エレスィが力を貸す理由
さすがに異界のセーフハウスとも言うべき集落で行方知れずになられるのは困るため、ガラハの気配と痕跡を技能で追いかけてみると、そこには労働意欲に目覚めたカプリースが鉱石の鑑定を行っており、ガラハは採掘に勤しんでいた。その二人もアレウスたちに見つかると、どうして今まで仕事に励んでいたのかと正気に戻り、自身が手にしていた道具を放り出した。
「最初は手伝うだけのつもりだったんだが」
「僕は手伝う気はなかったんだけど暇潰しをしようと思ったら」
口を揃えて言っているわけではないが、内容はほとんど同じだった。やはり異界の概念に囚われていた。
「ロジックへの抵抗力が低い方が囚われやすいのか……?」
そのような仮説をアレウスは呟くものの、確証はない。
「むしろ仕事熱心な人の方が異界は取り込みやすいように感じますが」
その横で呟きを聞いていたエレスィが別の角度から推測を立てる。
「それだとエレスィはガラハやカプリースよりも仕事熱心じゃないってことになるけど」
「俺はジュグリーズ家の使命から匿われて、ずっと仕事を放り出していたようなものですから」
そのように謙遜はしているが、態度からはどうにも不真面目な点は見受けられない。
ともかく、完全にリオンの異界の概念に取り込まれる前に見つけ出せてよかった。二人を欠いたままではリオンを誘き寄せることさえままならないところだった。
「アレウス? 奴隷商人から聞いた話なんだけど――」
一息ついたところでアベリアが聞き出した情報をアレウスだけでなく全員に共有する。
「宮廷魔導士……エレスィは聞いたことがあるか?」
「恐らくは俺の世代ではないでしょうね。もう一つ上の世代か、あるいは二つ上の世代か。けれどエルフは常に外界との交流を断っていたわけではないので、森に残っている文献を調べていけば過去の王国の人物についても分かることはあると思います。ただ、」
エレスィは溜め息をつく。
「暴動を起こしたエルフたちがイプロシア・ナーツェを崇めて、一部の森を支配しています。最悪なことに書庫もその地域にあって、貴重な文献のほとんどはそこに……」
「『賢者』はわざとエルフの書庫を支配しているのかい? まさにその称号に恥じぬ知識欲から、誰の手にも奪われないようにか?」
「いや、『賢者』が今更欲している知識がエルフの過去の文献にあるとは思えない。それでも書庫ごと一部の森を支配したのは僕たち人間への嫌がらせ。そして、保管されている文献を調べられると困るから」
イプロシア・ナーツェは『衣』を持たない。そもそもロジックを書き換えてナーツェの一族に紛れ込んだ存在だ。そこからクラリエが産まれて『衣』を発現できたのは『勇者の血』が及ぼした異変でしかない。本来のナーツェが継ぎし『白』であったのも、偶然が起こした一致に過ぎず、元来の『白衣』とは力の形も異なっているはずだ。
逆に言えば、『白衣』を手にしたせいでクラリエは因縁の連鎖に加わざるを得なくなったのだが。エウカリスが信じた『ナーツェ』を自ら背負い続けることになった。でなければ親友の想いを裏切ることになってしまう。本人はそこまで重たい物を背負っている気がないように振る舞っているが、内心はきっと苦しくてたまらないだろう。
ただし、『勇者の血』はアレウスに分け与えられたために血の重みからは解放されているようだが、それにしても押し付けられた側のアレウスがちっとも血の重みを感じていないのはどういうわけか。
「俺の推理と一緒ですね。あの書庫には『賢者』にとって都合の良い文献ばかりが並んでいるわけではないはずです。それらを焼き払わないのは、種を植え付けられ暴動を起こしたエルフたちの求心力を失ってしまいかねないからでしょう。エルフは長寿を謳っている手前、自らが刻んできた歴史を記した文献を手放すことも燃やすことも難しいはずです」
「ヒューマンはそこのところ大雑把なところがあるよ。あとでいくらでも調べられると高を括っている部分があるんだろうね。国を追われるといったってハゥフルみたいに人口が激減することがない。つまり、のちの時代にもヒューマンが生き続けていて国を継いでいるだろうと、そんな風に思っている。反吐が出るほどにお気楽な頭をしている」
