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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
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♭-5 共同戦線

生きていることに価値を見出すと、途端に過去の自分が後ろから刺してくる。

罪人が、なにを甘ったるいことを言っているのだ、と。

罪人が真っ当に生きることなどできないのだ、と。


だから必死に、真っ当に生きられるようになろうとした。


でもそれは、ただの自己満足。過去はいつまでも塗り変わらない。


俺はいつまで経っても罪人という事実から逃れられない。


その経歴はクルスにとって邪魔になる。


そう思ったんだろうか。


そう、思いたかったんだろうな。


裏切られたときに、そう思い込もうとした。


「寝不足?」

 馬車の決して寝心地が良い揺れとはいえないもので意識が睡魔によって半分飛びかけていたところをクルスに訊ねられて瞼を開く。

「昨日は結局、戻ってこなかったけど……ずっと怒られていたの?」

「だから怒られていたと決め付けるな。戻ろうとしたんだが呼び止められて、夜遅くまで兵法を教え込まれた。俺みたいな奴は合図を見てもすぐに察することができないだろうから、とな」

「そういやエルヴァは兵法を学んではいなかったんだっけ。普通は騎士を目指すなら兵の動かし方や王国流の合図を頭に詰め込むけど」

「座学の項目になかったからな」

「……どうして騎士になろうとしたの?」

「真顔で聞いてくるな」


 兵法を教えられていたというのは嘘で、実際にはそれとは正反対の淫靡なことに耽っていたなどとは言えない。翌朝に街の北門に集合時、マーガレットを見つかり、声を掛けられたが普段と変わらない対応を取られた。

 恋心や愛情を育むためのものではない。その言葉通り、昨晩の全ては誰にも語ることのない夢や幻で済ませろということだ。


 抱いた人を目の前にしても『この人を抱いたのか』などという実感は湧かなかったのだから、エルヴァの記憶も既にあれを夢ということで処理しているらしい。全ての感触は未だ全身に残されているのだが、きっとこれも忘れていく。

 忘れないようにしなければならない。体を張って学ばせてもらったのだ。惨めな死は、マーガレットの心に傷を付ける。


「それよりリスティは大丈夫か?」

「完全に二日酔いだろうね。馬車の揺れも合わさって、地獄なんじゃない?」

 現に(ほろ)の外に顔を出して、嘔吐している最中だ。

「着くまでの間に落ち着けばいいけどな」

「近場じゃなくて本当に良かった。というか、近場だったらリッチモンド様も私たちに酒を飲ませたりしないか」

「だろうな」

 数日で二日酔いが治まると踏んで、酒を飲むことを許した。二日酔いで前線に立たせることは絶対にしない。もしそうなるのなら、そもそも決起会に酒が並ぶことすらないはずだから、クルスの推測に納得できる。

「相変わらず、どこを見ても良い景色……って思うのに。なんで戦争なんて起こるのかしら」

「良い景色を欲しがるからだろ」

「戦争で良い景色じゃなくなるとしても?」

「そう言われたって知らねぇよ。戦争を起こす奴らの考えることなんて」

 クルスは「それは確かにそう」と呟き、欠伸をする。

「お前もよく眠れなかったんじゃないか?」

「不安とか、決起会での興奮とか、そのせいでね」

「なら俺みたいに寝ておけ。どうせ目的地に着いたら叩き起こされる」

「そうさせてもらうわ」

 クルスは支給された外套に身を包んで、瞼を閉じる。しばらくして静かな寝息が聞こえ出した。


「エルヴァ~」

「なんだ酔っ払い?」

「もう酔ってない。頭が痛い、気持ちが悪い、体が重い」

「耐えろ」

「さっき幌の外で吐いている最中に見たんだけど、小麦や野菜を運ぶのはまだしも馬車で牛や豚、鶏を運んでいるのはなんで?」

「食糧だろ」

「だったら先に解体した方がよくない?」

「お前、二日酔いで頭が回らなさすぎだろ。解体して肉にしたら腐る」

「……あ~、ああー! そっか、なんでそこに気付かなかったんだろ。だから家畜番もいたんだ……」

「生きている内は腐らない。食べる少し前に殺して血抜きし、食肉にする。兵站所での仕事をするんだろうな」

 家畜番だけではない。他の馬車には楽団と思われる人たちもいた。丁寧に楽器を荷馬車に積み込んでいたことと、騎士の格好をしていない点から見てもゼルペスか、あるいは別のどこかから軍楽隊として召集されたのだろう。

