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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
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エルヴァとクルス


 これまでになく、衝動的な感情で突き動かされている。エルヴァは牢獄まで、なにも考えないように努めていたが、頭の中は未だに整理がついていない。

 復讐したいという気持ちは、クルスに一泡吹かせてやりたいと思う感情とどう違うのか。彼女の裏切りは、ここまで引きずるほどに許されざることだったのか。


 この感情は、ただコケにされたことへの強い憤りではないのか。


 あの頃のエルヴァには今にはない強いプライドがあった。エルヴァという名を手に入れてから、驚くほどに人生が好転した。それは己自身が招き寄せた幸運の賜物だと信じて疑わなかった。その根底を壊されたから、その根底を全否定したいからクルスのやることなすことを全て拒み、どうにかしてクルスを同じ目に遭わせたいと思っているだけではないのか。


 しかし、人と人との絆は信頼によって成り立つ。少なくともアレウリス・ノールードという冒険者は信頼を置く人物を選定している。それぐらい信頼も絆も重要な要素と捉えている。

 エルヴァだって人の子だ。アレウリスという男は常に疑心暗鬼に囚われ、人のやることなすこと全てを疑いの眼差しで、それこそ値踏みしてくる。だが、己はそんな男よりももっと純粋に人へ信頼を抱き、絆を感じ、人を頼ろうと思う。それはクルスに裏切られてからも変わらない。だからリスティとの関係性も維持できていると言える。


 そんな信頼を、絆を壊されたなら、耐えられないのが普通ではないだろうか。それも、クルスはエルヴァを利用したのではなく、『エルヴァージュ』という名前を利用した。つまり、クローンの『エルヴァージュ』ではない『エルヴァージュ』であったなら、誰でもよかった。己でなければならなかったわけではない。


 その誰でもよかった、という部分が、ずっと引っ掛かっている。

 引っ掛かりを起点とした八つ当たり。上手く行かなかった現実をクルスが悪いんだと決めつけた責任転嫁。


 エルヴァの復讐心など紐解いたらそれぐらいに小さなものだ。ただ、その小さなものがエルヴァにとっては無視できなかった。


 どうしてそんなものに拘ったのか。どうして、そこまで粘着質なのか。


 答えは簡単だった。自身が『産まれ直し』として自覚したそのときに、一気に全てに合点が行った。

 つまり、エルヴァージュ・セルストーという人間が人に利用されるのを極端に恨んでしまうのは、この世界に産まれ直す前の前世――死んだ理由にあったのだ。

 自分自身をひたすらに否定され続け、ただの道具として利用され、そして道具が意思を取り戻したがゆえに道具であった頃を恨み、発狂した。その果てで自殺したのがエルヴァの前世である。


 この手は既に血に濡れている。しかしながら、産まれ直す前の自分自身も血に濡れていた。しかも道具としての価値しかないと気付いた上で。

 だからエルヴァは自分が歩んでいる人生に他人の手が掛かっていることを認められず、道具のように利用されていたことも強く恨んだ。『産まれ直し』であるがゆえの、魂に刻まれた壮絶なトラウマが問答無用で拒絶した。無自覚なまま本能的に嫌った。


「今更、感情の揺らぎに苦しんでどうするんだ」

 裏切られ、コケにされ、利用された。その日から殺すと決めた。その決意のために生き続けた。そこを覆せば生き様を否定することになる。自らが歩いてきた道を、自らが砂をかけて笑うのか。

 牢獄に続く階段を静かに降りていき、看守たちが外に出払っていることを確かめてから鉄格子の向こう側を一つ一つ調べていく。死んでいる者、虚空を見つめている者、震え上がっている者――様々ではあるが誰一人として死んではいない。ウリル・マルグは捕虜や囚人を殺すことはしないらしい。その代わり、廃人にしか見えない者が何人か見える。もはや生きている方が幸せなのか、死んだ方がマシなのか。そんな危ない境い目をうろついている者たちに掛ける言葉は見当たらず、目的の人物を見つけるまで沈黙を貫く。


 仄かな蛍光の輝きが見える。魔力の輝きであり、同時にエルヴァがクルスに殺されたときに見た瞳の輝きでもある。


 痩せこけた姿。囚人ではない捕虜でありながら厳重な拘束。汚れ切った衣服、垂れ流されている排泄物。エルヴァが知るクルスとはあまりにもかけ離れた姿に一瞬、脳が困惑する。