立場上、ヒューマンであってもカプリースはハゥフルに寄り添っている側である。国を追われたことも、国を失いかけた過去も、そしてそれ以上に王族が断絶しかけたことが、ずっとずっと許すことができていない。だからこそ、ヒューマンの高慢さや傲慢さに嘆くようで貶している。
「話が逸れているが、テッド・ミラーは元は宮廷魔導士。そこからどうして奴隷商人にまで身を落とすことになったのか……それとも、望んで身を落としたのか。そこの辺りが分かれば、全国的に増殖しているテッド・ミラーを一網打尽にする大きな秘密に近付けるかもしれないのだな。しかし、調べるためにはエルフの書庫を頼らざるを得ないと」
「うん、大体はガラハの言う通り」
「それで、このあとも情報収集に徹するかい? 正直、僕はもうこの異界について調べたくないよ。また気付いたら仕事に励んでいるなんて耐えられない」
「俺も無駄な労働で体力を消耗したくはないな」
「誰かが異界の概念に引っ張られないように一丸になって動くことが望ましいのかもしれませんね」
そこまで言って、わざとらしくエレスィが思い出した風の演技を取る。あまりにも下手だったためにすぐ演技だと分かってしまったが、誰もそのことについては追及しない。
「エルフの巫女に頼まれていたことがありました」
「巫女?」
「あれ? クラリェット様が伝えていらっしゃると思っていました。星辰で起こることを予知する巫女のことを」
そういえば、クラリエは巫女の予知を聞いてアレウスたちがいたキングス・ファングの群れに駆け付けてくれたのだ。そのことを言われるまですっかりと忘れていた。
「その巫女様がなにか?」
アベリアは首を傾げながら問う。
「この異界に『魔眼』を持つ者がいるらしいです」
「……眉唾な話だな」
カプリースがやや小馬鹿にしたような態度でエレスィに言う。
「『魔眼』は『聖痕』を持つ者にのみ発現するアーティファクトだ……いや、一人例外がいるがその例外を除いて、『魔眼』持ちは全員、兆候として体のどこかに『聖痕』が現れる」
彼の言う例外はクールクースのことを指している。しかしながら例外は二人いる。もう一人はリゾラ。彼女は自身の復讐のために『魔眼』を用いてヘイロンを捕まえていた。
「異界に堕ちている者は魂の虜囚。その魂にはもはや成長はない。ならば『聖痕』が現れるわけもない」
「もし、生きている者がいるとしたら? そして俺は既にその者と干渉していたなら、どうしますか?」
「集落を見て回った理由はそこにあったのか。僕が“目”を付けるべきはアベリアではなく、どうやら君だったようだ」
妙な対立状態が構築されているように見えるが、半信半疑な物事への言い方が厳しいだけでカプリースは攻撃的なわけではない。
「では聞いてみようか、『魔眼』の話を。僕も実際のところ『魔眼』の仕組みを深く知っているわけではないからね」
そのためエレスィに話をするように促す。信じるか疑うかは聞いてからでも遅くないということだ。
「『魔眼』持ちは全国で十人。十人以上は観測されていないとされています。ただ、未観測なだけであって俺たちの間では十二人はいるだろうというのがもっぱらの噂です」
「十二という数字に拘る理由は?」
「それは、」
「異界獣の数、と関係があったりするか?」
「はい。さすがアレウスさん、話が早い」
異界獣はアレウスの産まれ直す前の世界では十二星座を模している。魔王の一部が十二に飛散し、十二星座を模した異界獣が誕生。そこに対して『魔眼』もまた十二というのは想定しやすい。『聖痕』と言うくらいだ。神に見初められた者だけに与えられる力であるのなら、魔王の一部に対抗し得るアーティファクトであると考えるべきだ。
神が『魔眼』を与えるのは信仰心の維持。『魔眼』だけでは異界獣には敵わない。それでも神が力を与えたという事実が必要不可欠なのだ。
