ウリル・マルグ
「俺たちがやることは砦を落とすことじゃない。王女の奪還だ」
エルヴァは言いながら廊下に現れた兵士を擦れ違いざまに剣で切り捨て、もう一人の足を蹴り飛ばして転ばせ、リスティが喉に鎗を突き刺し、引き抜く。
「混乱している中で真っ直ぐに突き進む。全員を相手にするな。進路で邪魔をする奴らだけを排除ししろ。向かってこない奴なんて放っておいたってどうとでもなる」
「この混乱で冷静に戦わない選択肢を取る者はそもそも姿を見せませんから」
急襲、奇襲に対して柔軟に対応できる者を排除する。怖気づいて見ることしかできない者は兵士としての責務を放棄している。その時点で精神的に優位であり、たとえあとで立ち塞がろうとも障害になり得ない。そう言いたいのだろうが二人はとにかく全力疾走を続けていて、アレウスとノックスはひたすら付いて行くことしかできない。
なにかサポートできないものかと考えている内に二人が兵士を処理している。「敵襲!」と叫ばれても動じず、驚かず、ただひたすらに突き進むことだけを考えて排除するべき兵士を限定し、ほとんど走りながら殺している。
エルヴァはともかくリスティがここまで躊躇わず人を殺せることにアレウスは引くものがあったのだが、友人のためになりふり構わず全力を注いでいるのなら理解するべきだ。自身が同じ立場だったならと考えれば、その思考への共感は難しくない。
アベリアが捕まっていて、アレウスは今まさに彼女の奪還のために突き進んでいる。そう想定してみると、確かになりふり構わず、人を殺すか殺さないかの躊躇いなど放棄して、考えるより先に行動で殺しに行くだろう。結局のところ、繋がりが深い人を助けることなど理屈ではない。深ければ深いほど、背負う罪が重くなろうとも全てを捧ぐ。理屈ではなく、時には感情論が勝るときもある。
「あと少しです! この先を曲がって直進した先に、」
「なにがあるって言うんだ?」
背筋が凍るほどの殺気を感じてリスティが身構えるも、殺気の持ち主は彼女が曲がった先の廊下にいたのではなく、天井から降ってくる。エルヴァがリスティを突き飛ばし、降ってきた男の両爪を剣で受け止めて弾く。
「いやはや、ギリギリまで殺気は消していたつもりだったんだが……まさか『首刈り』を阻止されてしまうとは思わなかった」
言葉を吐く男に構わずエルヴァは剣戟を放ち続け、爪で凌いでいた男に背後にリスティが迫る。右手でエルヴァの剣戟を、左手でリスティの剣戟を防ぎ、口を大きく開いて放った声が二人だけでなくアレウスとノックスも弾き飛ばす。
声量ではなく音圧。声が持ち得る圧力を男は操ったのだ。
立て直したリスティの頭上を飛び越えて、廊下の先にある四角形の広間の中心に男は立つ。特別な広間ではなく、砦内に設けられた多目的用の空間でしかなく、さほどの広さもない。四方には鎧が飾られ、様々な武器が装飾として飾られている。王国国旗の壁掛けもあり、一見すれば豪勢だ。
それでもここは砦であって城ではない。このような広間には私的な意味合い以外の存在理由はない。
「ここを通り抜ければ、牢獄へ続く廊下に出る。そこまでは一直線ではないものの、部屋を隈なく調べていけばいずれは見つけられる。だが、通り抜けることができたらの話だ」
着地のしなやかさは獣人に似ていた。爪を使うのも獣人に近い。だが、その立ち居振る舞いはヒューマンの気風を放っている。
「侵入ぐらいは想定していたさ。だからこの砦にしたんだ、分かるだろ?」
「この砦は必ずこの広間を通らなければ牢獄に行けない造りになっている」
「調べ尽くしているとはさすがだな。徹底した情報収集はいつからやっていたんだ? なぁ、エルヴァージュ・セルストー?」
「答えたくねぇな。答えても旨味がねぇし」
「ははははははっ、なら旨味があったなら答えてくれるのか? お前を王国の――お義兄さん直属の騎士団に所属できるよう掛け合ってやろう。なんなら騎士団長になれるように俺から取り計らってもいい。俺が王位継承権を破棄すると宣言すれば、見返りぐらいは用意してくれるだろうよ」
「王位継承権第一位直属の騎士団か」
「収入は想像できないほどのもんになるぞ。なんなら生活も、なにもかもが変わる。お前を見る目も全て変わる。どうだ? 俺の方に来ないか?」