 しかし、その中でありながらクルスは鼻歌を唄っている。この絶望的な状況に不釣り合いな、牧歌的ななにか。恐らく王国では子供をあやしたり、子供の間では当たり前の子守歌だ。


「クルス」

 一度、唾を飲み込んでからエルヴァは彼女に声を掛ける。 まさかこんな場所にいるわけがない。そのような表情で彼女が訴えかけてくる。

「エル、」


「だーめ。あなたはクルスを惑わす危険人物」

 視覚外にして気配外から来た真横からの衝撃波を受けてエルヴァが吹き飛ぶ。

「ましてや、あのゲオルギウスのお気に入りだと言うのなら、あなたたちを相容れさせるわけには絶対にできないの」


「アンジェラ!?」

「かわいそうなクルス……こんなところで、こんな屈辱的な苦しみを受けていただなんて……でも大丈夫。この私が、あなたの抱える全ての苦しみから解き放ってあげる」

 エルヴァは立ち上がり、衝撃波を放った女を見る。牢獄という暗闇にありながら、まるで女自身が発光しているかのように光がまたたく。


 間違いない。クルスに裏切られた日に見た女だ。あの日から姿は全く変わっていない。年月を感じさせないのではなく、女そのものに寿命や老化、成長の概念がないようにしか見えない。


「あなたの心を惑わすこの人間を、私の手で殺してあげる。そうすればあなたは宿願に集中することができる」


 開かれる純白の翼。手に握るは純白の剣。白き衣を纏い、白い肌に薄く透き通る金髪。頭には花冠(かかん)を被る。


「天使……」

「よく言われているでしょう? クールクース・ワナギルカンには天使が憑いている、って」

 床に触れているのか触れていないのか判然としない足取りで、ただ一度の踏み込みでエルヴァの間際に迫り、白き刃が奔る。

「お前がクルスを誑かしたのか?!」

「ああ、そういう勘違いをしてしまうんだ。人間はいつもそうやって物を考えない。だから嫌い。でも、クルスのことは好き。好きだから生かしてあげるし、嫌いだから殺す。さようなら、エルヴァージュ・セルストー」

 白刃がエルヴァの心臓を刺し貫く――瞬間にアンジェラは動きを止め、物凄い剣幕を向けたまま後退する。

「クールクース・ワナギルカンにとっての宿願が打倒王国であるのなら、俺の宿願はお前を殺すことだ」

 エルヴァの影から岩の狼が現れる。

「しかし、随分と物騒な言葉が飛び交うものだな。天使が使っていい言葉とはとてもではないが思えない」

 天使は岩の狼に歯ぎしりを起こしながら、全身をわなわなと震わせて、怒りにも似た感情を抱えて突っ込んでくる。岩の狼は白刃を自身の体で受け止め、砕け散るもすぐさま別の岩の狼がエルヴァの影ではなく牢獄の暗闇から現れて、天使の背後に飛び掛かる。

「小細工しか能がないの?」

「そういうお前は随分と力尽(ちからず)くだな」

 複数匹の岩の狼が天使を取り囲み、全てが同じタイミングで襲いかかる。それを天使は翼を広げて生じさせた光の膜で防ぎ、弾き飛ばすと次に翼に蓄えた魔力が光線となって全ての岩の狼を貫き破壊する。

「ねぇ、出てきてよ? こんなことをしたって私を止められない。まぁ、姿を現したところであなたに私を止められるわけないんだけど」

 天使は気楽に、鼻歌を唄う。王国で聞く子守歌――クルスの鼻歌をそのまま真似したものだ。

「戦うのをやめて! 少なくともここでエルヴァが私を殺すことはないから!」

「そんなことをどうして言い切れるの? 人間は嘘ばかりをつくんだから、あなただって騙されてしまうかもしれない。でもだいじょーぶ。この私が、あなたに降りかかる災厄の全てを振り払ってあげる。そう、今このときだって私があなたを守ってあげる」

「アンジェラ!!」


「安心して? あなたは見ているだけでいいの。そこで私が戦っているところを見届けて、全てを始末したあとに私がその牢獄の扉を開けて、私のこの手を取ってくれるだけでいい。たったそれだけでいいの。それだけで構わない。それだけで私は、あなたと共に生きられる」