「駄目だなぁ、なーんにも思考が繋がらない」

「二日酔いはそういうものらしいから、今はなにも考えずに耐えろ」

「そうだね……エルヴァは酔わなかったの?」

「酔いはしたけど二日酔いとやらにはならない程度で抑えた。代わりにマーガレット様に呼び出されて怒られたけどな」

「だから途中からいなかったんだ。前夜に怒られるって、なに?」

「そこだけ冷静になるな。俺も分からなかったが、要は周りと足並みを揃えろってことが言いたかったらしい」

 妙に納得した顔をしてからリスティは再び吐き気を催したらしく、幌の外に顔だけを出して嘔吐する。その様を見るつもりはなかったので逆側からエルヴァは外の景色を眺め、幾つかの馬車が隊を離れていくのを目撃する。


 リッチモンドが言っていた通り、戦場に赴かせるには難ありの騎士候補生は違う目的地に向かうようだ。


「回復以外の魔法の使用を禁じる……か。でも、魔力で筋力を補うのは詠唱じゃないから問題ないか……? まぁ、死にそうになったらでいいか」

 戦争は国同士の軍隊が行うもので冒険者が用いる数々の魔法は禁足事項として挙げられている。強力過ぎる魔法は国家間のバランスさえも乱す。だからこその兵力による昔ながらの戦いが今も続けられている。


 馬車の中で渡された書類にはその他にも戦争における禁止事項が載っている。本当に全てを忠実に守っている人がいるのか不思議になるほどの量だ。


「俺としてはなんでもありの戦争をした方が手っ取り早くどこかの国が大陸を統一してくれると思うんだが」

 しかし、この考えには穴がある。なんでもありの戦争は人間を疲弊させるだけに留まらず、自然環境すらも蹂躙する。たとえどこかの国が世界の覇者になろうとも自然が荒廃し切ってしまっては意味がない。そうなると自然の残る場所に人々は集中する。すると荒れた土地には蛮族が暮らすようになり、やがて国家を転覆させる反対勢力となる。そうするとやはり戦争が起こる。

 人間の欲深さに終わりがなければ歴史はいつだって多大な犠牲を払いながらも繰り返される。

「連合が無茶苦茶をやったせいで俺たちまで出なきゃならなくなったらしいけど」

 今回の戦争の引き金は連合国によるものだ。書類には『連合国による連邦の民間人の虐殺』とある。戦争における禁忌に触れたから帝国も王国も黙っていられず挙兵するに至ったらしい。連合と連邦の争いに水を差す形にはなるが、目を背ければ禁忌を黙認したことになる。リッチモンドが言うように戦争には多くの目撃者が存在しているのだから、帝国と王国が禁忌を黙認したことは箝口冷を敷いても、人の耳にはいずれは入ってしまう。とても心象が悪くなり、現在の王政に大きな痛手となる。


 だからと言って、候補生まで戦場に送るのは無茶が過ぎるのではないか。エルヴァは書類を読み終えて、最後の一文に書かれている通りに折り畳んでから細かく千切って馬車の外へと捨てた。風に乗って舞い上がった紙切れは魔力を込められたインクの発火によって小さく燃え上がり、全てが灰となった。


 特に語ることもない景色、しかしながら平凡なその景色は人間の異常性が作り上げた景色に比べれば尊いもので、きっと損なわれてはならないものだ。


「ん?」

 眺める景色の向こうに、狼のような生き物がいたような気がする。ガルムかハウンドか。だが、あの狼は魔力で成された体というよりも見た目だけで言えば岩石に近かった。一瞬で見えなくなってしまったため、ただの岩石を動物と見間違えただけかもしれない。

 気にすることもない。むしろ岩が狼に見えるなど、逆に気が立ってしまっているせいだ。

 エルヴァはクルスと同じように外套に身を包み、眠りに落ちた。



 ゼルペスを出て数日が経過した。数度のキャンプを行い、どうやら拠点に到達したらしい。クルスとリスティとは途中の馬車で別れた。気を遣ったわけではなく、配属される隊によって馬車が分けられたためだ。