「それが最終的に俺になんの得がある?」
「信じられないほどの名誉と、信じられないほど莫大な富がお前を待っている」
思考を全て放り出せば、規格外の勧誘に乗りたくなる。いや、殺し合いを避けられるのならここは嘘でも首を縦に振った方がいい。
「だから、それが俺になんの得があるんだと聞いている」
苛立ちを表すようにエルヴァは床を靴でコツコツコツと叩く。
「なんだ? まだ足りないか? それなら、」
「お前側に付けばクールクース・ワナギルカンは処刑されずに済むのか?」
「それはどうしようもないことだな。あの女は王国のためにも処刑しなければならない。だが、別にお前はそこに拘りはないだろう? 元王国の騎士候補生にして元帝国の軍人。そのときそのときの場合によって居場所を変える。傭兵みたいな生き方をしているのがお前だ。反乱軍側にいるのだって、傭兵として求められたから。そうだろう?」
エルヴァは小さな舌打ちをする。
「そうか、仕方がない。そんなにあの女が欲しいなら処刑する前なら犯しても、」
「お前が! 言葉で! クルスを! 穢すな!!」
捨て身の特攻は男にとっては予想外で、その剣戟はあまりにも速く、回避こそしたが男の首に切り傷が作られる。
「王国に処刑はさせねぇよ」
「そうか、既に反乱軍に洗脳済み、」
「俺があの女を殺すんだよ!!」
「はぁっ?!」
声が引っ繰り返るほどの驚きを見せながら男はエルヴァの剣戟から逃れ切り、落ち着き払うためか大きな呼吸を数回繰り返した。
「クールクース・ワナギルカンを殺すためにクールクース・ワナギルカンを救い出そうとしているというのか!?」
「そうだ。それのどこに驚く要素がある?」
驚きしかないだろ。アレウスは心の中でそう呟いた。
自分自身で殺すために他の誰かの手で殺される前に救い出そうとしているエルヴァの思考など誰も読み解けない。
「この理不尽な世の中で沢山、意味不明な理由で人間を助けたり殺したりする奴らを見てきたが、さすがの俺もワケが分からなすぎて震えるぜ」
男はエルヴァの猛攻を凌ぎ切り、再び大声で音圧を放つ。今度は踏ん張って吹き飛ばされはしなかったが、その留まりが男にとっては好機である。爪をエルヴァは紙一重でかわすも、そこから続く連撃に挟まれた蹴りを受けて後退する。
「使える人材は殺さず登用する主義だったんだが、お前みたいな輩は勧誘できたってなにをやらかすか不安で仕方がない。勿体ないが、ここで骸になってもらうぜ?」
両の手を合わせてパンッと叩いた。
「応援を呼んだか?」
「多勢に無勢では俺も死に瀕する。悪いが、多勢に無勢にはやはり多勢に無勢が正しい対応だと思うわけさ」
男の背後――牢獄に続く廊下から次から次へと獣人が現れる。
「私兵を前線に出払わせる馬鹿はいない。そして私兵の数を少数精鋭にする馬鹿もいない」
獣人たちは爪を伸ばし、戦闘態勢に移る。
「ウリル・マルグだ。間違いない」
ノックスが男の正体を看破する。
「キングス・ファングが娘、ノクターン・ファングだ。ウリル・マルグ! ここで争い合いたくはない。お前とは群れ同士で決着をつけたい」
「ノクターン・ファングだと?」
獣人と男が一斉にノックスを見る。
「……いつぞやに見た幼子が見事に成長したもんだ。そして敵地で本名を名乗るとはな。その正直さに免じて、他の誰にもその名を持った者が砦を駆け回ったことなど告げずにおいてやる。でもな、キングス・ファングの娘? お前は俺を軽んじすぎた。簡単に言ってしまえば、キングス・ファングは俺の容姿を知っているが、娘であるお前ともう一人の娘は俺の容姿を知らない」
男だけに限らず、その場にいる全ての獣人が不敵な笑みを浮かべる。
「キングス・ファングの旦那は目の上のタンコブでね。あまりにも強すぎて、対立こそしていたが攻めたってこちらが崩壊するのは一目瞭然。争わずに静観し、攻めてくるようなら退かせる。そんな算段だったんだが、旦那は俺の腰が引けていることすらお見通しだったようで、歯牙にもかけやしなかった。おかげさまで、こちらはお前たちの群れを観察することができて、お前たちは俺の群れを観察することは叶わなかったわけだが」
