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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
473/705

♭-3 感謝

 高いところを見ているようで、低いところを見ているようで、

 どこを見ているのか分からない。

 エルヴァージュ・セルストーはそんな奴。

 好きになる要素は一つもなくて、嫌いになる要素はいくらでもある。


 なんであんな奴を好きになったの? って聞きたかったけど、


 聞いたところで、明確な答えを返される気はしなかった。


 理屈じゃないんだと思った。


 でもさ、

 二人とも素直じゃないから、


 離ればなれになった。


 騎士候補生の悲鳴が上がる。その悲鳴を魔物が雄叫びを上げることで掻き消す。


昨日(さくじつ)より行っている実戦形式の訓練は養成所で行っていた訓練とはワケが違うぞ。声を張り上げるなら気迫を込めろ。へっぴり腰になる前に立ち向かえ。死が間際に迫るというのなら跳ね除けてみせろ」


 ゼルペスには闘技場が三ヶ所にあり、小型闘技場は主に騎士候補生の訓練として用いられる。しかしながら全三ヶ所は普段から閉め切られており、開かれるのは年に四回の催し事のときのみ。それこそ奴隷同士の殺し合いや奴隷と魔物の対決を見せ物にし、観戦したい人々からお金を徴収し利益とする。

 なので、年に四回しか利用されないのなら、有効活用する方法はないものかとスチュワード・ワナギルカンは考え、その結果として候補生の訓練に用いる形式が数年前から整ったという。


 剣を振り乱すが、魔物はそんなものでは怯えもせず、驚きもしない。適切な距離を保って攻撃する隙を窺っている。


「目を逸らすな、逃げようとするな。追い詰められれば一気に攻め立てられるぞ。逆に追い詰めるように押し込んでいけ。貴様は一人で戦っているのではない。周りの仲間との連携でもって、その魔物を仕留めろ」

 闘技場の観戦席よりも近く――仮設でこさえられた壇上で教官とも呼ぶべき正規騎士が檄を飛ばす。


 しかし、騎士候補生たちはパニック状態にあり、まともな連携が取れる素振りはない。


「止まるな、走れ! これはどこの戦場でも同じだ! 魔物でも人でも、戦場で止まった者から死んでいく! 死にたくなければ動き続けろ!」


 血飛沫が上がる。魔物からではなく、騎士候補生の首元から。

 一番に怯えていた騎士候補生に飛び付いた魔物は一切の遠慮もなく首に噛み付き、その肉を力ずくで噛み千切ったのである。


「馬鹿者めが! ハウンドごときで本当に死んでどうする!」

 正規騎士が壇上から飛び降りて、血肉を喰らっている魔物へと迫る。その殺気を感じ取った魔物がすぐさま翻り、正規騎士の剣を避けると、素早く走り回って後方を取って襲い掛かる。

 振り返りざまに正規騎士が剣を振り抜き、魔物を両断する。

「死体を袋に詰めて防腐処理を行え。訓練中に事故死したなど家名を汚す。街を守るため魔物に勇敢に立ち向かい、奮戦したと報告せよ」

 部下に正規騎士が伝え、死体は複数人の手で闘技場の外へと運ばれていく。生き残ったはいいが、へたり込んで動けなくなっている四人の候補生に一喝し、すぐさま「観戦席へと戻れ」と怒鳴る。