 しかし、初日ということもあってか馬車はこの拠点に集まり切っている。恐らくは探せば彼女たちの姿を見つけることもできるのだが、隊列を乱すことになってしまうため控えるしかない。


 リッチモンドが今回の戦争の意味について語っている。王国が被る不利益、連合の汚いやり口、帝国が連邦の領土を脅かさないか。それら全てを自らの手によって阻止し、裁き、監視する。既に戦線へ向かっている者たちを救援するためにも、加勢は正しい行いである。そんな具合に騎士と騎士候補生たちの士気を上げている。

「――次に、私の総指揮、その采配に協力してくれる軍師であるエドワード・エリクセンより貴公らに伝えたいことがあるそうだ」

 マーガレットに促されて、細身の男が壇上に立つ。髪は短く、筋肉は薄い。背もさほど高いほうではないが、表情から感じ取れる知的な雰囲気は『軍師』という肩書きを先に聞いているからだろうか。どちらにせよ、軍隊や騎士団にはあまり相応しくないタイプの男である。


「我が名はエドワード・エリクセン。リッチモンド・ビークガルドの同郷の者だ。彼の考え方、やりたいことは手に取るように分かっているつもりだが、自身の采配で君たちの命の多くを失うか、少数で済ませられるかを握っていると思うと実のところ恐怖で震えて昨日もよくは眠れなかった」

 弱音を吐かれてしまうとやる気が削がれる。騎士たちにも動揺が走っている。

「しかし、君たちが恐怖に向けて奮い立つというのならこの私も、力の限り君たちを生かすための采配を行うよう努力する。だが、これだけは知っておいてもらいたい! 軍師の采配が全てではない! 軍師の読みが全て当たるわけではない! 隊長たちから飛ぶ指示の数々は君たちにとって絶対的であるものだが、隊長もまた私やリッチモンドからの指揮を受けて、決断している! 隊長に怒りや恐怖をぶつけるな! 隊長もまた恐怖と戦っている! そして私たちの采配に、怒りや憎しみの念を抱きつつも、苦渋の決断をくだしているのだ!」

 エドワードはそのまま言葉を続ける。

「敵前逃亡は死罪である! しかしながら、戦いに戦い、戦い抜いて、もう死にたくないと思った者が逃げるのであれば私はそれを容認する! 心を擦り切らせたあとに命まで擦り切らせる理由などないからだ! この世に、命よりも大切な戦争などない! 命を擦り切らせてまで勝たなければならない戦争などないのだ! しかし、逃げる前に踏みとどまってほしい! 戦場に替えのきく命は合っても、君たちの存在に替えはきかない! 逃げる決断をして、務めから逃げれば、君たちが務めるべき役割から逃げれば! その穴を埋めるまでの間に多くの命が散る! 逃げるべき距離を、逃げるべき位置を! 決して見誤らないでもらいたい!」


 戦い抜いたら逃げて構わない。そのように言っておきながら、次の言葉で『逃げれば代わりの多くの犠牲者が出る』と言って脅している。結局のところ、逃げることは認めないのだ。その言葉の裏側を知りもしないで、周囲の騎士候補生たちはエドワードの言葉に魅せられ、酔っている。

 誰もが戦いたくなどないのだ。だから、上から寛容な言葉が出てくると安心してしまう。表側だけを都合の良いように聞き取り、解釈して。

「……決起会で、多くの特例に溺れたクセに本当に逃げられるとでも思っているのか」

 エルヴァは独り言を、誰に聞こえるでもないとても小さな声で呟いた。


「それでは! 先んじて敵を抑え込んでいる仲間たちの元へ! 我らも加勢するとしよう! 卑劣なる連合のこれ以上の虐殺を阻止するために! 大いなる栄光に満ちた王国のために!」


