中継
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「エルヴァと王女様は互いに理想を求めすぎた」
「理想?」
「将来の理想とかそんなのじゃない。互いに『してほしかった』が行き来している。エルヴァからしてみれば『打ち明けてほしかった』だろうし、王女様は『察してほしかった』。それでいて『引き入れてほしかった』し『手を貸したいと言ってほしかった』。あいつらはどこまでも相手に求めているだけで自分からは動かない。コミュニケーションが下手くそなんじゃない。ただ、どっちも受動的な一面が噛み合ってしまった。だから奇妙な行き違いによって感情の迷路から出られなくなってしまっている」
ジョージは馬の手綱をしっかりと掴み、馬車の揺れを最小限に抑えながら語る。
「……もう少しで国境なのに大声で王女様だとかなんとか言っていいのか?」
別にエルヴァと王女の話に興味はない。アレウスが気に掛けるのはリスティの安否である。彼女を連れ戻すことができるなら、その二人のことは実のところどうでもいい。勝手に二人で争ってくれていればいい。
王女はともかく、エルヴァの並々ならぬ復讐心は感じ取ってきたつもりだ。だからこそエルヴァは同じ復讐の志を持つ者として、干渉すべきではないと思うのだ。
「この辺りは国境ではあるが、俺のよく知る場所でもある。『逃がし屋』と言われていた分、色々と根回しが利くんでな」
馬車を用意できる時点でそんなことは言われずとも分かる。自称しているだけで、ホラ吹きだと思っていたらそもそも自力で王国に侵入する。信用とは程遠いのだが、一定の部分で頼りにしている面はある。
「さっきまでと違ってテキトーに馬を走らせても、見過ごしてくれる……が、密入国はバレると問題になるんでな。正式な入国手続きを踏ませてもらう」
国境検問所が見えてくる。しかし、検問所などわざわざ通る必要はない。アレウスが連合から帝国へと逃げ延びることができたように、国境警備で違法な出入国を制限することはできても、完全に阻むことは不可能だ。国境線が長ければ長いほど不可能性は高くなる。
とはいえ、今は戦争をしている最中だ。国を守らずに逃げ出そうとする輩を取り締まるために、一部の検問所は厳しい監視の目が付いているだろう。ただ、ジョージが通ろうとしている検問所は明らかに人員が足りていない。数えるだけでも数人、気配で感知してもやはり片手で数えられる程度しかいない。
「本当に正式なものか?」
「要は向こう側からの許可が得られれば、どうとでもなる」
ジョージはアレウスとノックスに身分証明書を投げて寄越す。そこには偽名が載っており、心の中で「どこが正式な入国手続きだ」とアレウスは呟いた。
あの検問所は正式なものではない。本来、この場所には検問所などないに違いない。だが『逃がし屋』の根回しによって王国側の協力者の手によって今日この日、この時限りの検問所として開かれているだけだ。それもアレウスたちを乗せたジョージの馬車が通るためだけの。恐らく手続きが済めば夜になるまでの間にこの検問所は跡形もなく消えている。
ジョージは馬車を止め、検問所の人物と会話を交わす。内容は聞き取れないが、今後の段取りについての連絡に違いない。一応ながら検問の形を示すためなのか、何人かが幌をめくってアレウスとノックスを一瞥し、身分証明書の提示を求めてくる。ジョージが投げて寄越したそれを見せるとこれといった質問をされることもなく――というよりも検問官の二人が独り言のように質問を口にし、こちらが返答する前に次の質問を投げかけて書類にペンを走らせている。アレウスたちがどう答えようとも書類に記す内容は最初から決められているのだ。そして、一切怪しまれることなく幌は閉じられ、検問官の書類がジョージと話していた人物に渡る。それでもやはり騒ぎが起こることはなく、「王国へようこそ」と棒読みにも等しいことを言って敬礼をして馬車の出発を見送った。
「偽造の身分証明書を使えば密入国と一緒だ」
「バレねぇよ。バレたところで痛くも痒くもない。バレない限りは偽造だろうとなんだろうと、正式なんだよ。まぁ、普通はまずその偽造の部分から許されねぇからどうしようもないんだが」
呆れるアレウスにジョージは軽い返事をする。ノックスはどう思っているのかと視線を向けるが、彼女は慣れない馬車に乗っているせいで気分が悪いらしい。獣や獣人の背中に乗るのは問題なく、船にすら乗ったノックスが馬車ごときで酔うとはさすがにアレウスも思わなかった。いや、普段と違う場所に来たせいで神経が張り詰め、それが酔いに繋がったのかもしれない。ヒューマンでも起こるが、動物は特に環境の変化で強いストレスを覚える。場合によっては食欲の減退や運動量の低下に繋がる。彼女はやはり獣人気質な一面があるのだ。
「無理をするなよ」
気を遣ってみると、ノックスは精一杯の作り笑いで誤魔化してくるが気丈に振る舞う場面ではない。
