前を向き続けられる者だけが
ふざけている。神様はとことんまで自分のことが嫌いらしい。
アレウスは腹立たしく思いながら、自らとノックスの気力と『超越者』、そして『継承者』の力も入り混じって形作られた獅子を睨む。
どうしてよりにもよって“獅子”の姿をしているのか。技の名の方に生み出された力が寄るということはまずあり得ない。つまり、あんな姿になるように望んでなどいなかった。
どうして、あの姿に頼らなければならないのか。どうして自らの力が生み出したものが、獅子――『掘り進める者』と同じ姿を取るのか。
『掘り進める者』の元に堕ち、『掘り進める者』の手から逃れるためにヴェラルドは死んだ。憧れの人と同じ道を歩むために冒険者となり、『掘り進める者』に抗う力を求め、そしていつかはこの手で討ち果たすと、復讐を誓った。その道のりの未だ途中で、激しく力を追い求めて撃ち出した力は、『掘り進める者』と同じ姿を取った。
憎悪が湧いて出る。神様は最高の皮肉をアレウスに寄越したらしい。
この世界には獅子の姿をした魔物がいない。冒険者になる前からひたすらに魔物の特徴や習性について記された書物を調べ続けた。ひょっとすると未だ発見されていないだけなのかもしれないが、世界的に見て獅子の魔物はいないとされている。そもそも獅子の定義がない”のだ。
巨狼が獅子を前にして動きが鈍くなっている。力の結晶たる獅子が放つ『不退の月輪』の力場による負荷がかけられているためか、それとも崇拝していた『掘り進める者』と同じ姿を目の当たりにして動揺しているか。
どちらにせよ獅子には意思はなく、ただひたすらに直進して巨狼を噛み砕くべく大きく口を開く。牙も爪もなにもかもが炎を纏い、己に噛み付き噛み砕かんとするその様を見て、巨狼はなぜか真正面から喰ってかかる。
どう考えても巨狼にとって正面から挑みかかることに得はない。なのにその選択をしたのは、『キングス・ファング』こそが獣の王であるのだという証明のためか、はたまた防衛本能がもたらす脅威の排除か。どちらにせよ、力の塊に挑みかかった巨狼は炎を浴び、また生じている力場が起こす圧倒的な過負荷を全身に浴び、徐々にその勢いが削がれていく。
「これが、神様とやらが見せたかったことか……? 僕は結局、リオンから逃れられていないってことなのか?」
乾いた笑いを自然と発する。
「だから僕は神様が大嫌いなんだよ……!」
「一体どうした?」
怒りを投げかけていたのは天を仰いだ先にある虚空だが、ノックスには聞き取れたらしくアレウスへと近寄ってくる。
「あの技は、僕が嫌いな異界獣の姿をしている」
「母上が『本性化』したときの姿に似ているあの技が?」
「……母、上?」
「所々に違いはあるが、大まかには似通っている。あの首の周りを覆っている体毛ばかりは見たこともねぇけどな」
「本当に見たことがないのか?」
「……付け足す。この世界では見たことがない」
アレウスの確認に対し、ノックスが補足した。
「たてがみについては?」
「知っている……いや、憶えている」
記憶の中では獅子がたてがみを有することは知っているが、この世界では一度も見たことがないために不思議に思った。『産まれ直し』だからこそ記憶と思考で齟齬が生じている。
「いや……待て。なら、ノックスの母親は猫の一族ではなくて、」
獅子の一族ではないのか。そう言い切る前に獅子は巨狼をくだし、首元に噛み付き、深く牙を突き立て、そして噛み切る。炎の奔流が獅子から発せられ、同時に力場全体が不安定となりアレウスたちにすら強い負荷が掛かり、地面にへばり付かされる。
全員ではない。この不安定な力場の中で、ただ一人――リゾラだけが当たり前のように立っている。そのことについて思うところはあっても聞き出すまでには至らない。なぜなら獅子が火球のごとく爆ぜたからだ。その爆発の衝撃は音が遅れて伝わるほどに強烈で、視界全てが炎という炎に包まれて、なにもかもを見失う。
赤々と燃える炎に眼球、そして視覚すらも焼き切れていても不思議ではなかったが、アレウスが恐る恐る瞼を開けるとそこには焼け焦げ、いびつな地面が広がっており、そしてその光景はおおよそ見渡せる限りの周辺にまで至っていることが分かった。
プスプスと焼ける音が聞こえる。目をやると、そこには『本性化』の解けたキングス・ファングの姿があった。直立不動にして覇気は未だ失われておらず、瞳にもまた光が携えられている。
これでもまだ生きているのか。『原初の劫火』と『不退の月輪』。二つが混ぜ合わされた力を受けて尚、キングス・ファングの命は尽きていない。アレウスは自然と戦闘態勢になり、辺りの気配を探る。
誰もいない――わけではない。リゾラがいる。いや、リゾラに限らず全員の気配を感知できる。
ただし、セレナの命の気配があまりにも希薄である。
「我に……最期まで楯突くとは、な」
焼け焦げた口を開き、キングス・ファングが声を発する。
「我が力の波濤から逃れられんように、力場で干渉してきた。寸前で『闇』に逃れようとしたが、我は逃さん」
自然と、辺りの音がアレウスに届けられるようになる。拾い始めた音には、ノックスが必死に「セレナ!!」と叫び続ける声がする。
「あの瞬間から、いかほどが経ったと思う? 我にとっては長くとも、貴様にとっては短かったのか。はたまた我にとっては短くとも、貴様にとっては長かったのか。どちらにせよ、我よりも貴様は全く動けてはおらんかったようだな」
まさか、『本性化』が解けたのではなくキングス・ファングは自ら解いて、あの爆ぜる炎の中で暴れ回ったというのか。
パルティータも『本性化』が解け、なんとか動けてはいるが戦意のほとんどを喪失している。
「満足に動けるのは貴様だけ……のようにも思えるが、あの『魔女』めが、ずっと睨みを利かせておるところを見ると、そうではないようだ」
焦げた地面に手を当て、キングス・ファングは貸し与えられた力を集約して大剣を引き抜く。
「これが束ねた力の弱さだ。一点からほつれると、次から次へとほどけていく。束ねても束ねても、スルスルと抜け落ちていくのでは意味がない」
「アレ、ウス!」
アベリアの悲痛な声が聞こえる。命の気配は強く、すぐに死に至るような気配もないのだが、どうにも魔力が少ないように感じ取れる。
あの爆発は『原初の劫火』が引き起こしたものだ。つまり、魔力の炎に耐性があったからこそアレウスは無事だった。ただし、それがノックスたちやリゾラにまでは及ばない。アベリアはあの灼熱の中でノックスたちを守ろうと炎の障壁を張って凌いだに違いない。
「我に挑んだ者たちは、炎が爆ぜた直後から全てを貴様に懸けたのだ。貴様が我を討つという、ありもしない未来を信じて」
手負いでありながら、その名に恥じぬ戦いを続けるためにキングス・ファングが動き出す。
退くべきだろうか。退くべきだろう。まずはセレナとパルティータの回復を優先させ、命を繋いでから再戦するべきだ。まさかあの技にここまでの威力があるとは思わず、そして味方にまで危害が及ぶとも思っていなかった。
「突き進め!! アレウリス・ノールード!!」
セレナの力強い叫びが耳に入る。
「最初から分かっていたはずです!! 犠牲なき勝利などありはしないと!! この機を逃せば父上は再び『不退の月輪』の貸し与えられた力を振り絞って傷を癒やしてしまいます!! あの技でこの場にある力場、そして『不退の月輪』の力のほとんどは吹き飛びました!! 今しかありません! 今このとき、前を向き続けられる者だけが王の首に迫れるのです!! 戦え……戦え! 戦え!!」
アレウスは短剣を貸し与えられた力による炎で延伸させ、剣とする。
「よい……よいぞ、その目だ。その覚悟だ。その生き様だ!」
全身から覇気を発しながらキングス・ファングが求める。
「来い!! 王の首を取らんとする者よ!!」
キングス・ファングが雄叫びを上げ、アレウスは自分自身を狂わせてしまいそうなほどに大きな大きな叫びを上げて、炎の剣を片手に疾走する。
捨て身。なにもかもを捨て去って、ただ目の前の者を殺す。時間は停滞し、思考は加速し、肉体は踊る。大剣を避け、剣戟を浴びせ、衝撃波を寸前でかわし、ただし拳をその身に浴び、尚も炎を吐き出しながら突っ込み、炎の剣を振るう。
振って、振って振るい続ける。キングス・ファングもまた大剣を振るい続ける。アレウスとキングス・ファング、その両者の中には戦略や知恵といったものはなく、己が心に染み付いた闘争本能の赴くままに、戦いは激化していく。
言葉などない。巨体の獣人に挑む小さな人間。その構図は凄絶にして凄惨なありさまだ。
しかし一方的にどちらかが、なぶり殺しに遭っているわけではない。
この戦いに力の差はない。キングス・ファングをここまで弱らせたからこそ成り立つ対立であるが、それでも両者に力の優劣があるわけではない。
決まるのはただ一つ。どちらが強く、どちらがより強いか。
「人間などに全てを懸けた我が子の業を!!」
