仲を取り持つ
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ウリルが守っていた基地からアレウスたちはまず外で手綱を繋いで留まらせていた馬を連れ出した。そこからは馬に乗り――エレオンの姿が見当たらなかったため、エレオンの乗っていた馬も使って王女奪還のために戦線を敷いていた地点まで一日掛かりで戻ることとなった。
川を伝っての南下は王国領内を通るため、非情に危険であったがカプリースの水の護符によって水に触れている間の常時気配消しと姿の隠匿、水流の自在化を獲得した。そこにエルヴァの魔法で一定の地形を平地同然に進めるようになり、流れる川の中、馬にひたすら走らせたのだ。
リッチモンドの部隊と合流したのは、そこから更に半日を要した。当初は駆け引きのある押し合い引き合いをしていたのだが、第一王子の『指揮』によって前線が崩壊。撤退という形で戦線が下がっていた。
しかし、王女の奪還は完了した。リッチモンドはこれ幸いとばかりに新王国軍に撤退命令を出すことで、王国への侵攻に見せかけた奪還作戦の成功は騎士と兵士に伝わることとなった。
そこからの撤退戦は泥沼になることもなく鮮やかな戦略が光った。
「こちらです。まだ息がありますので、お早く」
軍医に急かされる形でクルスがテントに通される。
「容体は?」
「運ばれた時点で手の施しようがありませんでした。回復魔法もどうやら阻害されている様子で、未だ意識があるのが不思議なほどです」
「エルミュイーダ……? クルスです」
包帯に包まれて、容姿での判別を付けられそうにない人物――エルミュイーダに顔を覗かせる。
「ぁ…………あぁ、あ」
口を動かすこと、そして言葉を紡ぐことさえ苦しそうなその様子は見ているだけでも心苦しいものがあり、アレウスは思わず視線を伏せってしまう。
「エル……あなたの働きは私にとって大きな大きな一歩となりました。あの日あの時、私の話を聞いて帝国軍より離れる判断をあなたと、そしてあなたの弟が取ってくれなければ今日まで私が生きていることはなかったでしょう」
「……私、は……そう、帝国の、人間、だった」
「王国への叛乱も、そこから続く多くの戦いの日々も、あなたという存在がいたから進めることができた。才媛なるあなたは、私にとって――いいえ、どんな国のどんな王から見ても素晴らしき剛の者に違いありません」
「……いい、のです。人から、生を、奪ってきて……今更、死に、怖れなど、ない。殺した分だけ、呪われて、殺されるのは、当然の……結果。しかし、人の生き様の終わりは……決して、決して……その手を血に染めた回数で、早く訪れるわけでは、ない」
エルミュイーダの手がクルスの腕を掴む。
「あなたは、どれだけの命を屠ろうとも、いずれ国の頂点に君臨する御方……その手で沢山の命を摘み取っていても……長く、生きねば、なりません。あなたは、摘み取った命の分だけ……そう、誰よりも長く…………生きて、もらわなければならない」
包帯が巻かれた顔の、僅かに見える瞳の先に強い強い感情が込められている。
「分かっています」
「…………レスィは、武骨な男だが…………そうだな、私よりも扱いに困る、だろうが……決して弱くはない。私の弟に相応しき男と、思っている。この場に来られないような臆病者では、あるものの……勘も、腕も、私がその強さを保証する」
腕を掴んだエルミュイーダの手の力が弱まっていくのを感じ、クルスはその手を自身の両手で握り締める。
「あとのことは、任せる」
マーガレットに彼女の視線が向けられる。
「お傍にいられなかった歳月、そしてあなたが命を懸けて守り通してきた日々。そのどちらも、この私が請け負う。あなたの業は私が引き継ぐ。あなたは安心して輪廻を巡るがよい」
「そうか……ふ、ふふふ、最期の最期に、見えることができて良かった」