「マーガレット様、このままでは自信を無くして騎士を諦める者が増える一方です」

「数年前よりスチュワード様がお決めになられたことだ。やらねば我らの首が飛ぶ」

「しかし!」

義兄上(あにうえ)には既に上申している。その声が耳に届くまでの辛抱だ」

 血に染まった剣を布で拭い、鞘に納めて正規騎士――マーガレットは遠回りしつつも壇上に戻っていく。


「死ぬ前に止めろよな、って話だ」

 出場する鉄格子の門が開かれるときを待ちつつ、場内で起こった一連の出来事についてエルヴァが愚痴を零す。

「人が死んだのによくも冷静でいられるわね」

 震え声でリスティは言う。

「それが当たり前だったからな」

「エルヴァの出身地は荒れすぎでしょ」

「王国の統治も万全ではないのかしら」

 クルスはリスティの横で冷静に分析する。しかし、体の末端が微かに震えているところを見ると彼女も怖ろしさを感じているようだ。


「次! クールクース、リスティーナ、エルヴァージュ!」


 鉄格子の門が開かれて待機していたエルヴァたちは後ろの騎士たちに促されるままに入場する。

「座学、模擬戦のどちらでも優秀な成績を残しているのは認めよう。だが、実戦でそれらを活かせなければ意味はない。私に貴様たちの騎士道を見せてみよ!」


「だからっていきなり『魔物と戦え』は無茶苦茶だよな」

「さすがのエルヴァも弱音を吐くんだ?」

「死んでからじゃ遅いからな。弱気な自分と弱音を吐く自分は今の内に見せておかないと」

 テキトーなことを言いつつ、エルヴァは剣を抜く。


「これで騎士になっても、使い潰されるのは確定か。若い人ほど最前線に行かされて、後ろでふんぞり返っている人たちばかりが生き残る。マーガレットさんとそのお兄さんは叩き上げだと思うけれど」

 クルスは幻滅したように溜め息をつく。

「もう! なんで二人ともそんなに暢気なのよ!」

 リスティがやけっぱちになりかけながらも剣を抜く。

「内心じゃリスティと同じくらい怖いよ。だから普段通りの自分を演じているの。でないと気が狂いそうだから」


「初めての魔物退治を三人組で行うのはやや難しいだろう。魔物の等級を下げてやれ。ハウンドではなくガルムを放て!」

 エルヴァたちとは正反対の鉄格子の門が開かれ、魔物が入場してくる。

「待て……あれはガルムか?」

「ええ、そのように報告を受けております。捕らえてからも大人しく、ガルムで間違いないかと」

「貴様の目は節穴か!? あれはガルムはガルムでもマーナガルムだ! ハウンドよりも厄介だぞ!」

 マーガレットが壇上で部下を罵る。

「実戦を中止する! 三人は後ろに下がって退場せよ! あの魔物は私が、っ!」

 闘技場を中心に魔力の波濤が(ほとばし)り、マーガレットとその部下たちが吹き飛ばされる。

「くっ! 結界だと?! 術者を探せ! 或いは発動元や巻物の使用者だ!」

 吹き飛んだマーガレットは素早く闘技場へと舞い戻り、駆け付けようとするが魔力の壁に阻まれエルヴァたちの救援に入ることができないようだ。

「貴様たちは死ぬには惜しい人材だ! 私たちが駆け付けるまでどうか耐え忍び、生きてくれ!」


「エルヴァ! 逃げ道が!」

 入場した門を潜り抜けようとしたリスティが見えない壁に阻まれて弾き飛ばされていた。クルスが鎗を抜き、刺突で魔力の壁に穴を空けようと試みていたがどれもこれも弾かれ、打ち砕くに至らない。

「駄目ね。私たち程度じゃ束になったってこの魔力の壁は砕けない」

「魔力の授業は受けているが、壊し方まではまだ習ってないからな」

 そもそも壊せるかどうかも定かではない。三人とも魔の叡智とやらには触れているが、使える魔法は単純なもので難度の高い魔法は一つも唱えれない。魔力を蓄える器も鍛えている最中で、その容量も決して多くはない。発動している魔法を上回る魔力で上書きできるほどの量を注入できない以上、この場で三人が結界を解くことも結界の外へ逃れることも不可能である。


 闘技場の中心で狼――ガルムが吠える。


「マーナガルムってなんだ?」

「終末個体化前のガルム」

「終末個体化?」

「ガルムはマーナガルムを経てリュコスになるの! 変異前!」

 そのように怒鳴られても魔物についてエルヴァは博識ではない。学んだことは白兵戦や対人戦であって魔物退治ではないからだ。元から頭は良くない方で、それを身元引受人が用意した詰め込み授業によって騎士養成所へと転がり込んだ。だから騎士になるために不必要な情報は捨てた。