「無理はしてもらわなきゃ困る。でなきゃ連れてきた意味がない」
ジョージは軽い口調を崩さない。気楽さや楽観的な軽さではない。達観や諦観からきている。この男はアレウスとノックスに期待などしていない。ただエルヴァやリスティに言われたから王国に連れて行こうとしているだけだ。
「さて、ここからは王国は王国でも新王国。領土的には王国だが、新王国が実効支配している。だから俺のような『逃がし屋』が上手い具合に通行できるわけだが」
「新王国にはお前の協力者が多いんだな」
「逃がしてきた連中は数え切れないが、こんな危ないことを平気でやる連中は数少ない。協力者でもなんでもねぇよ。新王国は俺を通す利益をよく分かっている」
新王国側がこの男の有益性を理解しているのだろう。今のところアレウスにはこの男がそれほどの存在とは思えない。もし戦闘が起こっても、アレウスたちだけを残して遁走を決め込みそうなほどにこの男からは意欲が感じられない。
戦いたくないのではなく、戦うことが無意味だと分かっているから関わらない。リスティが師事を受けていた相手で、更にはアレウスもちょっとしたやり取りで赤子の手を捻るように身動きを取れなくされたので、この男自身の戦闘能力が乏しいわけではないはずなのだが、どういうわけかそれを誇示しない。合わせて彫刻で遠回しに戦争の惨禍を語る。
芸術家にして彫刻家、そして『逃がし屋』。更にはエルヴァとは恐らく――
「ひゃぁ、あのときに射殺しておけばって思わずに済みそうだぜ」
この飄々とした口振り。そして『射殺』という言葉がもたらす記憶が殺気を放てと命じてくる。
「おいおい、こっちは殺す気はないのに殺す気配を出さないでくれよ。あのときは撃ち殺す相手だったが、今のお前さんは姫さんを救う同士のはずだぜ?」
幌をめくって中を覗いてきた男はアレウスの殺気に対して全く物怖じしない。
整った顔立ちに似合わない無精ヒゲ、透き通るような金髪から漂う獣臭さ。気遣いのない体臭を放っているが、これまでの経験から男は『エルフ』であることが窺える。
ただし、エルフの特徴とされる長い耳は両側ともにヒューマンと等しいところまで削ぎ落とされている。更には口振りもそうだが、体臭に気を遣わない点においてもなにからなにまでエルフらしからない。
エレオン・ノット。エルヴァが話をしたのは一度切りで、王国の死刑囚だと言っていた。連合と帝国の国境でエルヴァ共々にアレウスを撃ち殺そうとした男がこのような見てくれであるとは思わなかった。
「そいつ、ワタシと同類だ。『呪い』を背負って生きている」
「お? 嬢ちゃんは見たところ獣人か。そいつはそいつは…………ありがたい話だねぇ」
「エルフのクセに獣人の真似事か?」
「おいおい威嚇しないでくれよ。俺は自分がエルフであることに恥じているんだ。挑発合戦は嫌いだぜ?」
含みをあるように言いはしたがエレオンはノックスの挑発に乗らないどころか、放棄する。
「エレオン・ノットだ。王国の死刑囚……とまぁ、言ってみたもののこんなことはお前さんはエルヴァージュから聞いているか」
幌から出るようにエレオンに促されるが、アレウスはノックスと協力していつでも襲撃に備えられるように注意を払いつつ馬車から降りた。
「ビビるほどに徹底しているな。でも、だからってそんな殺気を俺たちにずっと向けられちゃ困るんでね。次の馬車に乗るまでの間に取り払ってもらいたいねぇ」
「一度殺してこようとした相手にどうして気を許さなきゃならない?」
「殺す殺されの世の中で、一度切りなのは運が良い方だろうに。あのときはああするしかなかった。姫さんは捕らえられているエルヴァージュを足掛かりに連合の領土を攻める準備をしていたんでな、どうしても収容施設に戻ってもらいたかった。まぁ、結果的には俺が失敗して、その足掛かりを失った姫さんは足踏みをせざるを得なくなり、今じゃ王国に捕まっちまっているときたもんだ」
「王女が捕まったのは本当だったのか」
「本当じゃなきゃ、そこの『逃がし屋』の手なんざ借りないさ。エルヴァージュとリスティーナだけで十分だ」
エレオンの手元に『銃』がないことを確認し、アレウスはノックスに目配せをして共に殺気を解く。
「それでいい、それで助かる。どうやら『逃がし屋』は有用な人物を連れてきてくれたようだ」
そう言って男は馭者のジョージへと視線を移す。
「……困ったものだな、目を離している内にいなくなってしまった」
そんな馬鹿なと思いエルヴァも馬車の前の方へと出てみるが、手綱を握っていたはずのジョージは姿を消している。
「まぁエルヴァージュがいる限り、『逃がし屋』は一応ながらこちら側だ。姫さんは許してくれるかもしれないが、姫さんの『天使』は『逃がし屋』とは相容れないだろうから、姿を消してくれていた方がありがたい」
「単純に気配を消されたわけじゃない。ワタシでも気配を追い切れない」
ノックスにすら看破できない気配消しの技能はクラリエと今は亡き『影踏』ぐらいなものだ。
