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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第11章 -異界獣リオン討伐-】
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魔物との勝負勘


「ペミカン?」

「干し肉やドライフルーツを動物の油で漬け込んで固めたものだ」

 首を傾げるエレスィにアレウスが説明する。

「なぜそんなことを?」

「油で空気を遮断して腐敗するのを防ぐの。長くは保存できないし、常温だと油が溶けてしまうこともあるから保存食の中でも早めに食べないと」

 その横でアベリアが呟きながらペミカンを小鍋に入れて蓋をし、焚き火の傍に置く。

「寒冷期向けの保存食なんだけど、保存方法は分けておかないと一気に腐ったら食料がなくなってしまうから」

 彼女に調理させるのは少々の不安があったが、さすがに火に通すだけで出来上がるペミカンスープで謎の味を作り出すことはできないだろうと思い、アレウスは任せることにする。

「野性的な保存食もあるんですね」

 そう言いつつ思い付いたようにエレスィが声を上げる。

「これ、蜂蜜でも出来そうじゃありませんか?」

「虫に寄られないようにすれば難しくなさそうだけど」

 その手の専門ではないが空気を遮断する力は蜂蜜にだってあるはずだ。ただ、ペミカンと同様に寒冷期以外での保存が難しいようにも思える。密閉できる瓶の精度に寄ってくるだろう。

「ですよね。森に帰ったら今度、俺が試してみます」

「どうしてそうなんにでも蜂蜜を使いたがるんだかオレには分からない」

「まぁ、俺も気付いたら毎日のように蜂蜜を使った料理を口にしていたので、そこのところは分かりません」

 環境に適応した結果、自分自身が口にしている料理が当たり前だと思い、他の種族の料理を知って驚愕する。ヒューマンでさえ主とする料理は異なる。帝国は麦を使ったパンを主体としていて、王国は米を使ったライスを主体としている。それでも漁村に寄れば魚料理が定番となり、山村に寄れば山菜料理が定番になる。

 採れる物を食材として生き抜くのは、どこの種族でも変わらないだろう。

「ドワーフはなにか特別変わったものを食べているイメージはないな。エルフが葡萄酒を好み、蜂蜜を調味料にしている。獣人は酒よりも油を摂取することを好むし、なにより肉が並ぶ。僕の住んでいるところだと、ハゥフルは海棲は生魚好きだけど陸棲は調理した魚料理を好むな。あとお酒はどんな物でも好む」

 カプリースはガラハに話を振る。

「オレたちは水のように酒を飲む。あとはとにかく鍛造業や鉱山での作業を中心とするから汗を掻きやすい。だから塩分が強めの料理が好きだな。山菜も生食することも多い。だが、酒は甘いものは好まない」

 種類にも寄るが麦酒は比較的、苦さの成分がある。そうなると苦味や塩気に強いのだろうか。しかし、お酒の話にアレウスはあまり入れない。それほど飲んだことがないせいだ。だから言って無理をして飲むものでもない。


 異界に来てまで話す内容がお酒や食事とは考えもしなかった。そんな風に思いつつもアレウスもそれとなく会話に入っているとアベリアが温め終わったペミカンスープを全員に配り終える。

 発酵食品もそうだが保存食自体は味が濃い目になる。しかしそれそのものを気にすることはなくなった。これを普段の食事としていれば体に不調をきたすだろうが、栄養補給としての効果は絶対的なものがあるため、特に肉体を酷使したあとはどれだけ味が濃くとも美味しく感じてしまう。


「なかなか悪くない味ですね。ただ、森で生活していた俺としてはどうしても辛さが際立ってしまいますが」

 甘味に慣れている分、塩味を舌が強く感じるのだろう。

「まぁこんなこともあろうと蜂蜜は持ってきているので気にはなさらないでください」

 言って彼はアレウスたちに蜂蜜の入った瓶を三本ほど見せつけてくる。だが、誰もそれには手を伸ばそうとしない。恐らくだがエレスィにとって異文化を知る上で一番気掛かりだったのが食事だったのだ。好ましい味、好ましくない味。そういったものは絶対にある。食事は大切な栄養源だ。食べない選択肢はない。そうなると、その食事を自身の文化に近付かせるのが対策となる。

 だから、彼から蜂蜜を取り上げるようなことをすれば、宣戦布告にも等しい大事(おおごと)となる。全員がなんとなく察したため、悪食で食べられる物ならなんでも食べようとするアベリアでさえ物欲しそうな顔をしなかった。