 マーナガルムは小さく唸り声を発しながらゆっくり動き、こちらの様子を窺っている。


「どうしますか、クルスさん?」

 リスティがクルスに指示を請う。この場では座学と模擬戦、そのどちらでも敵うことのなかったクルスが強者である。彼女の指示を聞かずして、誰の指示を聞くというのか。無意識にエルヴァも彼女の指示を待っていた。

「逃げに徹したって獣型の魔物は素早いから、人の足ではいずれ追い付かれる。防戦に徹しても、私たちは闘技場の舞台からは出られない」

「壁を背にして三方向を見るってのはどうだ?」

「やってもいいけど、マーナガルムが跳躍して頭上から襲いかかってきただけでその陣形は崩れてしまうけど」

「なら三人で予め避ける方向を決めていたらどうでしょう?」

「危険な賭けになる。私たちは回避だけど、魔物は襲撃から追撃に移れる。誰か一人でも起き上がるのが早かったり遅かったりしたら、そこに来る」

「ウダウダ言っていても仕方がねぇ」

 マーナガルムが吠え、歩行を徐々に走行へと移す。

「止まったら死ぬ。生き続けるために動き続けろ。そう言われただろ」


 死の覚悟。そんなものをエルヴァは持ってはいないが、生きているから生きているという考えがある限り、死が向こうから舞い込んでくることについての怖れはない。だからといって、ここで足並みを揃えずに突貫するのは筋違いだ。死ぬことはできるが、二人も巻き添えで死ぬ。

 自らの死によって、別の誰かまで死ぬ。エルヴァはそれを望んでいない。自らの死で迷惑を掛けることすらも望んでいない。


 答えなど初めから出ている。この真正面から今まさにエルヴァへと飛び掛かってきているマーナガルムを、結界が解けるまで跳ね除け続けて生存する。これは受け入れていい死ではない。

 力任せに放った剣戟を浴びて飛び掛かった魔物が後退する。

「宙で後ろに飛び退いたぞ」

「魔力を足先から逆噴射させたんだと思う」

 後退はしたが攻めの姿勢は崩せない。マーナガルムは再度、突撃してくる。これをエルヴァの横まで出てきたクルスが鎗を横薙ぎに数回振るって退かせる。

「間合いなら私の方が有利。エルヴァは私の護衛をしてほしい。リスティは突発的な動きに対応して」

「「了解」」

 クルスを中央に、エルヴァとリスティが彼女のやや後ろ左右にそれぞれ立つ。

「可能な限りこの陣形を保って壁を背にしたい」

「そのまま防衛か?」

「いいえ、さっきあなたが言ったように止まっていたら死ぬ。壁を背にした私たちを見て、あの魔物がどう動くかを見たい」

「命懸けの観察をする羽目になるとは思いませんでした」

「こんなときまで丁寧に話しかけている場合か!」


 マーナガルムが信じられないほどに裂けた顎を開き、咆哮を上げる。なにかの合図とも取れるが一匹で合図を取る理由もない。そうなると今の咆哮は、これから獲物を狩るという宣言だとエルヴァには受け取れた。


 地を蹴った。そこまでは目視できた。しかし接近までは把握し切れなかった。あまりにも速い突撃。クルスもエルヴァも反応できない中、リスティだけが強く踏み込んで剣による刺突でこれを制す。首元を刺された魔物は弱々しい鳴き声を一瞬だけ上げたが、地面に体を打ち付けてから立て直す間にすぐに凶暴性を取り戻す。

