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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
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この日

 新王国の基地内で一人だけで行動するのは身を危険に晒すことにも繋がるため、歩調を狭めて、なんとなく医療用テントの周辺から付かず離れずのところを時計回りに何度も何度も歩いた。エルヴァたちの姿は数周している内に見えなくなったものの足を止めることができないままに続けた。自分自身は決して考え事をしている際に狭い範囲を歩き回るような癖は持っていないのだが、今日ばかりは体を動かしていないと落ち着けないのかもしれない。見知らぬ土地、見知らぬ景色、見知らぬ人々。劇的な環境の変化とは言い難いが、アレウスの心に変調を与えているのは確かで、帝国で生活していたときには感じ得ぬ言いようのない焦燥感がある。切迫感とも言えるかもしれない。


 帰りたい。恐らくはその気持ちが大きくなっている。理由は単純で、物凄く弱音を吐きたい。

 辛かった、苦しかった、大変だった。この気持ちを吐露して、仲間に慰めてもらいたい。共感を求めるのは女々しいとも思えるが、沢山の人が殺し殺されたところを見たあとだ。そこには性別など存在せず、ひたすらに心の呻きを聞いてもらいたい。それは幼心や童心に回帰したからではなく、人が人であるがゆえに年齢問わずに抱える欲求である。


 グスングスンッ、と泣き声が聞こえる。関わればどうせロクなことが起こらないと思っていても、構ってほしいことを全開にされていては声をかけないわけにもいかない。

「どうしたんですか?」

 偶像は認識されなければ介入権を持たない。だから無視するだけで『天使』――アンジェラから攻撃を受けずにやり過ごせる。だが、王女にアレウスの陰口を吹き込むことはできる。泣いているところを見た時点で、素通りする選択肢は先に奪われてしまった。


 神や天使などアレウスは大嫌いだ。神官が都合良く引き合いに出してくる上位存在など信じるに値しない。なにせアレウスの都合が悪いときには決して手助けしてくることなどないのだから。


「神様も天使も嫌っている人が、まだこんなにもいるなんて……」

「そんなことで」

「そんなことじゃない! 私が私であるためにも、神様が神様であるためにも! 信仰心は、偶像崇拝は常に地上にあり続けなければならないことなのよ!」

 凄い剣幕でまくし立てられて、アレウスは後退する。

 言ってしまえば恐怖がある。今のは余計な一言だったのではないかと自省するくらいには。よく言われる『罰当たり者』のような言動をしてしまったら、この天使の名の下にアレウスに天罰が下るかもしれない。勿論、天罰など信じてはいない。いないが、天罰という言葉を、そして神罰という言葉を振りかざして天使に粛清される可能性は決してゼロではない。

「あなたもそう! どうして神を信じないの?! どうして天使を信じないの?!」

「だって、僕のことを助けてくれませんし」

「神様は全て見ているわ。神様の目が届かない場所なんてどこにもないの! 絶対にないの! 分かる!?」

「え、あ、う……はい」

 こういった強引さにアレウスは弱い。心の中では逆の感情が渦巻くのだが、あまり刺激したくない相手を前にしたときに弱くなる。


 挑発からの交渉は得意中の得意なのだが、アンジェラとのやり取りはそういったものではない単純なコミュニケーションだ。人付き合いの乏しさによってアンジェラへの苦手意識が高まっていく。


「ああーん、もう! これじゃ天上に帰ったときに神様に怒られちゃう……でも、クルスを見捨てることなんてできないし……早まったかなぁ」

「早まった?」

「クルスを『超越者』にしたこと……私はあのときの一番の導きだったと思っていたんだけど……そのせいでクルスの感情が私に流れ込んでくるようになって、天の御使いの私がたった一人の人間に、信じられないくらい固執しちゃった。それで、あのザマ……」

 感情が振り切ってしまったと言いたいらしい。

「天の御使いである私に、人間の感情は複雑すぎて分かんないのよ。それがずーっと私の頭の中を渦巻いていて、こんなにもクルスが苦悩していることが、どうしようもなく悲しくって、だったら苦悩の種を取り除いてやるんだって躍起になって…………段々と、天の御使いらしくなくなって……抑えられなくなって」

 純白の翼をパタパタと小刻みに羽ばたかせながら、まだグスングスンと泣き始める。

「しかも『二輪の梵天』の質が落ちているなんて……ああ、神様に知られたら……いいえ、神様は私のことも見ていらっしゃるから…………このままじゃ天上に帰ることもできない」

