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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
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♭-8 その命に価値はない


 その後、第三基地を放棄することが決定されエルヴァはマーガレット率いる騎士団とカルヒェッテ姉弟率いる帝国軍と共に第十六基地まで積めるだけの荷物を積めて撤退した。この時、連合による追撃が成されたために強行軍を余儀なくされ、二日掛かりの撤退は重傷者の多くを喪うこととなった。死なば諸共では意味がないため、この無茶な撤退は間違っていないとエルヴァは思う。


 連合と戦ったのはたったの二日ほどであったが、エルヴァたちがこの戦線に来てから一週間が経過した。エルヴァにとってはあっと言う間であった。


 第十六基地には多くの騎士候補生が後方支援として待機しており、雑用から偵察まで様々なところで騎士の代わりを務めていた。第三基地の生存者には半日ではあるが休息が与えられ、エルヴァは使い物にならなくなった剣や短剣、鎗といった武器を処分して数十人が寝泊まりする大型テントの一角に麻布を敷き、その上で寝転んだ。久方振りに横になったのだが寝付けず起き上がって両手を見つめる。


 敵や味方の血で両手は真っ赤に染まった。洗い流しはしたが、記憶に焼き付いているため見つめるだけで手の平がまだ赤く染まっているような錯覚に陥る。精神的摩耗が起こす幻覚と分かっていても、どれだけ首を振ろうが気分転換を図ろうが拭い去ることができない。これがいわゆる罪悪感がもたらしたものだと言うのなら、これまで生きるために行ってきた様々な犯罪に感じていた罪の意識は自分でも驚くほどにちっぽけなものだったことになる。だからこのとき、エルヴァはようやく本当の意味での罪悪感を学んだ。


「エルヴァはこのあとどうするんだ?」

 ヴェラルドがわざわざ王国のテントに入ってきて訊ねてきた。後ろにはナルシェが待っている。一人で来なかったのは彼女が心配性なことと、冒険者といえど今は帝国軍人としての扱いを受けているヴェラルドが王国のテント内で暴力を振るわれることがないようにするためでもある。彼女のことだ。いざとなれば魔法ですら平気で行使するだろう。

「俺に決定権はない。騎士が俺たちをどう扱うかだ」

「そうよね。私たちも似たようなもの。でも、そう早くない内に私たちは戻されると思う」

「大打撃を受けるところを中程度に抑えた。それでも損耗が激しいと判断したら、俺たちはもう後方預かりか、さっさと戦線から離脱させられる。逆に成果を上げられていないところに放り込まれるかもしれないが」

「でも私たちが逃げている間に連合の戦線を大きく押し戻したって言っていたわ。ハゥフルの一人が『精霊の戯曲』を唱えたとか……ハゥフル、だっけ? もしかしたらヒューマンかも……そもそも『精霊の戯曲』かも怪しいけれど」

「怪しい?」

「私たちエルフは魔力の流れに凄く敏感だから、撤退している最中でも遠方で起こった大きな魔力の波濤を受け取ることができるんだけど、『精霊の戯曲』にしてはちょっと異質だった…………アーティファクトの可能性も、あるかもしれない」

 ナルシェがそこまで言って気付いたように「あっ」と言う。

「『精霊の戯曲』っていうのは『大詠唱』なんかと同じで魔法の一種。『大詠唱』は魔力頼みだけど『精霊の戯曲』は精霊頼み。使う魔力量の差異と精霊に好かれていれば好かれているほど効果が大きくなるの」

「教えられたって俺には縁のない話だけどな」

 魔の叡智には触れられていても、回復魔法しか使えない。その効果も微々たるものだ。


 教会関係者を幼い頃に撲殺したのだ。神も精霊もそんなエルヴァに加護を与えたくはないのだろう。


「『精霊の戯曲』だろうとそうじゃなかろうと、連合が下がったなら良い話だ。もしかしたら第三基地の放棄自体がそれを踏まえての判断だったかもしれないしな」

「そうじゃなくて、連合は私たちを追撃し続けたかったけどその途中で大きな損害を被ったから、追撃を中断せざるを得なかったんだと私は思うな。あなたはどう思う?」

 ヴェラルドの意見か、それともナルシェの意見か。判断を求められる。

「考えたって俺はお前たちと違って自由の利かない身だ。それでも言わせてもらえるのなら……そうだな、ナルシェの意見に賛成、かな」

「だと思ったよ。俺も言っていて思ったからな。だったら第三基地で二日戦わされているときに実行しろって」

 こちら側に連合を跳ね除ける大きな力があったのなら、襲撃があった第三基地にその力を行使しても不思議ではない。前線から遠いために行使を躊躇ったのだとしても、二日も放置を受けた。使う気があろうとなかろうと救援があってもおかしくない日数だ。なのに一切が無かった。