「多分、ワタシたちを連れてきた『逃がし屋』は分身のようなものだったんだ」
分身と言えばカプリースの水魔法を思い出す。ジョージはそれに等しいことをやっていた。それにアレウスとノックスは全く気付くことができなかった。
「これから二日を掛けてエルヴァージュとリスティーナがいるところまでお前さん方をお連れするのが俺の役目だ。なにか質問は?」
「王国の死刑囚が新王国では部下として登用されているのはどうしてだ?」
「どうしてもなにも、姫さんが俺の生き様に同調してくれたからとしか言えないな。分かってくれるもんじゃねぇはずだが、分かってもらえた。だったらそのお返しはしなきゃならない、それだけさ」
「エルヴァと一度だけ話をしたと聞いたが」
「あいつが冒険者をやっているときに、な。その話に興味が?」
「……いいや」
「訊ねたクセに深くは聞かないのは野暮ってものだ。そういった含みは女に嫌われるぜ……? いいや、俺が女だったら深く聞いていたのかな、色男?」
ノックスをチラ見してエレオンはアレウスに言ってみせる。動揺を見たいのだろうから、平静を装う。
「面白くないほどに冷静だな。心の中はどうだか知らないが、それを表情で見せないのは驚きだ。若いのに表情を使い方をよく分かっている。そうだ、俺みたいな人間にはそう容易く心で感じたことを表情と同調させるな」
偉そうに言ってくるため、若干の苛立ちを覚える。
「リスティーナからお前さんのことは面白いほどに聞いている。だから色男である事実は隠せないぜ? まぁ俺が聞きたいのはそういうところじゃねぇんだが」
エレオンはジョージに代わって馬車に乗り、手綱を取った。
「その齢で信じられないほどの死線を掻い潜ったと聞いている。なんなら俺の銃弾からも逃れてみせた。その原動力はなんだ? そこにいる獣人じゃないな? あの炎の化身か? あいつを殺せば、お前さんは動けなくなるのか?」
魔力が高まっている。エルフを嫌ってはいるが、魔の叡智に触れている以上は精神的な昂ぶりに魔力が反応してしまうのだろう。
「今は敵同士ではないと言ったのはそっちだろ?」
「ああ、そうさ。今のは下手な勘繰り。分かりやすいせいで心の隙間に入り込むことができなかった、忘れてくれ」
読めない男だ。読めないように振る舞っているのか、それとも元来の性格がそうさせるのか。ノックスのように『呪い』を糧にした力を使う者でありながら、どのような怨嗟を抱えているかまるで掴めない。
「この馬車は俺が引き取る。お前さん方はあちらで待っているお二人さんに任せることになっている。三日も馬車に揺られて辛いだろうが、あと二日も馬の上だ」
ノックスが露骨に嫌そうな顔をする。だが、事前にエルヴァたちの元に着くには五日掛かると聞いているアレウスからしてみれば三日で到着するのはどんなに早馬でもあり得ないと思っていたため、理解の範疇である。
「カルヒェッテ姉弟をご存じかい?」
「いや……」
「そうだろうな、記録上は死んだことになっているんだから知らないはずだ。お前さんと同じ帝国生まれの軍人だ。仲良くできるもんならやってみろ。俺には無理だったね」
そう言い残し、馬を操ってエレオンがその場から去って行った。彼が指差した方向には確かに二人の男女が立っており、早くこちらに来いと言っているかのような気配があったためノックスと一緒に走って近付く。
「帝国の冒険者か」
女に訊ねられて、アレウスは静かに肯く。
「……いや、なに……少しばかり懐かしんでしまった。元帝国軍人だからといって、冒険者を軽蔑しているわけではない」
女の視線が男に向く。男はなにも言わず、アレウスをジッと睨んでいる。
「弟は武骨で無愛想な男だ。冗談や軽快なやり取りは期待しないでやってほしい」
「……来い」
一言だけ吐いて、男がアレウスに馬に乗るよう促してくる。
「僕は馬に乗れないんですけど。そっちのノックスも」
「承知の上だ」
男がまず馬に乗り、手綱を取った。どうやらその後ろに乗れということらしい。ノックスも女が手綱を引く馬に乗り込むところだった。
「帝国の、」
アレウスが馬に乗ってから男がボソリと呟いた。
「オーディストラ様はご健在か?」
「……お目に掛かることが一度だけありました」
「そうか」
「畏れ多く、僕の口からはなにを言っても侮蔑になってしまうことをお許しいただきたい。それでもどのような様子だったかと問われれば……とても、皇女らしい立ち居振る舞いであったと思います」
「ありがたい」
男は馬を走らせる。
「レストアール・カルヒェッテだ。帝国の冒険者よ。歓迎はしないが、しばしの間、その力を頼らせてもらう」
「アレウリス・ノールードです」
自己紹介は済んだ。そして男が聞きたかったことも終わったのだろう。その後、二日間のほとんどは休憩を挟んでもレストアールがアレウスに率先してなにかを語ることはなく、口を開いても一言二言だけで一切合切のコミュニケーションはなかった。