「「「「「「「「「「大いなる栄光に満ちた王国のために!!」」」」」」」」」」


 周囲が発する大声にエルヴァだけは参加せず、敬礼だけをしてエドワードを見送る。

「それでは各自、配属先の隊長の元へ行き、指示を仰げ! 私たちからの指揮と采配はそのあととする」

 解散することを命じられ、エルヴァは馬車まで戻る。

「喜べ、貴殿たち貴女たちよ」

 背後から声がして、心臓が跳ねる。

「私たちが向かうは第三基地。帝国軍人どもと戦線を同じくする場所だ」

 正規騎士のマントを翻し、マーガレットがそう言い放つと騎士候補生の顔色が良くなる。最前線ではないこと、緩衝地帯に放り込まれないことがなによりも嬉しいらしい。

「決起会の夜のことは無かったこととせよ」

 そのように囁かれ、返事をする前に彼女は他の騎士候補生たちに指示を出す。


 まさか、決起会の夜のことも考慮してエルヴァはマーガレットの兵士にさせられたのだろうか。リッチモンドの性格は面談以外で知る由もないのだが、あのときのエルヴァなりの分析では確実にそのような采配を行う。

 要は、口ではああも強がっていたがこういった形での嫌がらせだ。なのに第三基地なのは彼が義妹を最前線に立たせることを渋ったから。エドワードが同郷の者であるなら横の繋がりを利用した。そのように受け取れる。


 騎士候補生はマーガレット指揮下の正規騎士たちによって荷物をひたすらに運び、エルヴァもそれに従事する。


「第三基地は補給路防衛の(かなめ)だ。この要衝は相手にとっても狙いたいところだが、そう容易く行く場所でもない。私たちが候補生という芽を摘むわけにもいかない。到着後しばらくは戦闘ではなく重労働が続くだろうが、専念せよ」

 ようやく馬車に乗り込んでの出発となったが、運悪くもマーガレットと同じ馬車となってしまう。

「質問があれば各自、聞きに来い。個人的な内容であるなら耳打ちせよ」

 馬車に乗る候補生たちが戦況や、危険なのか安全なのか、戦闘は起こるのかどうかといった些末なことを聞いていく。そんなことはマーガレットにも分からないことなのだが、可能な限り彼女は前向きな言葉で返答していく。

 言葉の多くを理解するということは同時に物事を有耶無耶にする能力を身に付けるに等しい。分からないことであっても、それらしいことを言えば信じられやすい。それも自信あり気に言われれば、その道に精通する者がいなければ間違った知識でも納得させることができる。


 その様をエドワードの発言やマーガレットの受け答えから知り、エルヴァはもっと言葉を学んでいく決意をする。


「リスティーナとクールクースの配属先は分かりますか?」

 ほぼ全員――馬車に乗るのは五人程度なのだが、彼らの質問が終わったのを見てからエルヴァはマーガレットに耳打ちする。若干、エルヴァが近付いてくることを彼女は警戒しているようだったが、耳打ちされた内容を聞いて一安心している。


 無かったことにしろと言うから無かったこととしているのだが、むしろマーガレットの方が無かったことにできなくなっている。初めての女は特別な女になると言っていたことも踏まえて、言動が一致していない。


「リスティーナは第二基地、クールクースは連邦の民間人を避難させる部隊だ」

「危険度は?」

「第二基地は私たちよりも前線となるが、まさに決起会の日に大きな戦闘があったようだ。被害は甚大だが防衛し切り、敵は撤退している。敵側も消耗は激しく、次に大きく攻めるのにはまだ時間が掛かるだろう。避難部隊だが……最前線ではないにせよ、不安はあるだろうな。戦争においては攻められている側が要求すれば攻める側は民間人の避難路を確保し、そこへ攻撃を仕掛けることは許されないとなっている。だが、避難路を利用して敵が陣地の奥地に入り込む危険性もあるから、常に監視され、常に攻撃の構えを取られている。民間人が攻撃されないからといってだから避難誘導している部隊も攻撃されないわけではないから、通常であれば余計な挑発や威嚇を行わない限りは敵に攻撃されることはないはずだ。もしそこで戦闘が発生した場合は、避難部隊が敵を発見したからといって攻撃を仕掛けたか、もしくは敵側が民間人だけでの避難は許すが避難部隊による誘導は許さないという判断をくだした場合だ。分別の付く人間が敵側にいることを祈るしかない」

