地下墓地
*
「…………信じられない、認めたくない」
オーディストラは報告を受けるも、否定の言葉を吐く。
「エルが死んだ……? 死んだなどと、そのようなことが、あってなるものか」
「全て事実にございます」
「レスィ……エルと共に帝国より離れ、今この時に戻ってきたことを私は素直には喜べない。ましてやエルの訃報を持ってくるなど……全て水には流せない。全て、見なかったことにはできはしない」
「委細承知の上でございます。それでも私、レストアール・カルヒェッテはあなた様のお傍へと戻ってきたのです」
「ふ……ふ、ふふ。一体、どうして……あり得ん。エルが死ぬなど、あり得んのだ」
「受け入れられないのは私も同じです。我が姉は誰よりも勇敢であり、誰よりも強く、誰よりも皆の信頼を得ていました……ゆえに、王国はその存在を決して見て見ぬフリをすることはできなかったのでしょう」
レスィの言葉を聞きつつもオーディストラは耐えられないといった具合で眩暈でも起こしたようにフラつき、近くの壁に寄り掛かる。
「父上が知ったら、その首は飛ぶだろう」
「分かっております」
「しかし、私がレスィを許すことすら父上は予想していらっしゃるだろう」
「帝王は常に先を見ておられます。オーディストラ様――皇女様のことを思えばこそ、その言動の全てを把握できてしまうのでしょう」
「……よい。レスィ、そしてエルヴァージュ・セルストーの帰還を私は認めよう。そうしなければお前たちの首が飛ぶと言うのなら、私は飛ばさせないようにするしかない」
「我々が無様であるがゆえの、選びようのない選択……申し訳ありません」
「下がれ、エルヴァージュ」
オーディストラはレストアールの隣で跪いているエルヴァに言う。
「お前のことを信じていないわけではないが、レスィとは積もった話もある。なによりエルとの思い出話に華を咲かせたい。どうか、理解してほしい」
「分かりました」
エルヴァは一切の反抗を見せず、素直に了承し、部屋をあとにする。
「あぁ……なんと、憎い」
レスィと二人切りになってからオーディストラは表情に憎しみを浮かべる。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――憎い!!」
そして怒りの炎を灯らせる。
「決めたぞ、レスィ。私は父上が始めた戦争に、この日より参戦する。この手で王国を捻り潰し、エルの命を奪った罪の重さを思い知らせ、王族の首の一つ一つを、限りなくその全てを! 我が手で切り落とす!!」
「……オーディストラ様が決めたのであれば、私も力を貸しましょう」
「私が悪いのではない……エルの命を奪った、王国が悪いのだ。これは復讐であり、始めた者たちを終わらせるための戦いだ」
部屋の外――扉の前で聞き耳を立てていたエルヴァは小さな溜め息をつく。
『盗み聞きなんてするもんじゃない。あの皇女の尻はまだまだ青い』
「リスティに言ったら怒鳴られそうなことを言えるってことは、お前は余裕ができたんだな」
『ああ、上手く隠れ潜むことができた。これでまだしばらく俺は命を繋げられる』
「『逃がし屋』の仕事は?」
『しばらく様子見だな。今回、天使はやり過ごせたが神様に気取られているかもしれない。そうじゃないなら、また少しずつ始める』
エルヴァは扉から離れ、レストアールの退室を待つ。
「ここまではどうにかなった。だけど、あの復讐に燃える皇女をどうやって飼い慣らせと言うんだろうな」
『無理はしないことだ。下手を打って命を落としたくはないだろう?』
「そうだな。俺……いや、僕はクルスと約束した命懸けの殺し合いをするまでは死ねないんだから」
『復讐したがる輩は飼い慣らすんではなく好きにさせて、肝心な場面で手助けしてやるのが一番だ。アレウリス・ノールードで学んだだろう?』
