♭-2 研鑽
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どうすればよかった?
お前は僕にそう言ったよな?
違うだろ?
お前が僕に、してほしかっただけだろ?
そうやって、受け身で待っていれば僕が動くと思うか?
……ああ、違うな。
そう、違う。
本質はそんなところにない。君も僕も、動くのを待っていた。
どっちも受け身だった。
どっちかが動いてくれるのを待っていた。
いつまで待っていたって、なんにも変わらないのにな。
「口調を直しなさいって言われたことはない?」
「ねぇけど」
「だったら騎士見習いになる前に早い内に直した方がいいと思う」
「……本気で騎士になりたいと思っているとでも?」
エルヴァは分かりやすい挑発の問い掛けをリスティへと向ける。
「なるならないにしたって、あなたの口調は周囲に波風を立たせるから直しなさいって言っているの」
「そういうお前の口調は正しいとでも?」
「私は切り替えているだけ。ちゃんと目上の人には丁寧な喋り方をしているでしょ」
「じゃ、俺は目上じゃないってことか」
「当然でしょ。馬鹿なの?」
挑発したつもりが、逆に挑発され返されてしまった。
「ま、一目瞭然よ。あなたが本気で騎士になりたいと思って養成所に来ていないことくらい。剣筋と、目線の攻防と雰囲気で分かるから」
「観察眼ってやつか」
「そんな大それたものじゃないけど」
「じゃぁ、そのお得意の観察眼でマルハウルド家の御令嬢の本質も見抜いてくれないか?」
エルヴァとリスティの持つ木製のトレイに食堂で働く女性が料理を配給する。パンとスープと野菜で、肉も載せられはしたがさほど多くはない。
「あの方は本当に騎士を目指しているように見えたわ」
「見えただけか」
「実際、話したこともないから」
「もう半年も経っているってのにか?」
なんとも薄情な話じゃないか。そういったニュアンスを込めてエルヴァは言ってみるが、思えば自身も一度もクールクースと言葉を交わしたことがないことに気付く。
「仕方がないじゃない。養成所での訓練が始まったときから格が違ったんだから」
だったら話せば本質が見えるとでもいうのだろうか。そう訊ねる前にトレイに全ての料理が載せられ終わったため、一足早くエルヴァは席を探す。
高すぎる素質や才能は人を孤独にする。
アレウスが無理やり読まされた本に記されている通り、クールクースは食堂の片隅でただ一人、食事を摂っていた。そのテーブルにはまだ空きがあり、椅子もまた空いているというのに誰も隣に座ろうとする気配はない。
分かりやすい一例が目の前にあるとただの知識として放り込んだ情報がさながら真実であったかのような錯覚に陥りそうになった。本に書かれていることが全てであるのならこの世の全ての本はただの一冊に集約できる。それができないのだから、本というのはいくらでも作者の手から生まれ落ちるのだ。
「他人と関わりたいって思っているのかな?」
「知らねぇ」
半年間、ずっとクールクースを越えられない。劣等感を通り越して諦観に入りつつあるエルヴァからしてみれば、なにもかも十全な状態でないことの方がありがたさを感じるほどだ。これで交友関係まで完璧だったなら、人間なのかと疑うほどだった。
「それより、人の振り見て我が振り直せって言うだろ。お前はなんで俺に構うんだよ」
「剣術であなたに勝つまではあなたに拘るって決めたから」
「気味が悪い」
「私は執念深いから」
「いやそれは執着だろ」
リスティーナ・クリスタリアはエルヴァにとって最も話しやすい人物である。異性ではあるが話しにくさがなく、異性であるからといって気を遣う部分がない。無論、これは養成所での訓練中における間だけの話である。着替え、洗濯、沐浴――そういった私生活においては存分に気を遣う。むしろエルヴァだけでなくリスティも気を遣わなければならない。言うなれば公私混同を控えることで、異性間における問題は養成所で過ごしているときだけは排除される。