「は、ぁ…………そうですか」

 他人事のように相槌を打っておく。実際、他人事なので身内のような相槌を打つわけにはいかない。

「元はと言えばゲオルギウス! あの堕天使が! クルスの想い人に引っ付いてなんかいるから! 余計に私は、使命感を帯びちゃって……!」

「正直、天使だとか堕天使だとかよく分からないんですけど」

「この世に悪魔がいるんだから天使だっているとは考えが至らない? 偶像だけの存在でも、認識されればそこに存在する。私たちは曖昧ではあるけれど、決して存在していないわけじゃないの」

「悪魔は人を誑かしますが」

「私たち天の御使いは導いてあげるの。それも、神様と天使の存在を広く周知させることが分かっているような人物を導くようにと仰せつかっているのよ。一種の未来視ね。クルスは間違いなく、未来で私たちの教えを広めてくれる人間であることは確定しているんだけれど、そこに行き着くまでの道のりは……あなたのような人間も理解しているように、簡単なものじゃない」

「試練というものですか?」

「その通り。神様が与えたもうた試練を乗り越えて、ようやくクルスは宣教者となる」

「いつなるんですか?」

「教えられないし、教えることはできない。天の御使いは未来を見ても、その結末の全てを語れない。だって、それじゃ神様の試練を知ることができてしまうもの」

 いつだって自分自身に降りかかる試練を知ることができたなら、その対策も容易に立てられてしまう。未来を知っていながら未来について話すことができない。それは天使にとっては当たり前なのかもしれないが、憑かれている側としては歯痒いものがありそうだ。

「堕天使は神様が私たちに与えた規律に違反した者。言ってしまえば裏切り者で、私たち天の御使いはその裏切り者を浄化することも神様に命じられているのよ。ゲオルギウスは人間に干渉しすぎた罪で天上から追い出されたにも関わらず死に絶えずに生き永らえている。だから堕天の扱いを受けているわ。今のところ、堕天した天の御使いはゲオルギウスぐらい。あとはみんな浄化されて、天上で生まれ変わっているはず」

 両手を重ね、強く握り締めている。

「ゲオルギウスを浄化することは私に与えられた使命にも等しいこと。だって、未来のどこにおいてもあの堕天使は私とクルスの邪魔をする存在だって分かっているから。あの牢獄で浄化できないことも分かっていたけど……! あそこで浄化できたら、少しはクルスの負担も減ると思ったのよ……」


 天使の割に人間臭さがあるのは、王女の様々な感情が流れ込んでいるからか。『継承者』と『超越者』の関係になったはいいものの、そこに起こる弊害までは理解していなかったようだ。

 だが、そのような感情の共有があることなどアレウスは知らなかった。もしかすると上位存在が人間に干渉したことで引き起こされるものではないだろうか。上位存在は下位存在に引き下げられ、下位存在は上位存在に引き上げられる。そのようにして二人の存在が平均される。人間同士では平均する必要がないためそういったことが起こらない。


 では、エルヴァとゲオルギウスはどうなのだろうか。もしかしたらあの二人もお互いにお互いを引っ張り合っていることで感情の共有が起きているかもしれない。


「運命に抗うことを天使がやっていいんですか?」

「運命を神様が与えたというのなら、それこそまさに神様の試練そのもの。むしろ運命を打ち破ることこそが試練を乗り越える一つにすらなり得るの。人間は運命に抗うことが好きでしょう?」

「好きとか嫌いではなく、起こるべくして起こるのだとしても、あるがままを受け入れることができないだけです」

「そうなの?」

「そうだと思います。幸せばかりが大好きで、不幸ばかりは理不尽と言って納得しない。そういう生き物です」

「…………まぁ、クルスと一緒に人間を見ているとそんな感じはしていたけれど」

 アンジェラはアレウスの言うことに理解を示す。天使の割に人間の話を聞くのもやはり人間臭さがある。有象無象、一切合切の話を聞こうとしなかったイプロシア・ナーツェの方が圧倒的に上位存在に近しい精神を持っていた。


 そもそも、あの『賢者』は神になりたがっていた時点でもう精神がおかしいとしか言いようはなかったわけだが。


「ああ、そうだ。安心して? しばらくゲオルギウスと行動を共にするけど、数日前みたいな暴走は起こさないから。ああいう抗い方はクルスが悲しむことが分かったからやめる。別の方法を探す。あと、エルヴァージュ・セルストーもなんとかして阻止したい」