「あいつは復讐を集団に限定していて、皇女は国全体だからな。規模が違いすぎて放っておいたらなにをしでかすか分からない」
腕を組み、エルヴァは悩む。
「加えて、レストアールはどう考えても皇女に迎合している。姉の無念を、姉を殺された恨みを晴らす気だな。僕だってリスティに死なれたら冷静ではいられないだろうから……ああいや、クルスにも死なれたらまともな思考を持つことはできないだろうから気持ちは分かる。いや、分からないのか。結局、俺は裏切られた者の気持ちは分かっても、大切な者を喪ったことはないんだから」
『考えすぎたってどうにもならないだろ』
「そうだな。今の段階で僕にできることはなにもない。オーディストラ様とレストアールが出す指示に従うだけだ。まぁ、とんでもない命令には逆らわせてもらうが……まぁ、大きくは動かないだろう。思慮深さまで失っていれば別だけど、僕を見過ごすって言うんだから、そこはまだ大丈夫そうだ」
室内の足音を感知する。
「お前は安全なところで覗き見ていろ。ただ、僕が死ぬ前に力を貸せ」
『ああ』
ゲオルギウスとの『念話』を切って、エルヴァは姿勢を正した。
*
「シンギングリンの地下墓地は副神官が管理していました。異界化の影響で『教会の祝福』が失われたため、多くの冒険者は余所で祝福を受け直したので問題はほとんどなかったのですが、以後、この地下墓地に訪れた者はほぼいないと言ってしまっていいでしょう」
浄化と復興を進めているシンギングリンの道を歩きつつリスティは言う。
「それにしても……あんなことがあったあとに地下墓地を調べたいと言い出すとは思いませんでした。働き盛りなのですか?」
「イヤミですか?」
どうにか新王国から帰還し、休暇でも取りたかったに違いない。そんな気の抜けたことをしたら王国の手先に殺されてもおかしくない。むしろ、気を引き締め直させたのだから感謝してほしいとアレウスは思う。
休暇を取りたいという気持ちは否定しないが。
新王国と王国で起こった全ては一切、口外しないことを求められた。帝国からの回し者が新王国に肩入れしたなどと知られれば帝国と王国の間にある歪みが更に酷くなる。
あの基地での戦いで王国側の生存者はウリルのみ――だったのだが、そのウリル・ワナギルカンの死を王国は大きく報じた。新王国によって残虐な手段で殺されたとしていたが、アレウスたちの前からウリルは逃走していた。負傷こそしていたが、そのまま野垂れ死ぬほど弱くはなかった。
しかし幸いなことに、ウリルが死んでいようといなかろうと、死を報じたのであればその口は封じられているということ。エルヴァやリスティはともかくアレウスやノックスが入り込んでいた事実はほぼ永遠に世に出ることはない。
だから、その死は偽装かもしくは何者かの手によって葬られた。王女はそのように結論付けた。戦争の激化をリスティが不安視したが、王女を奪還されてしまった以上、王国はしばらく力を溜める時期に入るだろうとリッチモンドは言った。国民感情のままに新王国へ強く、そして無理やり攻め込むような手を取るのは愚策らしい。それそのものは新王国側からは把握しやすく、予測のしやすい動きであるため応戦が難しくないそうだ。むしろ国民感情に流されてくれれば領土すら増やせるとまで言っていた。
だから激化ではなく、鈍化。戦争そのものの動きが鈍くなるらしく、しばらくは問題が起こらない。
起こるのは王国が力を溜め終えたあと。どれほどの策略と人員で新王国を潰しにかかるか。それを想定し、迎え撃つ準備をすることが次に新王国がやらなければならないことなのだそうだ。
国やら軍隊のやることは分からない。アレウスにはやはり、あの世界は向いていない。