「回りくどい言い方をするな。つまり、なにが言いたい?」
ノックスが答えを求める。
「俺がウリル・マルグじゃないと言ったらどうする?」「俺が本当のウリル・マルグだと言ったらどうする?」「いいや、俺こそが本当のウリル・マルグだ」「騙されるな。私こそがウリル・マルグである」「どいつもこいつも、我が名を愚弄するな。我こそがウリル・マルグだ」
「これは……クローン?」
「笑わせるな」
リスティが動じる中でエルヴァは冷ややかな視線を向ける。
「こんなもんが『同一人物』と呼ばれる人造兵器であってたまるかよ。ウリル・マルグは王国側の獣人の長だが、『マルグ』は獣人としての名であって、王子としての名はウリル・ワナギルカン。王子のロジックを他者に転写したなんて知れたら極刑ものだ。だからこれは『同一人物』と思わせて俺たちの手と足を止めさせ、動揺を誘う戦術。いわゆる影武者だ」
「なんともまぁ見透かすのが上手い。だがな、クローンってのは王子にこそあるべきだと思わないか? 俺こそ本物のウリル・マルグだと思っているが、ひょっとしたらそれはロジックを転写されたことでウリル・マルグと思い込んでいるクローンかもしれない。言ってみれば、ウリルという王子のデコイ――ウリル・デコイじゃないという確証は実のところ俺にだってないんだ」
狭い場所に複数人の獣人が今か今かと身構えている。
「だが、たとえデコイであったとしても俺たちはウリル・マルグのロジックを転写されている。ここには獣人を束ねる王が――ウリル・マルグが複数人いると思ってくれていい」
目の色が研ぎ澄まされたように黒く染まり、纏っている気配により一層の殺意が孕む。
「どいつもこいつも揃って『本性化』したぞ」
呆れたようにノックスは言う。
「ウリル・マルグを名乗っているんだ。その思考が同一なら、力を解放するタイミングも同一ってことだ」
「だが、父上の『本性化』に比べれば……矮小だな。ワタシにすら及ばない」
こんな全方位で袋叩きにされそうな場面でどうしてそう冷静に分析している二人を見て、焦りを感じていたアレウスも小さな呼吸で落ち着きを取り戻す。
後退はない。リスティはともかくエルヴァは前進しか頭にない。ならば無理やりにでも道をこじ開けて、彼を牢獄まで走らせるのが得策だ。そうすることでエルヴァと王女の間にある問題が解決する可能性だってある。
「リスティ、面倒臭いがアリスを通せ」
「いや、あんたが行くべきだろ」
「俺じゃ牢獄に着いた瞬間に殺してしまうかもしれねぇ」
見苦しい言い訳にアレウスは呆れてしまう。
さっきまでの勢いを削がれた分、エルヴァは頭が冷えてしまった。ひたすらに駆け抜けることができたなら、こんな風に冷えることなく王女の前まで辿り着き、溜まっていた多くの言葉を浴びせながら救い出せていただろう。
だが、立ち止まってしまったがゆえに頭が考えてしまった。最初に投げかける言葉をどうするか、救い出したあとどのような話をするのか。そして復讐心をどのようにして晴らすのか。
今更になって、恋心の臆病風に吹かれた。恋愛経験が乏しいアレウスでも分かるほどのヘタレ具合にリスティもノックスも深く溜め息をついた。
「あなたが行かなくてどうするの!!」
鎗の柄を使ってエルヴァの背中をリスティは叩く。
「ビビッてないで動き続けなさい! その衝動は止める必要はないんだから!!」
「通すものか」「通させん」「通してはならん」
ウリルたちが一斉に襲いかかる。
「他人の恋路なんざワタシはこれっぽっちも興味がねぇんだが」
飛び掛かったウリルたちはまとめてノックスの放った頭上からの重圧によって床に叩き付けられる。
「高圧的な態度を取ってくる男がウジウジしているところを見続けるのはとても気色が悪いんで、さっさとその気色の悪さを拭ってきてもらいたい」
「『不退の月輪』がキングス・ファングではなくその姫君たちの手に渡ったというのは事実だったか」
「元よりワタシたちのものだ。ワタシたちが抱えている『呪い』だ」
「親か子かなんて実はどうでも良いんだ。ただ、それが事実だったという証拠が見えたことで俺もそれを考慮した上で立ち回れる」
複数のウリルは全員が床に這いつくばっているが、最初にリスティへ『首刈り』を仕掛けた男――ただ一人のウリルは重力の範囲外に立っている。
