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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第10章 -その手が遠い-】
471/705

♭-1 エルヴァージュ

///


 誰だって、譲れないものがある。

 誰にだって、譲りたくないものがある。

 けれど、一生懸命に頑張ったって、

 それを守れないこともある。


 大切な人だったり、約束だったり、


 守りたいのに守れない。


 抗ってはみたものの、

 やっぱり守れなかった。


 あなたのことを、


 心から、愛しているのに。

 命ってのは幾らあっても困らない。

 そんな妄言は持っている者が言うことだ。持たざる者にとって、命なんてあればあるだけ無駄なのだ。

 要は金持ちほど生きたがるし、ゴミとして出された料理の余り物を漁って飢えを凌いでいる少年は生きたいと思っても毎日が辛いから死んだ方がいっそ楽なのではと思い始めてしまう。

 実際、少年と同類かそれ以下の連中は、若かろうと彼より年老いていようと気付いたら勝手に死んでいる。腐った物を食べて腹を下して栄養を摂取できないまま横たわって動かなくなったり、盗みを働いたはいいが捕まってしまって正当防衛とばかりに振るわれた暴力によって重傷を負い、医師に診てもらうこともできないまま敗血症や感染症に罹って死ぬ。

 どこでも一緒だ。少年たちのような孤児、もしくは浮浪者は命としてカウントされていない。死んだって別にいい存在。ムカついたら殴ってもいい相手。とことんまで傷付けていい存在。叩いたって叩き返すこともできないくらいに無力。目が合ったから気に喰わないという理由だけで殴打され、蹴り飛ばされ、道の隅っこに打ち捨てられる。空気よりも存在価値がない。


 それでもどうして少年がまだ生きようとしているのかと問われれば、なんとなく死なずに済んでいるからでしかない。これまで命を繋いでいるのは偶然で、何度か危ない目に遭いながらもギリギリのところで死なずに済んでいる。

 いつ死んだっていいのに、と少年は常々に思っている。死ぬ準備は整っているが、生きているから生きている。自分で自分を傷付ける根性無しだから、他人に傷付けられて命が尽きるような出来事が起こるのを待っているだけだ。


 吹いたら消える。そんな蝋燭の火みたいな存在が少年である。

 産まれたときに名前を与えられなかった。与えられないまま育ち、身元が分からないために教会に入った。教会でまともに奉仕活動をしないままに吹き溜まりに落ちていったのは、預けられて一週間が経ち、ようやく周りとも分かり合え始めたときに起こったことが原因だ。


 男の神官が少年を犯そうとした。全身を嬲られる感覚に耐え切れず、その頭部に鈍器を叩き付けて逃げた。その後、どうやらその神官は少年の鈍器による一撃が原因で死んだらしい。だから預けられた教会がある町では生きられなくなってしまったため、幼いながらも王都を目指した。


 だから少年は教会で名を与えらることもなく、名無しのままであった。


 王都にはなんでもある。そしてなんにだってなれる。しかしながら、なんでもあるからといって、なんにだってなれるからといって、機会が平等に与えられるわけではない。別になにかになりたいと思ったわけではなく王都まで逃げ込めば、その人の数に自身を埋もれさせることができると思ったためだ。多くの人混みに紛れてしまえば、神官を殺した少年を見つけ出すことはできないと考えた。


 だが、その選択は少年の居場所の喪失を同時に意味していた。なんのアテもなく王都を歩き回ったところで、少年を拾ってくれるような気前のいい人はどこにもおらず、男娼として働くことを進めるような厄介な輩ばかりに声を掛けられた。その声を拒み続け、なんとか一人で生きてみようとひたすらに試みた。それでも少年が拾われることはなく、気付いたら浮浪者のコミュニティにまで落ちていた。


 窃盗、強盗、物乞い、ゴミ漁り、不用品を拾って僅かばかりの日銭を稼ぐ。悪戯では済まされない多くの犯罪にも少年は手を染め続けた。

 仕方がない。そうしなければ死ぬのだから。


 ある日、暴れ馬に蹴られて男が死んだ。金目の物がないか少年は死体を漁った。そのとき、少年は男が持つ身分証明書が目に留まった。

 どうせ死んだのだ。だったら死者から名前を貰っても構わないだろうと思い、少年はその名を名乗ることにした。


 エルヴァージュ・セルストー。


 名前を貰ってから一年後、少年の生き様に大きな変化が訪れた。エルヴァージュの身元引受人になる者が現れたのだ。面識もなければ顔を合わせることもなく、更には正体すら明かさない。どんな人物でどんな名前なのか。それすらも分からないまま、エルヴァージュは吹き溜まりからすくい上げられた。王都の治安維持を模索する者たちが動いたのだろう。支援する目的で罪を犯し続けた血生臭い少年を引き取る者などいないからだ。もしそうでないのなら、支援ではなく私怨。まさしくエルヴァージュを安心させきったところで蓄えに蓄え続けた恨みを晴らすために(むご)たらしく殺す気に違いない。