「今のところ有名なのは『蜜の眼』、『星の眼』、『滅の眼』、『天の眼』、『養の眼』。残りは七つですが二つは未観測。そうなると残るは五つ。その内の四つは『魔眼収集家』が『魔眼』を持つ者を殺し続けていると思われます。これのなにが問題かと言いますと、誰かが死んだなら別の『聖痕』持ちにその死んだ者の『魔眼』が移るわけではないところです。なので、千差万別な『魔眼』が奴の手元にあるわけです。最後の一つですが……眼の能力を明かさないまま、度々、巫女を呼びつけている集団の長が持っています」
『蜜眼』はアニマートなのは分かる。ただ、その眼の特徴をどういうわけかリゾラの『魔眼』は持っていた。ならばもうアニマートは死んでいて、それに近しい『魔眼』がリゾラに生じたのだと考えることもできる。しかし、移るわけではないのならあの眼は一体どのようにしてリゾラは手に入れたと言うのだろうか。
彼女のことを考えたところで、彼女は一切合切を語らないだろうから無駄である。なのに胸の中にある、この奇妙な感情はなんなのか。
「有名と言われても私たちは『蜜眼』以外、あんまり知らない。アニマートさんの『魔眼』で、確か見つめた相手の魔力を吸い取ったり、自分自身の魔力を極上の蜜のようにすることで知性を持つ魔物を問答無用で誘い出す力、だったはず」
「『滅の眼』は『魔眼収集家』が発現させているものです。見つめたものが魔力や気力で構成されているなら問答無用で消し飛ばす力です。つまり、魔法と技を全て無効化します。この眼があまりにも強力であるがゆえに『魔眼収集家』の暴挙が止められずにいます」
荒唐無稽な話でも始めたのかとアレウスは彼が正気かどうか疑ったが、どうやら本気で言っているようだ。魔法や技、技能を全てとする冒険者にとってその『魔眼』は特効としか言いようがない。
「『天の眼』はエルフの巫女が持っています。文字通り、天より見つめるが如く、遠方の事象を観測できる力です。カプリースさんの“目”みたいなものですね。それが広範囲に及ぶ感じです」
「僕のは付けなきゃ盗み見も盗み聞きもできない。いや、“目”しか付けていないから盗み聞きはかなり困難だ。しかも、色んなところに行脚して直々に付けなきゃならないから、『天の眼』とやらとは雲泥の差だよ」
カプリースのそれはあくまで魔力によるもの。エルフの巫女の眼は魔力に加えてアーティファクトとしての強力性を持ち合わせている。
「『養の眼』は連合の聖女が持っています。文字からは想像が付かないと思いますが、『不死人』が聖女を崇め奉る理由がそこにはあると言われています。そして『星の眼』。正直、これについては確定している情報はありません。ただ、その眼は五点や六点の星にも、それどころか更に多くの星々を眼に宿していると言われています」
「エルフの巫女を呼びつけている集団の長、とやらは?」
エレスィが語る『魔眼』の中でアレウスたちが一番気掛かりとするのはやはりなんの情報もない『魔眼』である。話されて明かされた眼については知識に入るが、全く情報のない『魔眼』持ちについて、その特徴を知りたいと思うのは当然のことだ。
「先ほども言ったように一切が不明です。ただ、巫女だけを呼びつけているわけではないようです。巫女から聞いた話になりますが、『星の眼』や『蜜の眼』も呼びつけられていたようです。最近は『星の眼』しかその席に現れないそうです」
アニマートが既に死んでいるのなら、呼びつけられたところで行くことはできない。
「なんでも、『聖痕』持ちの者たちを聖女と呼び、聖女たちだけの会議を開くことを前提としているらしいのですが、『魔眼収集家』のせいでその体を成していないみたいで」
そこでエレスィは沈黙する。悪逆非道な行いで人が死んでいる。そういう話をしているために空気が沈んだせいだ。
「ここに『魔眼』を持つ者がいるのは事実なのか?」
「事実ですよ。だから既に俺は『魔眼』持ちの者に声を掛け、夜にこの場所で落ち合う話をつけてきています」
勝手な行動であるものの、アレウスも勝手な決断を取ってしまったため咎められない。
それに『魔眼』を持っているということはまだ死んでいない。魂の虜囚ではなく、世界に脱出可能な命であることを意味する。