 再びの突撃もまた目視できる代物ではなかったが、クルスが鎗で打ち払う。

 尾が蛇のように伸び、先端部が鋭く尖る。この追撃をエルヴァが剣で打ち飛ばし、幾度となく行われる尾の攻撃を二回、三回、四回、五回と全て丁寧に剣戟で処理して回避していく。その間にクルスとリスティが後退し、それを見たマーナガルムが尾でエルヴァの動きを制限したまま目視不可の突撃を二人に狙いを定めて行う。一撃目はクルスが退け、二撃目をリスティが跳ね除ける。尾の攻撃は止まらない。エルヴァは二人の元まで下がることができないままに、ひたすらに尾を剣で弾き続ける。


 次第に呼吸が乱れ始める。荒く、苦しく、息が続かなくなってくる。

 だが、意地でも呼吸は続ける。疲労で(こうべ)を垂れない。視界は常に真正面に、剣は己が肉体の筋肉と連結しているかのように錯覚して、重さなど考えずにひたすらに振るう。

 焦りはある。尾の対処をしているだけで魔物本体を捉え切れていない。二人の元へと下がれない。このままでは二人が守れない――のではなく、自身が孤立してしまう。マーナガルムは明らかにそれを狙っている。クルスでもリスティでもなく、エルヴァをまず最初に仕留める気なのだ。


「クッソ……!」

 二人に攻め立てていた魔物が急旋回して跳躍し、魔力の壁に着地してから地面のように蹴って更なる跳躍を行う。狙うはエルヴァのうなじ。背後から迫る気配は分かっていても、正面から刺し貫こうとする尾を無視することができない。無視すればマーナガルムの牙からは逃れられるが、尾に一突きにされてしまう。


「力量差から獲物たちが引き下がると読んで、複数人からただ一人を孤立させる。それがあなたの計画?」

 エルヴァの背後に迫るマーナガルムにクルスが迫る。

「それって追い詰められた獲物の反撃を頭に入れていないんじゃない? それとも、恐怖しているから反撃できないとでも?」

 鎗の穂先が魔物の尾の根元を引き裂く。尾に緩みが起き、エルヴァは翻って魔物の牙を剣身で受け止める。剣身を噛み砕こうとするので力の限り縦に振り抜いて、マーナガルムは縦の遠心力と合わせて地面に叩き付けて引き剥がす。

「リスティ!」

 エルヴァの合図でリスティが疾走する。

「ここっ!」

 地面に打ち付けられた反動で跳ねているマーナガルムの腹を疾走から繰り出す鋭い突きの一撃で貫く。リスティは足を止め、僅かばかりの魔力を剣先に込めて魔物を向こうの壁まで押し飛ばす。

「……やっぱ頭おかしいよな、お前の突き刺し」

「私が鎗を教えてから刺突が明らかに強い」

「一芸を磨いている内に二人に遅れを取っちゃったけど」

 そうでもない。エルヴァとクルスが反応できなかったマーナガルムの初撃をリスティは防いでみせた。先にクルスから指示を受けているとはいえ、目視不可の速度で走ってくるとは考えない中、彼女だけがそれを考慮して体を動かせていたのだ。


「止まれば死ぬぞ!」

 マーガレットの檄が飛ぶ。瞬間、油断し切った三人をまとめてマーナガルムの生え変わった尾がはたき飛ばす。


 強烈な痛み、続いて吐き気、終わり際に来る眩暈と失神へ誘う緩やかな眠気。尾で打たれた部位はちゃんと体にくっ付いたままか。確認することに強い恐怖の念を感じる。見たくない、だが見なければ自分の体が今、どうなっているかも分からない。

 恐る恐る見てみると、意外と肉体は頑丈にできているようで奇跡的にどこの部位も欠損していない。しかし、肌の色が明らかに悪い。呼吸すると血痰を吐き散らす。肺がやられているのかもしれない。

 クルスは起き上がろうとしているが、片足が曲がってはいけない方向に曲がっている。リスティの呼吸は安定しているように見えるが一向に起き上がる様子がない。

「間に合え!!」

 マーガレットの叫びが届いたのか、魔力の壁が一挙に解ける。しかし、彼女が舞台に飛び降りてエルヴァたちの場所まで到達するには数秒は掛かる。その数秒がマーナガルムに狩りの猶予を与える。


