たとえ今、笑えていても
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「王族――いいえ、この世代の王子や王女は第一王子のマクシミリアン・ワナギルカンだけが生粋のヒューマンなの」
三日後、戦線離脱が完全なものになり安全圏に入ったところでキャンプが張られた。新王国軍は帰投を続けており、キャンプに残ったのは王女を守る親衛隊のみに留まった。これは早い内に新王国内での『王女が捕まった』とされる情報で混乱を起こしている民衆を落ち着かせるためと、主力部隊が不在の間に新王国の領地が王国に攻め込まれるのを未然に防ぐためである。もし防げなくとも、応戦することができるように兵力は戻しておかなければならない。少なくとも王女奪還作戦に投入された兵力の八割はリッチモンドの采配によって次の任務先へと配属され、徐々に部隊から離脱していった。
王女はキャンプで火を囲んだアレウスたちにエルヴァとの約束通り、自身が抱え込んでいる情報を公開し始めた。奪還時には痩せこけており、栄養失調で倒れてもおかしくないほどに弱々しかった彼女だったが、ここ数日の間に適切な栄養補給を受けたようで血の気は良くなった。まだ肌のハリツヤは戻っていないため決して本調子ではないようだ。見目麗しき乙女の垣間見ることとなり、エルヴァに限らず多くの男性が惹かれるはずだ。とはいえ、性格の面でアレウスはとてもではないが親密な仲にはなりたいとは思わないのだが。
どうやらエルヴァはリスティが言っていたように高潔さ、高貴さといった女性らしさに備わる男にも負けず劣らずの強い精神や態度といったものに惹かれるようだ。守りたいと思う女性ではなく、守れと命じてくるような女性に弱い――などと口走ってしまえばエルヴァの鈍器によって頭をかち割られるに違いない。
「生粋のヒューマンとは? 私たちが知る限り、王国はどちらかと言えばヒューマン至上主義――みんな口にはしませんが、ヒューマン以外の種族をあまり好んでいない傾向にあるはずです」
リスティは王女に質問する。
だからノックスには獣耳が見えないように帽子を被らせたのだ。その帽子はウリルやウンディーネとの戦いで無くしてしまったが、エルミュイーダを看取った臨時基地にて再調達され、再び彼女は被らされている。つまり、それくらいしないと王国民はヒューマンか否かで態度を変えてくるということだ。
「凄まじく怖ろしい話ですが、現国王の息子と娘にはマクシミリアン以外にヒューマンとの実子はいない――とされていた」
「クールクース・ワナギルカンが現れるまでは、ってことでいいんだな?」
「ええ。私がワナギルカンの血を引いていることを知ったのはマルハウルド家に養子に出されて、物心が付いた頃。そこで現国王が起こした奇行と無茶苦茶な理想論も知ることになった」
エルヴァにそう答え、王女は一呼吸置いてからまた話し始める。
「つまり、後宮に招いた女性は獣人、ガルダ、ハゥフル、エルフ、ドワーフの五種族。出自などどうでも良く、国王は連日連夜のように女を犯し続けた。あれは跡取りを作るというよりもずっとずっと、人間の欲望が発露した光景だったとマルハウルド家の義父は言っていた。あまりにも狂っている光景を目の当たりにして、王宮に居続けることに耐え切れず、騎士を辞めて遠方での隠居生活を選んだと言っていた」
「信じらんねぇ話だな。ワタシみたいな獣人やハゥフルはほぼミーディアムみてぇなもんだから、惚れなきゃ子供を産もうとも思わねぇぞ? いや、まず無理やり子供を作るようなことを求められたって、誰もそれを受け入れることなんてできねぇだろ」
「受け入れられなくとも、国王にとってはどうでも良かった。国王は別に愛情を求めてはいなかった。国王はただ自らの基盤を固めることと自らの地位を利用して性欲を発散することしか考えてはいなかった」
「跡取りを作るのは世の常だろ。国王が行き過ぎていると言えばそうなのかもしれねぇが、王族である以上は跡取りが多い方がいい。いつどこで王子の暗殺を企んでいるか分からん連中がいるんだ。無茶苦茶でも子供の数が多くなければ、血が断絶する」
エルヴァの言うことはもっともだが、王女の言い方だと国王には受け入れがたい野望も備わっているように感じられる。そしてその答えをアレウスは自然と思い付く。
「……融和、ですか?」
「当たっている。あなたは頭が回るのね」
褒められることに喜びはない。
「国王は恐らくだけど――誰もその意図を汲めてはいないんだと思うけど、こう考えていると私は推理している。全ての種族に自らの子供を産ませれば、全ての種族に王族の血が混じる。血が混じることによって、全ての種族はいずれ王国の下に集う……ミーディアムの特性すら分かっていないのに融和を求めている」
ミーディアムは生殖、繁殖能力が弱まる。国王がどれだけ他種族との間に血を残そうとも、その血は息子や娘、そして孫の代で途絶えかねない。
