力を束ねるのか、力が束ねるのか
ロジックを開いたことで落ちていた意識を取り戻し、ノックスとセレナはお互いの無事を確かめ合うように手を取り合って胸を撫で下ろす。
「謝らせてほしい」
開口一番、ノックスがアレウスに頭を下げる。
「そういうのは全てが終わってからにしてくれ……というより、君たちはいつ頃から意識が曖昧だった? いつ頃からロジックに細工をされていた?」
「正直、今の今までは夢を見ているような感覚だった。ワタシという存在を俯瞰して眺めているような感じだ」
「幽体離脱めいたもの、と言えばより具体的でしょうか」
セレナがそう補足する。
「どこからそうだったのかなどは分かりません。おかしいと思い始めた時期も分かりません。ただ、なんと申しますか……ハゥフルの国より帰還してからは、どうにも調子が悪い状態が続いていました」
「テッド・ミラーに捕まったときにロジックに細工をされたのかも……それか、リゾラの言っていた“ロジックに寄生する存在”にそこで接触したか」
アベリアが既にアレウスたちの間で立てられている仮説を話す。
「でも、その存在がノックスのロジックから飛び出したから、もう大丈夫なのかな……?」
「なんの説明もせずに行ってしまったからな。僕たちが立てられる予想は、最初がセレナだったけど途中からノックスに、そしてキングス・ファングも寄生されたってことぐらいだ。多分だけどノックスを宿主にしてセレナとキングス・ファングに自分の魔力を寄生させて、操ることができる状態にしたんじゃないか?」
「操られていた気は全くしないのですが……姉上が寄生から解放されても、ジブンに残っているのでは?」
「“ロジックに寄生する存在”の大本がノックスから離れたからセレナの寄生も解けたんだろう」
「では父上も同じように解けているんじゃねぇか?」
ノックスの希望的観測にアレウスは首を横に振って答える。
「寄生する存在の目的はノックスやセレナの制御じゃなくキングス・ファングの制御にあったはずだ。だったら寄生する能力――要はそういった力があるとするのなら、その存在はノックスから剥がれてもキングス・ファングの寄生に用いている力まで解くことはないはず」
「そうか……駄目か」
「『不退の月輪』は止められないのか? どういう理屈でそのアーティファクトは機能している?」
「ワタシたちは『呪い』そのものとして産み落とされた。キングス・ファングの群れに昔から残り続けている忌まわしき呪い。それが人の形として現れたのがワタシたち。そのように言われる理由が『不退の月輪』にある」
「あのアーティファクトはジブンたち以外を認めず、ジブンたちに触れようとする者たちを一人残らずランページへと変貌させてしまう。それほどまでに呪いが蓄積されています。その呪いがどういうわけかジブンたちに対してだけは効果を及ぼさないのです。呪いが受け入れるのは呪いだけ。キングス・ファングの娘として産み落とされたそのときから、『不退の月輪』はジブンたちにだけ呪いを浴びせることはなかったのです」
「母上――カッツェの家系だとか、ファングの娘だからとか、そういう話じゃねぇんだ。なんでか分からないけど、ワタシたちは『不退の月輪』に認められ、そして決して牙を剥かれはしなかった。でもよ? ワタシたちはあるときに、そんなもんにずっと付き纏われているような状況ってのは危ないかもなって話になった」
「ジブンたちが産まれてからずっと言われ続けていることでしたから。呪いはいつか、群れに悲劇を及ぼす。だから双子という凶兆を正すために、片方は殺せという話もあったほどです。どれも父君が一蹴したようですが」
「父上の庇護があったって、呪いはいずれワタシたちを蝕む。だったら、それを逆に利用できるようにしなきゃならねぇ。そのためにワタシは呪言を学び、セレナは呪いを応用して『闇』を渡る術を習得した」
「『呪い』の方が友好を示してくるのなら呪いを避けず、逆に呪いを受け入れる形で自らの力へと変換したのか」
「そういうことです。そして、ジブンたちは更に『不退の月輪』を二つに分けました」