 異界に堕ちてから二時間。未だ次の界層に続く穴は見つけられない。関門形式と複数の通路は厄介で、たとえ魔物を容易く倒すことができても通路の選択次第で戻らなければならなくなる。ヴェラルドとナルシェに救われた際には通路の複雑性はなかった。リオンがあれから学び、異界を広げる際により人間が逃げられないようにしたのだろう。

 しかし、関門形式になっている分、状況によっては通路が安全地帯となる。はぐれのオークがいたところでは通路からゴブリンや別のオークが現れてきたが、あれそのものは珍しいことで通路での待ち伏せは今のところほとんどない。勿論、潜伏されていることもあってその場合は通路では長居することはない。


 前後の広間で既に魔物を倒していて、この通路には魔物が潜伏していない。だからこうして休息を取れている。逆に言えば休息を取らなければならないほどにこの界層で時間を浪費しているということだが。


「洞窟で迷ったときには空気が淀んでいない方を進めとはよく言うが、ここはどこもかしこも空気が淀んでいる。なのに酸素が足りないと思うこともなければ、酸欠で倒れることさえない」

「異界で世界の常識は通用しないことは事前に知ってはいたけれど」

 ガラハとカプリースが焚き火を処理しながら呟いた。

「リーダー? 今後の見通しは立っているのかい? 僕たちは言われれば魔物を倒し続けはするけれど、将来性や希望の見えない中で戦い続けるのは精神を摩耗するだけだ」

 そしてアレウスにカプリースが方針を訊ねてきた。


 アベリアがアレウスにこれまでのマッピングを行った地図を見せてくる。


「……右回り、は、どうだろうか?」

「右回り?」

「これまでずっと複数の通路があった場合、勘やみんなの意見から入る通路を決めてきた。でもアベリアが地図を見せてくれて、この界層の特徴が分かった」

「それが右回りかい? つまり、この界層は通路と広間が渦を巻いている?」

 カプリースがアベリアの持つ地図を眺める。

「ふむ……異界で地図なんてものを書いたところでと思っていたけれど、撤回しなければならないな」

 そしてアレウスの発言に相応の妥当性を感じたらしい。

「広間に続く通路は決まって右に曲がっている。これからは一番右側の通路から入っていこう」

 そう言って、アレウスは広げていた荷物を纏める。全員が荷物を纏め終えたのち通路を歩き、次の広間の様子を探る。当然のようにゴブリンが陣取っている。


「隅を走り抜ければどうってことなさそうですね」

「なんなら倒してもいい数だ」

 エレスィとガラハが静かに伝えてくる。

「いや、あれは……」

「誘ってる」

 観察しながら呟くアレウスの横でアベリアが言う。

「こっちが攻めに掛かるのを誘ってる。乗る必要はないけれど、だからって端を通り抜けるのも危ない。多分だけど、ゴブリンはどっちでもいいように罠を張ってる」

「その罠がどんなものか、僕たちには把握できないようにしているんだろうな。これだからゴブリンは嫌われるんだ。巨体のオークやオーガに比べて、小賢しい。場合によっては相手にしていて最も不快な連中かもしれない」

 カプリースは相応にゴブリンをなじる。その点はアレウスも賛成だ。悪知恵の働くゴブリンを過少に見ていると痛い目に遭う。同時にコボルトも侮れない。

「でも、僕たちは通り抜けなきゃならない。罠だと分かっていても行くしかない」

 関門形式である以上、ゴブリンにとっては罠が一番張りやすい。

「倒すことに重きを置かなくていい。戦闘は最低限にして、一番右の通路に滑り込んでから対応していく」


 そう言って、ガラハと共にアレウスが広間へと飛び出す。それを待っていたと言わんばかりに弓を構えたゴブリンが一斉に矢を射出する。


「“盾”」

 最低限の炎の障壁がアレウスとガラハに向かう矢を全て焼き払う。エレスィが突出し、まず一番右の通路までの導線をアレウスたちに示す。ゴブリンは彼を見てはいるが、近接武器では攻撃しようとせずにあくまで弓矢による攻撃を続ける。