エレオンはそのとき、まだ帰投していなかったが騎士からの報告により生存が確認された。任務を放棄していた点について、王女は不問にすると言った。その判断はどう考えても間違っているのだが、そこにリッチモンドやマーガレットがなにも言わなかった点から、あの男の事情を知っているのだろう。そして、その事情は任務を放棄してでも果たされなければならないことで、そこについては目を瞑るという約束というか密約めいたものがあるに違いない。
運が良いのか悪いのか、かくしてアレウスたちは新王国から帝国へと無事に帰還することができた。エルヴァとレストアールは帝都へ向かってオーディストラへエルミュイーダの訃報を知らせつつその懐に入り込みに行き、アレウスとノックスはリスティと共にシンギングリン近郊に構えた仮拠点へと舞い戻った。
アレウスがシンギングリンの地下墓地に行きたいとリスティに告げたのは、その日から僅か一日半後のことである。
気疲れしていてもリスティはアレウスの頼みを断れない。なぜなら先にアレウスがリスティの頼みに応じたから。そのことが分かっていたため彼女は疲労の色こそ見せてはいたものの、すぐさまシンギングリンに向かう支度を始めた。ただし不満を口にはしていたが。
「あんなことって?」
アベリアがアレウスの顔を覗き込んでくる。
「私に黙って、どこでなにをしていたの?」
「遠征だって言っただろ」
「私でも追えないようなところに?」
「緊急の依頼だったんだ。すぐ近くにいたノックスと急いで行かなきゃならなかった」
「ふぅーん?」
アベリアたちには緊急の依頼が入り、遠方まで出ていたと報告した。それ以外の報告のしようがないのだ。嘘をつくことになるが、白状してしまえば彼女たちすら巻き込む。嘘で取り繕い、黙る。それで守れることもあるのだ。
「しつこく聞いてもアレウスは答えませんわよ?」
「そうだけど、ノックスも口を割らないし」
「美味しい物をあげたらなんでも話しそうな彼女が話さないのなら、相当の厄介事ですわ。わたくしは絶対に巻き込まれたくはないんでしてよ」
クルタニカは腰に提げていた革袋で水を喉を潤しつつ言う。
「軽いことなら誰だって平気で話せますわ。重いことだから話し辛く、話せない。たとえどれほど信頼を置いていても、話せば巻き込んでしまいかねない。だったら、信頼のために話さないのが正しいんでしてよ。そうですよね、リスティ?」
「私に話を振ってもなにも分かりませんが」
「だったらエイミーに聞いてみてもよろしいんでしてよ?」
「それはやめてください。俺に全てが降りかかります」
ヴェインが困り顔で言う。
「俺は全員の意見を尊重するよ。無事に帰ってくるのか分からずに気を揉んだ側と、誰にも語ることのできない場所へと行かなければならなかった側。そのどちらも、決して悪気はないんだ。だから、この話はこれまで。ここで終わりということにしないと、ずっとずっとジメジメと続いてしまうからね。いいかい?」
クルタニカには敬語を発していたが、その場の全員に伝えるためにその敬語はなくなった。クルタニカとリスティも目上には絶対に敬う言葉を発しろと言うような性格ではないのでそれを聞いて首を縦に振って応えた。
「アベリアさんも」
「……分かった」
渋々とアベリアも肯いた。
「地下墓地についてクルタニカさんは副神官様からなにか聞いていらっしゃいましたか? もしくはアニマートさんから」
「死者の眠る場所は私の仕事の範囲ではなかったんでしてよ。主に『御霊送り』と奉仕活動をわたくしは主体としていたので」
「では、『教会の祝福』の本質についても?」
「掛けることはできても、ほとんどは副神官の役目でしたわ」
シンギングリンで一番大きな教会が見えてくる。
「場所が場所なので、もしものことを考える必要があるのですが今回のパーティメンバーであれば危険はないでしょう。恐らく、それを考慮した編成であると私は見た瞬間に思いましたので。ただ、ここにアイシャさんとジュリアンさんがいないのが残念です。そもそもアニマートさんや副神官様がいらっしゃれば……」
