探究
焦っていても腹を満たすのは大切だ。人間が得るべきエネルギー補給を断ってしまえば、多くのことで頭が回らなくなる。アレウスは持ち込んでいた荷物から底の浅い鍋を取り出し、水筒の水を注いで干し肉を浸す。近場の枯れ葉を用いて火打ち石で火種とし、組んでおいた薪に乗せ、息を吹きかけて火を起こす。芋も調理用ナイフで一口大に切り分けながら鍋に投入し煮込む。味付けは干し肉の塩気のみになるが、時間を掛けることで固くなった肉も柔らかくほぐされ、顎への負担も減る。水筒の水は空になったが、まだ二本ほど残しているので問題はない。
懐中時計を見る。午後三時半過ぎ。遅すぎる昼食ではあるが、夕食が安全地帯で食べられるとは限らないため逆に遅いことで深夜近くまでの活動が可能になる。
「食べたあとが問題だな」
煮込み終えた干し肉のスープから芋と肉をスプーンでほぐしながら口に運ぶ。予想よりも塩気が薄く、淡白な味わいになってしまっている。香草を用意していなかったことは小さな後悔となるが、不味くて食べられないわけではないので我慢する。濃い味付けの方が少ない量で満腹感は得られやすいのだが、水分量を誤っただろうか。胃には優しい点だけが評価すべきところだ。
前後左右、どこを向いても壁がある。アレウスがいるのはまさに十字路の真ん中で、分かれ道としては四本ほど通路があるのだが、見える距離で行き止まりなのが分かる。四本の分かれ道にはアレウスがここまで来た通路も含まれる。座っている方向とは真逆の通路で、やはりこちらも行き止まりである。ラビリンスは迷わせている者に合わせて常に壁が動いている。来た道を引き返したとして、それが引き返す道に変わるかは分からない。ひょっとしたら裏を掻いて先に進む道になるかもしれない。だから来た道も含めて、四本の分かれ道だとアレウスは認識している。
「通路に入れば壁が動いて進めるんなら話は早かったけど」
そうではなかった。アレウスは既にこの四本の通路に足を踏み入れている。そして行き止まりの壁にも触れて、十字路の真ん中に戻っている。どこの通路に入っても道は開かれず、そしてアレウスを壁と壁で挟んで閉じ込めるようなラビリンスの動きもなかった。ただし、閉じ込められていないのかと問われれば十字路という形で閉じ込められている。ここから四方向の壁が徐々に徐々にアレウスへと迫ってくるのかと、その場合、どのように対処すればいいのかと悩んでいたが三十分が経過しても一向に壁が迫ってくる様子はなく、ただただ閉じ込められている状態が続いている。
こういった通路には決まって隠し扉や隠し通路があるものだ。四方向の壁には、ちょっと調べれば明らかに形の異なるレンガが組み込まれている。それを押せばどこかしらに隠し通路が現れるに違いない。
しかし、四方向に四つ、その異なる形をしたレンガが壁にある。どれか一つが正解で、三つが不正解と考えるのが普通だろう。となれば罠感知の技能が役立つだろうと目と耳と手での確認作業を行ったが、どれもが仕掛けを有していることは間違いない。だが、それが罠の仕掛けなのか隠し通路を開くための仕掛けなのかまでは確かめようがなかった。もう少し露骨な罠であれば、僅かな隙間から仕掛けを見抜き、その罠に必要不可欠な部分を切断したり破壊することで無効化できるのだが、壁がレンガ造りであることがそれを阻んでいる。即ち、スイッチのレンガの傍の壁を削るなり、砕くなりして仕掛けを露出させるといった行為が困難なのだ。仕掛けを露出させようとすれば相応の力で砕かなければならない。そうなると衝撃はスイッチや仕掛けに伝わって、予期せぬ形で作動するかもしれない。
なによりこの壁は触っている上では摩擦があるが、なにかしら攻撃や移動のために利用しようとすると途端に摩擦を失う。剣先が滑るだけで傷一つ付けられない。辛うじて刺突であれば、可能かもしれない。だが、今後の戦闘で大事な武器となる短剣や剣をこんなところで刃こぼれさせるわけんはいかない。調理用ナイフではレンガを砕くのはかなりの時間と労力を割くことになる。
あの短剣でなければ、そういった無茶はできない。日頃から頼りすぎていたことを痛感する。