「なにを待っている?」

 不可解さに呟きを落としつつアレウスたちはエレスィの方へと寄っていく。


 獣の雄叫びが木霊する。洞窟内で起こる反響は凄まじく、なにより足が動かなくなった。

「“緩和(ルゥースン)、五つ分”」

 地面に縛り付けられていたのではと思うほどに全く動かなかった足がアベリアの魔法で解放される。すぐさまアレウスたちは警戒し、各々が武器を手にした直後、斜め上の洞窟の壁をぶち破り、岩の雨を降らせながら四足歩行の獣が広間に降り立つ。そしてそのままゴブリンたちを右前脚で踏み潰し、肉塊を一気に貪り喰らう。


「走れ!」

 剣を納め、短弓を手にしつつアレウスは叫ぶ。その指示で全員が応戦を諦めて通路を目指す。

「リオン……じゃないな?」

 最後方のアベリアとカプリースを気遣うためにアレウスは走る速度を調節し、彼らと合流する。


 獣はこちらを向いて、鋭い目で睨み付け、鋭い爪が地面を抉った。生じた礫がアレウスたちに降りかかるが、カプリースが生み出す水の障壁が弾く。


「これが……本物のリュコスか」

 アレウスとアベリアが初めて対峙したリュコスは正確には『本性化』したキングス・ファングだった。だから、本物と会うのはこれが初めてだ。


 思うことはない。感動の対面ですらない。むしろ出会いたくない魔物――獣型の最上位に属する存在だ。

 キングス・ファングよりも弱いのか、それとも強いのか。そんなことは確かめたくもない。そして比べることでもない。なぜなら、間違いなく両者ともに五人程度の人間でどうこうできるほどの存在ではないからだ。


 ゴブリンたちは待ち伏せしていたわけでも罠を張っていたわけでもない。ただあの場所から動くことを自身より圧倒的強者によって禁じられていた。罠を仕掛けたのはリュコスで、ゴブリンは疑似餌だ。そのゴブリンの反応を感知して、どこかの通路で身を潜めていたリュコスがその牙で、その爪で広間までの壁を突き破ってきたのだ。


 リュコスが疾走を始める。

「俺!?」

 しかしアレウスたちを狙っていない。狙うのは最前線を駆け抜けているエレスィだ。

「通路に逃げ込まれる前に仕留める気か!」

 ガラハが叫び、スティンガーが宙を舞う。妖精の粉が描く小さな魔法がリュコスの顔面で一際強く発光し、目を眩ます。だが、リュコスは止まらない。既に嗅覚で各々の魔力を感知し、空間を把握し、獲物の居場所を特定している。だから、自身の視界を奪った妖精は無視して、エレスィの傍に到達するとなんの前触れもなく前脚を振り抜く。

 剣が砕け散り、エレスィの体が一直線に吹き飛んで岩肌に背中を叩き付けられる。

「“癒やして”」

 地面に倒れ伏したエレスィにアベリアの回復魔法が掛けられて、彼は肉体の縫合が完了するより先に立ち上がり、逃走を続ける。すると今度はアベリアの魔法を厄介に感じたのか、その場で尻尾が地面を叩き、砕け散った礫が宙に浮いている間に一回転して尻尾で叩き、こちらに飛ばしてくる。

 障壁では防げない。そう判断してアレウスが避け、同時にカプリースも礫をかわす。


「なかなか笑えない」

「言っていないで急いで」

 カプリースからは余裕が消えていて、アベリアには焦りが見える。そんな二人を案じている間にリュコスが孤立したアレウスの傍まで走り寄る。


 刹那のやり取り。牙か、爪か、尻尾か、それとも衝撃波か。幾つもの手数を秘めている相手に対してアレウスにはどう避けるかしかない。それも前方に避けるのは絶望的。そうなると後ろか左右。しかし後ろに避ければ壁に妨げられる。そうなると左右に限られる。


 だから前方に――リュコスの懐に潜り込む回避を選ぶ。リュコスの牙による攻撃も、移動先を予測しての四肢の動きもなにもかもが的を外れ、アレウスは魔狼の懐に入り込む。

「僕だって左右にしか逃げ道がないと思う」

 知性を得た、もしくは知性を持っていると思われる魔物は行動を予測してくる。ゴブリンは悪知恵を働かせるが、それより上位となれば“どうやれば獲物を狩り切れるか”までの行程を立てている。だからリュコスは回避の選択を“左右しかない”と押し付けてきた。だから逆手を取って前に避けた。

