王子
心の底から雄叫びを上げて、アレウスはマーガレットへと切り掛かろうとするがノックスが後ろから羽交い絞めにして阻む。
「落ち着け、アリス! よく見ろ、そいつは!」
「い、つから…………気付いて、いた?」
リスティの姿は陽炎のように消え去り、代わりに現れたのはウンディーネの召喚で唯一、その命を捧げなかったウリルだった。
「気付いてはいないさ。そう、これはただの女の勘だ」
「勘? そんな曖昧な、確証もない物でお前は仲間を刺すというのか」
「確証を得てからでは遅いのでな。それでもなにか理由を教えろと言うのならば、そうだな……貴殿の剣が錆びていなかった。召喚物にとって貴殿は敵対する側ではなかったからだろう。そして、リスティーナ・クリスタリアの刺突は私が知る限りではそんな弱々しい威力をしてはいなかった。貴殿がこののちに取ろうとした行動はおおよそ想像が付く。クールクース・ワナギルカンを守るフリを維持しつつ、エルヴァが僅かでも警戒を解いて離れた直後、その命を奪う。第一王子の『太陽を落とせ』には私が言ったことも含まれるが、この場において第一王子は貴殿にクルスを殺すことを命じたのではないか?」
「王国軍には“みんなの太陽”を落とすことを命じ、ウリルにはクルスを殺す合言葉として用意されていたんだな?」
エルヴァはクルスの護衛を解かないまま訊ねる。
「そうだと私は思っている」
マーガレットの鎗を自ら引き抜いて、ウリルが傷口を手で抑えながら強気の笑みを浮かべる。
「はぁ~あ……お義兄さんよ? 俺にゃ荷が重すぎるってもんだ。だってどうだい、見てみろ? こんな連中を一気に相手にしてもつつがなく予定を進行させることができるのはこの世にあなた一人だけ。獣人の連中に祭り上げられた俺だけじゃどうにもなんねぇ」
そう呟いて脱兎の如く、ウリルは逃げ出す。追おうとするマーガレットをクルスが目配せで留まることを求め、ノックスはアレウスの拘束を解く。
「追っても相手の思う壺。ウリル・ワナギルカンを討つ好機ではあるけれど、リスクが大きすぎるから。それに、本物のリスティはまだ瓦礫の下ってことに……」
「俺も接地しているなら掴めるが手伝え」
「レイエム」
「音を拾えってことだろ」
エルヴァに言われてアレウスとノックスが感知の技能で辺り一帯を探る。そうして突き止めた箇所をほぼ二人同時に指差し、エルヴァがジョージに視線を送り、仕方なくといった具合で男は歩き出し、大量の瓦礫を軽々と持ち上げて除去していく。
「どれほどの徳を積めばそれほど神に愛されるのやら」
「長年の努力の甲斐があるというものです」
その返事にジョージが呆れつつリスティを片手で持ち上げ、エルヴァの元へと投げる。着地後にもたつきはあったもののリスティはアレウスたちに微笑んでみせる。
「私が牢獄に向かった際、ウリルに奇襲を受けました。その後、今の今まで瓦礫の下でしたのでなにが起こっていたのかまるで分からないのですが……水の護符も盗られてしまったようですが」
「ウリルは貴女のロジックを巻物で読み取り、自身に『転写』したのだ。『同一人物』を生み出す過程で行うことだが、王国は重すぎるリスクを軽減して新たな方法を生み出している。他人のロジックを自身に『転写』することで僅かな間、その人物になりすます。クローンではなく、イミテーションと呼んでいたか」
「クローンは完全なる『転写』で、イミテーションは一時的な『転写』ですね?」
「私が調べた限りそうなる。だが、王族が行使してくるのは想定外だった」
「だけどもし本物のリスティさんだったなら……」
僕はあなたを全力で焼き切っていた、とは言えない。アレウスの判断は間違っていた。ノックスが止めてくれたのが幸いだ。
「まず水の護符を用いてワタシたちから信用を勝ち得た。そのこと自体をワタシたちは疑うこともなかった。なにせ事前に聞かされていたからな。“理解ある者”からの餞別。この言葉だけで疑う余地がなくなる」
「俺との会話にも違和感はなかった。『転写』してんだからリスティの知識も一時的に手に入れていたとはいえ、気分が悪いもんだ。にしたって、ウリルが俺たちに一瞬でも手を貸してきたのはどうしてだ? いや、分からなくもねぇが」
砦を崩壊するほどの魔力。それが暴走した『天使』によるものだと知り、事態の収拾に舵を取った。丁度、リスティからロジックを『転写』したばかりで都合良くアレウスたちを利用することで解決させ、極め付けに第一王子の『指揮』が来て、絶好のチャンスが訪れた。