「分けた? そんなことできるの?」
「アーティファクトから供給される量を二分割にしただけだ。お前みたいに『原初の劫火』を全て受け入れられるような魔力の器をワタシたちは持っていねぇから、そうすることで呪いを制御下に置くことができるようになった。調子が悪いときはセレナが多めに、逆にセレナの調子が悪いときはワタシが多めに供給量を取ることで、『呪い』を抑え込む。つまりは、私たちは『不退の月輪』の『継承者』であり、互いに力を貸し与えることで『超越者』になることもできる」
「『深淵』と呼ぶ魔法をジブンたちは用いることができます。それは『継承者』と『超越者』の循環を姉上と繰り返すことによって生じる『闇』と力場の渦です。恐らく、この循環を他の『継承者』と『超越者』が習得できるのなら、ジブンたち以外にも習得している可能性があります」
「そんなことできるのか?」
アレウスはアベリアに訊ねる。
「可能だとは思う。でも、そんな風にアーティファクトを共有している話なんて聞いたことがないから、理論上はって付け足すしかないけど。あと、『継承者』と『超越者』の循環も理論上は可能だと思う。でも、『原初の劫火』はワタシの中にあってアレウスにはない。そして、『原初の劫火』が奪われたときも、奪い返した際にはアレウスを選ばずに私を選んだ。だから、ノックスやセレナが言うほど簡単なことじゃない」
「…………二人が『継承者』で『超越者』なのは分かった。でも、キングス・ファングは『超越者』の力を行使していたぞ」
「ワタシたちに何者かが寄生したせいでバランスが崩れて、父上に『不退の月輪』の制御を奪われてしまった」
「父君はジブンたちを『継承者』に決定付け、父上自身にだけ『超越者』の力が流れる仕組みに変えてしまっているのです。『不退の月輪』の力が二分割でジブンたちに供給される状況は続いていますが、少なくとも『超越者』としての力は失ってしまっています。あなたたちに奇襲とばかりに放った『深淵』と呼ぶ魔法も、循環が回り切らず、小規模なものとなってしまいましたし、なにより防がれてしまうほどに弱体化を受けていました」
リゾラがいなければ死んでいた魔法を、小規模と言ってのけられると次に訊ねるべき言葉を見失ってしまう。
「『継承者』側から貸し与える力を制限することはできない?」
「可能です。ですが、父君は多くを吸収しすぎています。全て吐き出せない限りは、『超越者』の力を行使し続けられるかと」
「お前たちもそうだと思うんだが、貸し与えられた力は充填するだろう? 『継承者』から直接の供給がなくとも、充填された力はなくなるまで使い続けることができる。まさに今、父上がその状況だ。ワタシたちから供給を断ちはしたが、充填された力を取り除くことはできねぇ」
アレウスはアベリアと手を繋ぐことで貸し与えられた力を充填する。どんな方法で充填するかはともかくとして、その点は他の『継承者』と『超越者』は変わらない。だからキングス・ファングはまだ『不退の月輪』の『超越者』としての力が行使できる。
「『不退の月輪』も一種の暴走状態にあるようです。ジブンたちが触れることさえできればランページたちに注がれている呪いを断てるはずです」
「それをキングス・ファングが黙って見過ごすわけがないな」
そうなると決戦の地は『不退の月輪』が置かれているあの谷底となってしまう。
「あそこは逃げ場所が限られすぎる。どうにかして地上に誘き出さないと僕たちはただただ狩られるだけだぞ」
あんなところでは戦えない。獣人の骸がいくらでもあるのだ。突如としてランページとして甦り、アレウスたちに襲いかかるかもしれない。全ての獣人の中で最強と謳われるキングス・ファングとの戦いのさなかに、そのような集中の乱され方をすればあっと言う間に命は消し飛ぶ。
「キングス・ファングの掟に父上が応じてくれるなら谷底で戦うことは避けられる」
「王を倒して王になる。次代の王になるための挑戦。キングス・ファングの群れはそうやって続いてきたのです。たとえ『不退の月輪』に肉体が侵されていようと父君の本能が記憶しているはず」