「そう……ですか」

「なにを案ずることがある? どちらも危険ではあるが大前提さえ覆されることがなければ安全な方だ。私たちに比べれば、な」

「やはり、僕たちのところは危険なんですね」

 察していたことにマーガレットが感心する。

「ふっ、貴殿は理性的だな」

「要衝が狙われないわけがない」

「そうだ。未だ第三基地は補給路の要でありながら、敵の攻撃対象になっていない。基地に至るまでの道が帝国と王国によって監視しているとはいえ穴がある。第二基地だって王国騎士たちで監視していたが攻められたのだ。兵站や後方支援との補給路を断てる基地を、敵が狙わないのは不自然であり、警戒しなければならない」

 襲撃する時期を見計らっているのだとすれば、連合はタイミングを逸したとしか言えない。補給路を断つならば補給や追加の部隊が来る前に済ませるべきだ。


 マーガレットへの質問を切り上げて、エルヴァは瞼を閉じる。馬車の中では不安や恐怖を運動では表現できない。だからこそ到着まで再びの自分の心との対話が続く。大丈夫だ、大丈夫だ、と何度も念じる。妄想の中で最悪のパターンを想定する。現実では上手い具合に物事が進むわけがないため、結局は妄想の域を出ないのだが、それでもなにも考えていないよりはマシだった。


 第三基地に到着する。馬車から降りてみると、候補生たちから小さな溜め息が漏れた。それもそのはず、この第三基地はとてもではないが基地と呼ぶにはありとあらゆる面で足りていない。基地と言うのだからもっと城のように堅牢な建築物であるのだろうと思ったが、あるのは木で組まれた櫓や馬防柵。そしてほとんどの建物が石造りではなく木造である。火矢に脆いのは明白で、すぐにでも対策を講じなければならない。

「潮の匂い……?」

「ハゥフルが手を貸してくれている」

「は……ふる?」

「海辺に住まう種族だ。此度の戦いの引き金となった虐殺はハゥフルの国で行われた。奇跡的に王族を一人ではあるが生還したものの多大な被害を受けた。国土を捨て、更に海の方へと住む場所を移すそうだ」

 見たことも聞いたこともない話を平気でされてもエルヴァは頭が回らない。


「エルフやドワーフじゃなくハゥフルですか」「ハゥフルは見た目がどうしても受け入れられない」「気味が悪いんですよね。海にずっと潜っていられるってだけで、人じゃない感じがして」


 どうやらエルヴァだけが種族についての知識が抜けているらしい。エルフやドワーフは頭に入れていたつもりだったが、世の中には他にも種族がいるらしい。

 王国はヒューマンを尊ぶ。至上主義でも原理主義でもないが、高い地位に立っている者のほとんどがヒューマンである。エルフやドワーフもたまに見かけたことはあるが、要職に就いているという話は聞いたこともない。その他の種族に至ってはほとんど見ていない。エルヴァの知識不足もそこから来ている。


「海って言ったって、この近くに海がありますか?」

 第三基地――戦場はどう見ても内陸である。内海のように見えるところはない。

「あそこに湖畔が見えるだろう。かなり大きな湖なのだが、あそこの水の成分は海水らしい。そしてそこからずっと進んだ先がハゥフルの小国と繋がっている。そして逆側を進むと海まで続いているそうだ」

 湖畔と川が薄っすらだが遠くに見える。

「人工物ですか?」

 候補生が訊ねる。

「恐らく、ハゥフルが内陸で暮らすために引いたものだ。そして、驚くな? ハゥフルは撤退しながら、この川と湖畔を()らしている最中だ」

「そんな……出来ませんよ」

「彼らは水魔法を得意とする。聞けばハゥフルの国では一日中、霧雨が発生しているそうだ。自分たちの皮膚が乾かないようにするためだろうな。そうやって生活基盤を立てられるのだ。そして、撤退を終えたあとに、その経路を残してはおけない。あの湖畔も川も逃げた痕跡でしかなくなる。だから涸らすらしい」

 そうやって容易く水を涸らしたり内陸まで引くことができるのなら、乾燥地帯を緑豊かにしてくれ。そのようにエルヴァは思う。しかし、扱う水魔法に必ず海水の成分が含まれるようならば塩害を招く。安直に物を考えてはならないのかもしれない。


