人間だから
『異端審問会』がアレウスを異端者と断罪した理由は定かではない。だが、頭の中で点と線が繋がるような感覚があった。
冒険者を敵視するのは異界獣を討伐し、世界に魔王の一部を残す可能性があるため。
『聖骸』の破壊を目論むのは冒険者の甦りを阻止し、異界の探索も異界獣の討伐もさせないため。
魔王の一部が世界に現れる可能性を含む冒険者は、世界の平穏を脅かす“異端者”である。宗教云々ではなく、魔王を復活させるかもしれない冒険者を異端者扱いする。だから『異端審問会』は各地で活動を続けている。
だが、果たしてそれは本当に正しい行いなのだろうか。
「異端と断罪し、子供を異界に堕とすことのどこに……正当性があるというんだ」
「異界獣は魔力が枯渇しない限りは他の異界へと渡らない。自分自身の巣穴という巣穴を行き来するだけだ。魔力が潤沢であるなら、他の異界獣と縄張り争いをしてまで喰らい合う理由はなかろう?」
「だったら、無辜の者たちは犠牲になってもいいと?」
「その犠牲が、魔王の復活を阻止するのであれば、それは必要な犠牲と呼ばれるものではないのか?」
「だからって命を犠牲にすることで得る平穏なんて」
「戦争をしてでも平和を勝ち取ろうとしている人間たちが言う台詞ではないだろうに」
オエラリヌは腰掛けていた岩から降り、アレウスの眼前まで迫ると翻る。その回転によって遠心力を得た尻尾に打たれ、アレウスは着地もままならないまま地面を転がる。
「我らには大義名分があった。魔王を討てば、現世を脅かす恐怖の全てを消し去ることができる。だが魔王の体が十二に飛散したその瞬間、そのときから、冒険者の行いの全ては大義名分からかけ離れた。自らの行いが、魔王の復活を早めることとも知らずに暢気に、『至高』を目指し、魔物を狩り、幽世を攻め落とす。我は死人であるがゆえに、現世がどうなろうとも関係はないが、『勇者』と『賢者』は希望から絶望へと突き落とされた。『賢者』は気を狂わせたのではない。現世に見切りを付け、自らが神となれる別次元の世界で、魔王などと呼ばれる存在が産まれ落ちない現世を作り上げる決断を下しただけだ」
「けれど、この世界に残された者たちはどうなるって言うんだ!」
「言ったではないか。『賢者』は現世に見切りを付けた、と。即ち、現世の全てにもはや情念など抱いてはいないのだ。別次元の現世に渡るための足掛かり。そのためならばなにもかもを利用しているだけだ。そのためなら、何度だって彼奴は自らのアーティファクトで生き様をやり直す」
起き上がろうとするアレウスの頭をオエラリヌが踏み付ける。
「『勇者顕現計画』などと笑える実験を帝国が行ったことも耳に入っている。くだらんな、人間は本当に。二人目の『勇者』など決して現れはしないと言うのに」
「……なん、だって?」
「二人目の『勇者』は現れない。現れるとすれば魔王が復活し、現世が再び恐怖によって脅かされるときだ。そのときにならねば『神』は人を愛そうとも、『勇者』と呼べるほどの祝福を人に与えはしないのだから」
だったら、『勇者』を目指したシンギングリンの元ギルド長――ビスター・カデンツァは一体なんのために仲間を犠牲にしてまで生き抜いたというのか。オエラリヌの言うことを全てデタラメと言い切ることもできる。だが、冷静なアレウスの頭はこの男の言うことを事実であると認識してしまう。
デタラメだと嘯いても、頭は理解してしまっている。
「己が復讐が、現世を不幸にするとしてもお主はその手を血に染めるというのか?」
リオンを討伐すれば魔王の復活が加速する。『異端審問会』を滅ぼせば異端者として断罪された者が異界に堕ちる頻度が減り、異界獣同士が喰らい合ってやはり魔王の復活が加速する。
『異端審問会』はその名とその言葉とその行いで、多くの人間を不幸にしているばかりか巨悪の根源と呼んでも差し支えない。しかし、それは末端組織を見た場合に限られてくる。たとえ末端が人として間違っている行いを繰り返していても、『異端審問会』の幹部が正しく矜持を保ててさえいればいい。そのような考え方があるのだとすれば、アレウスと『異端審問会』に所属する者とで価値観の相違が生じるのも分かる。
「僕の復讐が、恨みが、世界を不幸にする?」
「復讐をすれば同じように復讐心が生まれる。正義が悪を滅ぼせば、悪にとっての正義が復讐と憎しみの対象となり、己が復讐心が正義に降りかかる。しかしながら、正義を振りかざして悪を討ったと言えば聞こえはいいが、悪にとって正義の断罪は、それこそ悪だ」
「そんなこと言われなくたって分かっている。自分が正義だと思っていても他人にとっては悪だなんてことは」
