迷宮である理由
人が人のために作ったにしては、廃都市はあまりにも窮屈さを与えてくる。やはり狭い通路を中心として建造物が乱立しているせいだろうか。それにしても、ここでの暮らしを想像するのはとても難しい。まず利便性が悪い。馬車が通れるかすらも危うい大通りとはとてもじゃないが呼べようのない通路だけでは物資が全体に行き渡るとは思えない。これだけ広大なラビリンスと化すだけの経済力や人手があった。まさか作るだけ作って生活していないわけがないだろう。なにより、建造物の内部には一応ながらも生活の名残りがある。
やはり不便ではあれ、暮らしていた人が大勢いる。当時はまだ世界の広さが世間一般的に知られてはいなかっただろう。特に廃都市に至っては、深奥に至れば至るほど外に出るのが困難な作りをしていることから、よりその人数は限られていたはずだ。
「さながら都市の全てが牢獄……か?」
呟きながら建造物の入り口から内部を覗き見る。魔物の気配はない。しかし、薄暗い内部を様子見であっても調べ尽くす気にはなれない。この建造物にはさして興味を引く物がない。やはり調べるとすればもっと奥にある建造物だろう。恐らくこの辺りの大半は住居でしかなく、特別な役割を担っていた者たちの生活スペースではない。
遺跡の調査は学者がやるべきことで、研究は驚くほどに遅れている。現代で生きることに精一杯なせいで過去を調べる余裕がない。今はただでさえ戦争をしているのだから、過去の遺物の調査など帝国が力を上げて行うことはない。だからこういった遺跡や墳墓に残されている物品の数々には価値が付けられない。価値が付けられないということは商人が買い取らない。買い取らないということは荒らす原因にならない。
だから魔物だけが住み着いてしまう。ヒューマンが過去に目を向ける余裕を得たとき、ようやっと遺跡に蔓延る魔物たちは完全に排除されるのではないだろうか。墳墓のバウスパイダーも根絶することはできたが、あのあとまた住み着いてしまっているかもしれないのだから。
歩いて、歩いて、分かれ道での選択に悩みつつ、マッピングを行い続ける。一人での活動は快適なのだが、賑やかさが足りない。
「……人の温かさに染まってしまったな」
自分自身が寂しいと思うことに意外さを感じる。
近付く者は疑ってかかり、信じられるのはアベリアだけ。二人切りでなにもかもを成すんだ。そう意気込んでいたというのに気付いたら仲間に囲まれ、そこに居心地の良さを感じるようになってしまった。アベリアも以前より人と話せるようになって、なによりも人当たりが良くなった。
以前にも似た感覚に囚われて、本質を忘れるなと自分に言い聞かせたことがあった。決して甘えるな、決して信じ切るな、と。
だが、今ではその考えが間違いなのではないかと思っている。良い意味で丸くなったのか、悪い意味で丸くなったのか。強さを求める上では悪い影響だが、冒険者としては良い影響だろう。
しかし、そんなところに及第点を出していては仕方がないのだ。バランス感覚が良くたって、器用貧乏になるだけだ。
尖らせなければならない。極端に偏り、強くなるためには強さだけに拘り続けなければならない。
「でも、そうやって強さを追い求めると……キングス・ファングのようになる」
ラブラ・ド・ライトもキングス・ファングも自らの強さを求めて、それ以外の全てを否定したがゆえに――強さに全てを振り切ったがゆえに、許されざるをことをしてアレウスの手で討ち果たした。その姿を知っている以上、力に振り切った生き方をすることは困難だと分かる。力に溺れれば、必ず誰かに阻まれる。世界はそのような仕組みになっている。
ただし、イプロシア・ナーツェだけが例外だ。世界の仕組みに阻まれても、拒まれても、尚もどこかで生き続けている。世界を渡るためにあらゆることに手を染めて、振り切っているというのに生きている。だったらあの女は、世界に認められなくとも神に認められた存在ということか。
「自分が神様になるみたいなことを言っていたのに、神に阻まれないのはおかしな話だけど」
ならばどうして神はイプロシア・ナーツェを拒まず、アレウスという存在を拒むのか。なぜアレウスにばかり困難を与えてくるのか。少なくとも、アレウスが抱えることになる様々な事象は一般的な冒険者が背負うような困難よりも圧倒的に重大なことが多い。それをクラリエは世界に嫌われているのではと予測を立てていたが、もしかすると本当にそうなのかもしれないと妄想するぐらいには、自身が巻き込まれる事態に辟易している。しかし、いずれは異界全てを壊すのだと大それたことを掲げているのだから、この程度の困難で挫けていてもいけないのだろう。
