過去は捨てられない
「クラスアップによって特に大きくなにかが変わるわけではありませんが、アレウスさんがこれまでの激戦によって得られた経験は正しい形であなたのロジックに反映されるようになります。このクラスアップ自体はギルドが設けた制限で、ランクと同様とお考え下さい。ひょっとしたらクラスアップによって能力値の上昇が行われ、同時にレベルアップすることもあると思われます。私たちはそれらの数値と推移を見つつ、冒険者の活動範囲を現状維持か広めるかを決めます」
「あの」
「持ち帰られた素材はこちらで加工を終えております。身に付けていただくとクラスアップの証となります。帝国内であれば容易なのですが、他国での活動となると私も移動が困難となります。なので、依頼を受ける際に提示していただければ一定の証明書扱いにもなりますので、難度の高い依頼を受けることができるようになります」
「えっと」
「現状、この場所で受けられる依頼はアレウスさんたちには見合っていないものがほとんどです。警備、警衛を実力ある冒険者に行ってもらうと全体的に士気は上がるんですが、あなたの名前を借りた無法を行う者が出かねません。実力が同程度の者たちによる相互監視が実のところ、場を守ることには大切であったりします。上昇志向もなにもなく、突出することさえ難しい沼のようなところには居続けたくはないでしょう?」
「リスティさんはどこに行ったんですか?」
話が一区切りついたわけではないが自身への質問によって発言権が与えられたと思い、アレウスは目の前の女性――エイミーに問い掛ける。
「用事で外に出ています。アレウスさんへの対応、及びクラスアップの報告は私が受け、リスティさんから事前に渡されている書類の通りに話しています。なにか不快に思う点でもございましたか?」
「いいえ」
「では、この話は以上とします。アレウスさんたちにはリスティさんが戻られるまで、少しばかりの休暇をお楽しみください。ジッとしていられないのであれば、シンギングリンの復興作業を手伝ってくださると幸いです」
「いやいや、待ってください」
話を切り上げようとしたので必死に止める。
「一体なにがあったんですか? リスティさんは自分の仕事に責任を持つ人ですし誇りだって持っていました。それをエイミーさんを代理として立てるだなんて、いくら信用している相手だからって、全部丸投げするのはあり得ません」
「……ええ、私もそのように思います。リスティさんは自身の都合で仕事を私のような素人に押し付けることなど決してしない、と」
エイミーは観念したように溜め息をついた。
「古い友人の一報を聞き、衝動を抑えることができないままに出立してしまいました」
「それってエルヴァのことですか?」
そういえばエルヴァをあまり見ていない。土壌の改善のために仮拠点やシンギングリンで働いていたのは見ているが、獣人たちがここに訪れた際には対処に当たっていなかった。責任感があるかどうかはともかくとして、リスティのいるこの場所で問題が起きそうな状況で一切、姿を見せなかったのは不自然ではあったが、たまたまシンギングリンの方に足を運んでいたからだと納得させていたのだが、どうやらアレウスの知らないところで動きがあったらしい。
「エルヴァージュさん……の問題ではないようで。いえ、根本の原因はもしかしたらあるのかもしれませんが」
「では一体なにが?」
エイミーはとても言い辛そうに顔をしかめ、やがて迷う素振りを見せながら懐から手紙を差し出してくる。手に取り、差出人の名前にリスティと記されているので蝋印を剥がして中身を取り出す。
「渡すべきではない……忠告されていても、結局は渡さざるを得ませんでした。ですが、彼女もそれは承知の上でしょう。アレウスさんがどのような行動を起こすかもきっと承知の上です」
手紙には細々と沢山のことが書かれている。一枚、二枚、三枚と続く手紙を読んでいるとまるで今生の別れであるかのような文面がチラつき始める。
書かれているのは思い出話。アレウスとの出会いや所感、それから冒険者と担当者の関係になってからの日々のこと。
最後に『子供の頃からの大切な友人を助けに行く』の文字。
『きっと私は帰ってはこられないでしょう。あなたのことで頭を悩ませ続けた日々からようやく解放されるなどとおこがましいことを言いたいところですが、あなたには感謝しかありません。親愛なる、いいえ、最愛のアレウリス・ノールード。輪廻を経て、また会いましょう』
手紙を握り潰し、床に叩き付けたくなりそうになる衝動を抑えて、深呼吸を繰り返す。代筆でもなんでもなく、この文字の特徴は間違いなくリスティのものだ。アレウスをからかうために嘘の文面を並べ立てているわけでは決してない。
「どういう、ことですか……?」
行き場のない怒りを鎮めながら、エイミーに問う。
「友達を助けに行く。そう書かれていらっしゃるでしょう?」
「っ! だからってこんな内容になるわけ!」
「クールクース・ワナギルカン」