 たとえ死のうとも、獲物を貪る。殺意という名の本能がエルヴァたちへ――いや、クルスだけに向いている。彼女も察知してはいるが動けない。恐怖の色が顔を覆い尽くし、絶望からか抗うことを諦めて横たわる。


「動けぇえええええええ!!」

 叫んだときにはもうエルヴァの体は動いている。あとは心と気持ちの問題だ。体とは正反対に後ろ向きな感情に発破をかけなければ対峙したときに迷いが生じ、守れずに死ぬだろう。

 疾駆するマーナガルムと、立ち上がれないクルスの合間にエルヴァは割り込む。その牙を、その爪を、剣と体で受け止め切ったのち、マーガレットの剣が魔物の体を上半身と下半身に両断する。


 荒く息をつき、倒れかけるが膝立ちで耐える。剣を落とし、天を仰ぐ。


「“癒やしの力よ”」

 気絶から復帰したリスティがクルスに回復魔法を唱える。不自然に曲がった片足が綺麗に元通りとなり、彼女がエルヴァに近付く。

「“癒やしの光よ”」

 続いてクルスがエルヴァに回復魔法を唱える。胸部の痛みと色がおかしくなった部位の痛みが少しずつ引いていく。

「“癒やせ”」

 そして最後にエルヴァがリスティに詠唱し、彼女の頭部の出血が止まる。


「マーガレット様! 巻物を使った者を捕らえました! 先月に養成所を卒業した者のようです」

「動機は?」

「下級生への劣等感、と申しております」

「ガルムをマーナガルムと見間違えて捕らえたのはこちらのミスだが、そのミスに思わぬ()の偶然が重なったものだ……死なせるつもりもない者まで死なせるところだった。よく耐えた、いや、よく凌いだ。よく生きた。貴殿と貴女(きじょ)たちに不要な恐怖を与えてしまったことを心から詫びよう」