「であればどうして復讐を続ける? 復讐は連鎖する。連綿と続かせて、なんになる? だから人間はくだらん争いをし続けているのではないのか? お主がその負の螺旋に加わる理由がどこにある?」
「…………それは、復讐が間違いだと決めるあなたの意見に過ぎない」
オエラリヌは踏み付けていたアレウスの頭から足を退ける。
「僕にとっての復讐は、命の恩人を殺した異界獣を討伐することで果たされる。僕を過酷な状況へと追い詰めた『異端審問会』を消し去ることで、あの日に起きた悲劇にケリをつけることができる」
間違っていない。自分自身は間違っていないのだと、アレウスは言い聞かせる。
「正義や大義名分を持って異界獣を討ちたいんじゃない。僕を異界に堕とした『異端審問会』の幹部を殺したいんじゃない。僕が正しいと思って行うことが復讐であるだけだ。たとえ悪であろうと、この感情を、この負の感情を捨て去ることなんてできない」
立ち上がり、オエラリヌを睨む。
「あなただって知っているはずだ。不幸の連鎖が続く理由を、連綿と続く理由を、負の螺旋が断ち切られない理由を」
「どんなに言い聞かせても、どのように語っても、どのように説き伏せても、どのような真実を晒しても、人間は復讐を止められない」
「そうだ。そして僕はそんな愚かな人間の一人で……この復讐心を真実を知っても尚、燃やし続けている」
「お主も神が見放した連中に堕すると言うか」
「最初から神なんて信じちゃいない。神がいたなら、僕みたいに片耳と片目と片腕を喪って異界に堕とされるような子供はいない。神が本当に全知全能で平和を祈り、世界全ての動植物を愛していると言うのなら、人間を争わせようなんて考えない。神であるならば、人間の傲慢で命を狙われるのだとしても、それが人間にとっての平穏になり得ると思うのなら享受すべきだ」
「ほう?」
「人間に殺されるのに怯えて、人間同士を争わせる判断を取った神は結局のところ我が身可愛さでしか物事を捉えていない。魔王の復活に怯えて人間に祝福を寄越さないのも、己が自身で魔王を仕留めることができない事実が明るみに出てしまっては信仰を失うからだ」
アレウスはアンジェラを知っている。
「偶像は認知されなければ存在し続けることができない。神への信仰が失われれば、神は存在の定義を失い、神に仕える天使でさえも生きられない。やっぱり神は人間よりも自分本位で馬鹿げているくらいの怖がり屋だ」
「その言葉が神に届いているとしても、お主はそのように言い続けることができるのか?」
「最初からずっと言い続けている。『神なんて信じていない』と。ずっと思い続けている。『神に救われたことなんて一度もない』と」
「現世から救いに来てくれた者たちが神の使いであったなら?」
「違う。ヴェラルドもナルシェも、そのどっちも間違いなく人間だった。神の使いだったなら僕とアベリアを連れていたって異界獣なんて跳ね除けることができたはずだ」
オエラリヌが不意に放った拳をアレウスは右手で受け止める。
「そして、二度と僕の前でヴェラルドとナルシェのことを神の使いだなんて口にするな。そんな風に愚弄するのなら、たとえ『至高』の冒険者であっても、殺してやる」
その殺意が、その本意が、その熱意が、オエラリヌに届いたのか拳が下がる。
「人間はどいつもこいつも揃いも揃って簡単に『殺す』だの『殺してやる』だのと言ってのける。できやしないことであっても、できるような素振りと気配を感じさせる。我は生前にも思っていた。人間の本気など鼻で笑えるが、その意地を笑えば死にすら至る、と」
周囲の気配全てが消え去って、オエラリヌから発せられていた敵意が消える。
「認めてやろう、その復讐心を。そしてその復讐心によって幽世へ力を付け舞い戻ってきたその気骨を。泣いて喚いて、どうにもうるさくてたまらないからと左耳をくれてやった人の子がもたらした絆の連鎖を」
翻り、オエラリヌがアレウスの前から立ち去ろうとする。
「まだ僕には訊かなきゃならないことがある」
「どうせ二人の恩人はどこにいるのかだろう? くだらん問いだ。この異界を作り上げたのはリオンだ。ならばリオンが、己に歯向かった魂をどのように扱うかぐらい分かるだろうに。歯向かったのならば、歯向かえないよう己が肉体の一部にしてしまえばいい」
「……リオンの尖兵になった、と?」
「一人はもうほぼ魂としての機能を残していないようだがな。いや、あれは現世にあったアーティファクトの消失によって残されていた魂も引っ張られているのやもしれんな。彼奴のアーティファクトはそういう魂が繋がり合っている特殊な代物だったはずだ」
『聖骸』の地下墓地でナルシェのアーティファクトを終わらせたことで異界に残っていたナルシェの魂も消え去った。そう考えて間違いなさそうだ。
