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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
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♭-6 不満と爆発

 どこの記録にも残らない。

 けれど、記憶には残る。

 私たちはそういう戦いに駆り出された。


 のちに禁忌戦役と呼ばれる戦い。私たちは、その戦場に立っていた。


 誰一人として口を割らない限り、明かされない。

 王国と帝国が手を組んだことさえ語られない。


 私たちが戦った、十日間は無かったことになっている。


 存在しないことになった消失の十日間。


 そこでなにがあったのか。


 なにもなかったら、


 どんなに良かったか。

 一日遅れで第三基地に騎馬隊が到着した。先に兵を送り、あとに兵が乗る騎馬を送る形になったのは素早く兵士の数を増やすことによる防衛力の強化のためだ。兵が多ければ連合もすぐには手を出し辛い状況を作りたかったらしいが、だったら騎馬隊だけを先遣隊として送り込む方が効率が良いのではとエルヴァは思わざるを得なかった。その愚痴を零しているところをマーガレットに聞かれ、「まさしくその通りだが、主力の騎馬隊を先んじて送ったところを襲撃されては敵わない」と諭された。

 要は先に送り込まれた騎士候補生とそれらを統括する騎士たちは捨て駒としての扱いだったということだ。ならば義妹である彼女も捨て駒だったのかと疑いたくなるが、リッチモンドは第三基地にすぐ連合が手を出せないという確信があったに違いない。でなければ、エルヴァはともかくマーガレットを第三基地に配属などさせないはずだ。


 騎馬隊はマーガレットたちの愛馬も連れてきていたが、当然ながら騎馬を世話するのはエルヴァたちの役目だ。正規騎士も、その一つ下の騎士も、愛馬の様子は見に来るが予備の騎馬には目もくれない。


「ここに来て、やったことってなんだ?」

 第三基地に来てから、三日後に騎士候補生の一人がボヤいた。

「柵を作って、薪を割って、芋を洗って、芋の皮を剥いて……馬の世話もやって……こんなのはただの雑用だ」

「私たちはこんなことをするために来たわけじゃないのに」

「クソッ、こうしている間にも同期は名を上げているかもしれないというのに……!」


 苛立ち、そして後悔。決起会までの待遇が良かったせいで引き起こされる反動があった。エルヴァからしてみれば、マーガレットが「重労働が続く」と言ったからには文字通りに重労働が続くと納得していたが、候補生たちはあれを冗談半分なのだと本気で思っていたらしい。

 そもそも、騎士候補生など騎士としての課程を修了していないのだ。つまり、新兵にすら劣る駒である。戦闘経験は圧倒的に少なく、闘技場での実戦訓練では腰を抜かして死人が出るし、不測の事態で死にかける。それぐらいに貧弱なのだ。

 なのに自分たちの実力不足を認めずに、与えられた仕事に文句を言い始める。出自やプライドがそうさせるのだろう。


 しかし、言いたいことも分からなくはない。エルヴァは別に死にに来たつもりはないが、死ぬ気で生きなければならないほどには苛烈な戦いが待ち受けていると覚悟を決めた。その覚悟がここ数日で迷子になりつつあるのは事実で、気が抜けてしまっている。


「はぁ~、俺に権力があればマーガレット様を好きにするってのに」

「女がいるのにそういうこと言う?」

「女だって顔の良い男の騎士を侍らしたくないか?」

「そりゃ、思うけど。あなたのは露骨な感じがして気持ち悪い」

 黙々と馬房を清掃しているエルヴァの耳に入る話はどうでもいいことばかりで、無視することになんの躊躇いもない。


 馬房は馬にとっての個室である。そこに足を踏み入れた時点で馬は常々に気を張り詰めている。慣れてもいない人物が近付くことにさえ危機感を覚えるほどの臆病な気質であるから、厩務員でもないなら話に気を取られるよりも素早く掃除を終わらせて馬房から出るのが得策である。絶対に後ろに回ってはいけない。慣れ親しんだ厩務員ですら蹴り飛ばされて死ぬことがある。