アレウスたちは事前に集落の宿屋のような――しかしながら決して宿屋とは呼べない簡素な休息スペースの管理者に泊まることを告げていない。それもこれも夜になってからガラハたちを探すことに時間を費やしてしまったせいなのだが、わざわざ金銭のやり取りをするほどのものでもない。快適な空間が約束されるわけでも、プライベートな空間を用意されるわけでもない。集落で野宿することとそう危険性は変わらない。だから自然と集落の中央――大方の村や街でも広場となりやすいその場所にいる。そしてここはアレウスたちが手分けして情報収集を始めた場所でもある。
「あ、の……」
声がしたのですぐさまアレウスは振り返る。
「ご、御免なさい!」
反射的な動きで、攻撃性を孕んでいたためか声の主――少女がビクついて、その場にへたり込んでしまった。
「……エレスィ、本気で言っているのか?」
「俺は本気ですよ」
自分たちの命すらいつ取られるか分からないというのに、エレスィはアレウスたちにこの少女を世界まで連れ出すことを要求している。
「私たちに、できるかな?」
かつてヴェラルドとナルシェでさえ、その身を犠牲にすることでしか二人の子供を世界に逃がせなかった。五人で一人の子供を救い出す。簡単なようだが、今回は逃げるのではなくリオンを誘き出す。当然ながら危険性は高い。
「その子の眼を見てください」
言われ、アレウスは少女の前にしゃがみ、その顔を、その瞳を見る。
「アーティファクトの収納方法を知らないのか、力を使わずして発現している状態です。ただ、どんな力が発現しているのかまでは分かりません。もしかしたら、見た目だけの変化で、使い方をまだ知らないのでは」
少女の両目に宿るのはオエラリヌと同じ縦に細長い瞳。爬虫類の眼に近いが、そうではない。『蛇の眼』のような『魔眼』もどきでもない。
言うなれば『竜の眼』。ただし、それはアレウスとガラハだけしか分からない。自然とアレウスの視線はガラハに向き、ガラハはアレウスと同じように少女の瞳を見て、ただ肯くことしかしなかった。
つまり、語るべからず。黙っておく方が少女にとってもこの場においても穏便に済むという判断だ。
「どうするんだい? エレスィがどう言おうと、最終的な判断を下すのは君だ。まぁ僕は難しいとは思うけれど、可能な範囲ではあると思う。でも、危険の中の安全を取るのなら……」
連れ出し、救出することにカプリースも賛否の間の意見を出す。
「……後追いか」
ずっとずっと、追い掛けている。恩人の、憧憬の背中を追い掛けている。
「朝になったらリオンを誘き出すために動く。そこからはもう止まれない。ひたすらに走り続けるようなものだ。なんでこんなところに『魔眼』持ちがいるのかは全然、これっぽっちも分からないけれど……連れ出す」
もしもリオンを誘き出すことだけでなく、この子を異界から脱出させることもできたなら、アレウスはようやく恩人の背中ではなく恩人と肩を並べることができるのではないだろうか。そう思ったからこその決断だ。
「でも、この子だけだ。この子以外を救うことはできない。どれだけの人が寄ってこようとも、他は無視する。僕たちには、たった一人を連れ出せるか否かの力しかない」
この話を盗み聞きしている者がいた場合、明日の朝にはアレウスたちの周りに凄まじいまでの数の魂の虜囚とそうではない異界でなんとか生きている者たちで溢れ返る。それらを払いのけて集落をあとにする。それが絶対的な条件としてエレスィに提示すると共に、パーティメンバーに周知させる。
「通りでクラリエが頼み込んでから反応が早かったわけだ。全てエルフの巫女に踊らされていたわけか」
「俺はあなたを本気で慕っています。駆け付けたのは巫女の星辰による予知を聞いてからではありません。森を発つそのときまで耳に入ってはこなかったんですから」
どうだろうか。
このエレスィの言葉は信じるべきか否か。彼のしたたかさを推し測り間違えると、アレウスはエルフに利用される。たとえクラリエにその意思がなくとも。