エイミーがボソリと呟く。
「……新王国を掲げた王女?」
アレウスも囁き声に声量を落とす。
「リスティさんは王女と親交があるようです」
「エルヴァも王女のことを知っている」
「王女、リスティさん、エルヴァージュさん……そして『逃がし屋』、あとは『天使』。どうやらその辺りが関係しているようです」
囁き声をそこでやめてエイミーは紙と羽根ペンを取り出し、文字を記していく。
「リスティさんの用事は難しいことではありません。友人の家業が忙しいので少し手伝うだけです。そのように狼狽えずとも、手紙に書いてある通りしっかりと待っていてください」
手紙の内容を知っておきながらエイミーは当たり前のように嘘をつき、しかしながら手元の羽根ペンが綴る文字は真実を記していく。口は嘘を語り、手は真実を語る。思考はそのどちらにも割いていて、驚くほどの器用さが彼女にはある。
重要な内容は全て紙に記す。そのつもりらしい。誰に聞き耳を立てられているか分からない状況というのが良くないようだ。つまり、王女と親交がある云々は知られてもいい事実だが、これ以降の内容は不特定多数に知られてはならないことのようだ。
「それとも彼女でなければ不安でしょうか? ほんの数日のことなんですから我慢してください」
「……取り乱してしまって申し訳ありません。ラビリンスから帰ってきてもう四日も経っているのに、まだ疲れが取れていないみたいです。それと、やはりクラスアップの話を切り出してきた本人が肝心なときに不在なのは、イラッとしてしまったのかもしれません」
「お気持ちは分かります。でも、感情のまま人に当たるようになると彼女に嫌われてしまいますよ」
文字を書き終えた紙がアレウスの手元に渡る。
「気を付けます」
「いえ、私もいきなり代理にさせられて迷惑していたところです。アレウスさんとの話を終えたらエイラ様の手伝いに戻っていいとのことでしたので、すぐに支度をして帰りたいと思います」
「それならヴェインを呼んできます」
もしかすると、リスティとエルヴァが王女となにかしらの関係を持っていることを明かしたせいでエイミーの身に危険が迫るかもしれない。そういったあまり外には漏れ出さない情報を彼女が握り、僅かながらに口にしたことで、それ以外の極秘情報を握っていると勘違いを起こした者が襲い掛かる可能性がある。
「ありがとうございます。では私はもうしばらく、ここで待たせてもらいますね」
彼女もアレウスの意図を汲み取ったようだ。互いに表情の裏側に真実を伏せたまま別れの挨拶をした。
建物を出てしばらく歩き、思い出したようなフリをしながらエイミーから受け取った紙を開いて文字を読む。
『新王国王女のクールクース・ワナギルカン様が捕縛されたとの情報有り。新王国側は否定しているものの、王国側で秘密裏に部隊を動かしている目撃情報有り。王国にとって新王国王女は生かしてはおけない存在。王国は根回しを行い、新王国側から解放のためと嘯いて金銭を絞り出すだけ絞り出し、大々的に公表可能なところまで物事を進めてから処刑の手はずを整える模様。それまでは人目の付かないところで幽閉されているはずなので、リスティさんはエルヴァージュさんと共に新王国側と協力し、奪還するつもりなのでは』
「……殺したいと言っていたクセに、自分の手以外で裁かれるのは納得できない……か」
分からなくもない。アレウスも『異端審問会』をこの手で壊すことを誓っているが、自分の与り知らぬところで崩壊し、構成員が全滅などしようものなら獣のように吠えて二度と人の思考を持っては生きられない。
誰かの手で壊すのではない。自分自身の手で壊す。エルヴァも恐らく、誰かの手で殺されるのではなく自分自身の手で殺したいのだ。そのためなら、一度の救出ぐらいは、どれほど危険であっても平気でやる。
『覚悟があるのなら、『逃がし屋』に接触すること。『逃がし屋』に既に話は通してあると聞いています』
読み終えた紙は仮の住処としている建物の自室に入ったのち、光源としていたランタンの火を用いて焼き捨てる。
「覚悟……? 覚悟って、どの覚悟だ?」
これまでも何度も覚悟を問われてきた。そのたびに求められている覚悟が異なっていて、どれもこれもに頭を悩まされた。今回もまた、この言葉にアレウスは悩まされる。
「人を、殺す覚悟……か?」
新王国王女を救出するとなれば、王国側の軍人と戦うことになる。
人を殺す覚悟。そんなものはない。ないのだが、もう何度もこの手は人を殺している。手は血で染め上げられている。
正しいことのために人を殺すのか。いや、人を殺すことに正しさなどありはしない。ただ自分の中にある本能に従っているだけだ。
殺したいほどに憎んでいるか、殺さなきゃ犯してきた罪がバレるか、口封じのための抹殺か。一緒に死にたいけど自分だけ生き残ってしまったか。嗜虐のための虐殺か。道具の利便性を確かめるための実験か。実用化のための人柱か。
良いことも悪いことも全部含めて人が死ぬのなら、発展することがあってもそれは人殺しだ。