「ワタシがキングス・ファングに戦いを挑む」
「勝てなければ死、勝てば王……だけど君は」
ノックスは王になる夢を抱いていたわけではない。
「ジブンが行きます、姉上」
「確かに能力の高さならセレナの方が上だ。でも、こういうのは年長者が果たす役目だ。だから、ワタシが勝てなかったときに備えておけ。ワタシが父上を削り、セレナが勝つ。その形でも構わない」
「ジブンは大いに構います!」
らしくないほどにセレナは大きな声を発する。
「ジブンがこれまで強くなり続けることができたのは、姉上がいたからなのです。姉上がいるからこそジブンがいるのです。姉上がいなければジブンなんて……」
「そう卑下するな。お前はワタシよりもずっと秀でている。だからこそ、王になる資質を備えている」
その言い方だと、もう既にノックスは死ぬことを決めているような言い方になる。
「いいや、それは違うよ」
後ろから声がして振り返る。
「姉上たちが挑む理由なんてどこにもありはしません。オレが父上を討ち果たし、次代の王となります」
「パルティータ……」
ノックスが声の主の名を呼ぶ。
「オレは姉上たちに比べて外の世界を見ていません。けれど、オレにとってはこの群れの中こそが世界そのものなのです。外の世界に比べればずっとずっと狭苦しい上に掟まであって生きにくいかもしれません。ですが、この群れこそがオレの居場所であり、オレの世界。でしたら、姉上たちに過酷な道を歩ませるよりもオレが挑む方がずっといい。そのためにオレは日々、鍛錬を続けてきたのですから」
「……だが、」
「末弟に全てを委ねることが不安であるのなら、オレと共に来てください。そして、なにも一人で挑む必要なんてないじゃないですか。それが父上――今のキングス・ファングまで続く掟にしてしまえばいい。次代の王よりの掟は、複数で挑むことを許せばいいんです」
「自分で自分の首を絞めることになるぞ? 次代の王からそのような掟にすれば、群れの獣人たちは徒党を組んで王に挑む」
「だったら、王もまた精鋭を引き連れてその挑戦を受けるのです。これもまた、一つの掟の変革です」
「挑戦者にだけ有利な掟ではなく、王にも複数人で挑戦者と戦う権利を与える……ということですか? しかしそれは……」
「王はただ一人、孤高に強く、誰よりも強いという価値観を根底から変えてしまう。そんなことをすればパルティータ……ハーレムが成り立たなくなるぞ」
状況が変われば『キングス・ファング』の称号の効果もなくなってしまうだろう。
「獣人は数を減らし続け、いずれは滅びる種族。そのように父上は思い悩み、解決策を模索した結果が『死体の雑兵』であるのなら、オレはその解決策の真逆を選ぶ。この選択で獣人が滅びるというのなら、そもそも滅びなければならない運命にあったのだと思うのみ。自由に生きることこそが獣人の生き方であるはずなのに、ハーレムや群れの王という存在がそれを縛り上げています。であれば、解き放つのみ」
「考え方は面白いが、そう上手くは行かないだろう。反発を生じ、多くの犠牲を伴う。だが、試してみるのも悪くはねぇな」
ノックスがパルティータの案を採用することを決める。
「でも、雰囲気的にマズいと感じたら即座に切り替えた方がいい。父上に挑んだのが複数人ではなくパルティータだけだった。そのような証言なら、いくらでもしてやれる」
「ジブンも姉上がそう仰るのなら、それに従うまでです」
なんとも不安定なまま話が纏まっているが、その辺りの話は状況が好転してからいくらでも詰めることができることだ。それよりも重要なのはキングス・ファングを止めること。ここの論点はズレてはいけない。
「なにボーッとしてるんだ。お前たちも来るんだよ」
走り出したパルティータたちを見送ろうとしたアレウスとアベリアにノックスが求める。
「『原初の劫火』は父上にとって欲しい力だ。だったら来ても問題ない。そしてお前は、兄上の眼を持っている。王になる権利を持っている」
「僕は王になんてなりたくないが」
「誰がなれと言ったんだ。パルティータがなるのを手伝ってくれよ」
「……アベリア?」