「しかし、もう一人が魂が消え切ることを許していない。己がアーティファクトで留めている。我に啖呵を切ったのだ。見させてもらおうか? 恩人に刃を振るい、その魂を終わらせる瞬間を」
一度の跳躍で凄まじい衝撃波を放ち、生じた砂埃が落ち着いた頃にはもうオエラリヌの姿はなかった。
「魔王の一部…………か」
それを聞いても、復讐を実行する。そのようにアレウスは自己判断で決めてしまった。だがこれを聞けばきっとアベリア以外は反対するに違いない。反対しない理由がない。もしかしたら『異端審問会』に迎合しようとすら言い出すかもしれない。
話すのなら、リオンを討伐してからだ。討伐を終えたのちに全てを話す。知っていて黙っていたことを当然だが追及されるだろうが、そこで浴びせられる罵詈雑言には耐えるしかない。分かっていて利用したことになるのだから。
「……僕じゃ絆を繋げられそうにないですよ、ルーファスさん」
エルフの森で、魔剣に残されたルーファスの残滓が語ったことを思い出す。人と人とを繋ぎ、絆としていく。それは間違いなく正しいこと。だから、リオンを倒す前に打ち明けて様々な意見を交わすことが、絆を深めることに違いない。
けれどそれでは復讐が果たせないかもしれない。保留になってしまえば、アレウスは自らの手でリオンにトドメを刺せないばかりかオエラリヌから聞いた尖兵になってしまった恩人の魂すら終わらせることができなくなってしまう。
個人の感情か、全体の利益か。正解は後者。でもアレウスが選ぶのは前者。それだけのことだが、胸がキリキリと痛む。
「別れた場所に戻ろう。みんなの話を聞いて、どう誘い出すかも考えないと」
切り替える。切り替えられないことだが、切り替えたことにする。頭の中から放り出したような気持ちで、死体の山から離れて歩き出した。
「随分と疲れ切った表情をしていらっしゃいますね」
集合場所というよりはなんとなくみんなが別れた場所に先に戻っていたエレスィに勘繰られる。
「それに顔が汚れていますし、髪の毛も乱れています。一波乱あったなら俺を呼んでくれればよかったのですが」
「一人で問題なかった。死体の山を見たときに思い出したくないことも思い出して心が荒んだだけだ」
「それは問題があったと言うんです。俺が言うのも変な話ですが、一人で気負いすぎると倒れてしまいますよ?」
「その気遣いがありがたいよ。それで、そっちはなにか分かったか?」
エレスィは眼鏡のズレを掛け直す。しかし、その所作には自信があるようには見えない。
「特になにか分かったわけではありません。集落の構造を把握して、どのような物流が起こっているのかを見て、あとはなんとなしに魔物の気配を探っていました」
「魔物を遠ざけるように様々な対策が取られているはずだ」
「ええ。馬防柵のみならず、多くの障害物があちらこちらに転がっています。それを作る専門の仕事もあるようですね。あとは集落の入り口を狭めるのとその数を絞ることで侵入路を最低限にしています。この洞窟という構造の中で、ガルムの跳躍では決して飛び越えることのできない柵を敷き詰められているのは驚くことしかできません」
集落ではあるが魔物からしてみれば砦に近いかもしれない。ただ砦のように周囲に堀や池、川のようなものはないためハウンドは難しくともワイルドキャットなら意図も容易く飛び越えてくるだろう。ただ、群れが続かないのに群れのリーダーが飛び越えたところでどうにもならないから襲撃されないのだ。
「ゴブリンやコボルトは何度か入り込んでいる痕跡がありますね。オークみたいな力押しは今までもあったようですが、どれもこれも跳ね除けているみたいです。体躯が大きい分、気付くのも早いので対策をすぐ立てられるのでしょう。なので見張りの仕事もあります。これも労働ではありますね」
「労働力……って案外、曖昧なのかもしれないな」
「ですが、外の世界に比べたら異常ですよ。異常なほどに労働に拘っています。労働で倒れても本望だとでも言いたげなほどに」
「魂の虜囚にとってこの異界で唯一、縋ることのできることだからなのかもしれない」
働いている内は不安を紛らわすことができる。そういう思考回路になってしまっている。それがリオンの作った異界の概念に含まれているとするならば、自然とアレウスたちも仕事に拘り出すようになる。リブラの異界の概念に囚われかけたこともあるのだから、例外はない。
「みんな、もう戻ってた?」
アベリアがアレウスたちに声を掛ける。
「ちょっとだけ話したいことがあるんだけど……カプリースとガラハは?」
「あの二人のことだから、もうすぐ戻るとは思うけど」
そう言って待ち続けたが、異界に夜と思われる時間が訪れても彼らがアレウスたちの前に戻ってくることはなかった。