「魔物の気配が強くなったな」
壁越しの通路、或いはもっと先。とにかく周辺に魔物の気配がチラつき始める。前方と後方にはいない。このまま進んでも特に問題はない。問題があるとすれば進先に分かれ道があったときだろう。アレウスが道を間違えれば、魔物の気配が強い場所へと進むことになる。
「……やっぱりか」
振り返る。ラビリンスに入ってから、マッピングをずっと続けてきたがそれがあまり役に立たない理由をようやく知る。これまでも振り返ることこそしたが、これほど決定的なまでの出来事はなかった。
つまり、振り返った先が行き止まりになっている。この通路は一本道だった。脇道からこの通路に入ったわけではない。なのにアレウスが歩いてきた通路は、どういうわけか行き止まりになっているのだ。
一定のところを通ると、壁が動いている。それもアレウスが知らない内に。動く音さえ立てず、通路の形が変わっている。このことから、目印としている朽ちた大木跡に自然と戻ってしまうのも、そうなるようにラビリンスが形を変えているからだと想像が立てられる。同じ通路を同じように通れば、必ず同じように朽ちた大木跡まで戻される。幾本にも続く通路の中で奥に続くだろう通路は一本のみ。そこを通れば先に進むことができる。地図を見て、これまでの目印に戻されるまでの歩いた時間などから正解の通路を導き出していかなければならない。
一回目、二回目、三回目と迷ったのちに目印に戻された。その回数はどんどんと増えてはいたが、正しい通路を選んだ場合は先に進んでいる感覚があった。来た道を引き返すことができずに行き止まりとなっていることに気付けたのは、この十六回目の分かれ道での選択が正しかったからだろう。なにせ行き止まりになるなどということはこれまでの進行では一度も見られなかったことだ。
ラビリンスに入った者が正しい道を進めば、壁は正しい形へと動く。ただし分かれ道での選択を誤ればそれまでの苦労は水の泡となって、一定の場所まで戻るように壁が、通路が形を変える。
「正解かどうかもこっちは分からないってのに……」
歩いている時間で考えれば進めてはいる。だが、分かれ道での選択が正解なのか不正解なのかをすぐその場で知ることができない。アレウスの場合は朽ちた大木跡に戻されて初めて不正解だったのだと気付かされる。当然、その分だけ体力を奪われる。
しかし、進まないわけにもいかない。行き止まりになっている以上、後戻りはできない。ただ、不安はよぎる。これまではただ元の場所に戻されるだけだったが、これからは道を間違えれば行き止まりに直面し、後ろも壁に阻まれてそのまま潰されてしまうのではないか、と。
「廃都市の構造とラビリンス化は別なんだな」
迷宮構造の廃都市だからラビリンスと呼ばれていたのではなく、迷宮構造の廃都市にラビリンスになる魔力が込められた。片方の壁に沿って歩けば出口に辿り着けるという理論が通じないのも壁が動くから。だが、廃都市が都市として機能していたときにこんな馬鹿げた仕様があるわけがない。
何者かが魔力を付与することで迷い込んだ者を逃がさない仕様へと変えた。それは善意ではなく、悪意によってのものだ。
アレウスは地図を眺め、四つの分かれ道をそれぞれ見つめ、どこが通りやすいかという観点だけで道を選択する。なにせ情報は一切ない。歩いた経験がない場所を歩くとなれば――地図にない場所を目指すとなれば、たとえそれが不正解の道であったとしても結局のところは通りやすい道を通るのが一番なのだ。
だが、この選択をアレウスはすぐに後悔する。自身が選んだ道に足を踏み入れた瞬間、本能的に間違えたと感じた。だからこそすぐに引き返したのだが、先ほどまであった四つの分かれ道は全て壁で塞がれている。進めるのはアレウスが選んだ道だけになってしまった。途方に暮れていても仕方がない。アレウスは通路を進み、やがて自身の本能は正しいものだったと思い知る。
この通路は魔物の気配がする方へと続いている。歩けば歩くほどに気配が強くなっていく。さながら誘われているかのような一本道。どこにも建造物の入り口はなく、どこにも分かれ道も存在しない。振り返れば通ってきた道は壁に塞がれており、進むことしかできない。
気配を消して、静かに、速やかに進む。やがて通路の先にひらけた場所が見えてくる。さながら広場のような、広間のようで、しかしそこに携えらられている魔物の気配が、人のために与えられた休息地ではないことを告げている。
