな?」
「想いを聞かなきゃ、僕はともかくアベリアは決心が付かない」
「だからって後衛のアベリアに『気配消し』と『魔力消し』を覚えさせるか……? いや、まだまだ技能としては未熟なところを見ると習得時期はつい最近だな……?」
「この日のためだから。全部、この日のために必要だったから」
「……嬉しいね。この日を全力で待っていた俺たちに全力で応えてくれているんだからな」
ヴェラルドに纏わりつく魔力の半身がより強く燃え上がる。
「だったら俺たちも全力で応じなきゃならねぇよなぁ!! もっと俺たちを高めさせろ! 『比翼連理』!」