 だから王国と帝国には連合を押し戻せるとっておきのカードは手元になかった。ナルシェはハゥフルかヒューマンか曖昧だと言っていたが、だったらもう連合によって虐げられたハゥフルか、それに連なる者の力だ。三国が把握し切れていなかったからこそ、各国の統制に乱れが生じた。


 だったらその功績はハゥフルが手にするべきものだ。それでも王国と帝国の手柄になるのでは、彼らもやるせないだろう。この第十六基地には数は多くないにせよハゥフルの姿も見え隠れするというのに。そして彼らの扱いは候補生のエルヴァたちよりも悪い。流行り病に掛かってすらいないのに病原菌のように隔離されている。陸棲種であっても水気を得なければ皮膚が乾燥してしまう彼らは交代しながら辺りに霧を張っている。それが偵察において大きな大きな弊害となるせいで、彼らが詰め込まれているテントの周辺は必ずしも安全とは言い切れない地点に設置されている。いわゆる難民であるはずなのに、一番に狙われやすいところに置かれているのはもはや奴隷的な扱いに等しい。


 彼らはハゥフルであることに誇りを持った人間である。見た目と生き方だけで拒絶されていては、助けに来たこと自体に意味がなくなる。だからきっと、助けられてもハゥフルたちは帝国も王国も許すことはないだろう。エルヴァにできることと言えば、もしこの戦線から生き永らえたとしても今後、彼らの住まう領域に足を踏み入れないようにすることだけだ。戦いで起きた惨禍の記憶を呼び起こさない。それが精一杯の気遣いだろう。


「それじゃ、俺たちはそろそろ行く。次に会うときは戦場じゃねぇことを祈る」

「ああ。わざわざすまないな」

「なんのことだ?」

 ヴェラルドは嘯いてみせる。エルヴァの心身の疲労を間近で見ていたからこその気遣いであることは明白でナルシェも彼の素っ気ない風に装っておきながらも分かりやすすぎる演技の下手さに呆れて溜め息をついた。

「もしエルヴァが王国で騎士になったとしても、ギルドや冒険者を虐げるようなことはしないでね」

「そんなところ見たことも聞いたこともない。俺は一地方の騎士養成所にいるだけだから」

「私たちって国籍はあっても、依頼によっては国を渡ることもあるのよ。だからその一地方に行くことだってあるかもしれない。そのときは協力してね?」

「協力できるくらい地位が確立していたらな」

「俺たち以外にもルーファスっていう奴がいるんだよ。ルーファス・アームルダッドな。他にも――いや、そいつの名前だけ憶えておいてくれ。他の連中はきっとそいつの傍にいるからな」

「ルーファス……ああ、忘れないようにしておくよ。お前たちも俺のことは忘れないでくれ。まぁ、騎士をやっていたら王国領内から出ることなんてほとんどないだろうから、もう会わないかもしれないけど」

「忘れないわ。ええ、この戦いは忘れない」

 握手をし、エルヴァは二人を見送った。


 彼らが去って五分と経たない内に見覚えのある二人がテントに入ってくる。実に一週間ぶりの再会だ。気落ちしていた気持ちが自然と昂る。

「よく生きていたな……!」

 大声で語り掛けたくなる気持ちを必死に抑え込み、エルヴァはリスティとクルスを労う。

「あなたも無事で良かった」

「言ったでしょ、リスティ。エルヴァはちょっとやそっとじゃ死なないって」

 まるで生存が当たり前であるかのように言うが、リスティは片足に重傷を負っているのか松葉杖を用いており、クルスは左目に眼帯をしている。エルヴァも撤退時に軽傷を負ったが、これほど見た目で分かりやすい傷ではない。

「二人とも、大丈夫なのか?」

「私は骨折しているから前線復帰はもう無理って判断で後方に送られたの。骨折の原因は、私を庇った騎士に突き飛ばされて丘から落ちたからなんだけど……その騎士は死んじゃって」