 大体の話をマーガレットから聞き終えて、この基地ともなんとも言えない場所の倉庫にまずは食糧を運ぶ。続いて馬防柵の作成と、中途半端に放置されていた砦柵(さいさく)の設営も手伝う。しばらくは重労働が続くとはこのことらしい。騎士たちはマーガレットの指示を仰いであちらこちらで動き回っているが、エルヴァたち候補生はひたすらに下っ端として肉体労働を強制される。そのことに候補生の多くが不満を零していた。

 戦いを求めている。どうせ敵を見たときに動けなくなるクセに蛮勇を抱えて、英雄になれるとでも思っている。その英雄が敵側に現れ出でる可能性もあることを考慮できていない。

 どこまでも落ちて、落ちて、落ちて、残飯を食べて必死に生きてきたエルヴァだから分かる。この世界はそう都合良く、自らの人生を幸運と幸福と奇跡で彩ってはくれない。


「貴公ら、来るんだ」

 騎士に呼ばれ、一時的ではあれ重労働から解放されることに喜びを覚える。垂らし続けていた汗を腕で拭い、隊列を組んでマーガレットを待つ。

「此度の戦争は帝国と共闘することとなる。特にこの第三基地は記録に残るかどうかは定かではないが、帝国軍人と共に防衛するべき場所だ。私たちは先ほど別の場所にて自己紹介を終えたが、彼らにもこちらで自己紹介をしてもらおうと思う」


 騎士ではない者たちがエルヴァたちの隊列の横に並ぶ。軍服――だろうか。まだ戦いは起こっていないため鎧を着てはいないが、騎士や候補生が着る衣装に比べて軽装に見える。

 胸元に見えるのはドッグタグ――プレート状の簡素な物だ。国によって形が異なるとは本当のことだったらしい。


「我が名はエルミュイーダ・カルヒェッテ。そしてこっちはレストアール・カルヒェッテだ」

 姿勢を崩さず、一切の隙もない。狐のように細く鋭い目には闘志が宿っている。彼女の登場で雰囲気は一気にピリピリと張り詰めたものとなる。その隣に同じく背筋を伸ばし、やはり一切の隙がない男が立っている。姉のように目付きは鋭くないが、だからといって穏和な顔付きでは決してない。まさにこのまま人を殺しに行くような、怖ろしい気配を発している。顔に複数の切り傷があるのも拍車を掛けている。

「帝国と王国……我らは互いに争い、互いにいがみ合う間柄ではあるが、今このときにおいてはその争いを続けている場合ではない。連合の暴虐を阻止するべく、我らは国を()ったはずだ。手を取り合おうなどと呼びかける気はない。交流を深める場でもない。しかしながら、叩くべきは連合の者たちであるのだと共に認識してほしい。この場、このときに限って我らは共に戦線に立つ仲間だ。我ら帝国軍人よ、王国騎士だからと見捨てるな! そして、王国騎士の方々よ、帝国軍人だからと切り捨てないでいただきたい! 互いが生きる帝国と、王国と、そして世界のために! 記録に残らずとも記憶に残る生き様を見せつけようではないか!」


 帝国と王国が協力し合って防衛する。恐らくは第三基地だけではない。他の要衝でも共闘は行われる。

 しかしそれを表沙汰にしてはならない。なぜなら帝国と王国は同盟を結んではいないから。なんなら王国は連邦と同盟を結んでさえいない。ただでさえ連合と連邦の争いに横槍を入れている状況だ。領土侵犯をされていないのに見かねて連邦に肩入れすること自体が異例である。更に帝国と王国が手を組んで加わろうなど無茶苦茶が過ぎる。連合側からすれば、この動きは連邦を防衛するためだけに留まらず、連合への侵略への足掛かりと考えるだろう。

 だから公式には残せない。王国が要衝を守るために兵を動かしたら、偶然にも帝国も同じように兵を動かしていた。偶然という形で、終わらせなければならないのだ。

「世界の覇者が治める帝国のために!」

「大いなる栄光に満ちた王国のために!」

 エルミュイーダとマーガレットが叫ぶ。それに合わせて帝国軍人と王国騎士も同じ言葉を叫ぶ。


「国のためと言って生き残れるんならいくらでも言ってやるんだがな……」

 エルヴァは一人、捻くれた考えを吐露する。幸いにもその声は周囲の叫びによって、誰にも届くことはなかった。

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