だが、一方で打開策もある。例えばミディアムビーストであれば獣人と、ミディアムガルーダであればガルダと。混血になる前の純血の種族と交わることでヒューマンの血が薄まり、繁殖や生殖能力に回復が見込める。
だからこそアレウスは融和という言葉を選んだ。純血と交われば王族の血は薄まりはするものの、広がっていく。親が王国の出自であるなら、子供もまた王国の出自でありたいと思うかもしれない。種族間に対立という垣根を越えて、混じり合うことによって国民を増やす。ただ、融和は欲望によって行われることでは決してない。
「あらゆる種族を王国配下に置くための事前準備なの。そしてそれを統べるのは、マクシミリアン・ワナギルカンに続くヒューマンの王族。混血によって他種族を取り込み、領地を拡大し、連合と帝国を打倒し、世界を支配する。けれどその企みは融和とは程遠い。だって結局はヒューマンが統べることになる。自分の血を全国に撒き散らして融和の道を立てておきながら、やってほしいのはヒューマンによる統治なの」
「それも全てマルハウルド家からか?」
「ええ」
「マルハウルド家の言うことは信じられるのか?」
「私は信じてる」
個人の感想を述べられてエルヴァは鼻で笑いかけたが、ギリギリのところで抑えた。
「クルスさんが信じているなら、情報に価値はあると思いますが」
「信じるやら信じているやら、そういうのとは程遠い生き方しかしていなくてな」
エルヴァの視線はアレウスに向く。同じようにアレウスも軽々しく飛び交うその言葉を全くもって信用していない。
「なら私にはワナギルカンの血が流れていることも信じていないの?」
「そこは信じるしかねぇよ。そこの『天使』が王族だとマルハウルド家に騙された女ごときに拘る理由がねぇからな」
「……あんまり神様や天の御使いを信じない人たちとは話をしたくはないんだけど、クルスの言葉を証明するために言うわ。クルスは間違いなく現国王の娘であり、末妹。ウリル・マルグとは腹違いの兄弟。全部全部、私がクルスのロジックに触れたときに見たこと」
アンジェラは神への信仰心を広めるために地上に降りている。信仰心を多く得るために最も有効な油断は、国を統べる者に取り入ることだ。国に関わりの薄い人物を選んだところで、信者を増やすには至らない。いずれ国の統治者となり、神や天使を崇め奉ることを国教とする。宗教の自由を残しつつも、国境として定着すれば神も天使も忘れ去られることはなく、その影響力を世界に残し続けることができる。
国王や帝王に取り入ろうとしなかった点には謎が残るのだが。
「狂った王族の統治はいずれ国を狂わせる。だからクルス様は自らが御旗になる決意をなされた。俺たちはそれを支える。なぜなら、スチュワード・ワナギルカンを文字通り討ってみせたのだ。その決意に揺らぎがあれば、スチュワード様を討つことなどできはしない。『指揮』も『王威』も持つあの方に勝ったのであれば、その決意は真であると認めざるを得ない」
「義兄上の言う通りだ。あのスチュワード様を討てる者など――それも一騎討ちで勝てる者が生半可な覚悟なワケがない」
「そのスチュワード・ワナギルカンをワタシたちは知らねぇんだが」
「新王国の一時的な王都になっているゼルペスを統べていた国王様の弟です。『指揮』は言わずもがな、『王威』はアリスさんに分かるように説明しますと『異常震域』に近しいものです」
「ああ、だからか」
ウリルと対峙した際に妙な立ち眩みがあった。あれは『王威』にアテられたのだ。『異常震域』への対策である共振を行っていれば、あのような感覚に陥ることもなかった。
「……『悪魔』や異界獣に限らず、共振は常々に使えるようにしておかなきゃならないか」
相手の放つ気配に自身の気配をぶつけて相殺させる。この場合の気配というのは技能で掻き消せる気配ではなく、言い換えればオーラと呼ばれるもの。そこには様々な思惑や魔力、気力が込められていて無意識のまま放出されている。共振はそこに波長を合わせにいくことでオーラによって起こる多数の肉体と精神面の異常と、効かない攻撃を効くようにする。
ただ、戦う相手によってオーラが異なるために波長を合わせるのは困難だ。統一性がない。常々に調整しなければならず、万能のオーラはないはずだ。
「エルヴァにはまだ沢山話すけど、これ以上は話せない……かな」
そもそも、どうして王女と微妙な行き違いが生じたのかを説明するのがエルヴァとの約束事だ。そこにはアレウスたちは含まれておらず、多くを語りたくはないのだろう。
語る相手は好きな相手にだけ。そのように捉えると、王女も人の子なのだなと思えるのだが好奇心を抑えるのには手間が掛かる。
「ですが、クルス様。これだけは伝えてもよいのではと思う。マクシミリアンの『指揮』についてだ」
「あなたにしか説明できないことだろうから、情報の公開をあなた自身が拒まないなら私は干渉しないわ」
「ありがとうございます。では、マクシミリアンの『指揮』について話させてもらう」
マーガレットが声の調子を整える。