騎士養成所に入って一ヶ月で打ち解けたが第一印象はお互いに良くなかった。エルヴァはリスティを『小綺麗な世界で生きてきたような奴に見えるから最初に叩き潰す』と思い、リスティはエルヴァを『明らかに品性が乏しくて騎士に相応しくないから徹底的に潰す』と思っていた。だが、日々の中で張り合ってみるとなかなかに相手が折れたり挫けたりしなかったため、現在に至る。
エルヴァがほんの少しクールクースに気を取られていると、ドンッと強く体でぶつかられて手に持っていたトレイを落とす。載せられていた料理は全て床に転がり、零れ落ちた。
「わざとじゃないんだ。それに、周りが見えていないのが悪いんだぜ? ちょっと成績が良いからって浮かれて……」
床に落ちたパンを拾い、肉を拾い、まだ器に残っている僅かなスープを啜る。
「気にしないでください。落ちたからって食べられなくなるわけではないんですから」
パンを齧り、エルヴァは自身にぶつかってきた上級生を睨む。
「でも教えられた通り、気を付けることにします。模擬戦の相手が僕になったとき、教えられた通りにできているかちゃんと見せてあげますよ」
「……気持ちわるっ」
上級生は捨て台詞を吐いて、エルヴァの元から去っていく。
「よくある嫌がらせね」
「本の中だけだと思っていたよ」
「私の分、少し足そうか?」
「僕は別に君に同情されたいわけじゃないから気にしなくていい。それに、食べられないってのは嘘じゃない」
土で汚れた肉を、野菜をエルヴァはトレイに載せ終えて、テーブルの上に置く。
「踏み付けられていたら駄目そうだったけど、落とした程度で駄目になる食べ物なんてほとんどないんだよ」
椅子に座って、当たり前のように野菜を口に運ぶ。リスティは「やれやれ」と呟いて、その対面の席に着いた。
「強がりじゃなくて本気で言ってそう」
「本気で言っているが?」
「まぁ、前もトレイから落としちゃった料理を平気で食べているところを見ているから本気なんだろうとは思っているけど……それより、さっきは目上の人に丁寧な口調で話せていたじゃない」
「自然と出た」
「はぁ……怒ったとき以外もそうやって話せるようになりなさい」
「……怒っていたか?」
「怒っていた。殺す気だった」
隣からの発言に思わず顔を向ける。そこにはクールクースが無表情のままパンを口に運んでいる姿があった。
どうやらぶつかった位置と偶然にも座った位置が彼女の隣だったらしい。孤独に食事をしていたクールクースのテーブルに思わぬ形で食事を摂る形となってしまった。
「強くハッキリと殺意を込めていたけど、ぶつかってきた上級生は気付いていなかった」
「へぇ……」
上手く相槌を打てず、感心したような風を装いつつエルヴァはトレイに残っている食べ物を急いで平らげていく。
「早食いは胃に負担をかける。私の隣に思わず座ったからさっさと立ち去りたいのは分かるけど」
「エルヴァは普段から早食いなんです。以前にも注意したのですが『人に喰われる前に喰わなきゃならないだろ』と妙な言い訳をして聞く耳を持たないんです」
「あなたは付き人?」
「違います。そのような勘違いは二度としないようにしてください。主に私が困りますので」
クールクースから問い掛けられたリスティは強く否定を入れる。
「マルハウルド様こそ付き人を連れてはいらっしゃらないんですか?」
「護衛や付き人を連れたまま騎士の仕事がこなせるわけではないでしょう?」
「仰る通りだと思います、マルハウルド様」
どうやらリスティとクールクースの意見は一致しているらしい。
「それより……『様』?」
「そいつはあんたのことを尊敬しているんだよ」
「そう。だとしても、あまりそうやって敬う相手に『様』を付けるのは良くない。ありとあらゆる人を『様』呼びしなきゃならなくなるから」
「ではマルハウルドさん」
「クールクースでいい。私はマルハウルド家を背負っている気はなくて、騎士になりたいと思ったのも自分の意思だから」