 正規騎士が候補生に頭を下げる。傍目から見れば無様だが、当事者たるエルヴァたちにはその潔さが心地良く感じた。

「以降の実戦訓練を中止する。再開は追って知らせる。この三人を病院へ運べ。魔法で傷が多少は癒えているが魔力が足りていない。神官や僧侶、医師による治療も手配しろ」


「エルヴァ」

 片足を引きずりつつクルスが近付く。

「ありがとう」

「……感謝されたくてやったわけじゃない。これは訓練だから、評価点が欲しかっただけだ」

「ふぅん……私に感謝されたくなかったってことかしら?」

「そうじゃない」

「感謝され慣れていないだけですよ、エルヴァは。普段から感謝されるようなことをしていないので」

「ちげぇ……」


 様々な犯罪に手を染めた。子供だから、幼かったから、生き抜くのに必死だったから。正当性を得たいがために沢山の理由を付けて誤魔化していた。


 しかし、クルスに純粋な感謝を受けたことで唐突に罪悪感が込み上げてくる。省みたくもないのに、記憶がエルヴァを痛め付けてくる。


「被害者振るつもりなんてない」

 掠れるほどに小さな呟きは感情の吐露であり、クルスやリスティには決して届いていない。それでも声にしなければ奇声を発していただろう。

 罪を背負って生きる。単純明快な答えはあるのだが、それを成すのは困難だ。しかも贖罪は死ぬまで――無期限に続く。


 唐突に抱いた罪悪感と、それを許さない正義感の両方があって対立している心が、エルヴァは気持ち悪かった。

///


「……ふむ」

「書簡の内容について、いかがなさいますか?」

「国王――兄上が決めたことならば従うしかあるまい」

「では、スチュワード様が直々にお出向きになられますか?」

「いや、城主が不在では侵略には備えられん。書簡にもワシが出ずとも()いと書かれておるわ」

 謁見の間にて老人は溜め息をつく。

「戦狂いで有名なこのワシを出さんのは、侵略云々への備えなどではなく世間体を気にしてのことだろうな」

「と、申しますと?」

「貴殿には既に話したじゃろう。此度に行われている戦に大義などない。連合の起こした狂気を止めるために帝国と連携してはいるものの、戦線は押されている」

「存じ上げております。しかしながら、そこに大義がないとは思いませぬ」

「連合が民間人の虐殺に手を染めたのであれば、ワシら王国も禁忌に手を染める覚悟を決めた。帝国も同じく禁忌を犯す準備を始めておるじゃろう」

「……『クローンの投入』と『冒険者の徴兵』。確かにこの戦争において禁忌とされるこれらを投入すれば、連合とて跳ね除けられるでしょう。しかし、戦後処理においてどれほどの罪を(なす)り付けられることか。ゆえに大義はないのですね」

「その通り。そして、兄上め……よっぽど若さに執着しているらしい。若い芽をそんなにも摘み取りたいのか……」

「まさか派兵に騎士候補生も……? 騎士団にすら所属していない彼らを戦線に駆り出せと仰っているのですか?!」

「ワシだって歯向かいたいところじゃが、王国は兄上の国。勅令を断ればワシらは揃いも揃って断頭台行きか火刑じゃ。若者が国から減ることは衰退に繋がるというのに……そんなにも自らの息子や娘に実権を握らせたいか……」

 後半は尻すぼみに、小さな声でありながら怒りの発露があった。

「総指揮は貴殿に任せるぞ」

「お任せあれ。このリッチモンド・ビークガルドが必ず、成し遂げてみせましょう」

「うむ、頼むぞ」

 スチュワードが全幅の信頼を男に委ねる。

「戦線へ赴く騎士候補生を決めたのちは贅沢をさせよ。だが、拒絶する者や脱走を考える者には容赦のない罰を。罰という恐怖がなければつけあがる者がいるのでな……未成年であっても酒への配慮を。独身の者がおるなら娼婦をあてがえ。女を知らぬ男は簡単に命を捨てたがる。生きて女をもう一度抱くという気持ちで引き留めさせよ。候補生の女も、男を知りたいというのなら男娼をあてがえ。容姿への要望があるなら可能な限り実現させよ。いや、男同士や女同士を好む者もおるから注意せねばならんな。しかし、」

「女や男を知って満足し、逆に迷いなく命を捨てたがる者もおりますから、こちらで選び抜きます。スチュワード様に負担を強いることなど致しません」

「それでは、戦線だけでなくそちらにおいても仔細任せる……おお、言い忘れておった。騎士候補生の実戦訓練じゃが、思うような成果を得られていないと聞く。貴殿の妹よりの報告もある。来年から訓練内容の変更も考えておるよ」

「ご高配賜り、感謝いたします」

「では」

 スチュワードは謁見の間から去っていく。その後ろ姿を見届けてからリッチモンドは大きく息をつき、緊張で高鳴っている心臓をゆっくりと静めさせていく。気持ちを落ち着かせたのち、彼はスチュワードが使った扉とは逆方向にある扉を開け、廊下に出る。


「義兄上」

「どうした?」

 廊下を歩いていると、正面からマーガレットが駆け寄ってくる。

「スチュワード様にはお伝えしてくださいましたでしょうか?」

「前々から伝えている。来年から内容の変更を検討すると仰られた」

「っ! ありがとうございます!」

「気にするな。メグが毎年出る死者に心を痛めていることぐらい俺も知っていた」

「この御恩は必ず!」

「迷惑とは思っていない。義妹からの頼みなら断る義兄もいまい?」

「しかし、私は義理の妹でしかありませんので」

「義理であろうとメグは俺の妹だ。そして、騎士候補生を育てているメグには申し訳ないのだが」

「……やはり、戦線へ送り出すことになりますか」

「すまない。それに、今回はメグの力も借りなければならないだろう」

「私の力で義兄上の手助けができると言うのなら、喜んでこの剣を振るいましょう」

「感謝する。では、出兵への準備に移りたい。騎士候補生の書類を持ってきてくれ。候補生について、メグの所感も聞いておきたい」

「はい!」

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