安心したのかエルミュイーダの体から力が抜けていく。
「しかし……ただの騎士見習いが、揃いも揃って……良い顔をしている。まだまだ、その未来に見せる顔付きを、見てやりたいものだが……あぁ、そうだな。それは、私の役目では、ないようだ。ぁあ、ふぅ…………最期に、心残りを伝えても?」
「構いません。どのような内容であれ、死ぬ間際に心残りなど残してはなりませんから」
「…………オーディストラ様が……悲しまれてしまう。あの方はまだ、繊細だ。心を切り捨てる術を未だ有しておられん」
「皇女様が?」
アレウスは思わず口を動かしてしまう。
「お会いしたことがありますが、どのようなご関係なのですか?」
動かしてしまった手前、ありのままを告げる。
「私は、新王国に来る前までは皇女様の教育係だったのだ」
「そんな重要な地位にいながら、新王国側についた、と?」
「……王国と争うなど、帝国になんの旨味があろうか。それでも帝国は、王国は、一触即発の状態がずっと続いていた。これを終わらせるには王国を王国としている、まさに王族を刷新しなければ……オーディストラ様が戦線に立たねばならないときが来てしまう。それだけは、あってはならないと……思った」
咳き込み、苦しそうな呼吸を繰り返し、エルミュイーダから生気が失われていく。
「ぁあ…………思えば、楽しいことなど、なにもありはしなかった、な…………やはり人は……人間、は…………争うのではなく、讃え合って……笑い合う、べき………………だ…………」
手を握り締めていたクルスはエルミュイーダの死を悟ったらしく、その手を握り締めたまま深い深い涙を流し、軍医がその隣で生命活動を確かめる。
「ご臨終です。書類等、色々とありますが……まずはエルミュイーダ・カルヒェッテの死を悼みましょう」
アレウスは長居することができず、テントから出る。
「大切な時間を僕の呟きで奪ってしまった」
「そんなことを気にしていたら誰も死に目に会うことはできねぇよ」
テントの外にはエルヴァが立っていた。
「湿っぽいのは苦手なんだ。それに、クルスにとっては恩人でも俺にとっちゃ仇敵にも等しいからな」
外で待機していた理由をアレウスが訊ねるまでもなく自身で語る。
「……王女の奪還までは、どうにかこうにかだったはずなのに」
「戦争なんだ、仕方がない。どちらかだけが被害無しの戦争なんてねぇよ。今日も、明日も、その次の日も、誰かと誰かは争い、傷付き、死に掛けて……憎き敵を討つと誓いを立て、奮い立つ。これが連綿と続く。戦争が無くならない限り、一生終わらない。いや、戦争が終わっても一生続くのか……?」
そこでふとエルヴァは思い出す。
「エレオンはどこでなにをしてんだ?」
「僕が知るわけないだろ」
「見限ったか、もしくは敵側についたか。どっちだっていいが、早い内に生死は知っておきてぇな。敵か味方かを見誤っちまう」
「エルヴァはこれから新王国側につくのか?」
その言い方が王女の元で活動する宣言に聞こえたため訊ねる。
「ねぇよ。俺はやることを終えたら帝国に帰る。ゲオルギウスも言っていただろ。あの『天使』とは相容れることはない」
「それで本当に納得できるのか?」
「納得もなにも、この選択しかねぇよ。どっちにいても俺は厄介者だからな。ゲオルギウスはさっさと俺を隠居させたいらしいが、まぁまだそんな時期じゃねぇし…………まったく、困ったものだ……地位やら血族やらってのは」
なにやら微妙なことを言い出すのでアレウスは次にかける言葉を失う。しかし、多くを語ったところでなにかがあるわけでもない。こういうときはなにも話さずに、ボーッと時間を過ごす方がいいだろう。
「エルヴァ」