アベリアとヴェインとクルタニカ。この三人を加えていれば、地下墓地でもしものことがあっても対応ができる。祓魔の術を持っているアイシャや、拘束の魔法が使えるジュリアンもいれば盤石であったのだが、それはそれで過剰編成とも言える。
「クルタニカさんが」
「『さん』付けは無しでしてよ。クルタニカちゃんなら認めますが」
「……クルタニカが来てくれるのは心強いよ」
「かーなーり、無茶をしていましてよ。カーネリアンの刀の素材集めが一段落してすぐだったので、アレウスに頼まれなければ断っていましてよ」
「女誑し」
「なにか言ったか?」
「聞こえているのに聞こえていないフリをしないで」
アベリアは割と不機嫌である。不機嫌だが、一緒にいるだけで大体の不機嫌は直るのでもうしばらくはこのままにしておこうとアレウスは思う。
しかし、エルヴァとしてしまった約束もある。いつまでも不機嫌なままのようなら、なんとかして機嫌を取らなければならない。あの男との約束など反故にしてしまっても構わないといった気持ちはあるが、次に会うことがあった場合、あの男は必ず聞いてくる。アレウスが焚き付けたことを根に持っているだろうから、忘れたフリもきっと無意味だ。だったらもういっそのこと会わないように立ち回ればいいのではとも考えたが、そんな上手くアレウスにだけ物事が運ぶわけもない。
つまり、約束をしてしまった以上は逃げ切れないのだ。
大教会は近付けば近付くほどその荘厳さが際立つ。天使の彫像、神に従事したとされる聖人の彫像、そして神が持つとされている物、愛されているとされる花など多くの彫像。
神そのものを彫像とするのは禁忌とされている。それでも偶像を崇拝するためには神に近しい存在を用意しなければならない。だから天使や聖人の彫像がある。神の持ち物や花を彫像としたのは、それらを神の代わりとして祈る彫像であるのもそうだが、なによりも祈る彫像を多くすることで人間が神を物体化している業を分散するためだ。
しかし、大教会に入るのではなくリスティとクルタニカの導きによってアレウスたちはその横の墓場を抜け、更に奥へ。その先にようやっと見えてきた地下墓地の木造の入り口の前に立つ。
「クルタニカさん?」
「ありますわ」
リスティに促され、クルタニカが鍵を取り出す。地下に続く扉は地面に対して垂直にではなく、やや平行に備えられている。それこそ表現するならば地面に生えている。
鍵を開けて、クルタニカは扉の左右を丁寧に開く。雨水の流入を防ぐために扉の向こうには更に鉄の扉が見える。その扉の左右には分かりやすく掘られた穴があり、溜まった雨水は全てこの穴によって排水されるようだ。
鉄の扉の鍵も開き、こちらは重量があるためアベリアが協力して開く。扉の先には人がどうにか二人ぐらい通れる階段が続いている。外気温の差は歴然で、奥から吹いてくる風が肌を冷やすだけでなく死臭を連れてくる。
「私はここで待機していますので」
あくまでリスティは案内人であり担当者。これ以上の調査は任せるようだ。そもそもアレウスが無理を言って依頼という形で地下墓地の調査に来ている。その体裁を保つためにも入り口に残るのは彼女が適任だ。
「行きますわよ」
各々がカンテラに火を灯す。全員がカンテラを持つのは左右の手のどちらかが使えなくなるため得策ではないとされているが、地下墓地のあちこちにあるであろう燭台を利用するならむしろ火種は多いければ多い方がいい。
咄嗟のときはカンテラを捨てる。アレウスを除いた三人は『灯り』の魔法も使える。この時点で使わないのは魔力での刺激を最小限に留めるため。
「僕が一番先で、ヴェインが一番後ろかな」
「だろうね。状況によって陣形は変えなきゃならないけど、とにかくアベリアさんとクルタニカさんを守る形で」
