起源と昇華
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同胞も、友も、死んでいく。死ぬことを美徳とし、群れを守るために命を投げ捨てることこそが正しいと信じた先の末路はあまりにも虚しい。
死ねば口も利けなくなる。耳障りな声も憎たらしい声も、心を許した者にだけ見せる笑顔も共に分かち合った喜びも、死んでしまえば全て潰える。
無駄ではないか。
意味を持った死などあるものか。その死が世界を、同胞を、そして心を変えようとも死んでしまえばそれらを見届けることなどできはしない。
死は、決して美しくない。
死は、救済ではない。
生き足掻いている。生き恥を晒している。それでも、生きている。命とは儚いからこそ散らさずに大事に胸に留め続けなければならないものだ。非日常だろうと日常だろうと生きなければならない。生きていることこそが至宝である。
戦場は地獄だ。命が凄まじい速度で消えていく。生きていて欲しいと願う命も、気付けば消えている。どうしてこんな小さな命が消えなければならないのか、どうしてこんなにも将来を夢見ている者たちが命を投げ捨てなければならないのか。
王はどうして、こんなにも命が消え続けているのに耐えられるのか。
蛇の男には理解ができない。どうしてこのように無駄な死を重ね続けることに心を痛めないのか、まるで理解できない。
だからこそ、理解できない者を王の座から退けなければならなかった。力で捻じ伏せ、分からせなければならなかった。
王が放り出した命の数だけ、死を味わってもらわなければならなかった。
蛇の男は王を徹底的に追い詰め、そして徹底的に、殺し切った。
冷徹で冷酷で残酷。蛇の男――蛇の王にそう陰口を叩く者もいた。しかし力で勝ち取ったのだから後ろめたく思うことはない。
王であるからこそ力を示さなければならない。王であるからこそ、力で全てを捻じ伏せなければならない。
王であるからこそ、前線でひたすらに命を守るために戦わなければならない。そのために必要なものは全て学ぶべきことだ。そして自身を良くは思わない次代の王を狙う者たちを徹底的に分からせることも王としての務めだ。
しかしながら、蛇の王は挑戦を受けても敗れた者を殺すことはしなかった。命の儚さを知っているからこそ、挑戦するだけで若い命を散らせるのは筋違いである。ただでさえ獣人の数は減少の一途を辿っているのだ。若者には敗北の味を噛み締めながらも、次はこそと力を付けて再び挑んでくる。そのような反骨精神を強く望んだ。
王を支持する者は少なかったが、それでも同胞の中に精鋭が誕生していった。王に挑み、王に敗れ、再び王に挑む。それを続けることで王の強さを学び、王が王たる力を知り、どうすればこの王に勝つことができるのか。続ければ続けるほどに獣人たちはただひたすらに強くなっていく。
そして王もまた強くなる。挑戦者を跳ね除けるために研鑽を積み続け、絶対に王の座を譲らないという強い精神を身に付け、いかような状況においても決して怯まぬ心を鍛え続けた。
強く、強く、ありとあらゆる強さを群れ全体が学んできた頃に蛇の王はエルフの森を焼いた。かねてより検討していたことで、一度白紙になったが実行に移す運びとなった。それもこれも群れに『不退の月輪』が渡ったためだ。
なによりも強く計画を推し進めるように求めてくる若者がいた。過去にエルフにより追い出された森の一部を取り戻す。それが獣人を更に反映させる一助となる。蛇の王も同調した。
その日からどれだけの歳月が過ぎただろうか。
蛇の王は、己にエルフの森を焼くように進言してきた者に敗北した。急襲されたわけでも強襲されたわけでもない。真正面から挑み、真正面から戦い続け、力の差で敗れた。
ああ、これで己を越える王が誕生した。そしてこの王を越えれば、更なる王が誕生する。その果てに、全ての種族を跳ね除けるほどの強さを持った『最強』を冠する王が誕生する。
次代の王は蛇の男に戻った者を生かしてはくれたが、戦った際の古傷が痛み、二度と戦場に立つことも日常生活を全うすることもできなくなった。今すぐに死にはしないが、恐らく数週間も生き続けることはできない。
だというのに、己の死を蛇の男はすんなりと受け入れた。そして同時に、己が命を投げ捨てるようにして戦場に散って行った命たちもまたこのような境地を抱いていたのかと悟る。しかし、悟ることこそできはしたがやはり共感も理解もすることはできなかった。
己はもう死ぬことが確定しているからこそ死を受け入れられる。しかし、同胞は友はこれから先も生き続けるはずだったのに死んでいったのだ。『死ぬ』という意味が異なる。
だが、もはや蛇の男がそれを語ったところで誰かが肯くわけもない。王から転げ落ちて全てを失ったのだから御託を並べる必要もない。己が思うことを吐露したところで誰もなにも、分かりはしないのだから。
ああ、それでも娘よ。と蛇の男は思う。お前は王の元で素晴らしい子供を授からんことを、と願う。
先代の王の娘をハーレムに入れる。先代の王のハーレムを引き継ぐ。これは群れの習わしである。ゆえに蛇の男のハーレムが産んだ子供たちの中から一人の娘が選ばれた。
過去に女が王となったときには諸々の問題があったようだが、それでも未だキングス・ファングの名も、王となった者たちの血も絶えてはいない。
王が先代の王の血筋を引き継ぎ、産まれる男児は更に強く、産まれる娘は次なる王のために身を捧ぐ。だが、そんな娘の晴れ舞台を見ることのできる王はほとんどいない。
蛇の男は全てを賭した。全てを賭して、儚い命に強さを叩き込み続けた。だからもう、死んでも構わないだろう。
死に際に、蛇の男は夢を見る。
王を打ち破るためにありとあらