改
全ての動物は体温を持っている。それは人間もまた同じ。体温を保ち続けることで生き続ける。
即ち、体温とは命の灯火である。
『冷獄の氷』の全力を受け止め、放ったカーネリアンの体は徐々にその命の灯火たる体温を奪われ続けているが、凍えれば凍えるほどに全身が暑さを感じている。これは脳が極寒の中で起こす勘違いであり、今まさに灯火が消え去ろうとする者だけが感じることのできる激しい激しい酷暑である。
だが、同時に『菊盃』を放った直後から辺り一帯の空気は一段と言わず最大限に極寒へと達し、投擲した薙刀の穂先が裂く空気はどれもこれもが凍て付き、氷晶を撒き散らす。
シュランゲの放った蛇を模した気力の刃は薙刀が巻き起こす冷気の爆発を真正面から受け、しかしながら気力そのものが凍り付くことは一切なく、ひたすらに冷気に抗い続けている。
「自らの得物を投げる技を選択するとはな」
蛇は変温動物だ。そして寒冷期においては冬眠を行う生物でもある。寒い場所では恒温動物である人間以上に動きが悪くなる。しかしながら、やはり獣人とはどれだけ見た目が動物に寄っていようとも人間であることを証明するかのように蛇の王はこの環境下で耐え続けている
「投げたあとでは次の攻撃も続くまい!」
「貴様に心配などされる筋合いはない!!」
薙刀を投擲したとはいえ、未だ気力、そして魔力的にはカーネリアンとの繋がりは断ち切れていない。蛇の王が放った技を打ち破るべく、ひたすらに力と呼べる力が吸い取られていく――そんな錯覚さえ覚えてしまうような速度で全身から力が抜けていく。
生命力――生き続ける力すらも持って行かれてしまっている。明らかに魂が削り取られている。このままロジックが傷付けられ続ければ、カーネリアンの寿命が損なわれていくのは明白だった。
「それ! でも!」
引く判断は持ち合わせていない。
ここを生き抜かなければ、天寿を全うすることさえままならない。生き続けなければ、親友のクルタニカとこれから築く未来すら描けない。
薙刀が氷晶に包まれて、植物の茎のように太く。穂先から先で巻き起こる凍気は蛇王刃の気力を取り込んで広がり、何枚にも何枚にも氷晶の花弁を開いていく。
「やはり、我の剣技は真なる剣技には届かぬか」
自身の剣技の限界を感じ取り、シュランゲは気力の放出を断ち切って、黒い魔力を置き去りにした瞬間的な移動で回避に移る。咬合しようとする蛇を、顎先から凍り付かせていき、やがてそれらは花弁の一枚へと変貌し、蛇王刃に込められた全ての気力は地上に氷晶の華を完成させる一部となった。
「もはや立っていることさえできまい!」
『菊盃』を回避し切ったシュランゲが、力の放出によって呆けているカーネリアンへと走る。
「己の過去より続きし因縁をここで断ち切らん!!」
「終宴だ、エキナシア」
氷晶の茎が内部から砕け散って、薙刀を構成していたパーツが剥がれ、素体となったエキナシアの体へと帰る。クルタニカが氷晶の障壁によってシュランゲを阻んでいる間にエキナシアが刀を拾い、シュランゲの背後から切り掛かる。
「『悪酒』を解いた……?!」
驚きながらも蛇の王は氷晶を砕き切ってからエキナシアに振り返り、剣戟を放ち、両断する。しかし、エキナシアは振るった刀の勢いを使ったまま体の半分だけが移動を続け、その刀をカーネリアンが手に取る。
「聞こし召せ」
両断されたエキナシアのパーツが剥がれ、その全てが刀に集約する。
「……なん、だ? なんだ、それは? 『悪酒』を解き、再び『悪酒』を用いた。そこまでは理解できている。しかし、それ以外は理解できん」
機械人形のパーツによって刀は形状を変えて薙刀――にはならず、柄の装飾こそ変わったが形状は刀のまま変化していない。
刀身に亀裂が走り、一回、二回と折れていき、やがて根元まで達し、柄だけが残る。
「『悪酒』に、我にとっては未知の魔力だったのだ。それも灼熱を極寒に一変させるような極端な力が加われば、器である刀が耐えられんのも無理はない。貴様は己の得物の器を測り間違えたのだ。鳥人にとっての命たる刀を失い、なんとする?」
シュランゲがせせら笑う。
「貴様とこのような形で決着しようとは、残念だ」
「私の命は刀にはない。この刀にあるのは、エキナシアの心臓」
蒼白に染め上げられた瞳は静かにシュランゲを見据え、柄を握る手には力が込められる。
「命は成長する。たとえそれが、『悪魔の心臓』であっても。そこに命が吹き込まれているのなら、成長は止まらない」
パキパキと凍結の音を奏でながら、柄の根元から集約した冷気が氷晶を織り成し、氷の刀身を作り出す。