「……避難部隊に連合が攻撃してきて、爆発で弾けたつぶてが左目に、ね……直撃じゃないけど、視力が大きく落ちたわ」

 リスティはともかくクルスの発言にエルヴァは含みを感じた。今、この場で考えたかのような違和感だ。しかし、こんな場で嘘をつくような性格ではないことを知っているため、単に思い出したくないことを思い出させてしまったがゆえの間の取り方だったのだろう。

「嫌なことを思い出させて悪かったな」

「気にしないで。誰だって怪我をしたら『どうしたの?』と心配するでしょ。あなたは、私たちみたいな怪我はしていないの?」

 高揚感を薄めたエルヴァの声量にクルスが労わりの言葉をかけて来る。

「奇襲があって、仲間が沢山死んだ。俺も沢山殺した。お前たちほどじゃないけど体中、傷だらけだよ。鎧が蒸れるから痒みを伴うんだ。感染症の危険もあるから、ここに撤退する最中は鎧を着ないままの行軍だった。そのせいで傷は増えたんだが……正直、真面目に鎧を着ていたらここには辿り着けてない」

 流行り病や感染症の大半は魔法によって取り除くことができるが、人体として異常を正常と捉え込んでしまうほど保菌してしまうと手遅れとなり医学的治療が必要となる。回復魔法と違って、その方面での生存確率は低い。マーガレットのみならず配下の騎士、そして帝国の冒険者がいなければあの撤退は更に多くの脱落者を出していたことだろう。

「さっき他の騎士が話していたのを耳にしたけど二日続いたんでしょ? 私も襲撃は遭ったけど、その日の内に均衡状態に入ったからこれぐらいで済んだけど、あのまま襲撃が続けられていたら多分死んでた。エルヴァはどうやって生き残ったの?」


「マーガレット様の『指揮』があったのと、帝国の冒険者に助けてもらった」

 ありのままを話す。

「俺は俺だけが助かればそれでいいと思って最初は動こうとしたんだ。でも、帝国の冒険者が『見捨てるのか?』と言ってきて、そこからは自分なりに死にそうな奴を助けようと動けた。動けただけで、一体どれだけの命が助かっていて、どれだけの命を零したのか分からない。俺自身も命を落としかけていたんだが、冒険者と協力してなんとかな……」


「エルヴァにしては相手方を立てるじゃん」

「どんな思惑があろうと、どこの誰が聞いているか分からないから正解だと思う」

 正解だと言いながらクルスも『あのエルヴァが』という顔をしている。普段から人へ感謝しない人間だとでも思われていたようだ。


「どうにかこうにか、だ。あと、しばらく人殺しは勘弁だ。心が耐えられない」

 そう呟くとリスティもクルスも黙った。エルヴァだけでなく、彼女たちも人殺しを行わなければならない状況だったのだろう。


 加害者が心に傷を負っているなど、まるで被害者のようだ。しかし、加害者だから傷付いてはいけないわけでは決してない。こと戦争においての人殺しはどちらが生きてどちらが死のうと、その様は脳に焼き付いて離れなくなる。

 末端のエルヴァたちには連合に憎悪はない。怒りもない。それどころか殺し合わなければならない道理すらない。ただ上に言われるがままに戦場に駆り出され、言われるがままに戦う。

 仲間は死に、同じ人間同士で争い合う。殺さない選択肢はない。なぜなら自身はともかく、連合側は明確な殺意を持って襲い掛かってくるからだ。それが上から命じられたことで与えられた殺意なのかどうかを判断する方法はない。

 だから殺されそうになったら殺すしかない。殺せと命じられたら、殺しに行かなければならない。


 ならば死ねと言われれば死ななければならないのだろうか。


 その後、半日を二人と共に過ごして心を癒やしたが、すぐにマーガレットに呼び出されて三人は集会に出る。第十六基地にいる全員が集合しての報告会のようだが、疲れのせいかマーガレットやカルヒェッテ姉弟の話は頭に入ってこない。ここで聞き逃していても、どうせあとで命令がくだされる。もしそこで憶え忘れが発覚しても激怒されるだけでそれ以上はない。肉体的に虐げられるようならエルヴァは反撃に出るつもりであるが、騎士たちも帝国軍人たちに内部分裂のような景色を印象付けたくはないはずで、言葉以外での攻撃的な行動に移ることはないだろう。