「阻止……?」

「数日後に起こる生殖行為については未来を見てきた上で分かっていることだから気にしないけど、最終的にあの人間はクルスを悲しませるもの」

 未来を見ることができるアンジェラが断言したということは、本当にあの二人は数日後に交わるらしい。それは知りたくなかったし、聞きたくもなかった。確定すると生々しい。その数日後とやらの朝に二人と会うことは避けたい。

「王女を悲しませるということは」

「将来、私はゲオルギウスを浄化してから死んで天上で生まれ変わる。クルスはエルヴァを殺すのよ。これは私が見た未来…………って言ったら、信じる?」

「未来で見てきたことを人間に詳しく話すことができないなら、信じることはできませんね」

 これはきっとアレウスを試している。未来を見ることができる天使の言葉を率直に信じるか否か。未来を語る者に簡単になびくか否か。

「…………やっぱり、神様も天使も嫌っている人間は思うようにいかないわ。あと、あなたは他の『産まれ直し』と違うわね」

「どこがですか?」

「具体的には言えないけれど、他の『産まれ直し』の記憶をあなたは垣間見たはず。恐らくあなたを中心に据えると、他の『産まれ直し』にも記憶が一瞬だけど共有される。まぁでも、あなた以外はそんな記憶を一瞬だけ見ても、他の『産まれ直し』から流れ込んできたものだなんて考えたりしないだろうけど」

 あなたは違うでしょ、とアンジェラは続ける。

「あなたは流れ込んできた記憶を、確かに存在していた記憶だと認識できているはず。その理由は私には分からないけど、よく覚えておいた方がいい。流れ込む記憶を意識し過ぎたらあなたの記憶が混濁する。それどころか、あなたがあなたじゃいられなくなる」

 スッとアンジェラの手がアレウスの腰に提げている短剣に当てられる。

「これに掛けられている曰く付きの祝福は禍々しすぎる。祝福を支配下に置かないと、あなたは逆に祝福に呑まれてしまう。分かるでしょ? その剣身にヒビが入っていることを」

「でもこれは、」

「あなたにとって掛け替えのない大切な物。だとしても、天の御使いとしてその短剣をそのまま持ち続けることは推奨できない。剣身が砕けたとき、溜め込まれた祝福は全てあなたに注ぎ込まれる。きっとあなたは耐えられない。だってその短剣は持ち主を自死に追い込む力を持っている。ナルシェライラ・レウコンが自らの任務を全うできないと思ったとき、自らの手で死ぬための祝福が掛けられている」


 いつかに見た夢――ラブラによって氷漬けにされているときにヴェラルドが語っていたこととアンジェラの言っていることは一致している。この短剣は、ナルシェを殺す呪いが掛けられているのだと言っていた。しかしナルシェを殺せていないから今尚、錆びることも刃こぼれすることもなく状態を維持し続けている。

 だがアンジェラはそれを祝福と言う。祝福も呪いも、どう呼ばれようとそれは曰く付きであることには変わりない。だとしても、天使が語ることは妙に真実味がある。


「どうして僕に忠告するんですか? 神も天使も信じちゃいないこの人間ごときに」

「私の話を聞いてくれたお礼。私はいるのかいないのか曖昧な存在だから、無視されると傷付くけれど声を掛けてくれるだけで嬉しくなる。偶像ってそれぐらい単純なのよ。認めてくれれば、誰かに認知してもらえているだけで存在しているんだっていう自己を得ることができるのだから」

 良い話風に言われたが、結局のところは泣いているところを無視していたらアレウスと短剣について気遣ってはくれなかっただろう。単純であるからこそ、敵にも味方にもなりやすい。

「あなたが冒険者として過ごしてきた街の地下墓地を調べてみなさい。そこに、祝福を掌握する術が眠っているかもしれない……眠っていない可能性もあるけれど」


 天使が地下墓地を調べろと言うのはどうなのか。そう思いつつも、短剣に限界が近付いていることは紛れもない事実であるため、嘘であろうとなんであろうと調べてみる価値はあるだろう。それぐらいしかアレウスには手立てがないのだから。