「私がクルタニカから貸し与えられた力を受けて成長したのなら、エキナシアもまた、私を呑み込めるように力を高める。私だけじゃない。全てのガルダの刀は、ガルダの成長と共に成長する。たとえそれが、『悪魔』の力であったとしても」
刀身は折れた。だが、それは折らなければクルタニカの魔力を御し切れないと刀が――エキナシアと名付けた『悪魔』が判断した結果だ。これからまた、刀身を打ち直すことになるのだろうが、ともかく今は急増の刀身を『悪魔』はしつらえた。つまり、『悪魔』は『冷獄の氷』の魔力の受け皿を変化させただけに過ぎない。
だから柄と、鍔にエキナシアのパーツは集まったのだ。持ち主が握る部分を少なくとも壊さなければ、ともかくも力を振るうことができる。
誰よりもエキナシアのことをよく知っている。だからこそ、この形状の変化もカーネリアンは受け入れられた。
「では確かめてみるか? 我の剣と貴様の刀。そのどちらが上回るかを。握れば握るほどに凍傷によって死んでいくその腕を振るい続けられるのであればな!!」
シャムシールを踊らせるようにシュランゲは振るい、カーネリアンはその剣戟を刀で受け止める。
「この痛みは私がまだ『冷獄の氷』に耐えられていない証拠。この痛みを乗り越えなければ、私は『超越者』として未だ認められない」
蒼白を通り越して黒ずんでいく両手を構いもせずに斬撃を放ち、そのたった一太刀でシュランゲの一方のシャムシールの剣身を切断する。
「腕を犠牲にして我の得物を壊すか……しかしそれでは、」
「誰が、カーネリアンの腕を犠牲にすると言ったんですの?」
クルタニカの回復魔法がカーネリアンの凍傷に抗い、逆に大量の魔力を注ぎ込むことで鬩ぎ合いを制して黒ずんだ腕も手も指先も蒼白へと戻す。
「そんなこと『冷獄の氷』を持つわたくし自身が絶対に絶対にさせませんし、許しませんわ!」
「『天』の、」
「その名で呼んだところで力の形が違うのだ! 貴様に炎は応じはせん!」
「『氷』に!」
その場にある全ての凍気が一瞬にしてカーネリアンの刀身へと集約し、極寒の範囲に雪解けが訪れ、霰となっていた雨粒は激しく天から降り注ぐ。
「『凍』える『華』よ!!」
凍気は刀身から全身に行き渡る。髪の先端から凍らせ、白く鋭く染め上げる。
「…………理解できん」
呟きながらも蛇の王の口元には笑みが浮かび上がる。
「理解できんからこそ、戦いはやめられん!!」
黒い魔力を置き去りにする加速に対し、カーネリアンもまた脅威的な加速を見せてシュランゲと激突する。どれだけ回り込もうとも真正面での攻防になることはもはや避けられない。だからこそ蛇の王を真正面から叩く。
移動し、加速し、斬撃と剣戟が重なり合い、弾き合う。羽ばたいて宙に逃げようともシュランゲは黒い魔力を足場にして追い付き、捻じ伏せるような遠心力を込めた剣戟を繰り出す。だがカーネリアンもまた繊細なただの一振りでシュランゲの剣戟を弾き、力と力で叩き合う。
宙でも、地上でも、ありとあらゆる場所で、ありとあらゆる角度で互いの斬撃と剣戟が飛び交い、金属音が高く高く響き合う。
クルタニカの回復魔法には限界がある。『冷獄の氷』が無尽蔵の魔力を有していても、そこから変換する役割を担っている彼女自身の疲弊、そして集中力が切れればそこまで。カーネリアンの両腕は凍傷によって壊死する。
体に残る熱が消える前にシュランゲを下す。この斬撃と剣戟の先に自身の未来がある。そう信じてカーネリアンは呼吸することすら忘れるほどの命のやり取りを続ける。
「まだだ、まだまだ青い! 我の剣技を越えなければ貴様に未来などないぞ! 獣剣技!」
しかし、長きに渡る命のやり取りの決着を見たのか、悟ったようにシュランゲは技を放つ構えを見せる。
「秘剣、」
この一撃に、全ての熱を捧げる。そう決めてカーネリアンも構える。
「“狼頭の牙”!!」
「“菖蒲八橋・――」
シュランゲの描く二段の剣戟にカーネリアンの描く二段の斬撃が完全に合わさり、二つの剣技が重なって弾け切った。だが、彼女の腕は、刀の切っ先は未だ一連の流れを切らしてはいない。
技を出し切った蛇の王に三度目の斬撃が飛び、そして切り返しての四度目の斬撃が飛ぶ。
「改”!!」
切り裂いた部位から凍結し、そこから及ぶ凍気は瞬く間にシュランゲの全身に及ぶ。氷に包まれるのではなく、内側からシュランゲの全身が氷と同化し、凍結した。
相手の左肩から右腰に向けての一撃、そしてそこから切り上げる二撃。これが“菖蒲八橋”の基礎となる。しかし、それを獣剣技に置き換えてシュランゲが放ったのなら、やはり左肩から右腰に向けての一撃と切り上げる二撃。