だが、もしも『指揮』が与えられなかったらどうする気だったのか。全幅の信頼があったようにも思えない。それでも、第一王子の『指揮』はあまりにもタイミングが良すぎる。
「……どこかで観測でもされていたのか?」
アレウスの呟きは誰にも聞こえないほど小さなもので、確証のない仮説で意味を持たないまま風の音に流されて消えた。
「最後の最後で、ウリルに上手く立ち回られるところだった……私の考えの甘さもあったから、そこについての反省はどれだけしたって終わらない。だから早くこの場を離れましょう」
「それなら良い物がありますよ」
リスティが胸と下着の隙間に入れていた水の護符を取り出す。
「こちら、“理解ある方”からの最後の餞別です。皆さんが水の衣を纏っているところから見て、ウリルに防護用の護符は使われてしまったようですが、こちらは無事だったようです」
そういえば、リスティのフリをしていたウリルは言っていた。「水の護符はあと一枚ある」と。その護符は見つけ出せなかったが、ロジックに書かれていたことをそのまま口にしていたのだろう。
♭
第一王子は片手を口元に当て、思案する。
「……義弟は失敗したようだな」
「ですが、戦線には大きな影響を与えたようです。エルミュイーダ・カルヒェッテの戦死を確認したと」
「それで?」
「はい?」
「帝国から新王国に寝返った軍人が一人死んだところで、私になんの利益となる? ならんだろう? 敵軍の名のある者を討ち取ったことで士気が上がったところで、この場にいる私には喜びなどない。そんなことよりもクールクース・ワナギルカンの確保して退却できるか。そしてできないのであれば殺すことができるか。それこそが重要だった」
第一王子はある一点を見つめる。
「だろう? ウリル・ワナギルカン?」
傷口を抑えつつも血は流れ続け、息も荒々しいウリルに冷たい眼差しが刺さる。
「お義兄さん……この度は、申し訳ないとしか」
「謝罪は必要ない。ここに貴殿がいる時点で、謝罪は分かっていることだ」
「くっ…………あまりにも、想定外が多く……俺には、どうにも」
「獣人を纏め上げるウリル・ワナギルカンが、そのような弱音を吐くとは思わなかった」
膝を折ったウリルに複数人が駆け寄り、傷口の手当てを開始する。
「やはり後宮の義弟や義妹たちに期待してはならないか……戦場での戦い方ぐらいは学んでいると思ったが、民衆や部隊の頂点に立っているだけで万事上手く行くと考えていそうだ。貴殿のように獣人たちに祭り上げられたにも関わらず、私の入れ知恵なしではクールクース・ワナギルカンの襲撃を予見できなかったのだからな」
「クールクース・ワナギルカンには想像している以上の仲間がいるようで」
「くだらない言い訳を聞く気はない」
そう言ってから第一王子は遠くを見る。
「っ! 狙われています! 御下がりください」
騎士が叫ぶ。
「どうして私が下がらなければならない?」
その発言に騎士は気を取られ動けず、別の騎士が素早く身を挺して第一王子へと飛来する銃弾を受け、地に伏した。
「それで、ウリル。今後の処遇を考えていたのだが」
何事もなかったかのように第一王子は話を続ける。
「貴殿はもう、ここで死んでしまった方が悔いはないだろう」
「な……に、を……!」
「王族に敗戦は求められていない。常勝無敗を続けなければ民草は付いてはこない。どれほどに戒厳令を敷こうとも、民草の耳にいずれはこの失態が届く。そうなると貴殿への風当たりは強まり、もはや王宮に戻ることさえ叶わなくなる。であれば、名誉の戦死の方が都合が良い。民草は悲しみ、新王国を憎み、兵士に志願する者はより一層増える。新王国憎しの感情は、帝国との戦争にも使える」
「そのような話をしている暇はありません! 命を狙われているのであれば、一刻も早くこの場を離れるべきです!」
「先の話を聞いていないのか? 王族の後退は敗北を意味する。常々に王族は前に進み続けなければならない。もしも下がることがあるとすれば、それは勝利による凱旋しかない」
複数の弾丸が第一王子を狙うが、どれもこれも騎士が身を挺してこれを受け、絶命して倒れていく。
「このままでは全滅してしまいます」
