線を増やす
外の空気を吸ったところでエイミーがこちらに向き直る。
「申し遅れました。エイミー・エルフロイトと申します。エルフロイトの家長の孫娘です。お祖父様は家長兼村長を務めております。それで、ヴェイン? こちらのお二人は?」
「アレウリス・ノールードとアベリア・アナリーゼさんだ。彼のことはアレウス、彼女のことはアベリアさんと呼んでいる」
「どうも」
「よろしくお願いします」
自己紹介を短く済ませると「やはりヴェインの仰っていた方々ですね」と呟いたのち、エイミーが先導して家までの道を歩き出す。
「先ほどは言い争いなどという醜いところを見せてしまいましたね」
「あのキギエリって人が悪い。空気を悪くしていたのはどう考えてもあの人」
アベリアは率直に思ったことを伝える。
「二年ほど前までは村のことを第一に考える好青年だったのです。父親が山で滑落死し、望まぬ形で家督を継いでからは人が変わったようになってしまいました。過度に責めるなとは申しませんが、そのような痛ましい事故さえなければ集会所で言い争うこともなかっただろうと思うこともあります」
「あの場で僕が出るより、ヴェインが止めに入った方が良かったのでは?」
「家長の言うことを利かずに飛び出したとなれば、キギエリは必ず見逃さず、その点を指摘して妄言を吐いたことでしょう。あの場では弁え、黙って耐えてもらわなければならなかった。ヴェインには本当に助けられてばかりです。今日も集会所にあなた方が同席した際、私はヴェインに訊ねたんですよ。どうして冒険者が同席しているのか、と」
「そんな声は全く聞こえなかったんですけど」
「言葉にせずとも、視線を交わせば分かることですよ。経験はございませんか?」
それはアレウスとアベリアがたまに行う目配せや、視線だけでのコミュニケーションのことだろうか。それには大体、質問に対する「はい」か「いいえ」ぐらいしか込めていない。だから首を縦に振るか横に振るか、その辺りを注視する。
「お互い、信じているからこそ多少の疑問も、その素振りや態度や目の動きだけで察せられるものです。あなた方が来訪される前に、ヴェインから何度か聞いてもおりました。同年代に将来がとても有望な冒険者が居ると。私はそれを聞いて、あなたもその一人になりなさいと叱咤してしまいましたが」
エイミーがヴェインを見る。見ると言うよりは睨んだ。堂々としていた態度が嘘のようにヴェインは肩を縮こまらせる。これで信頼し合っているとは本当なのだろうかと疑ってしまうほどだ。
「さて、この村に訪れたということはヴェインから大体の事情は聞いておいででしょう」
「五人もの行方不明者が出ている」
「その通りです。家長は全員が嘘偽りない報告をしていらっしゃいます。家を検めても、行方不明者の痕跡はどこにもありません。魔物の仕業にしては手際が良い。奴隷商人絡みかと思えば、そうでもない。私たちは困り果て、そして疲弊しています」
「そのことなんだけど、エイミー。一つ、線を増やさせて欲しいんだ」
「増やす? これ以上、線を増やすと混線してしまうと思うのですがそれでもとヴェインは言うの?」
「あ……ええと、うん」
「異界の穴を探したい」
縮こまったヴェインの代わりにアレウスが答える。
「異界……? まさか、そのような……この村のどこかに穴があるとでも? 魔物の痕跡はどこにも無いのですよ?」
「捨てられた異界の穴ならそう遠くまでは動かない。だけど、異界獣が潜んでいる異界の穴は動く。そして、生者を堕とすために一つの手段を用いる。僕が知っている異界は『堕とし穴』だった」
「私が聞いた話なら、鉱石のようなピカピカとした光を追い掛けて行ったら、足元が突然崩れて、その下に穴があってそのまま堕ちた。これも『堕とし穴』を用いる異界獣の生者を誘き寄せる方法の一つ」
「私たちは異界と聞けば、穴に注意します。そうしろと促されているから、なにも考えずにそれを信じ込んでいましたが……しかし、大多数の人がその穴の中に居る魔物が人種を誘うために様々な手を用いることを知りません。何故、ギルドはこれを隠すのでしょうか?」