 蹴り飛ばされて死んだといえば、エルヴァがエルヴァと名乗る前に死んだ男も暴れ馬によって死んでいた。趣味の乗馬だったのか、それとも乗馬の訓練だったのか。

 それで名を奪って、なぜまだ無事なのか。身元引受人は全てを知っているに違いない。名を奪う行為など死者を侮辱するに等しく、処刑されるに等しいというのに。

 思い出したくもない過去の悪行を思い出し、今の自分が生きていることに疑問を感じながら清掃を終えて馬房から出る。最後に馬の様子を窺ったが、どうにか機嫌を損ねずに済んだようだ。とはいえ、長居は無用であるため、さっさと馬小屋から出てしまいたい。


「エルヴァージュも思うよな? ああいう高慢チキな女を、って」

「え、ああ……いや、別に」

 話を振らないでほしいと思う上に、マーガレットについての聞かないでほしいとも思う。生々しい感覚を思い出し、またそれを味わいたいと感じて、欲望を抑えられずにマーガレットに頼み込みに行きかねない。

「高慢だとは思わない。高潔な人だとは思うけど」

 決して彼女は地位を悪用していない。無茶なことを押し付けてはいない。自身の実力に自惚れもないだろう。むしろ自惚れていて、無茶を言いたくなっているのはエルヴァたち騎士候補生の方だ。

「それより、早く掃除を終わらせてほしい」

 候補生は幾つかの班に分けられている。班単位での仕事が終わらないと動けない。だから話で時間を潰されると残りの時間を有効に活用できない。

「ゆっくりでいいだろ。そしたら他の雑用をやらずに済むんだから」

「そうそう。こういうのは真面目にやった方が苦労するのよ」

「色々な雑用を任されて体力を消耗するだけ無駄だって」


「……くだらねぇ」

 向上心のない仲間にエルヴァは毒づいた。

「努力すれば損をする。正直者が馬鹿を見る。じゃぁ、楽をすれば騎士への近道になるのか? 与えられたことすら満足にやらずに騎士になれるのか?」

 険悪にするようなことを言っている。分かっている。だが、エルヴァからしてみれば驕り高ぶっている候補生の態度は我慢ならない。


「落ち着け。そんなヒリついたことを言っていると馬が怯えて肝心なときに暴れるぞ」

 帝国軍人に肩を叩かれ、エルヴァは自身の発していた雰囲気を和らげる。

「だが、彼の言っていることは正しい。ここは手を抜けば楽をできる現場じゃない。むしろ楽をしようとすれば死ぬ現場だと俺は思う」

「帝国軍人が私たちに指図しないで!」

「ここでは騎士も帝国軍人も関係なく手を取り合えと言われているはずだ。そうやって毛嫌いするのは勝手だが、それで不便を被るのは君たちの方だ。違うか?」

 声を張り上げた候補生が後退する。

「ほーら、あなたの言い方だと怖がられる。交渉とかコミュニケーションに向いていないのよ」

 もう一人、帝国軍人の女性が馬小屋に入ってきて言う。帽子を被り、可能な限り顔が分からないように努めている。

「大丈夫、あなたたちが毛嫌いしても私たちは嫌わない。むしろ他の国、他の文化、他の生き方をしている私たちと突然、手を組めなんて言われたってすぐには納得できない。行動で示してもらわないと、同一の種族であっても分かり合えないことを私はよく知っているから」

 しかしながら、エルヴァたちの信用を得るためかわざわざ帽子を脱いでみせる。


 この女性は()()()だ。耳が長く、金糸のようにきめ細やかな髪。透き通るほどに白い肌。軍服を身に纏いながらも造形の美しさが滲み出ている。見た目と特徴だけでヒューマンではないことがすぐに分かるほどに綺麗な女性である。