「ふ、ふふふ、ふはははははははっ……ふはははははははははっ」

 息を吹き返した野ざらしのウリルは仰向けのまま空を見上げながら、笑い続ける。

 仮死状態から生き返りはしたものの、どうせまたすぐ死ぬ。その死が分かっているからこそ、笑わずにはいられない。自らに撃たれた銃弾は決して命を見過ごしはしない。それほどの凄まじいまでの呪いが込められていた。

「とんでもないものに恨まれているもんだな、お義兄さんよ? 俺を盾にして凌ぎはしたが、この銃弾を浴びていたらきっとあなたも死んでいたと思うぜ? 俺も今から死ぬんだからなぁ……!」

 後宮、跡取り、継承権。同一人物や一時的な『転写』。

 そういった一切合切、どれもこれもが国が狂っているから行われているのだと思っていた。であれば、国を良くする者が次なる王になれば、狂った国もいずれは正常な国に戻る。

 ウリルはその端役として付き従い、獣人たちを束ねるのだと信じていた。

 だから王位継承権争いなど実のところ興味はなかった。獣人の群れを統治する権利を与えられているのなら不満はない。獣人との間に産まれた王族である以上は、王国に仇名す獣人を生み出さないことが己自身の使命だと決め込んだ。


 だが実態は違った。


「国どころか、あなたも狂っている。国王も国家も、それどころか王族も狂っている。なにもかもが狂っている。それが王国の正体か!」

 ではどうして連合を敵視しているのか。帝国と戦争を始めてしまったのか。

「自分たちは決して狂っていないと知らしめるためなんだろうなぁ……ふははははっ! 笑いが止まりそうもないなぁ! お義兄さん!」

 国が、王が、その王子が。そのどれもが狂っていないと証明するために連合が狂っていると思わせる。実際のところ、連合のやっていることは非人道的行いであるが、王国が道を踏み外した行いをしていないわけではない。


 国家単位での同族嫌悪。それが連合を敵視する王国の正体だ。


「だったらなんで帝国にまで食指を伸ばそうとするんだい?」

 『勇者』は王国の中から生じた。だからどんな物語に登場する勇者も必ず『王国』から出発し、悪しき者たちを滅亡させる。王国にとって、滅亡させてほしいのは王国に仇名す全ての国に違いない。


 しかし、この世の『勇者』は王国に留まらず世界各国を飛び回り、ありとあらゆる災厄から人々を守るために尽力し続けた。


 そのせいで王国の童話での必要悪は帝国と決まっていて、勇者が最終的に帝国を討ち滅ぼして完結する。


 打倒、帝国。これが民草の中に自然と刷り込まれている。だから帝国と戦争が始まっても国内ではそれを「正義のための戦争」だと唱えれば誰もが力を貸す。


「歪んでいるよ、王国は……いいや、この世界のどの国も、なのか?」

 それを知ることはもうできない。命の灯火はもうすぐ消える。この呪いの銃弾でさえなければ、仮死状態から復帰して回復することも難しくなかった。必ず命を摘み取る呪いにばかりは、抗えない。


 野ざらしの空の下で、ウリルに近付く気配がある。ガルムを連れたゴブリンたちが様子を窺っている。人間の死体から魔力を吸収するために喰らうつもりなのだろう。


 王子として産まれて、魔物に喰われる最期。どれほどの皮肉であるというのか。神はウリルを見てはいないのだ。


「だったら、神様? そしてお義兄さん? 最期に飛び切りの嫌がらせをさせてもらおうか。この狂った世界なんて潰れてしまえ! もう既に狂っているのなら、もっと狂わせてしまっても構わないよな?」

 ウリルは自身の腰に提げている剣を抜く。

「おい、小鬼ども。こっちに来い」

 獣人の血を引いているからか、ウリルの声にゴブリンは素直に従い近付いてくる。

「貴様たちに、『鉄』を教えてやる。そんな石や木で出来た刃物なんかよりもよく切れる金属製の武器だ……! この剣で、俺の体を捌いて喰らえ! 俺の言っていることが正しいと思ったなら! 貴様たちはこれから人間の死体を見るたびに武器を拾え! それは貴様たちがこれまで使ってきたどんな武器よりも鋭く、そして頑丈だ……! いずれは金属の扱い方も分かって、貴様たち自身で作り出すことさえできるかもしれないぞ……!」


 この日、魔物の手に金属製の武器が初めて握られた。


 この日、全ての知性ある魔物が『金属』を知った。

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