「リッチモンド様」

 リスティの呟きでエルヴァは俯いていた顔を上げる。

「……なんでここに?」

 いや、エルヴァたちの総指揮を執るリッチモンドがいることは不思議なことではない。第十六基地に撤退してきた者たちの士気向上のためには全てを取り纏める者の(とき)の声が必要だ。気掛かりは軍師のエドワードもいることだ。通常、こういった短期的な慰労の付き添いは要人警護の訓練を受けた者たちが行う。その際、リッチモンドから一時的に最終決定権を軍師は委ねられる。司令部組織に軍師が残らなければ他の戦線での采配が行えない。

 戦線は一ヶ所だけではないのだから他にも軍師を務める者はいるのかもしれない。あくまでリッチモンドとエドワードはゼルペスという街から派兵された者たちへの采配を行う者の域を出ない。であればここにエドワードがいることにも納得が行く。


 小難しい話が続く。戦争のことは采配を執ることのできる者に任せればいい。どうせ末端がなにを言ったところで採用はされないのだから、黙って聞くがままだ。


「エルヴァージュ」

 不意にエドワードに名前を呼ばれた。訝しんでいると前に出ることを促されたため、渋々といった具合でエルヴァは彼の傍まで行く。


 この場にいる全員を見下ろす位置。この地位に辿り着けば、こんな景色を見ることになるのかと辟易する。自身は人を統率する能力に欠いていると思っている。だからクルスやリスティの方がずっとこの景色を見るのに向いている。そのように思いつつエルヴァはエドワードが自身を呼んだ真意について反応を待つ。


「始まったようだ」

 隣で呟かれるが、なんことだか分からない。

「皆、この戦いが記録には刻まれず記憶に刻まれる戦いであることは理解しているな?」

「なにを言っている、エドワード?」

 リッチモンドが疑問を呈する。どうやらエドワードの発言は集会の予定に含まれていないらしい。

「なぜ記録に刻まれず記憶に残るか。記憶に残ってしまってはどうせ記録が残ってしまうではないか。そう思った者も少なくないだろう」

 しかしエドワードはリッチモンドの疑問を無視して発言を続ける。

「では、どうやって全ての記憶を抹消するか。簡単な話だ。本作戦に参加した全員が死んでしまえば、誰も語り継ぐことはできない。そう、ハゥフルでさえも戦争の惨禍を語ることができない」


「義兄上! 本軍の活躍により、連合が撤退を始めたとの報告が!」

 マーガレットがエドワードの話を切る。

「しかし、あとから参加した――即ち、私たちと時を同じくして戦場へと送り出された者たちが死亡したことが確認されています!」


「確認はできない! なぜなら、その確認した者も、報告した者も一人残らず死ぬのだから!」

「取り押さえろ!」

「無駄だ、リッチモンド! もはや始まっていることなのだ! これは帝国も了承している! 我らは、本軍が連合を追い払ったのち、死ぬことが定められている!」

 エドワードがエルヴァの頭を掴む。

「さぁ、盛大に命を散らそう! 『セル』・『()()()』・『エルヴァージュ』! 『その命に価値はない』!」


 思考が焼き切れそうなほどの発熱と、胃の中にある全てを吐き出してしまいそうになる嘔吐感に見舞われてエルヴァはエドワードの手から逃れてからその場に蹲り、激しくのたうち回る。


 頭の中で、記憶が跳ねる。何度も何度も何度も同じ光景が、同じ景色が、エルヴァの脳内を駆け巡る。

 暴れ馬によって死んだ男の顔が、男の死に様が、明滅する光のごとく断続的に視界を覆う。


「なぜだ? なぜ、爆発しない……?」

 物騒なことを言っていることは分かるが、エルヴァはそれどころではない。それでも少しずつ明滅する景色が記憶へと納まっていく。だが、エルヴァのみならず集まった全員が同様に地面で激しくのたうち回っているのが見える。