しかしながら、人の死を積み上げなければ進展もない。死体を積み上げることでの発展もある。だが、それが最善策だとは全く思わない。
「僕はバランスが取れているか?」
人間か、はたまた狂人か。足を踏み外せば簡単に殺人鬼になってしまう。危ういところを常に慎重に渡り歩いている。
アレウスは仮拠点で僧侶として宣教活動を行っているヴェインに声を掛け、リスティの代理を務めたエイミーの迎えに行くよう伝えてから辺りを歩く。探している人物の気配はすぐに見つけられた。なにせ人の気配とは異なるのだ。その違和感を追い掛ければ、見つけられないわけがない。
「来たな、冒険者」
アレウスに顔を向けることなく『逃がし屋』は畑の土いじりを続けている。
「人を殺せる冒険者にはなるなと言ったはずだが」
「……もう手遅れです」
「だろうな。そうでなきゃ俺の前に来るわけがない」
男は立ち上がり、手に付いた土を払う。
「どいつもこいつも、静かに暮らしているだけでいい。リスティは女の幸せを追求すればいい。エルヴァもどこか静かなところで俺と一緒に土いじりをして隠居生活をするだけでいい。別になにも命を懸ける必要なんてありはしないんだ。命が軽い世の中ではあるけれど、命を失う危険に身を投じさせる理由にはなりはしない」
「だけど」
「しがらみが、思い出が、奴らを狂わせる。たった一人との出会いが二人にとっての手放しがたいほどに鮮烈な記憶になってしまっている。思い出のために命を懸けるべきか? 命を賭すべきか? 俺だったらやらないね。過去は過去と切り捨てて、今の幸せのために全力を尽くす。未来は変えられるんだからな」
「……未来は変えられる。けれど、過去は変えられない上に消し去ることができない」
「忘れちまえばいいんだよ」
「忘れられないんですよ。どれだけ忘れようとしても、過去の記憶が、過去の自分の発言が、過去の自分の言動が、不意に脳裏をよぎって今の自分を殴りつけてくる。寝入る直前だったり、目覚める直前だったり、一息ついた直後だったり。なぜだかいつだって過去は僕たちを監視して、楽しい記憶と同時に陰鬱な記憶を連れてくる」
産まれ直す前の記憶が唐突にアレウスになにかを伝えてくることもある。そういったとき、過去の経験を活かしての判断ができているのだろう。だとしても、同時に不快な感情が心を満たす。忘れがたき痛みが、全身を震わせる。
「難儀な話だ。誰にだって嫌な思い出の一つや二つはあるもんだ。なのに忘れるよう努力するべき嫌な思い出は、忘れたくない楽しかった思い出以上に明確に状況を思い出せてしまう。人間ってのは、恐怖体験によって学習する一面もあるが、失敗すらも恐怖体験と認識している。驚くべき不完全な生き物だ。それで、冒険者? ありとあらゆる苦痛が待ち受けていると分かっていても、お前は進むと言うのか?」
「進む以外に選択肢がないのなら」
「それを選択とは言わない。ただ単に自分で選択肢を狭めて、一つしか解がないかのように思い込んでいるだけだ。踵を返せ、愛している者を思い浮かべろ、自分の最終目的を心に刻め。そして、俺の前からいなくなれ」
男は数分間待つが、アレウスは一切動かない。
「……揃いも揃って捻くれている。別に捻くれ者が好きなわけでもなんでもないんだがな」
「あなたの元に行けば、今後の見通しが立つと聞いている」
「見通しは立っていないが、まぁ『逃がし屋』らしいことはしてやる。帝国には二度と戻れないかもしれないな。上手く行っても、二度と王国には入れないだろうが」
「なら、」
「連れて行くのはお前だけだ」
仲間を呼んでこようと思ったアレウスの言葉を切って男は告げる。
「と、言いたいがもう一人増えてしまったな」
男はアレウスから視線を逸らし、ある一点を睨む。
「出て来い。隠れていても接地している限り、俺には分かる」
畑の隅からノックスが現れる。
「盗み聞きしていたわけじゃねぇからな」
「どうせ途中でこいつを見つけて尾行していたんだろ。獣人は惚れた相手の臭いを嗅いで追い掛ける習性があるからな」
「ち、違う! たまたまだからな、たまたま! そんなことはしていないからな!」
「お前は『原初の劫火』のお嬢ちゃんをせめて連れて行きたいと思っているんだろうが、悪いが、留守番させろ。わざわざ王国に『原初の劫火』を献上するつもりもねぇからな。『超越者』だけの片割れ同士なら最悪死んでもどうとでもなる」
思考を読まれ、アレウスは黙るしかない。
「エルヴァのところには五日もあれば到着だ。それまではなにも考えるな……とは言えないな。俺がやり口を教えるから、水面下で遂行しろ。なにもかもが上手く行くとはちっとも思っちゃいねぇが、やってみるしかねぇ。たとえそれが、『天使』への肩入れになるんだとしてもな」
男は意味深な笑みを浮かべる。
「……教えたって問題ねぇか。俺の名はゲオルギウス。だが、ジョージと呼んでくれ。特に『天使』と呼ばれる奴の前では、絶対に俺をゲオルギウスと呼ぶな」