「異界の数だけ異界獣が居る。そして、効率が悪いと異界獣は新たな異界を作るために異界を渡る。だから、その様々な手というのが常に変化している場合、確信や確証を持って報告することは出来ない。それらに気を付けても穴に堕ちることがあれば、ギルドの信用はガタ落ちになってしまう」
「とは言え、黙っているのも私たちからすれば信用はガタ落ちなのです。それでも、こうして公にしてくれる冒険者も居るという点は評価しましょう。ねぇ、ヴェイン? この方たちの言うことは信じても問題はありませんか?」
「アレウスもアベリアさんも、異界については特に詳しい。その知識量は一般的な初級冒険者を軽く凌駕している。俺は信じるに値すると思って、親父に同席を頼んだ。村の現状を知ってもらうこと、キギエリがあまりにも不遜な態度を取っていること。それらを知ってもらうために。なにより、俺は村を守りたい。村と運命を共にすると言う君を守りたいから」
「こんなところで、愛を語られても困ります」
いつ、愛を語ったのだろうか。そんなことをアレウスは言い掛けたが、アベリアが必死に止める。
「ではどうして冒険者に? 婚約者の私を説得してまで、どうして? 命を張る仕事なら他にも幾らでもある。最も死にやすく、最も危険の高い冒険者にならずとも、あなたは家督を継いでこの村を守ることも出来るでしょう」
「それじゃ世界は救えない。村だけを救うだけなら、俺もそれが一番だと思う。だけど、世界は村よりも広いんだ。その世界に危機が迫っているのに、黙って動かず、自分の住まう村だけを守ることなんて俺には出来やしない」
大義を抱いている。純粋で、それでいて真っ直ぐなヴェインの志は、村一つだけではなく世界すらも救いたいという強い強い信念なのだ。これこそがアレウスがヴェインから見習いたい姿勢である。
「……さすが、私が見初めた男です。小さいことを口にしていたなら、婚約を破棄していたところでした」
「そんなに大事な会話だっ、」
再びアレウスはアベリアに口を塞がれる。
「良いでしょう。線を増やします。ただし、期限は明日の夕刻まで。孫娘のワガママを、お祖父様は聞いては下さりますが決して甘いわけではありません。期限をこちらから提示することで覚悟とします。お祖父様は十分もすればギルドから戻られる。許可を頂き、以降はヴェインをお付きとします。そして、カタラクシオ家との癒着が無いことの証明のため、御一人はこちらに泊まって頂きます」
「分ける意味がありますか?」
「我が家に冒険者を泊めても、なんら問題が起きなかったことを村人に証明します。冒険者が関わっているのであれば村長とその孫娘に限らず、その家族は全て行方不明にしたいところでしょう。村のトップが居なくなれば混乱が起こるのですから。線を増やしつつ、一つの線を潰します。ヴェイン? どちらが我が家でより問題を起こさない冒険者なのですか?」
ヴェインが硬直する。アレウスとアベリアはほぼ同時に天を仰ぐ。
「エイミー、悪いけどこの二人は一人にすると互いになにをするか分かったものじゃない……そんな気がするんだ。なにせこの二人は一心同体という言葉が合うように、常に二人で一組だから」
「それは困るところですが、こちらも無理を押し通して線を増やすのです。ヴェインはともかくとして、あなた方にも無理を押し通してもらわなければならない」
「……アベリア、頼めるか?」
「私……行儀、良くない」
「だからってエイミーさんのところに僕は泊まれない。アベリアは食事のマナーを知らない。行儀もそこまで良くない。でも、冒険者としての矜持は絶対に守る。食事だけ……どうにか、誤魔化してもらえたら」
「それなら私の部屋で共に食事を摂りましょう。二人切りという空間での食事もまた冒険者に対する偏見の払拭にもなるはずです。私もお話は伺ってみたいところです」
「決まりだな」
「アレウス」
「ニィナの家に泊めてもらった時、僕だけ野宿していただろ。同じだよ。離れてはいるけど、遠いわけでもない。お前が居ないところで勝手に穴を探したりもしない」