 いや、全員ではない。


「なにを言っているか分からないが」

 レストアールがエドワードの両腕を掴み、後ろ手に拘束する。

「そちらの者による造反で、こちらの軍人まで苦しめられるのは困る」

「手を貸していただき感謝する」

 リッチモンドはエドワードが舌を噛み切ろうとしたため、即座に自身の指を三本突っ込んでこれを阻止する。

「貴公は気でも触れたのか? ……と、私が言うと思ったか?」

「義兄上、お怪我は?」

「ない。全て予定通りだ。いや、エドワードであったことが予定外であったのだがな」

 レストアールとエルミュイーダを見やり、リッチモンドは更にリスティとクルスに視線を向ける。

「全て、分かっていたのだよ。王国がやろうとしたことは」

 理解が及んでいないエドワードにエルミュイーダが呟いた。


「『クローン』による記憶の破壊及び魔力爆発。本作戦に従事した全ての者を爆殺し、記録と記憶の全てを消し去る。それが国王による地方騎士と帝国軍人を一掃する作戦であったのだろう?」

「地方の騎士が力を持てば、国王への造反や離反、更には叛乱に繋がりかねない。けれどこの禁忌の争いに従事させて丸ごと殺してしまえば、地方都市の戦力は大幅に減少する。そうなれば叛乱の力は再び蓄える期間に入り、誰も王政に口を出すことができなくなる」

 エルヴァは近付く声に、心臓が掻き切られるのではないかと思うほどに動揺する。

「予め、『クローン』を調べておいて正解だった。いえ、その仕組みと構造を把握できたことこそが起死回生の一手に変わった」

「ク……ル、ス……?」

「エルヴァージュ? このときのために、価値がなかったあなたの命に価値が生まれた」


「クソッ! 一体どういうことだ!?」

 リッチモンドが指を抜くと、エドワードはクルスに素早く言葉で噛み付いた。だがマーガレットが捩じった布を(くつわ)にして彼の口を封じた。

「頭が高い。この方をどなたと心得る? その血は王より連なりし絶対の血統! クールクース・ワナギルカンであるぞ!」

「王……? ワナギル、カン?」

 思考が追い付かないため、エルヴァはチカチカとする世界の中で立ち上がり、クルスを睨む。

「お前は、さっきからなにを!」


「『セルスロー』型の『エルヴァージュ』。識字能力の低かった当時のあなたは『セルストー』と()()()()()()。この日のために育て上げられる予定だった『エルヴァージュ・セルスロー』が暴れ馬によって殺され、名前を奪ったあの日に」

 クルスは笑みを浮かべている。未だ多くの者たちがのたうち回っている中で。


「なにを言っているのか分からない! 全然、分からない!」

 リスティが松葉杖を必死に動かして駆け付け、フラつくエルヴァを支える。

「あなたはさっきからなにを言っているの!」


「だから、ここには本来なら『エルヴァージュ・セルスロー』が立つはずだった。命令をくだせる決定者による特定の単語の羅列によって、エルヴァージュを認知した者はそのロジックが一時的な『混乱』状態に陥る」

「だったら、どうしてお前やリスティは……」

「私たちのように全く効果が及んでいない者たちは、最初に認知したのが『エルヴァージュ・セルストー』――つまり、あなただったから。先に知ったエルヴァージュは偽者で、あとから知ったエルヴァージュを私たちは別人として認知する。『セルストー』だろうと『セルスロー』だろうと、先に知ったエルヴァージュと違うと頭が理解していると、決定者以外でもこの『混乱』から逃れることができる」

 そして、とクルスは続ける。

「最も恐ろしいのはそのあと。『クローン』の『エルヴァージュ』は自身を認知した者を『混乱』状態にして動けなくしたのち、自身を織り成す生命を全て魔力へと置換し、爆発。辺り一帯を跡形もなく消し去る」

「いつから、そんなことを知って」

「あなたが名を奪ったあの日からって言ったでしょ?」


 身元引受人。唐突に、思い浮かんだ。


「お前がっ!!」

「道徳の行き届いていないあなたをマルハウルド家が教育させるのは、至難の業だったわ」

 目の前の女が自身の身元引受人。その理由は、クローンによる混乱及び爆発から身を守るための手段とするため。


 己自身の生き様の、あまりの無様さに耐えられずエルヴァはリスティを押し退けてエドワードの腰に下げられている鞘から剣を抜く。リッチモンドが動きかけるがクルスが制し、鎗を抜いた。


「『混乱』の症状が薄いのは、あなたがさほど死んだクローンを『エルヴァージュ』として認知していなかったからかしら。ただの死体程度の感覚なら仕方がないのかもしれない。でも、身元引受人の件や今回のクローンによる爆発を防いだことは、感謝されこそすれ刃を向けられる理由にはならないでしょう?」