「それはない。私が生き残っていれば全滅ではないからだ。兵士の一人や二人、三人や四人……数百数千が死に至ろうとも、私が生きていることが全てだ。ここで散って行った命にどうこう思うこともない。言うなれば彼らは私の肉体の一部。転んで膝を擦りむいても、指先を草花で切ったところで痛くて泣いていた幼少期はとうに過ぎている」
それに、と第一王子は続ける。
「顔を出さん暗殺者では私を殺し切れん。しかし顔を見せれば暗殺は必ず成功させなければならない。無法者であることは間違いないが、顔を見せないのであれば小心者でしかない。そんな小心者に一々、気を張っても仕方がない」
第一王子は治療を受けているウリルに近付く。
「獣人の群れは私たちが責任を持って管理する。反発する者はことごとく殺すが、獣人の影響力が弱まるのであれば多少手間であってもやり遂げる。安心してくれていい」
「それを……聞いて、安心、など……!」
治療を行っている者たちを跳ね除けて、ウリルが第一王子へと迫る。
「俺の一族を、お義兄さんの好きにはさせない!!」
第一王子はウリルの爪を避け、続いてその肩を掴んで動かし、その陰に隠れる。弾丸はウリルの背中に命中し貫くものの、第一王子の体どころか鎧のどこにも傷を付けることなく地面に沈んだ。
「感情で突き動かされてもロクなことがない。死ぬ前に学べたようだな。しかし、どうせなら生きている内に学んでおくべきだっただろう」
事切れそうなウリルに第一王子は呟く。
「しかし参ったものだ。獣人の義弟が戦死したとなると、父上には獣人との子をこさえてもらわなければならないが……既に種無しと医者には告げられている。もう義弟も義妹も増えそうにない」
白目を剥き、呼吸することもなくなったウリルの死体を大層邪魔そうにのけて、第一王子が踵を返す。
「……なにをしている?」
「ウリル王子の死体を運ぶ手はずを、」
「それで? 運んだところでどうなる? 死体に価値や地位を与えるより前に生きている者の価値と地位を上げる努力をすべきだとは思わないか?」
「しかし、それではウリル王子が浮かばれません」
「……どうにも分からない」
呆れた風に言って、第一王子が石を拾って魔力を込め、雑に放り投げる。手から離れてから一直線に光速の如き勢いで空間を突き抜け、自身を狙撃し続けていた者が潜んでいるであろう場所で弾けて爆発する。
「俺のことを覚えているか!? マクシミリアン!!」
「私より先に死ぬ者たちの顔を記憶する意味はない」
「貴様を殺して俺は復讐を果たす!!」
飛び出してきたエレオンが銃口を向けるより先に第一王子の二投目の石がエレオンの眼前に迫り、爆発する。
「何が復讐だ? 何が死んだ者のためにだ? 死んだ者は話さない、喋らない、語らない。それは復讐心ではなく不満感でしかない。ただ自己のために満足感を得るために死者との記憶を刃のように振り回している」
エレオンの姿が消えたことを確かめて、第一王子は吐き捨てる。
「どうだ? これで浮かばれただろう。早く支度をせよ」
「死体がなければ、ウリル王子の死を認めない者も出てくるのでは」
「だから死体を見せるのか? 空の棺桶を用意するだけで彼らは満足する。顔を一目見たいと言うのであれば、『顔の損壊が激しく、見せられるものではない』と言っておけばいい。運ぶ労力に比べれば幾分と楽だろう」
騎士たちは第一王子のあっけらかんとした態度に言葉を失う。
「新王国の戦線を押し戻す。こんな児戯にも等しい押し合い引き合いはウンザリだ。向こうも頃合いを見て撤退する。ならば王国が撤退させたという事実に変える。クールクース・ワナギルカンの処刑について大々的に喧伝するのは後回しにしたのはやはり間違いではなかった。捕らえたことさえ民草は知らないのだから、逃げられたことさえも知られはしない」
第一王子――マクシミリアン・ワナギルカンは馬に乗り、向かう方角を変える。
突如、空から剣が降ってくる。マクシミリアンも、乗っている馬も動じることなくそれを見つめる。
「ほう? 隠居したと聞いていたが、なにゆえ私の足止めをする? そのような『魔剣』の玩具を振り回す齢でもないだろうに」
突き立った剣を引き抜いて、男は切っ先をマクシミリアンに向けた。
「……まぁ、良い。付き合ってやろう。この世に二人といない『勇者』と剣を交える機会なのだから……それとも、貴殿がこの世に残した『勇者の血』を持つ者に引き寄せられたか……? 詮索しても貴殿はなにも語りはしないのだろうが」
馬に乗ったまま馬上鎗を抜き、マクシミリアンは『魔剣』を持つ男――『勇者』へと挑みかかる。