 だったら、それはそれで好都合だ。生きているから生きているエルヴァージュにとって、惨たらしくても殺されるのであればそれは死だ。死にたくはないが、与えられる死であるのなら受け入れる。生きている理由などない。それがエルヴァージュ・セルストーである。


 住むところを与えられ、食べ物を与えられ、教育を施され――数々の部分でエルヴァージュは問題行動を起こしていたのだが、身元引受人は決して彼を放り出すことはなかった。情熱、心血、そんなものを注がれた気はないのだがエルヴァージュはようやっと人間らしさを取り戻した、罪を背負い続けたまま。


「あなたの身元引受人はきっと変人、というか絶対に変人。馬鹿みたいに暴れ回って家の窓という窓を割った子供を投げ出さなかったなんて、聞けば聞くほど怖い話」

「三年も前の話を持ってくるんじゃない」

「十年前なら別だけどまだ三年前だから、記憶に新しいんでしょうが!」

「そう怒鳴るなよ」

「怒鳴らなきゃエルヴァはなに言っても響かないでしょう?」

「響かせる内容でもないだろ」

 ムキになられても困る。エルヴァは相対する翡翠職の瞳と薄い金の髪色を持つ少女におどけてみせる。その態度が癇に障ったのか、少女は木剣を握る手に力がこもった。


「始め!」


 合図と共に少女が突撃してくる。右に左に柔軟に剣戟をかわし、続いて反撃の刺突を放つ。だが剣身で受け止めてみせた少女はエルヴァの切っ先をいなし、軸足を蹴飛ばしてくる。

 踏みとどまったが意識は足元に向いてしまった。ここぞとばかりに少女は剣戟に次ぐ剣戟を打ち続けるが、冷静にバランスを保ち、軸足の痛みにも耐え切ったエルヴァは軸足としていた利き足とは逆の足で踏み込んで、力強い剣戟を振るう。少女の手元で木剣が震える。防いだまではいいが握った手にまで届いた衝撃を処理し切れていない。そう見たエルヴァが更に間合いを詰めて、今度は少女の足を蹴る。

 だが、これが空振った。足を狙われると踏んで少女は足運びだけで蹴りに対処した。当然、エルヴァの体のバランスが崩れる。


 勝ちを確信した一撃が来ることを見越し、エルヴァはむしろ崩れた重心を前に寄らせることで転倒に見せかけた前転で少女の剣戟から逃れる。助かりはしたがリスクを伴っている。前転したせいで視界が回ったことと、少女の立ち位置を把握できていない。だからすぐに立ち上がろうとするのではなく、更に前に二回転がった。少女にとってこれは意外なことで、エルヴァの機転に対応できなかったために追撃が飛んでこない。

 起き上がったエルヴァはすぐさま翻って少女を視界に収め、手元で木剣を器用に回して剣先を踊らせる。剣戟の始まりを察知させないためだが、どちらかと言えばエルヴァにとっては児戯に等しい。ただ手が暇だから動かして手首を温めている。木剣の軽さだからできることで、これが本物の剣ならばきっと手首を痛めて落としているばかりか少女に首まで落とされるだろう。


 だが、模擬戦と分かっているのならなにをしたって構わない。結局のところ、これで命の取り合いになることはないのだから。


 気迫を込めて、大きな声を発しながら少女がエルヴァに木剣を振るう。左、左、右に避け、次の横への一振りを跳躍してかわす。頭上からの一振りだが、少女は既に間合いを取っている。振り切っても空を切り、剣先は床を打った。

 すぐさま剣を切り上げる。そこに丁度、踏み込んできた少女の剣戟とかち合う。


「そこまで!!」


 剣身と剣身を押し付け合い、どちらの力で弾いて優勢を取るか取られるか。そのやり取りの最中に終了の合図が入る。エルヴァと少女は距離を取り、木剣を鞘に納める仕草を取って、礼を行って退場する。


「今年の候補生は優秀だな」「昨年は不作だったからな」「才能もあるのだろう」

 指導を行っている騎士の面々がエルヴァたちの総評を呟いている。

「特に先ほどの二名――エルヴァージュ・セルストー、リスティーナ・クリスタリア……そして」

 騎士たちの視線は次に壇上に立つ者に集中する。

「クールクース・マルハウルド」

 刃を持たない木製の槍を手元で回し、石突で床をコンッと叩く。

 凛とした蒼い瞳。驚くほどに透き通った白い肌に地毛ではなく薄く染めたのであろう赤髪。視線に迷いはなく、線は細くとも十全なる身のこなし、そして槍を簡単に手元で回せるだけの筋力を備える。


「いけ好かないな」

 汗を布で拭い去り、エルヴァはそこはかとなく感じた嫌悪を呟く。

「そういうこと言わない」

 エルヴァの隣にリスティが立ち、注意される。

「いつも言っていることだろうが」

「だからいつも注意しているんでしょ」

 呆れた、とばかりにリスティは蔑んだ目でエルヴァを見てから、それからクールクースの佇まいに目をやる。

「マルハウルドと言えば王族に連なる血統よ」

「それがなんでこんな辺鄙なところに?」

「それ、言わなきゃ分からない?」

「いんや、言ってみただけだ」


 王都から辺境へ。エルヴァの希望ではなく、身元引受人が提示してきた指令を飲んだためだ。


『騎士になれ。これよりスチュワード・ワナギルカンが統治するゼルペスへ向かい、騎士候補生として教育を受けよ』


 そのような指令が、身元引受人本人から告げられたのではなく手紙一つでくだされたのだ。当然、これをエルヴァは拒否したのだが彼を監視する複数人の手に寄ってあっと言う間に拘束され、半ば強引に王都から遠く離れたゼルペスという街まで馬車で連行された。


 街、と一言で言い切ってしまったが実際のところは王都とほとんどなにも変わらない。エルヴァはどれほどの規模から街や都市と呼ぶのか知らないが、ゼルペスは辺鄙なところではあるが決して田舎のような景色が広がっているわけではない。活気があり、大通りには常に人が溢れている。

 そしてゼルペスは王国から集められた騎士候補生を教育、鍛錬する機関が整えられている。これらを知ったのはまさにゼルペスでの寮生活と、訓練を受け始めてからのことなのだが、とにかく暮らし辛い環境では決してない。


 とはいえ、王都に比べれば物足りなさもある。身の回りの世話をしてくれた使用人が傍にいないからか、それとも単純に常識を知らないからか。もしくはもっとなにか自分自身の本質に訴えかけてくるなにかか。だから、暮らしやすくとも王都に比べればここでの暮らしは不服である。


「ほら見て」

 リスティに促される。


 クールクースは間合いを正確に図り、華麗な立ち回りでひたすらに相手を翻弄し続ける。剣を持つ者には剣を持つ者を、槍を持つ者には槍を持つ者を。そのため、互いの間合いには差は生じにくい。あるのは練度の差。どれだけ得物を理解し、使いこなせているか。

 誰が見てもクールクースの槍の扱いは完璧である。槍という得物での戦いなら他の追随を許さない。エルヴァはただ見ているだけしかできないし、リスティですら力量の差をまざまざと感じて渇いた笑いが出てくるほどだ。


 上位三名。そうは言われているが、その中ではクールクースが抜きん出ている。三人と一括りにしてはいるが彼女という絶対者がいる限り、隣に並び立てる者はいないのだ。候補生の誰もが彼女には敵わない。それでは上を目指す者がいなくなってしまう。だから、その下のエルヴァとリスティを同等とすることで、候補生の士気の低下を抑えている。

「マルハウルド家は騎士の血統なのか?」

「いいえ、そんな話は聞いたことがないわ」

「ならなんで騎士になりたいんだろうな」

「さぁ?」

「クリスタリア家の御令嬢でも知らないことはあるってか?」

「私の決断と彼女の決断を同一にするのは、(はばか)られるってだけ」

 リスティは既にクールクースを上の存在と認めている。だからその思考回路もきっと、自分たちとは異なるものなのだと信じて疑わない。


「高尚な理由なんてありゃしないと思うけどな」

 呟いた直後、エルヴァの首の真横を投擲された槍が通り過ぎ、壁の隙間に突き刺さる。木製でありながら、さながら刃物が壁を貫いたかのような衝撃が周囲一帯に走る。リスティも自身に当たっていたらという恐怖から大きな悲鳴を上げた。

 既にクールクースの相手は壇上でへたり込んでおり、槍の投擲は過剰だった。だが、騎士の誰もがそのことを咎めない。


 狙って木製の槍を壁の隙間に投げた。精確無比さ。騎士はそれを口々に褒め称えている。

 クールクースはなにも言わず、練習相手に礼をしてから壇上をあとにする。


「壁の隙間なら他にもいくらでもあるってのに」

 宣戦布告。エルヴァはそのように受け止める。

「なんでそんな冷静なのよ!」

「人間なんていつか死ぬんだから、こんなことで驚いたってなんにもならないだろ」


 平気なフリをする。内心ではほんの少しだけ怯えた。


 しかしエルヴァにとって、そのほんの少しの恐怖が気に喰わない。そして、恐怖を与えてきたクールクースという少女が、とことんまで気に入らなかった。

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