どれくらいの時間が過ぎたのか。緩慢になっていた時間感覚がクルスの言葉で是正される。邪魔にならないようアレウスは離れ、丁度そこにレストアールがやってくる。表情からは窺えないが、抱え切れないほどの悲しみがきっとこの男の胸には溢れ返っている。エルミュイーダのことを何一つとして知らないアレウスが慰めの言葉をかけたところでそれはただの煽りになってしまう。要するにアレウスはこの男にとって寄り添うべきではない。この男にはこの男のための支えとなってくれる人物がいるはずなのだから。
「あなたに私からお願いがある」
「嫌だね」
「まだなにも言っていないけれど」
「俺は人に頼まれたことを考えて動ける人間じゃないんだ。自分で思ったことをそのまま行動に移すことしかできねぇ」
「オーディストラ皇女に近付くことはできない?」
「は? 俺がなんで?」
「懇意になれと言っているわけでも、恋慕の情を抱かせろと言っているわけでもない。そのどちらも、私が独り占めにするべきものだから」
「いらない一言を足すと途端に面倒臭く感じてしまうな」
内心では照れているのだろうが、それを言葉にしたくないらしい。王女がハッキリと好意を示しているのに、まだこの男は逃げるらしい。
「見返りは?」
「まず、私が新王国を立ち上げるに至った理由を教える。そして、私の体調が戻ったあと、忖度無しの殺し合いを一回」
「……ああ、それはそっちの『天使』と俺にとっての悲願だな。殺し合いってことは、本当に殺してもいいんだな?」
「ええ、私だって本当に殺しに行くから」
エルヴァは「はっ」と息を吐くような笑いを一度行う。
「そんだけでも十分だと言いたいが、俺にゃ無理だ。他を当たれ。そこの男に任せてもいいと思うが」
言って、視線がレストアールに向く。
「俺は姉が皇女に教育していた現場に警備役としてついていただけです。オーディストラ様は俺のことを憶えてはいらっしゃらないでしょう」
寡黙なレストアールが口を開き、事情を説明する。
「それに…………申し訳ありませんが、少しばかり暇をいただきたいのです。姉を安らかに眠れる地に埋葬してやらねばなりません」
「分かった。そのように手配する」
レストアールは頭を下げ、それからそっとテントの中へと入っていく。
「どう、エルヴァ? これでもまだなにかを言う?」
「俺なんか顔を見たこともねぇんだけどな……アリス…………に、任せるのは駄目だな。こいつにはリスティと一緒に本来の仕事をやってもらっていた方がなにかと都合が良い」
「エルが言い残したことが気掛かりになってしまえば、帝国と争うときが来たときに必ず迷いが生じてしまうから」
「……俺はお前が困る方がずっとずっと楽しいんだが」
まだ渋っている。
「一回、抱かせてしまえばよろしいのですよ」
なにやらとんでもないことが耳に入ってきたために思わず声の主へとアレウスは顔を向ける。
「彼は昔からそういう男ですよ、クルス様」
「リッチモンド」
「久しいな、エルヴァージュ・セルストー。いやはや、以前と変わらず……危ういところに立っているようだ」
この男が会話の中でしか知らなかったリッチモンドという名の男のようだ。
誰もが凛々しくも優しそうな顔。第一印象として良いイメージを相手に与えられる時点で交渉においては常々に有利に働いているに違いない。だが、王女奪還作戦の総指揮を執っていた以上、この男もまた敏腕。決して心の内を読まれてはならない人物である。
「義妹共々、全てを知った上で俺を利用したんだろう?」
「ああ、あの場所で死ぬところまで計算していた。しかし貴殿が死んでいなかったとは思わなかった」
「嘘を言いはしないってか?」
「言ったところでバレバレだからな。貴殿が複数回、あの基地で調査を行っていたことも知っている。勿論、調査ののちに帝国と王国のドッグタグを回収していることも耳に入っている」
「そのことを私は教えてもらってない」
「言ったところでクルス様の心を掻き乱すだけだと思いましたので黙っていました」
返事が速い。予め言うことを決めていたかのようだ。頭の回転が速いのだろう。
「さて、話が逸れてしまいましたが、改めて進言します。一回、抱かせてしまった方がなにかと事が素早く進むかと」