「人間の言葉を聞こうとしないのは相変わらずか。そうやって思考力を奪い、信仰心だけの化け物に仕上げるつもりだろう?」

「そんな化け物だなんて。酷いわ、クルスのことをそんな風に言うなんて」

 天使だかなんだか知らないが、言い回しのどれもが鼻につく。いや、この手の輩をエルヴァはよく知っている。

 話して分かる相手じゃない。力で黙らせなければいつまでも舌が回る。

「けれど宿願と言えば、私にもあるの。地上に堕ちた天使を始末すること。堕ちて悪魔にもならず、罪を償って天使にも戻ろうともしない中途半端で天の御使いの名を穢すから」

 翼に蓄えられた光線が辺り一帯に雑に放たれて、射抜かれた囚人や捕虜が悲鳴を上げながら息絶えていく。

「もう彼らには生きる未来がない。だから私が終わらせてあげる。だって私は、神がもたらした天の御使いなのだから」


 この牢獄という場において、あの光線は厄介が過ぎる。広い場所であれば避けることは容易いが、ここには逃げ場所があまりにも少ない。光線の収束先を絞られてしまえばいくらエルヴァといえど射抜かれてしまう。

「お前――貴様がそれを口にするというのなら、俺にとっての宿願もまた貴様を葬り去ることだ。神の言葉しか受け止めようとせず、人間ばかりに罪を被せて、お空の上で『うふふ、あはは』と暢気に笑ってお茶会を開き、景気の良さそうなラッパを吹いている。俺には耐えられなかったよ、そんな、天の御使いであるから全ての罪から逃れられるような貴様たちと同じ生き方なんて」

「……出てきなさい、ゲオルギウス。神に抗った天の御使いよ」

「言われなくとも出てきてやるさ。ここまで全部をエルヴァに任せてきたのは、このときが来ると思っていたからだ」

「人を愛しすぎて堕天使になったと言われているのに、結局はあなたも人間を利用しているじゃない」

「そうかもしれない。だが、罪から目を背け続けている貴様たちに比べたら幾分かマシだろう?」

 牢獄の床から――深き暗闇の中から手を掛けて、ズルズルと男が這い出してくる。地の底からやってきたかのように衣服は薄汚れており、体は土にまみれている。翼はほとんどが溶け、朽ちていて広げたところで羽根が舞い散ることもなく、ネバついた粘着性のある羽毛がポロポロと落ちるだけだ。


 エルヴァの知るジョージ――ゲオルギウスとは顔以外のどこにも面影はない。しかしながら、感じ取る気配の全てが彼がジョージであることを伝えてくる。


「無様な姿に成り果てて……まさか、その汚らしい格好を見せるのが恥ずかしくてずっと隠れていのたかしら」

「言っていろ。白以外の色を好まない天使が」


 二人は純白の剣と純黒の剣を携えて、真っ向から激突する。二人の白刃と黒刃は絡み合い、飛刃となって辺りを飛び交い、牢獄のありとあらゆる場所を激しく切り刻み損壊させていく。


「くだらない」

 その二人のやり取りをエルヴァは一言で跳ね除ける。


 どうだっていいのだ、そんなことは。エルヴァに憑いていた者がなんだろうと、クルスに憑いていた者がなんであろうと、関係ない。全てエルヴァにとっては不必要な情報だ。

 いがみ合うならいがみ合ってくれていい。争い合うなら好き勝手に争ってくれ。

「俺とクルスの問題に、余所者が口を出すな!」

 これはエルヴァとクルスの問題だ。そこに天使と堕天使が混ざろうと、根幹が崩されたわけではない。二人が代理戦争よろしく剣と剣を交えようとも、そんなものは二人の身勝手な決め付けだ。