逆に言えば、それほど“曰く付き”と呼ばれる武器は強力だということだ。込められた思念が強さに直結すると言うのなら、一時的な強化にしかならない付与魔法や、極端な特化が行われたエンチャント武器よりも強力なのではないだろうか。
「でも、“曰く付き”はその呼び方の通り、思念による呪いの力だから」
『御霊送り』をしなければ、人が死んだ場所には怨念が残る。それが土壌を穢し、毒の花を咲かせ、魔物を引き寄せる。そのリスクを冒してまで得る武器じゃない。アレウスは偶然、それを手にしただけだ。それも長い間、気付かないままに。
食事を終えて、焚き火に砂をかけて消す。周囲一帯に煙と肉の臭いを漂わせることになったが、そもそも十字路に閉じ込められていなければ火を起こそうとも考えなかった。閉じ込められているからこそ魔物が襲撃されることはなく、安全に腹を満たすことができた。そして十字路から脱出したあとに魔物がやってきても、焚き火跡にアレウスはいないのだ。
「それじゃ、改めてどうしようか」
罠感知の技能はどれもに反応した。どれかが先に進むための仕掛けと仮定して考えていたが、ひょっとしたら全てが罠ではないだろうか。でなければ罠を感知することはできないはずだ。ならばどこか別の場所に本当の隠し通路の仕掛けがあることになる。
「大体、どこをどうすれば壁が動くんだ?」
アレウスは壁が動いている様を見てきたわけじゃない。振り返ったときには通路が音もなく壁で塞がれているのだ。目を離したときに動くのなら、ずっと凝視していれば動かないとでも言うのだろうか。
だが、壁が動く動かないの現場を目撃したところで現状打開のヒントが得られるわけではない。
難しく考えすぎなのだ。もっと思考を柔らかくするべきだ。
かと言って、そう簡単に切り替えられるわけでもなく、アレウスは十字路を時計回りに回り続ける。これで壁が動けばそれで済む話だが、そんな上手い話はなく、無意味にウロウロして、無駄に時間を消費しただけになった。
試しに一つ押してみるか。だが、その試行が絶望的状況を引き寄せないとも言い切れない。こういった場面では慎重な姿勢を崩し切れないアレウスにとって、思い付きだけで“試しに”なにかをすることはない。ある程度の確証を持った上での“試しに”なら恐れずやれるのだが。
壁のレンガに手を当てて、思い切って押すこともできず、悩む。
ずっと閉じ込められたままではいられない。なにか突破口はないか。見落としているものはないか。既に固定観念に囚われて、見えているものも見えていない状態に陥っていないだろうか。
アレウスは改めて十字路を時計回りに回る。そのあと、反時計回りに回る。それでなにかが変わるわけではないのだが、ウロウロし始めてからはもう体を止められなくなってしまった。歩いて気分を発散させることで閉塞感に抗う。これは異界で生きていた頃にもやっていたことだ。むしろこれをしなければ閉塞的、狭い場所を得意とする精神は生まれなかった。
「…………縦と横……ああ、そうか」
前後左右の通路に思考が引っ張られていた。その先が行き止まりで、スイッチに見えるレンガの形。誰もが引き寄せられるあからさまな選択肢。その選択肢に甘えれば、ラビリンスの罠に脅かされる。
十字路ではないのだ。通路は四つに分かれているわけではない。
アレウスは十字路の隅と角を一つ一つ調べていく。レンガは均一ではあるが、一部は隅や角に使われるように加工されている。だが、その中でも特に不可思議な形をしているレンガを見つける。だからアレウスはそのレンガを手で強く押し込んだ。物々しい音を立て、十字路の通路の一つの壁がさながら生き物のように蠢いて、隠されていた通路を開く。
斜めの選択肢。それがアレウスの思考から抜け落ちていた。なんとか見つけ出せて安堵の息をつく。
隠し通路の奥にはトンネルがあり、そこを潜り抜けるとまた新たな通路に繋がっていた。しかしながらこれまでと異なり、アレウスの身長を二つ三つ足した程度のところにレンガ造りの天井が見える。これは屋外ではなく屋内だ。
外周部は天井はないが、内周に近付くにつれて天井がある造りだったのだろう。しかし、道理がない。そんな面倒臭い造りにする必要はないはずだ。