 ただし、偶々上手く行っただけだ。リュコスが牙ではなく爪での攻撃であったならアレウスは自らその爪に切り裂かれに行っていた。事前の動きから牙と判断したが、そこにフェイントが入っていたならば死へ自ら飛び込んでいた。


 そして、今も尚、死地の最中にある。足元に――腹部の下に潜り込まれたことをリュコスは強く嫌い、飛び退くのではなくその場で大暴れを始める。人間でいうところの地団太を踏む。その場を踏み荒らすことでたまらずアレウスが飛び出してくると考えている。並の魔物であれば、弱点である腹部付近まで詰め寄られれば距離を取ろうとするが、魔狼はむしろ追い出そうとしている。

 踏み付けられれば終わり。そして土煙が視界を奪ってくる。生還の道はどうみてもない――ないが、生還しなければならない。しかし、これは同時に時間稼ぎだ。アベリアとカプリースが通路近くまで走り切るまで、凌がなければならない。


「もう大丈夫です!」

 その時は思っていたよりも早く訪れる。エレスィの叫びで二人が通路付近まで迫ったことを確信し、アレウスは気配を消す。

 消して、再び気配を発する。それを何度も繰り返す。妖精の発光で奪われた視界はもう取り戻しているだろう。だから、気配消しを何度も行うアレウスをリュコスは視覚ではなく嗅覚を追っているはずだ。

 土煙の中で獲物は視界を奪われている。だから嗅覚で追い続けて、このまま暴れ続ければいずれは仕留められる。そこまでの思考は読める。大事なのはその先の思考だ。

 つまり、アレウスが飛び出した際に行うリュコスの行動。そしてリュコスがアレウスが飛び出した際に取るべき最良の選択。そこを読み切らなければならない。


 自信を持って弓を引き絞り、腹部に矢を放つ。魔狼にとっては大したことのない一撃だ。羽虫に噛まれた程度の些細な傷だ。ただその反抗が、ただの獲物のクセに行った攻撃を、魔狼は許さない。

 頭に血が昇る。激怒した魔狼は暴れるのではなく、正確さを持った足運びでアレウスを踏み潰しに掛かる。


 踏み潰そうとするということは、リュコスが自ら立ち退くということ。腹の下で凌いでいるアレウスを踏み潰すにはどうしても、その場から動かなければならない。


「悪いけど、お前たちとこのやり取りで僕は負けたことがない」

 勝負勘は揺るがない。

 ただあるとすれば、のちの油断。読み勝ったあとの無意味な楽観的思考。それらを排除し切って、アレウスはリュコスの爪を避けた勢いで疾走し距離を取る。

 リュコスはアレウスにすぐに追い付き、やや跳躍を兼ねつつ爪を振り上げる。


「温存したいが、そうも言っていられないのでね」

 通路の間際でカプリースが己の魔力を解き放つ。

「魔力を喰らえ、『海より出でる悪魔(リコリス)』よ!!」

 アレウスが頭から通路へと飛び込んだのとほぼ同時にカプリースの正面に現れ出でた女を模した魔力の水が、強烈な濁流と化し、爪を振り上げたままのリュコスをひたすら遠くへと押し流す。

 前脚の一つを振るったということは、僅かな跳躍によって全ての脚が地面から離れているということ。体重があろうと巨体であろうとバランスを取るべき全ての脚が濁流にすくわれれば、たとえ魔狼であっても抗う術はない。


 そのことはキングス・ファングを大詠唱で押し流した際に学んでいる。図らずもそれと同じ方法となってしまった。


「キリの良いところで逃げるぞ。でないとリュコスが立て直して追ってくる」

「分かっているさ……けれど、少しばかり嫌な思い出が頭をよぎってしまっているものでね。すぐに落ち着く……辛抱してくれ」

 壁を突き破るほどの力を持っているということはリオンのように界層を渡れはしないが界層内であればどこでも追い続けることができる。そして、一度この方法を経験した魔狼はアレウスたちを記憶し、この場この時においては同じ方法では退散させられなくなった。まだリュコスはアレウスたち以外に他の冒険者が同じように濁流で押し流せる魔法を持っていることを知らない。それを知れば、文字通り“二度と”濁流によって退散させられなくなる。その前にこの異界からリオンを誘い出し、討伐するかそれともリュコスを討伐するかだ。

「……よし、行こう」

 冷や汗を掻きながらカプリースがアーティファクトを解除し、ロジックに格納し、アレウスと共に先を行く仲間たちへと駆け出した。

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