蟻。ただし、大きさがただの蟻ではない。ガルムと同程度の体躯を持っている。さすがにこれほど大きな昆虫には遭遇したことがないため、あまりの気味悪さに恐怖を覚え、飛び退いてしまった。幸い、まだ気付かれてはいないが魔物の気配はこの大きな蟻から発せられていることで間違いない。
一匹だけでない、見える範囲でおおよそ十匹。広場を埋め尽くしてはいない。だが、個々が活動しやすいスペースが取られている。さすがの彼らも大群で広場を埋め尽くすのは頭が悪いと分かっている。
蟻が大群で、ひしめき合うように食料に群がって運ぶことができるのは体躯の小ささと軽さにある。ガルムほどの体躯を持てば、その重量はただの蟻の比ではない。仲間を踏み付ければその重量で下の蟻が耐えられずに潰れる。外骨格もこの大きさになれば人間の鎧にも等しい。
飛び退きはしたが、蟻にはまだ気付かれていない。気配消しを解かなかったのが幸いしたようだ。アレウスは隙間を縫うようにして広場を進む。あちらこちらに人間の骨らしきものが見えるが、あれらは冒険者の遺体だろうか。であれば『教会の祝福』で甦ることができているはずだが、そうでないとしても、その最期は凄惨なものであったに違いない。想像するだけで震えが走る。
歩みを止める。なんだか様子がおかしい。蟻たちにアレウスは気付かれていないはずだが、徐々に囲まれているようだ。
「っ!」
静かに進むアレウスの正面に蟻が立ちはだかる。広場では一番の大きさを持つ蟻だ。さながらハウンドやワイルドキャットぐらいだろうか。この大きさでは見たことのない昆虫の頭部を真正面から見ることになり、叫びそうになった。それを口を押さえてどうにか押し込めたが、蟻はジッとアレウスを見つめて離れない。周囲の蟻たちが完全にアレウスを囲んだ。
バレている。恐らく、気配消しの技能を切ったことはないが、ならばどうしてか。飛び退いたときの音だろうか。いや、この様子であれば広場に入った瞬間からバレていた。
「しまった! 臭いか!」
気配を消すことに意識を向けすぎて、人間としての臭いを消すことを忘れていた。人では察知し切れない臭いを蟻たちは触角が備える嗅覚で感知していたのだ。
アレウスが声を発したことで、全ての蟻がガチガチと口を鳴らし、触角を激しく揺らめかせる。広場の出口をアレウスは確認し、目の前の蟻を跳躍し、その背中に着地してすぐに蹴るようにして二度目の跳躍を行い、出口目掛けて走り出す。しかし、既に出口には複数の蟻が回り込んでいる。
蟻が発する声などアレウスは知らないが、蟻ではない昆虫が時折発する羽と羽を擦らせる音色のような、しかし決してそうではない蟻の口が奏でる奇妙な音色が耳に入る。威嚇ではなく、攻撃の意思が込められているのは明らかで、蟻たちはその身一つで一斉にアレウスへと突進してくる。
外骨格を持つこの蟻に、アレウスの短剣は刃が通らない。通るとすれば外骨格と外骨格の隙間だが、一匹を相手している間に他の蟻が押し寄せるのは明白だ。だが広間から出るための通路は蟻たちに抑えられている。切り抜けるには戦うしかない。だが、戦うのは圧倒的に不利だ。この思考がグルグルと頭の中で回り続ける。
なによりも、戦いたくない。戦わずに済む方法を探している。異界で暮らしていたとき、昆虫を見たところでなにも思うことはなく、ときにはそれを食べなければならない状況もあって食べたことさえあった。だから世界に出てからも昆虫を見て、どうとも思わなかった。
だが、どうしてだろうか。その昆虫が――今回は蟻に過ぎないが、それがガルムと同等の大きさで目の前に現れた瞬間に、気持ちが悪いと思ってしまった。心の底から気色悪さを感じ、鳥肌が立ったほどだ。正直、この魔物の頭部を直視することができない。バウスパイダーと同等かそれ以上の拒否反応が出ている。
人は一人であるときに正確な心の強さを知る。バウスパイダーと戦えたのはアベリアやヴェインがいたからだ。要は弱い自分を見せたくないという反抗心とアベリアに「凄い」と思われたい自己顕示欲が気持ち悪さを上回ったからだ。
だがここにはアレウスただ一人だけ。自己顕示するべき相手もいない。だからこんなにも気持ち悪さを前に、抗えない。
「ああもう、クソ!!」
不甲斐ない自分自身を鼓舞するように声を発する。悲鳴の一つでも発したいところだが、そんな女々しい気持ちは発声で吐き出した。
蟻の武器は間違いなくその口器に備わっている強靭な顎だ。ならば戦い方はガルムと同じで良い。むしろガルムよりも動きは遅くて見極めやすいはずだ。そして弱点も明確だ。オークにとっての鼻先と同様に、蟻も触角を断ち切られれば生命活動するための大半の機能を失う。
倒す魔物は出口を塞いでいる数匹。一際大きな魔物とリスクを背負って戦う必要はない。