仮に地下墓地がアンデッドの巣窟になっていた場合を含めた場合、その攻撃を防ぐ壁役を務めなければならない。アンデッドならまだ対処が利くが、霊的存在であった場合はその限りではない。
「くれぐれも、由緒正しき地下墓地を荒らすようなことはなさらないようにするんでしてよ。この地で眠る全ての者に敬意を払い、なによりも決して怖れてはなりませんわ。私たちは古き知己朋友に会いに行くだけでしてよ。怖がられては、友人たちも悲しい気持ちになってしまいましてよ」
神官としての意識なのだろう。反射的に忌避したい気持ちが出てくるが、言っていることは理解も納得もできるためアレウスもその通りにできるよう気持ちを改める。
階段を一段一段、ゆっくりと降りていく。傍にある燭台に火を移しつつ、足元の階段が崩れていないかを確かめながら。
洞窟であれば崩落さえなければ危険はない。むしろ掘られた穴は人間が作った家よりも安全なときもある。しかし、家と違って脱出口が限られてしまうため、通常では起こり得ない危険が生じたときにほぼ命を落とす。だからこそ、洞窟や地下は物を保管することに向いている。住むことに不安があるのなら、保管する場所にしてしまえば都合が良い。外気温に触れることが少なくなり、地下は空気さえ通ってさえいれば一定の気温を保ちやすい。
だから地下に墓地を構えることは不思議なことではない。
「ここから先は火が厳禁みたいだ」
アレウスは壁に貼られている注意書きを読んで伝える。
「遺骸を保管している布や木の箱に燃え移ると一大事だからね、仕方がない」
地下に続く階段までは足元が覚束ないために燭台が散りばめられていたが、保管されている遺骸への燃え移りを考慮するなら地下墓地内において火は使えない。アレウスたちはカンテラの火をその場で消して、各々が持ってきた鞄に収納する。
「祓魔の術を持っている俺が魔法を使うと死者を刺激する。こういうのはアベリアさんかクルタニカさんの方が良い」
「私だと『灯り』の魔法が強くなりすぎて火属性の魔法になっちゃうかも」
「でしたら、わたくししかいませんわね。死者の魂を送り続けたわたくしなら、まだ寛容であってもらえると思いますわ」
そう言ってクルタニカの杖が空を切る。
「『灯りを』」
彼女の杖の先端から魔力で構成された光の球が生じる。それは彼女の意思に呼応し、アレウスの先にある暗闇を照らし出す。降り切った階段の先にあるのは狭い入り口とは裏腹に大きく左右に広がった空間。しかしそれでもどこか手狭に感じるのは、設けられた木製の棚ともいうべきところに木棺が幾つも収められているためだ。全部で十列、全てが一定の間隔を置いて綺麗に整えられている。
「ゆっくり進もう。大丈夫、なにも怖いことなんてないんだ」
ヴェインに促されてアレウスは慎重に進む。
木棺の装飾はどれも綺麗な物だが、一部は破損している。その破損した木棺からは遺骸の一部も見えており、こういった場だと先に分かっていなければ小さく悲鳴を上げていたかもしれない。
「ここは通常墓地ですわね。いわゆる、『教会の祝福』によって甦る場所ではありませんわ。もっと先にあると思いましてよ」
木棺を眺め、見える遺骸の様子を確かめながらクルタニカは言う。アレウスやアベリアはなるべく見ないようにしているが、クルタニカとヴェインは遺骸を見るたびに仄かな笑みを浮かべる。
死者を笑っているのではない。死者の様子を見ることができて良かったという安堵の笑みである。アレウスたちには決してできない。死体を見過ぎているがゆえに、死体に対して前向きな感想を抱けない。だから長く眺めてしまえばきっと失礼な感情を膨らませてしまう。それがひょっとしたらこの地で静かに眠っている霊的存在やアンデッドの怒りを買いかねない。
先に見えるのは更に下へと続く階段。こちらは入り口に比べてしっかりと石積みがされており、強固だ。それでも一人か二人が並んで入るのが精一杯の狭さとなっている。