「黙れ!!」

 剣戟を放つ。クルスは軽やかな足取りでこれをかわし、手元で鎗を回す。穂先に光が纏い、魔力が宿る。

「お前は!」

「あなたじゃ私には敵わない」

 次の剣戟にクルスが軽く鎗を薙いだ。その軽い一振りでエルヴァは剣ごと吹き飛び、地面に転がる。


「クルス!!」

 リスティが叫ぶも、クルスは鎗で松葉杖を小突いて転ばせる。

「防いだのは、あなたたちに生きていてもらいたかったからじゃない。ここにいる全員は予定通り死ぬわ。だって、『エルヴァージュ』は連れてきているから。ただ、この型は爆発までの時間が掛かるの。時間が掛かる分、その爆発は『セルスロー』型を圧倒する」


「あの日々は……全て……」

「そう、そうよ。あの日々は全て、この日のために」

 クルスは尚も立ち上がろうとするエルヴァに呟く。

「ワナギルカンの血を持つこの私が、王国に復讐を果たすために……!」

「参りましょう、クールクース様。ここに居続ければ私たちも爆発に巻き込まれてしまいます」

「リッチモンド様! あなたの忠誠はスチュワード・ワナギルカン様のためにあるもののはず!!」

「その通り。私は『ワナギルカン』に連なる全ての者への忠誠を誓っている。ゆえに、クールクース・ワナギルカン様に忠誠を誓うことにおかしな点などない」

 必死にリスティが説くが、リッチモンドは聞く耳を持たない。


「……こんな感傷、本来はなかったはずなのよ。なのにあなたが、あなたたちが!」

 クルスは苦しそうに叫ぶ。

「あの日、私の傍で料理を落とさなかったら! あの日、私の隣に座ることがなかったなら! あの日、私の声に耳を傾けることがなかったなら! 私たちは関わらないままに、済んだのに……!」

「そんな……そんな偶然を! 俺に、俺たちに求めるな!!」

「だったらあなたたちも私に私らしさを求めないで!! 理解して……私はもう、戻れない。自分にワナギルカンの血が流れていると語った、『天使』と遭遇したあの日から!」


 『天使』とはなんだ。それがクルスを狂わせているのか。いや、この場の全てを狂わせているのか。

 だったらその『天使』を殺す。殺せばクルスは元に戻る。

 エルヴァは辺りを見回し、『天使』を探す。


《時間切れ》


 頭上に光が見えた。だがエルヴァを馬鹿にするように“その者”は片足で踏み付け、クルスの傍に着地する。


 カルヒェッテ姉弟とリッチモンドがクルスと“その者”に連れられて、第十六基地を去っていく。マーガレットの姿を捉え切れないが、もう既に馬を回しているのだろう。

 エドワードを拘束する際に見せたレストアールの言動は茶番に過ぎない。この事実を語るつもりはなかったが、クルスが語り出したがゆえに演技だと分かったが、語られなかったら演技であるとすら分からなかっただろう。


「世の中、良いことをしていると悪いことも一気にやって来るものだな」

 意識が朦朧とするエルヴァの元にヴェラルドが来る。

「“軽やかなる力を”」

 ヴェラルドがエルヴァを、ナルシェがリスティを背負う。

「限界ギリギリ、私なんて気にしないで死ぬ気で走って」

「お前を気にしないで走ったことなんてないから分からないな」


《そうだ、それでいい。さっさと逃がせ。行き先は王国だろうと帝国だろうとどっちでもいい。命さえ繋げば、あとはどうとでもない。経歴も書き換えることができる。それがこの世界だ》


 頭の中で声がする。

「よく知っているよ」

《俺の声が聞こえるのか?》

「その手の声は今までも聞いてきた。俺は、()()だからな」

 ヴェラルドはどうやらエルヴァの頭にしか聞こえていないはずの声と対話している。

《お前も、そうだと言うのか。だが、俺の力に見合うのは》

「エルヴァ、だろう? だったら死なせるわけにはいかない」


「いつまで独り言を呟いているの?! 早く!!」


 ナルシェに急かされ、ヴェラルドが走る。




 その日、王国の各地方より連合との争いに後期従軍した全ての騎士団が、同じく従軍していた帝国軍と共に、()の大爆発により基地ごと消滅した。





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