所々に陽の光を取り込むために天井には穴が空けられているのだが、それでも薄暗い。鞄に引っ掛けているランタンを火打ち石で点灯させ、蓋をして手に持つ。音がこもるので、足音が先ほどよりも分かりやすく響く。そして、古い遺跡であるがゆえに風化によってレンガの一部が欠け落ちることがあり、ボロボロと石ころが坂を転がり落ちるような、そして高いところから落ちるような音が時折聞こえる。砂が零れ落ちる音も混じっている。
考古学者ならこういった雰囲気に酔い痴れるのだろうが、アレウスにとっては雑音だ。気配感知を働かせているが、これらの音は掻き消すほどには至らないまでも、魔物の足音に気付きにくくさせる。それでいて、歩いている地点に天井が崩れてこないとも限らない。そういったところにも気を張らなければならないため、体力以外の一面を消耗してしまう。
「いや、逆に魔物は怖がっているのか?」
天井が崩れれば魔物だってただでは済まない。だからこそ、もっと安全なところに潜んでいるのではないだろうか。なにせ迷い人は、その安全な場所を求めて歩くのだから。
しばらく歩き続けて、建物の扉を見つける。朽ちてはいるが、形を扉となった木材が形を残している。雨風に晒されにくい場所だったからだろうか。アレウスは片手で扉だった木材を押し開く。蝶番が動いた木材の重量に耐え切れずに壊れ、音を立てて崩れた。咄嗟に周囲の気配を強めに探るが、魔物が動いた様子はない。アレウスはランタンの灯りで建物内を照らす。人がいた痕跡が数々残っているが、もはや生き物が住んではいないようだ。露出した地面から辛うじて草花が生えていたようだが、栄養が取れなかったのか枯れて、茶色や黄色に変色してしまっている。
内部に本棚が見えた。ゆっくり慎重に進み、並べられている本の背表紙を眺める。ランタンをすぐ近くにあった小さなテーブルに置く。これはまだランタンぐらいの重量であれば崩れなさそうだが、それ以上の重量を乗せられそうにはない。
本を手に取ろうとしたが、背表紙が劣化して千切れるようにして破れてしまった。背表紙のなくなった本――紙束を抜き取るが、砂と埃まみれでなにが書いてあるか分からない。ページをめくろうとするが、使われていたインクか、それとも天井があっても入ってくる雨風のせいか、張り付いていて開けない。無理に開こうとするとすぐに破れる。そして虫食いも酷い。紙とはとてもではないが呼べない。言うなれば塵が辛うじて固まっているような状態だ。どれほど丁寧に扱おうとしても、この紙束を開くのは不可能だ。
諦めて別の本を手に取る。本棚から一冊が抜けたことで次の一冊は問題なく取ることができた。そしてこの本は牛皮によって覆われていたことで、内部の劣化を免れているようだ。それでも雨風とインクの関係で、開けないページはある。しかし、その全てが開けないわけではない。
古代の文字――所々は今の文字と共通するところもあるが、やはりこのままでは読み解けない。
アレウスは荷物を下ろし、中から本を取り出す。この本こそがエイラの家にあった物で、了承を得て借りた物だ。
この本には古代の文字を翻訳する手掛かりが書き込まれている。翻訳書、もしくは辞書と呼べるものだ。だが、この一冊で全てを網羅しているわけではない。恐らくだが数冊で纏め上げられた物で、これはその内の一冊に過ぎない。しかし、この一冊があるおかげで解読が可能な一文も必ずある。全部が読めなくてもいい。幾つかが読めて、そこからは予測で文章を繋げられるはずだ。
「『……の日に…………を、使う…………れた』? 『私は、…………じない。だが、多くの…………は…………じて…………ようだ』?」
探り探り、声に出しながら読んでいく。
「なにかを使う者が現れて、私は信じないけど多くの人々は信じているようだ……みたいな感じか? いや、でもこんなのはいくらでも当てはめることができる」
もっと確実に読める部分を探すべきだ。
「『その…………は、神官と……れるように……った。神に仕える……だから、…………を使えるらしい』」
神官の二文字があった。
「『その……は、言う。私は不死を……する……なり』…………不死? 不死、だと?」
そして、アレウスは決定的な一文を見つける。
「『全ての……を、不死とするために、ロジックを与える』……だと?」