「シンギングリンの場合は地下墓地の方々はほとんどが教会関係者でしてよ。高額な寄附によっては、こちらに安置されることもあるようです」
「地下に眠ることはより高位ってことか?」
「むしろその逆かも知れませんわね。地上で眠るのは神様に畏れ多いので、地下に身を潜める…………まぁこれは、ただのわたくしの考えに過ぎませんので、細かいところは分かりませんわ。明確な基準がきっとあったとは思うんでしてよ……それを確かめる術は……ありませんが」
言えば言うほどに申し訳なさが出てくるのだろう。クルタニカも神官として務めを果たしている。しかしながら、教会の経営や死者の弔い方については副神官や自身より下位の神官に任せ切りだった。冒険者の仕事も兼任していたのだから、全ての業務に目を通すことは不可能だ。それでも彼女は、自身がもう少し学んでいればという気持ちを抑えられないのだろう。
更に深く、階段を降りていく。
「ここは……?」
円形の空間。先ほどの理路整然とした墓地に比べ、雑然さが見える。壁には大量の穴が掘られており、そこに鉄製の棺が所狭しと並べられている。
「甦る際、元に肉体から抜け落ちた魂が戻るときの器。それがなにで出来ているか考えたことはありまして?」
問い掛けにアレウスは首を横に振る。
「聖なる遺骸――『聖骸』と呼ばれている器に魂が宿り、魂の形に『聖骸』が合わせることでわたくしたちは甦り、元の肉体同然の姿形を保つことができるんです。そしてここに並ぶ棺の全ては、己が肉体を極限まで清め切った聖職者と巡礼者たち。神官として死ぬのではなく、魂が輪廻に還っても、その肉体を地上に残されし多くの者たちに捧げると決めた者たちです」
「俺も将来はこういう風になるんだろうな」
アレウスはヴェインを見つめる。
「不思議なことは言っていない。あと、俺は正気だよ。聖職者としての最期は、自らの肉体すらも誰かを救える物として残ることだ。いわば生かし続けてくれた世界と、神への究極の奉仕だ」
理解しがたい価値観だ。
――多くの出会いと別れを経て、ようやくここに辿り着くことができたのかしら?
アベリアが来ている外套が風もないのにバタバタとはためき、糸がほつれるかのように端から魔力が零れ出す。零れた魔力は紙片を織り成し、外套の全てが大量の紙片となって空間を舞い踊る。
――あなたが着ていた外套は、私が産まれたときに与えられ、私と共に成長し続けた特別な外套。私を織り成す最初の一ページ。
紙片が渦を巻き、一所に集まり、鉄の棺の一つがガタンッと落ちて中の『聖骸』が紙片に誘われるように運ばれる。更に紙片は激しく渦巻き、やがて外套を再形成すると『聖骸』だったモノに羽織られる。
「昔よりずっと良い表情をしているじゃない、クルタニカ?」
余った紙片が彼女の手元に集まり、杖を作り出す。
「あ、なた……は」
「これが『書愛』の私が持つアーティファクト。けれど、これは甦りじゃないの。だから多くを語ることも決してできない。なにより、私はあなたたちの味方としてここに立っているわけじゃない」
その者はアレウスとアベリアを見る。
「世界がどんなにあなたたちを拒んでも、あなたたちは世界を見放してはいけない。あなたたちを助けたことに意味があるように、そして私がここで再びあなたたちと会えたように……けれど、悲しいわね。この紙片に記されている私はやっぱり多くを語る余裕を与えられていない」
杖を振り、紙片が舞う。
「あなたに託した外套が私を織り成す最初の一ページであるのなら、あなたが腰に提げているその短剣は、私の生き様を終わらせる最後の一ページ。私というロジックを完結させて、あなたたちをナルシェライラ・レウコンという存在から解き放ってほしい」
「……本気で、言っているんですか?」
「ナルシェ!」
アレウスの問い掛けとアベリアの叫びが同時に木霊する。