「そいつに惚れると苦労するからやめておけ」

「違う」

「否定するのが速すぎないか?」

「あなたの言いそうなことを予想でもしていたんじゃない?」

 見惚れはするが、惚れはしない。エルヴァにとっての異性の一番にはならない。

「私はナルシェライラ・レウコン。ナルシェって呼んで。その方が都合が良いから。そこにいる男に頼まれて仕方なくの付き添いって感じ」

「お前はなんでも俺のせいにするよな」

「言っておくけど私は大々的には動けないから。エルフがヒューマンの戦争に参加しているなんて森に知れたら、もう大変なんだから」

 そう言ってナルシェは帽子を被り直した。帽子そのものが長い耳の一部を覆う形に設計されているようで、美貌そのものを隠し切ることはできずともエルフの一般的特徴は判別しにくくなった。きっと『ナルシェ』と呼ぶことを求めてきたのも、エルフであることを突き止められにくくするためだ。

「ヴェラルド・ルーカスだ。よろしく頼む」

 振り返り、男がエルヴァに握手を求めてくる。

「……俺は、エルヴァージュ・セルストーだ。エルヴァと呼んでくれていい」

 礼儀に礼儀で返す。握手に応じてエルヴァは自己紹介を終える。


「あなたたちは騎士?」

「いや、俺たちは候補生。騎士ですらない」

「ああ、なるほど。あんまり王国も兵力を割きたくはないでしょうから、そんな気はしていたけれど……まさか上の世代じゃなくて下の世代を送り込んでいるなんて」

「訊ね方からするとお前たちも軍人じゃないな?」

 エルヴァはヴェラルドとナルシェに覚えた違和感をそのままぶつける。こちらの文化を深く知らない帝国軍人は、王国の兵士は全て『騎士』だと思っているはずで、なのにわざわざ「騎士?」などとは訊ねない。そして彼らは、こちらの『正規騎士』や『騎士』、そして『騎士候補生』といった肩書きなど気にするわけがない。

「意外とすぐバレてしまうもんだな」

「あなたの立ち回りが良くないんじゃない?」

「エルフであることを明かした時点で勘繰られるのは当然だろ。俺だけの責任じゃない」

 ヴェラルドはナルシェの言いがかりに反論してからエルヴァに申し訳なさそうな顔をする。

「悪いな。俺たちは軍人やら騎士やらといった常識をどっちも知らない」

「だって『冒険者』だから」

「冒険者……?」

「帝国に命じられた以上、断ることはできない。俺とナルシェは選ばれてしまったんだ」

「私は選ばれてない。あくまで付き添い」

 このナルシェという女性は一々、ヴェラルドの発言に突っかかってくる。だがそこに悪意は全く見られない。ヴェラルドも嫌がっている素振りがない。さながらこれが彼らの日常であるかのようだ。

 いや、()()()ではない。これが彼らの日常なのだ。この非日常にいて、日常と変わらない調子を続けられる。それだけでエルヴァには二人がとても高い、雲の上の存在のようにすら思えた。


 生死や、功績や、雑用。そういったことに囚われていることがとてもつもなく、些末なことだと考えてしまうほどに。


「カルヒェッテ姉弟はお前たちから見て、どんな奴だ?」

「俺たちみたいな紛い物じゃなく、根っからの軍人だ。恐らくそっちのビークガルド様より厳しい。異物である俺たちは信用してないみたいで、まさしく帝国軍人な奴らにしか詳細な任務を伝えていない」

「ここにはあと十何人かは冒険者がいるのに、完全にいないものとしている感じがする」

 育て上げた者たちよりも軍規を乱しそうな冒険者を重要視しないのは当然だろう。候補生が雑用を命じられているのも兵力として数えていないからで、通ずるものがある。


 結局は肉壁――肉の盾扱いなのだ。


「軍人でもないのに軍に召集されるなんてことがあるのか?」

 候補生の一人が訊ねる。

「普通は無い。無いから、異物扱いされている。で、俺たちがいるってことはこの戦場は普通じゃない」

「分かるでしょ? 連合が禁忌を破ったから帝国も禁忌を破る。王国だってそうなんでしょう?」


 連合の禁忌は『民間人の虐殺』で帝国の禁忌は『冒険者』の投入。だったら王国の禁忌とはなにか。そういえばエルヴァはその点についてなにも聞かされていない上に知らされていない。