「別に私の意見を聞く必要はないでしょ。もう心は決まっているんでしょ?」
その通り。アレウスはアベリアの返事に安堵し、二人はノックスの背中を追いかけるようにして駆け出した。
谷に到着し、パルティータたちが降りていく。アレウスとアベリアも『原初の劫火』の力を借りて自力で降り切り、再び獣人の墓場に降り立った。
「父上」
死臭漂う墓場の先――アーティファクトの『不退の月輪』が世界に顕現する際の形となった鏡の前で、黒い魔力を纏ったキングス・ファングは鎮座していた。
「パルティータ……ここまで来たか」
「……父上の王の権利、奪いに参りました」
「そうか……ならば、上で待つがいい」
「一人じゃないぞ、父上。ワタシもセレナもパルティータと一緒に挑ませてもらう」
「なんだと?」
「カッサシオンの眼を持つ者、『原初の劫火』の『継承者』も連れて参りました。これだけの数でようやく、父君と同等……になると信じておりますが」
キングス・ファングは深く、深く、深く溜め息をつく。
「なんとも、虚しい話だ」
呟きには怒気が込められている。
「我の時代も折り返し地点に差し掛かり、次代の王の素質を持つ者が現れ出でると信じていた。それが息子、娘たちであったならどれほど心が踊ることだろうとも、来る日も来る日も、子供の成長を見守ってきた」
足に力を込め、キングス・ファングが立ち上がる。
「カッサシオン……聡明な男だった。技量に溢れ、剣の才覚を持ち、なにより先代の王の娘が孕んだ子だ。次代の王に相応しい力を身に付けると信じて疑わなかったが、魔物ごときに命を散らした。それもこれも、双子の妹を忌まわしい子供となじったせいか……世話をさせていた頃には、そんな言い方をすることもなくなっていたが」
瞳の奥には確固たる意志があり、凄まじい気迫を感じる。
「ノクターン、お前は要領が良い。生き方、考え方の違いがそうさせるのか、学びが速く、物事への執着心が少ない分、新鮮な感覚を常に取り入れることができる。お前が持つ気風は王になれば、群れによい影響を与えると信じていたが……」
黒い魔力をマントのように羽織り、放つ呼吸は強い熱を帯びる。
「セレナーデは考えることよりも体を動かすことの方が早い性格だったな。才能、本能、それらが結びつける直感によって死にそうになっても生存できる。肉体を駆使した技の数々は目を見張るものがあり、王に挑むに十分たる強さを身に付けるだろうと思った」
転がっていた獣人の骨を手に取り、黒い魔力を帯びて大剣に変わる。
「だがどれもこれも、我の思い過ごしでしかなかったようだ。くだらん、貴様らは王には足らんほどに、くだらんことを言ったことが分かるか?」
「父上! オレたちは、」
「黙れ!!」
怒声に気圧されてアレウスたちは尻餅をついてしまう。
「群れとは! 束ねた力で束ねるのではない!! 力があるから束ねられるのだ! 力“を”束ねるのではなく、力“が”束ねるのだ! 群れの者どもはどいつもこいつも!! 徒党を組んで己が擁立した者たちの中で誰が王に相応しいかを言い争っている!! そうではない! キングス・ファングとは!! 力で奪うものなのだ!!」
ノックスと戦ったとき以上の、薄気味悪い死の予感をアレウスは感じずにはいられない。
「我らキングス・ファングは全て力で奪ってきた! 力こそが我らの全てなのだ!! だというのに!! 我の力に陰りが見えても、誰一人として挑もうとしないとはなんたることだ!!」
大剣を振りかぶる。
「そんなことだから我は未だにキングス・ファングを名乗らなければならない。そんなことだから、我は未だ力を求め、力ある王であり続けなければならない。まさか我の息子、娘たちは分かっていると思っていたことを、こんな場で説かねばならんとは……実に嘆かわしい……だが、よい。もうよい。挑むというのなら応じてやろう。しかしこの首、徒党を組んだ程度で取れると思うな」
振った大剣の放つ衝撃波がアレウスたちを吹き飛ばす。
「我はキングス・ファング!! 力で王を奪い続けた者たちが築き上げてきた死体の山!! その頂に立つ者である!!」