淡々と言葉を続けながら食事を終えて、神に感謝の言葉を並べたのち、クールクースはトレイを持って立ち上がる。
「高尚な気持ちで騎士になりたいわけじゃないけれど、騎士にならなきゃならない気持ちはある」
立ったままエルヴァを見る。
「あなたはなりたいと思ってここに来てないみたいだけど」
「よく分かったな。騎士になるくらいなら冒険者の方がマシだと思っているからな」
「上級生へ怒りや殺意を向けるのだから、ここでの生活に価値を見出せていないことが分かる。あんまり人間関係を重視していないってことだから」
「あれはあれで良いんだよ。実力もないクセに突っかかって来たんだから、あとできっちりと仕返しをする。売られた喧嘩は買う。食べ物を粗末にさせられた恨みが晴らせない」
「実力……実力、ね」
クールクースは値踏みでもするかのような視線をエルヴァに向ける。
「不足しているとでも?」
「いいえ、模擬戦を何度も見学しているのだから、あなたたちの実力は把握しているつもり。ただ、模擬戦は結局、殺すための訓練ではないから」
呟き、声音が冷たいものに変わっていく。
「人を殺すことって、模擬戦よりもずっと難しい」
「国を守るためなら人を殺す覚悟はできています」
「言葉だけじゃないことを期待する」
やはり表情一つ崩さない。クールクースが立ち去り、その背中が見えなくなるまでエルヴァはジッと睨み、リスティは胸を撫で下ろす。
「喧嘩を売るかと思った」
「俺はなんの理由もなしに喧嘩は売らない」
「どうだか……でも、意外と話しやすい方だった」
「そうかぁ?」
声がひっくり返った。
「言葉の端々にトゲがあって、いかにもこっちを言葉で痛めつけてやろうって魂胆があったように思えたけどな」
「ああ、それは確かにあったかな。達観? しているみたいな」
「マルハウルド家ってのは、ああいう連中ばかりなのか?」
「知らない。でも国王の遠縁であることは有名よ。名ばかりで、王政にマルハウルド家は一人も関わっていないけど」
料理を丁寧にリスティは食する。
「そんなことあるのか?」
「王国や帝国に限らず、名ばかりの家柄は多いよ。クリスタリア家も地方ではそれなりってだけで、王都じゃ嘲笑われるだけ。さすがにマルハウルド家は違うだろうけど、逆に言えば国王と近縁の家柄の人たちには虐げられる立場なのかも」
「へー、俺はそういった家柄に縛られていないからありがたい限りだ」
「ホント、羨ましい。家柄は騎士になるための地盤、下地って言われるのに。教養で求められる識字と記述に数式、素質で求められる武器術の数々。地盤のない人の大抵はそのどちらかで転んで立ち上がれないまま辞めざるを得ないのに、あなたはそのどっちも備えてる」
「頭に叩き込まれたからな」
「そういうことじゃなくて、あなたに一般常識と戦闘技術を学ばせてゼルペスに送り、更に騎士候補生として養成所へ登録するその財源がどこにあるのかって話」
そこのところはエルヴァも分からない。名前を貰ったあとから凄まじい勢いでここまで這い上がってきたが、自身を拾った者の真意は未だに不明のままだ。自身に一体なにをさせようとそているのか。
もしもそれがどうしようもなくロクでもないことだったなら、この場で学んだありとあらゆる方法で自身を拾ってくれた者に恩返しという名の反逆を行わなければならないだろう。
「ごちそうさまでした」
そう言ってからリスティは神に祈りの言葉を告げる。食前にもボソボソと呟いていたが、あれも神に祈りを捧げているのだと打ち解けてから説明を受けた。
「神様に祈りを捧げたって……あーまぁ、いいや。こういうことを言うとロクでもないことに巻き込まれそうだ」
現実的なことを語ろうとしたがやめる。信心深い人々にはエルヴァが思うありのままの言葉は信仰対象への攻撃だと判断されかねない。
「王国で神様を信じていないのなんてエルヴァくらいだよ。私が理解のある信仰者で良かったね」
「嘘言うなよ。『神罰がくだる』と脅してきたのはどこのどいつだ」