剣戟はより激しくなる。
「我が手で晴らさん!!」
大剣を振り下ろす。
その狼の王の右肩にトンッと柔らかくアレウスが着地する。
「……人間ではなく、貴様もまた……獣であったか」
咄嗟にキングス・ファングが首を守ろうと動く。アレウスはそこから攻撃動作に移らずに地面に降りる。
防御の姿勢を取らせる。それがアレウスの狙いだった。キングス・ファングは対応しようにも、乗られていた右肩から先の腕を動かしても遅く、首を守る左腕を動かしてもまた遅い状態にある。
だから、狼の王の命に迫れる。
アレウスは炎の剣で“獣王刃”によって爆ぜた黒い魔力が失われ、筋肉でしか守られていない腹部を貫きつつ張り付く。そして、腹部を蹴り上げるようにしながら胸部へと一気に切り上げる。
火柱のような縦一文字の一閃が駆け抜けた。
「束ねた力があったから、お前をここまで弱らせることができた……」
「違うな……貴様という力の元に、この最後において全ての力が束ねられたのだ」
狼の王は立ったままアレウスを見据える。
「次なる王は、力を束ねんとする者たち……か。足りんな…………足りん。なにもかも、足りん」
瞳から光が失われていく。
「ああ、我が名に連なる王たちよ。我の代で、一人がもたらす力は限界点を迎えた。ゆえに次からは、複数がもたらす力の限界点を、目指すだろう……」
立ったまま、キングス・ファングは絶命する。アレウスは一歩、二歩と後退する。死んでも尚、動き出すのではと思わんほどの気迫が残る遺体を前にしてはすぐに背中は見せられなかった。しかし、やがて本当に動かないと分かり炎を解いて短剣を鞘に納め、セレナの元へと走り寄る。
「セレナは!?」
「……大、丈夫」
アベリアが杖をつきながら歩み寄る。
「『不退の月輪』が選んでいるんなら……簡単には、死なせないはず。回復魔法を掛ければ、それが刺激になって……まだ、間に合うはずだから」
「でも、あなたにはもう魔法を唱えるだけの魔力がない」
リゾラは非情に言う。
「無理をすればあなたはそのまま魔力をロスト。肉体が持っているはずの魔力を全て失ったことを“死”と勘違いして、本当に死ぬ」
「“癒やして”」
「っ、馬鹿! 私の話を聞いていなかったの!?」
「私は冒険者だから……死んでも甦る。ちょっと辛い過去を、追体験するだけで、済む。でもセレナは、このまま死んで……しまう、から!」
「追体験?」
「死んでから甦るまでの記憶を全てを起きているときも寝ているときも辿り切らなきゃならない。その期間を僕たちは『衰弱』状態と呼んでいる。ただ衰弱するんじゃなく、『衰弱』という状態異常だ」
「待って、それじゃ」
「アベリアはまた、奴隷だった頃を体験する」
「止めさせなさいよ!」
「……セレナを助けたいというアベリアの気持ちを、僕がどうこうできるわけがない」
「~っ! ああもう!」
アベリアを押し退けてリゾラが手の平をセレナに当てる。
「“ヒール”」
傷口がリゾラの魔力によって縫合を始め、蒼褪めていたセレナの顔色が少しずつよくなっていく。
「同情とかそんなんじゃないから。全部が終わるまで協力関係なら、これも仲間? を助ける行為。冒険者って、傷付いた人がいたらこうするんでしょ?」
「ありがとう、リゾラ」
素直に感謝の意をアレウスは示し、その場に崩れ落ちる。
「ワタシたちがトドメを刺さなければならなかったのに、お前にやらせてしまった」
「僕がみんなより出遅れたせいだ」
「だとしても、お前を置き去りにしてワタシたちは戦えたはずだった。きっと、最後の最後で心がザワついたんだ。父上を、この手で殺すことに……戸惑いが生じたんだ。だから、お前をなんとか動ける状態にしておけば……あとは、やってくれると……懸けてしまった」
「……仕方がない。思ってしまったのなら、そうするしかないことなんだ」
アレウスはノックスを慰めるように言う。
「あの場で前を向き続けられたのは僕だけだった。リゾラがトドメを刺すことなんて絶対にないだろうし」
「当然でしょ。私は獣人の群れとかどうでもよかったんだから。あとのことはあなたたちでなんとかしてちょうだい。一応、逃げられないようにはしているけど私はまだ“あれ”に聞かなきゃならないことがあるのよ」
雨は気付けばやんでいた。いや、あの技が起こした大爆発が雨雲を突き破ったのだろう。空から差し込む日の光は、ひとまずの安寧を天が与えているようにも思えた。
だったら最初からそうしろ、と。アレウスは天に悪態をつくのだった。