互いの剣技は向かい合わせに放たれれば、決してその軌道は重ならない。だが、カーネリアンは二段の斬撃をきっちりと蛇の王の剣筋に合わせて打ち消しただけでなく、そこで剣技を完遂させずに継続させて、右肩から左腰への斬撃と左腰から右肩への切り上げを加えることで三段目と四段目の斬撃を行った。その三段目に移るために求められた切っ先の揺らぎは最小かつ最速。瞬撃とも呼べる抜刀術にも及ぶほどの一瞬であった。
しかし、それでもあと一押し、カーネリアンがシュランゲに及ぶことはなかっただろう。その一押しこそ、やはり場を支配した極寒の環境だった。
変温、恒温を問わず、寒さは全ての生物の活動を停滞させる。やはりそれは致命的で、終盤においてシュランゲの感覚を鈍らせた。恐らく蛇の王ですら、自身は寒さの中でも変わらず活動できていると思っていたのだろう。
だから三撃目が己に至るその間際まで、回避に移ることすらできなかった。
「我を越える……か、鳥人よ」
決して動けもせず、また話せるはずがないのだがシュランゲから声が発せられる。
「いや、元から我は越えていなかっただけ……か」
「いいえ、あなたは私を越えていました」
カーネリアンは首を振る。
「でも、親友のおかげで私はあなたを越えられました。私の瞳に映るあなたはまさしく獣人の王そのものでした。こんな若輩者と剣を交えてくれて感謝します、キングス・シュランゲ」
「……変わらん」
黒い魔力が消えていく。
「生前となにも変わらん。小さな命が、我に挑むたびに強くなっていく。その育つ様を見るのは……至上の、喜び……だった、な」
皮膚が破れ、肉が崩れて骨になる。その骨すらもほぼ全てが凍て付いて、氷塊のように割れて砕ける。
「このように甦った無様な王を……真正面から、討ち滅ぼしてくれたことに、感謝する……心から」
シュランゲの声はそこで途絶えた。
「……っ!!」
刀を落とし、カーネリアンは膝を折る。続けて地面に両手をついて荒く激しい呼吸を繰り返す。
凍え切った全身から熱が発せられる。途絶えそうになっていた血の流れ、止まりかかっていた心臓の拍動。そのどれもが熱を伝え、同時に彼女の肉体に信じられないほどの疲労感を与えてくる。
「はぁ……はぁ……かっ、はっ!」
喉に絡んだ血痰を咳をすると共に吐き出し、ゼェゼェとした呼吸で必死に酸素を取り込もうとするがその都度、肺の痛みに苦しむ。『冷獄の氷』から貸し与えられた力が解けて、蒼白だった肌が徐々に血色を取り戻していく。
「死なないで、カーネリアン!」
「……安心して、死なないわ。これくらい、当主の座を手に入れるための日々に比べれば、どうってことない……終宴よ、エキナシア」
刀からパーツが剥がれ、二分割にされた素体に張り付いてエキナシアを構成し直す。分割された自分自身を求めて素体がさまよい歩き、見つけて切断面を合わせて引っ付く。
それからなにも言わずに仰向けに倒れ、エキナシアは動かなくなった。
「放っておいていいんですの?」
「修復が終わるまでは動かない。もう碌に動けない私が動けるようになるまでの休憩には丁度良いわ」
機械人形を心配するクルタニカに問題ないことを告げる。
「それよりあなた、どうやってバレずにここまで来ることができたの?」
「えーと、これは物凄く危ない賭けだったんですが……どんなに獣人がガルダを捉える目を持っていても、どれだけ気配感知に優れていても、信じられないほど高いところを飛んでいれば、気付かれないんじゃないかと思ったんでしてよ」
「また危ないことを」
高度によってはガルダに見つかりかねない。が、彼女も無茶はしない。高さまで飛ばないように気を配ることぐらいはできるだろう、できていて欲しい。
「仕方がありませんわ。カーネリアンを助けるためには、どんな危険にも飛び込まなければなりませんから」
「ふ……ふふふ、私じゃなくてアレウリスの方ではないのか?」
「今の私は親友が一番、その次にアレウス。そして、親友はまだいるんでしてよ」
「アベリアか」
「あなたを助けてさっさとアベリアを助けに行くはずでしたのに」
クルタニカは足をハの字にして座り込む。
「もうクタクタで、このまま助けに行っても足手纏いになってしまいますわ」
「それは悪いことをした」
「いえ、いいんですの。だってアベリアにはアレウスが付いているんでしてよ? 悔しいくらいに、あの二人は強い絆で繋がっています。だったら今回もきっと、大丈夫に決まっていましてよ」
「そうだな……」
「だから私は一番の親友のあなたが、エキナシアと一緒に動けるようになるまで、待つのです」
カーネリアンは喋ることすら苦しいのだが、クルタニカのはにかんだ笑顔を見るだけで痛みを忘れることができた。