「第一王子の『指揮』は特別なものと貴殿たちには話したと思う。それはまさにその通りで、私たちが持つ『指揮』をどんなものであっても書き換えてくる。『指揮』は重ねがけできるが真逆の『指揮』同士は重ねがけできないと言ったが、マクシミリアンに関してだけはどのようなものであっても最優先で掛け直される。たとえ真逆であったとしても、攻勢から防衛へと切り替えさせることができる。そして、盗み聞きできるような人物がいたとしても意図が理解できないように暗喩や隠喩を交える。単純に説明すれば合言葉だ。今回のような『太陽を落とせ』が真に太陽を落とせという意味ではなく、戦場に立つ敵の中で物事の中心を担っている人物を命を投げ打ってでも殺せという意味になる。そして怖ろしいことに、これらの言葉を騎士や兵士たちは事前に聞かされてはいないが、『指揮』を受けた際に明確にマクシミリアンの意図を理解する」
「敵側にだけ秘密の作戦が一瞬で伝わるということですか?」
リスティの問いにマーガレットが肯く。
「そうだ。そしてそれを知るために私は一時的に王国軍に忍び込んだというわけだ」
「一種の賭けだった。そのまま第一王子にマーガレットが使われるようなことがあれば、その情報は回収できなかった」
「だが、勝ちの目がある賭けだったんだろ? 第一王子のマクシミリアンが新王国を裏切り、北進を阻んだ功績だけで配下に加えるわけがねぇ。加えるとしたら他の王族の配下。そこでしばらく観察する」
「ウリルが選ばれるとは思わなかったけど……私は末弟の方に回されると思っていたから」
「逆に言えば、そこはマクシミリアンの失策か……? いや、そもそもウリルの排除を考えていたのかもしれねぇな」
「そこは私もエルヴァージュの意見に賛成だ。第一王子が手を間違えることは考えにくい。だから、敢えて私をあの場に寄越した。恐らくは新王国側に返却したかったのだろうな」
「新王国から見れば裏切り者。王国から見れば功績者。そのどちらであっても、重用するのは難しく、邪険にすれば蜂起されかねません。ただただ扱いに困るだけですからね」
なにやら当たり前のように話しているが、アレウスにとってそこの駆け引きには実のところ興味がない。
「そちらのことはそちらで解決なさってください。僕にもやらなければならないことがありますので」
「帝国の冒険者にしておくには勿体ないと思ったけれど」
「前にも言っただろ。そいつは冒険者として動いてもらっていた方が俺たちにとって都合が良くなる。それに、どう口説いたってこいつは帝国に帰る事情がある。勿論、俺たちを呼び寄せたんだから帝国への帰り道も用意してくれているんだよなぁ?」
ジョージ――ゲオルギウスにアレウスは案内されたが、そこまでの手回しはリスティがやったことだ。しかし、往路はあっても復路はないことが前提としてあった。なので、エルヴァは暗に安全に自身とアレウスたちが帰る方法を王女に要求している。
惚れられている相手で、惚れている相手にそんな無茶なことを言うのはこの男くらいじゃないだろうか。
「分かってる。私も助けてくれた他国の人に帰り道で死んでほしくない。なんとしてでも帝国に送り届ける」
「ならなんにも言うことはねぇな」
「なぁ? あの男の一体どこに惚れる一面があるんだ?」
ノックスがリスティに囁いている。
「自分も惚れているクセに強気に出られる辺りにエルヴァの人間性が出ていますよね? だから私も無理なんです」
「聞こえているからな。お前たちも人のこと言える立場じゃねぇからな。特に人間性の面は」
ジロッとエルヴァが睨んでくる。自覚しているのだから睨まないでもらいたいとアレウスは思う。そして名前を伏せたのは、リスティの色恋沙汰に友人である王女が興味を抱くとまた面倒なことになる。
「それで、エルヴァ? その、いつ?」
「なにが?」
「私とあなたが、その……」
「ああ、それは……今じゃねぇな」
「どうして?」
「お前が本調子じゃねぇとそんな気にならねぇからな」
不純な約束事があるのは知っているが、一応は調子を気にしているらしい。
「まぁ、あと二日程度で決めてもらわないと困る。こちらも帝国への帰り道を用意するにしても出発が未定ではどこも請け負ってはくれない」
「どうしてそっちの都合で急かされるんだ?」
「当たり前だろう。むしろどうして時間を掛けられると思った? そこまで新王国に長居したいと言うのなら別だが」
リッチモンドは肩を竦めて見せる。
「長居させるとクルス様が別れを惜しむようになってしまう。俺たちは抱き締め合って愛を誓いながら別れる場面を見たいわけではない」
「「そんな恋人みたいなことはしない」」
「昔はここまで息が合ってなかったはずなんですが、否定していたものを受け入れるとこんなにも単純な返事をするようになるんですね」
呆れたようにリスティは言うが、その表情には笑みがある。
しかし、彼女のようにアレウスは笑えない。
アンジェラは言った。「クルスがエルヴァを殺す」のだと。あのときは咄嗟に嘘をついて誤魔化し天使もまた有耶無耶にしたのだが、もしもそれが未来視で得た正しい情報であったなら――
今ここにある笑顔の全てが失われることを意味している。