やはり、あれは本物なのではないか。他のウリルよりも殺意の質が高い。ロジックを転写されずにウリル・マルグを完全に模倣したデコイたちの中でも突出して能力の高さを感じる。
しかし、もしそうなのだとしても、わざわざ本物がアレウスたちの前に立ちはだかるのかまでは理解ができない。
ウリル・マルグは王国の王子でもあるとエルヴァは言っていた。王子が――王国にとっての旗印が侵入者を排除するために直々に目の前に現れるのは考えにくい。そう容易く命を放り出していい御身ではないはずだ。侵入者が現れたのなら更に砦の奥深くに籠もり、兵士たちに任せる。もしも窮地に陥るようなら砦を捨てて逃げ出すことさえあってもおかしくない。
「どうにも、こんなことで頭を使わされることが多いな」
本物か偽物か。そんな戦いはこれで何度目だろうか。それぐらい世の中は嘘の情報で溢れ返っているとも思うが、局所的な事象を世界的に起こっていることと認識すると常に疑心暗鬼に囚われ続けてしまうためよくない。
「僕が今、考えるべきことは……」
エルヴァに無理やりここを突破させることだ。それ以外の情報は遮断して、目的の達成に従事することを決める。
這いつくばっていたウリルたちが次々と起き上がり始める。
「セレナが傍にいないとこうも維持が難しいか」
「行け、エルヴァ!」
アレウスに言われてエルヴァが走り出す。その初動を抑えようと一人が襲い掛かってくるが、アレウスが素早く介入して押し飛ばす。
「行かせるものか」
広間の奥――廊下から騎士の鎧を纏い、馬上鎗を携えた女が突撃してくる。エルヴァは跳躍して女の後ろに着地するが、すぐには走り出さずに自身へと翻った女の顔を確認する。
「ここに出たところであんたが得る誇りなんてねぇもんだと思っていたんだがな……マーガレット!」
「ほう? 私の名を覚えていたか」
「あんたが言っていただろうが。初めての女は特別な女になると」
「忘れていないなら、あの一夜には意味があったということだ」
「だが、こんなつまんねぇところに出てくる人だとは思わなかったよ」
エルヴァは女騎士の鎗撃を振り払うようにして廊下を駆け抜けていく。
「この私から逃げ切れると思うな。お前たちを鍛え上げたのはこの私なのだからな」
女騎士は馬上鎗の重さすら感じさせないままエルヴァを追い掛けようとするが、そこをリスティが背後から鋭く完成された刺突の一撃で阻む。防ぎこそしたが、女騎士の足を完全に止めた。これで彼を追うことはできない。
「人生、なにがあるか分かりませんね……マーガレット様」
「ゆえに生きることを楽しむべきだ」
「クルスを裏切ったあなたが言うべき台詞ではありません」
「クールクースを最も裏切っているお前たちがそれを言うのか」
二人が会話を交わしている間に複数のウリルが床を激しく一斉に叩く。
「崩れる?!」
床の石材が割れて砕けて、目地を埋めていた端材や接着剤が剥げ落ちて、広間が崩落する。
「さぁ、俺がこの砦に施した最高の闘技場で死ぬまで戦い続けよう」
崩落の最中、ノックスがリスティを抱え、アレウスは壁を蹴って降りていく。ウリルたちも例に漏れず壁を蹴って降りる――だけに留まらずアレウスへと飛び掛かってくる。タイミングをズラし、かわす。この状況で戦いたくはない。どんな攻撃をされるか分からない上に崩落した石材が頭上に落ちてきてはたまったものではない。
見えてきた床に着地し、周囲をウリルが取り囲まれる。女騎士はその輪の外でリスティと見合っている。ノックスはどちらに行くか迷っているようだったがリスティが「アリスさんをお願いします」と言ったため、ウリルの輪を崩すために飛び掛かるが、巧みな足運びで瞬く間に輪の中へと入れられてしまった。
「焦っちまった……」
「これだけの数がいたら一人を囲い直すのなんて難しくないからな。君は悪くないよ」
「そう……だな。なんとか名誉挽回できるよう努力する」
「責めてない」
「お前が言いそうなことを言っただけだ」
そう言えるのなら「焦った」という発言を言葉通りに受け取らなくてもよさそうだ。
「さっさと突破して、リスティさんを援護する」
「囲まれてそう言えんのが相変わらずだな」