「約束」
「ああ、約束する」
アレウスはアベリアの頭をフード越し撫でて、気持ちを落ち着かせてからエイミーに頭を下げ、宿泊をお願いした。
その後、村長宅でエイミーが話を済ませ、予定通りアベリアを残してアレウスはヴェインの家に戻った。
「この村ではあり得ないようなことが起こったりしていないか?」
部屋で短剣の刃が欠けていないかどうかを調べながら、アレウスはヴェインに訊ねた。
「あり得ないことならもう起こっているけどね」
「それもそうだが、たとえばアベリアが言っていたようにピカピカとなにかが発光しているところを見ただとか、あまり普通じゃないような出来事は?」
「雨の日に蛙が鳴いたかな」
「蛙?」
「鳴き声ぐらいどこでも聞けると思うけど、あの日はいつもより大合唱していたよ」
「田んぼや溜め池、井戸は?」
「そりゃありはするけど、親父も言っていたぐらいだ」
刃の点検を終えて、アレウスは鞘に納め、考え込む。
「雨の日に蛙が大発生する……あり得るような話だが、今までそんなことが無かったのなら、興味本位で見に行く可能性は?」
「子供ならあるかもね」
「子供なら……か」
行方不明者の五人は子供ではない。
「蛙は、畑に害を成すわけでもないからな……」
「ああ……害と言えば、塩害」
「塩?」
「雨が降った次の日、畑の作物が弱っていて、葉に付いていた水を舐めてみたら塩っ辛かった。あれは塩害だ。親父だけじゃなく他の家長も参っていたよ」
「でも、ここは海に面していない」
「だろ? だから、あり得ないことが起きているだろ?」
蛙は両生類だが海水では生きられない。
「大量の蛙の死骸は?」
「見られなかったな。どうして?」
「蛙は塩水を浴びると浸透圧で体中から水分が抜けて死ぬ」
「……ん?」
「ナメクジに塩を掛けると死ぬのと同じだ」
「あれって浸透圧だったのか。塩を掛ければ死ぬのは知っていたけど、原理までは深く考えたことがなかったよ」
ヴェインが知識で劣っているというわけではなく、常識として知っている範疇に、どうしてその現象が起こるのか、という部分を加えると理解が及ばないのだろう。アレウスも浸透圧という原理を知ったのは古書店で見掛けた文献からである。なので、どういった原理でそれが起こり、水分が抜けているのかすらまでは把握できていない。ただ、蛙が塩水に弱いという事実だけは知っている。
「海からの風が運んで来るのが塩害だろう? 海水を巻き上げて運んで来たのなら、蛙はみんな死んでいてもおかしくない」
「でもごく一部の蛙は海辺に住まうって聞いたこともあるよ」
そこはアレウスも気になるところではある。
「海に近くないのに、汽水域の蛙がこの周辺に居たらおかしいだろ」
淡水と海水の境目に住まう蛙がわざわざ棲み処から出て来て、村で動き回るとは考えにくい。
「ああ。だけど、あの雨はそこまで強い風を伴ってはいなかったからダムレイでは無かったと思うけど」
アレウスの一度目の人生においては『台風』と呼んでいたそれは、この世界では『ダムレイ』と呼ばれる。非常に強いダムレイであれば海水を巻き上げ、陸地を蹂躙した際に塩害を起こすことがある。
「蛙の声はなにかの聞き間違いだと誤魔化せても、塩害は確実に起こっている。この二つに共通点が無いから惑わされている」
「そうだね」
見落としがある。それは分かっている。だが、なにを見落としているのか、大きな誤解をしているのか。それが分からない。
「明日から探すしかない。僕が言ったことだ。もし見つからなくても、全責任は僕におっ被せてくれて構わない」
「パーティの責任は、リーダーだけのものじゃない。そうだろ、アレウス?」
「……それを聞いたなら、絶対にこの線が正しいんだと証明しなきゃならなくなった」
ヴェインにここまで信用されているのだ。普段から信じることはして来なかった上に、信頼されることにも慣れてはいないので非常に言葉では言い表せない感情に悩まされながら、アレウスはヴェインの家で食事を摂り、そして眠りに就いた。