「……なぁ? だったら俺たちで待遇改善の訴えを起こせば、あいつらも黙っていられないんじゃないか?」

「なにを言い出すの?!」

「だってよ! このままだと俺たち、なんの戦果も上げられないままだぜ?」


 またその話か。エルヴァは呆れるように溜め息をついた。

「俺は出来ることなら戦いたくないけどな」

「怪我をしたら痛いし、痛いで済めばまだマシだけど最悪、死んでしまうし」

「なんだ……ただの臆病者か。冒険者って言うんだからもう少し豪胆な性格かと思っていたよ」

 候補生が悪態をつく。


 エルヴァは二人の動向を見るのをやめて、馬小屋から出る準備を始める。


「見捨てるの?」

 心を読んだかのようにナルシェがエルヴァを見ずに投げかけてきた。

「取捨選択は正しいけど、諦めるのはまだ早い」


 ハッキリと、エルヴァは魔力の流れを見る。こんなにも分かりやすく視界に捉えることができたことはない。だから、エルヴァの魔力への理解が深まったわけではなくナルシェが発している魔力量が凄まじいのだ。


「馬小屋全部だ!」

「分かってる」

 ナルシェの口が開き、喉が開き、詠唱が始まる。それを補佐するのは彼女の持つ杖であり、その杖に何重にも貼り付けられていた紙だ。魔力を流されたからか杖から剥がれて、彼女の周りを紙が舞う。

 ただの紙ではない。その全てに詠唱に関わるあらゆる文言が書き込まれている。

「“皆の壁となれ(ウォール)”!!」


 発動した魔法がどんなものかは定かではないが、同時に馬小屋全体が震撼するほどの衝撃が迸り、馬たちが一斉に嘶いた。

「さっさと馬を出せ」

 ヴェラルドに命令されて、エルヴァだけが馬房の柵を次から次へと外していく。

「やめなさい! 馬が逃げてしまう!」

 候補生に咎められるが構わず柵を外し、馬たちが駆け出す。

「ああ……あなたのせいで私たち、重大な規約違反で捕まっちゃう……」


「まだそんなことを言っていられる状況だと思っているのか? 馬を逃がさなきゃみんな潰れて死ぬんだぞ?」

 そう問い掛けながら、ナルシェを見る。

「今、私が防いだのは魔力。だからさっきのは敵の魔法でしかも数回撃たれた。もう防御の魔法は解けちゃって、また詠唱を始める前に次が来る」

 訊ねたいことを彼女は簡潔に伝えてくる。

「ここから逃げるぞ。俺たちはまだ捕捉されてないが、先にこっちの足を潰そうとしたんだ」

 ヴェラルドが候補生に声を掛けながら走り、ナルシェとエルヴァがそれに続く。


「っ!! さっさと来い!!」

 まだ状況を掴めずにいる候補生たちにエルヴァが怒鳴り、ようやく彼らは走り出す。


 馬小屋を出た直後、頭上――正確には斜め上空から火を纏った岩石が降ってきて馬小屋を一発、二発、三発で爆散させた。その爆風と衝撃に呑まれてエルヴァは吹き飛び、地面で体を打ち付けながら転がる。


 辺りが騒がしい。痛みに耐えながら起き上がると、せわしなく帝国軍人と騎士たちが走り回っている。


 敵襲の鐘が鳴る。


「エルヴァージュ・セルストー!」

 頬に付着した土を拭っているとマーガレットが走り寄ってくる。

「無事か?」

「はい」

「悪いが雑用だけで事を済ませることはできなくなった」

 彼女の元に騎馬が駆け寄ってくる。マーガレットは騎馬の恐怖や興奮に対して首元や背を撫でることで落ち着かせる。

「貴殿が逃がしたのか?」

「結果的にはそうなりました」

「感謝する。逃がしていなかったなら大半の騎馬がやられてしまっていた。一時的に逃げはしたが、走れば落ち着き、多くの騎馬が乗り手の元に戻ってくれるだろう」

 騎馬に跨り、マーガレットは背負っていた馬上鎗を手にする。


「“傾聴せよ!!”」

 彼女の声が脳内で反響する。地面に打ち付けた箇所の痛みが和らいでいく。

「“防衛体制! 凌ぎ切ってみせよ!!”」

 そして、沈んでいた気持ちに高揚感が満ち、一切の恐怖が消え去る。

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