「エルヴァという前例のおかげで、これから先の人生で不信心者と出会っても冷静でいられそう」
「だから冷静でもなんでもなかっただろうが」
お互いに席を立ち、皿とトレイを返却して食堂をあとにする。
「冒険者の話だけど」
出た直後に声を掛けられ、エルヴァは警戒態勢を取った。
「なに?」
クールクースはエルヴァの反応に苛立ちを垣間見せる。
「こっちの台詞だ。いなくなったと思ったら外で出待ちするな」
苛立ちたいのはエルヴァの方で、彼女の唐突な声掛けは礼儀としてなっていないことを説明する。
「騎士よりは待遇が悪いから、」
「当たり前みたいに話を続けるな」
「私の中ではあり得ないと思っていたんだけど、騎士と違って出来高制みたいな? 依頼をこなせばこなすほどお金が稼げるみたいだから、あなたが話題に出してくれたおかげで少しだけ興味を持てたから感謝しようと思う」
クールクースはエルヴァの俯かせていた顔を覗き込むようにして近付く。
「ありがとう」
エルヴァの心に、なにか湧き立つものがあった。なにもかもがわざとらしく作り物であると直感しても彼女の言葉に嘘はない。だからといって、胸にときめくものを感じたのはどう考えても自身が隙を見せたからだ。
「クールクースさん」
言葉に迷うエルヴァに代わってリスティが話す。
「これからも時間が合えばお話をしませんか? 高め合うなんて言い方はおこがましいと思いますが、私たちからなにか学ぶものがあると思うんです」
「うーん……」
クールクースは悩んでいるような声を発する。
興味があるのかないのか。クールクースはどこまでも表情を崩さない。まるで感情の表現方法を知らないかのごとく。
「たまになら」
「よかった」
相当に嬉しかったのかリスティはクールクースの手を取って喜ぶ。
「あ、すみません」
しかし、その喜びの行動は衝動的なものだったためリスティは自身の距離の詰め方を反省しつつ詫びを入れる。
「謝ることじゃない。それに、なんか嬉しかった」
ようやく彼女の表情に柔らかさが見える。
「私にもまだ人と接して嬉しくなったり喜べたりする感情があるのだと、気付けたから」
「……なんだそりゃ」
一連の会話を見守っていたエルヴァは呆れ返る。
「誰だって喜怒哀楽の感情ぐらいあるだろ」
「そういうのはいらないって教わったから」
「どんな英才教育だ」
そして、そうまでして教育した子供が騎士候補生として訓練を受けていることを彼女の家が快く思っていないことは察せられる。
「あなたは意外と話しやすい人なのね」
「見た目で人を判断するなとは教わらなかったのか?」
「教わっていたからこそ警戒していたのよ。だから模擬戦のときにあなたの姿が癪に触って思わず槍を投げてしまったのだけれど」
「警戒している人間が視界に入ったから無意識に攻撃動作に入るってどうなんだよ」
「自衛ができているってことじゃない?」
「なんでだよ」
リスティの補足に納得が行かずに文句を言う。
「無理をしない程度にこれからよろしく、リスティーナ・クリスタリア。それと、エルヴァージュ・セルストー」
クールクースはリスティに握手をし、その後にエルヴァにも手を伸ばす。
「私のことはクルスと呼んでくれていいわ」
「あ、そう。まぁ、今後ともよろしく」
言いつつエルヴァは手を伸ばす。握手をする瞬間、クールクース――クルスはスッと手を引っ込めたので、イラッとしてそのままの勢いで彼女の手を思い切りはたいた。
「素直に握手はしないってか? いいぜ、だったら俺がお前よりも強くなってから握手させてやる」
ある種の挑発。そう捉えてエルヴァも挑発し返したが、クルスはまさにその言葉を待っていたかのように強気な表情を作る。
「望むところ」
ひょっとしたら彼女はライバルを求めていたのかもしれない。これはエルヴァの身勝手な思い込みであったが、テーブルで一人で食事を摂っていたときのクルスに比べ、こうして向かい合って話している彼女の表情には分かりやすいほどの明るさがあった。