「そんな世俗的なことで?」
「世俗的とは申しますが、古来より女が男に願い出る際に用いる策でもあります。同時に男が女に要求するものでもございます」
「俺はそんなもんは求めてねぇよ」
「王女という使命、役目、そして覚悟。その他諸々がありましょう。ですが、好きな男の前では一人の乙女になるのは女の本能。処女の価値を高めますといずれきたる婚姻の話において邪魔にもなりましょう。だったら、初めてを捧ぐ男は好きな男である方が望ましい」
「ちょっとはこっちの話を聞け」
今にもリッチモンドに掴みかかりそうなエルヴァを挑発するように男は続ける。
「両想いであれば尚更、喜ばしい営みになることでございましょう」
「「両想いではない」」
「そこは揃って否定するのか」
ボソッと呟く。どうでもいいことに居合わせてしまった。二人の関係性がどうなろうとアレウスにはどうでも――いや、良くないかもしれない。新王国の今後の方針如何によっては帝国にとって厄介なことになる。
エルヴァを納得させる。この場ではそれが無難である。
「いい加減に好きだの嫌いだの言葉で言い合うのはやめてしまえばいい。体と体でぶつかれば分かることもあるだろ」
「それをそっくりそのままお前とお前の好きな女との関係に当てはめて言い返してやる」
説得しようにも、エルヴァを挑発するとアレウスにも挑発した分が返ってくる。言葉で刺せば言葉で刺し返されることは多々あることだが、今回に至っては急所を抉ってくる。それでも急所が抉られるということはエルヴァもそれぐらい言葉で抉られていることになる。
「僕は今、この場ではどうすることもできない。でもエルヴァはできる」
「だったらお前は帝国に帰ったらすぐにでもヤるんだな?」
マズい方向に話が飛んだ。肯けばエルヴァは絶対に粘着してくる。だからといって首を横に振るとエルヴァは声高にアレウスを貶し、リスティやノックスに甲斐性無しと言われる。
進んでも辛く、引いても辛い。しかしそれでも、この二人の仲は取り持たなければならない。
「ああ」
「……こんな馬鹿みてぇな男の約束なんざしたくはねぇけどな。だが、俺もお前もこういったことがないとどうにも前には進めないらしい」
「勝手に話を進めないで。私はまだそんな提案を出してない」
「クルス様、物事には流れというものがあります」
「元はと言えばあなたが妙なことを言い出すから」
「声が上擦っているのは期待感の表れと受け取ってよろしいですか?」
「…………ああ、もう!」
クルスが髪を乱すほどに頭を振って、瞳に闘志のようなものが宿る。
「分かった。あなたとの忖度抜きの殺し合い、そして私の体を一晩、あなたに委ねる。これでいいでしょう?」
闘志が込められているせいで真意が見えにくくなっている。雰囲気もなにもあったものじゃない。なんならエルヴァに対して言いようのない苛立ち、そして怒気、果てには殺意めいたものまで感じ取れる。
そりゃそうだ、とアレウスは思う。よく分からない形で周囲によって仲を取り持たれてしまった。
本人にとって好ましいのか好ましくないのかは分からずじまいだが、最終的に決定したのは王女様なのでアレウスに責任はないはず。だが同時に自身もエルヴァと約束をすることになってしまった。
もう後戻りすることもできない。
「この話、『天使』の方はなんにも言わねぇのか?」
「あったらもう言ってきている。言ってこないなら、アンジェラにとってこれは想定の範囲内で、見ることのできた変えることのできない未来」
ほのかに王女の頬は赤い。
「私は、初めてだから……や、優しくしてよ?」
デレた。
「本心で言ってねぇ。気味が悪い」
「だーれがこんなことを本気で言うと思うのよ」
デレてはいなかった。
「もういいよ、付き合い切れない」
アレウスは呟きつつこの妙な話の輪から恐る恐る退散した。