 なにがどうなろうとも、これはエルヴァの感情とクルスの感情の問題だ。


「誰もそこに踏み入れさせたりするものか」

 エルヴァはただただクルスの牢獄へと駆け出す。

「私以外の他の誰にも、クルスは渡さない!」

 ゲオルギウスを跳ね除けてエルヴァの前にアンジェラが立つ。剣の切っ先を向け、進めば容赦なく突き刺す素振りを見せている。


 しかし、エルヴァはそんな彼女を無視する。


「待ちなさい!」

 無視をする。無視し続ける。


 エルヴァがクルスに会う。ただそれだけだ。それだけのことで、許可などいらない。ましてやこの場、この時において許可を取る必要性はない。誰がなんと言おうとクルスとは殺し合いをする。しかしながら、この瞬間に切り伏せるほどの度量はない。


 いや、度量ではない。


 話し合わなければならない。話し合って、互いに互いの胸の内を吐露して、その果てで刃を交える。ただひたすらに殺すことだけを考え続けて生きてきたエルヴァにとって、その選択は胸の内がグツグツと煮えたぎるほどの屈辱に近しいが、それ以上に感情への結論が必要だ。

「止まれ、止まれと言っている。止まりなさい! この私の声が聞こえないと言うの?!」

 知らない、聞こえない、止まれない。

 なにを言われてもエルヴァは止まらない。剣を向けている天使もまた動かない。その横を通り過ぎても天使はエルヴァに剣を振るうことができず、立っているだけだ。

「最高の皮肉だな。そうだ、俺たちは究極の自我(エゴ)に囚われたエゴイスト。天使も堕天使も、神様ですら、無視されれば存在意義を失う。注目されて認知され、認識されなければ存在しないことと等しき偶像の賜物。ゆえに偶像は、無視する者への介入権を持たない」

 なにか言っているがエルヴァは一切合切を無視する。考えれば考えるほどバカバカしい。結局、ゲオルギウスもエルヴァを利用していただけに過ぎないではないか。

 そうはいっても、ゲオルギウスを利用していたのはエルヴァも同じだ。そこの点はクルスと違う。互いに利益があるという理由で結んだ関係だ。今更そこをどうこう言うつもりもない。現にゲオルギウスから貸し与えられた力は、ここぞというときにいつもエルヴァの手助けとなった。

「クルス……クールクース・マルハウルド」

 エルヴァは牢屋の扉の鍵を剣で破壊し、扉を開ける。

「お前と真っ当な話がしたい。殺すか殺さないかではなく、人間として当たり前の話し合いを俺は望む」

「どうして……どうしてあなたは、私の前にいるの…………あなたが私を助ける道理なんて、どこにもないじゃない」

「お前を見捨てる道理も俺にはない」

 リスティに投げ付けられた水の護符は一枚ではなく二枚。残っていた一枚をクルスに投げる。彼女を満たしていたありとあらゆる穢れが水の魔力によって洗い流される。

「まずはここを出るんだ。そして、あの時に語ってはくれなかった全てを明かせ」

 手を差し伸べる。

 どうせこの血に濡れた手を掴むわけがない。この手はきっと払われる。だが、それでも手を差し伸べた気持ちに嘘はない。これは自己満足であってクルスに求めているものではない。

「……あなたが私を殺そうとする未来に変化はないのかもしれないけれど」

 払われると思った手を、クルスが握ってくる。

「私が行った裏切りの真実を、あなたは……そしてリスティは、知る権利があると思うから」


「ああ、駄目よ。駄目、駄目よ」

 後ろで天使が片手で顔を覆うようにして錯乱している。

「あなたの手は私が握るの。私が握らなきゃならない手を、邪な人間なんかに握らせないで……!!」

「お願い、アンジェラ。あの日に私を救ってくれたように今回も、」

「ゲオルギウスが憑いた人間に助けなんて求めて……あぁ、穢される。私のクルスが、穢れてしまう……!」

「アンジェラ!!」

 クルスの願いも虚しく、アンジェラは純白の翼を広げ切って、溜め込んだ魔力を光線として――それもこれまでとは圧倒的なまでの魔力量で辺り一帯へと一気に放つ。

 牢獄の天井、壁、床、柱、その他全てを構成する部分は光線に貫かれると破裂し、もはや牢獄だけに留まらず砦全体にまで影響を及ぼす。この震動はここだけで起こっているわけではなく、砦全体で起こっている。

「私のクルスは渡さない!!」


「手を貸せ、ゲオルギウス!!」

「いつだって俺は手を貸しているつもりだ」


 砦ごと牢獄が二人の人間と二体の天使を巻き込んで、天井から崩れ落ちていく。

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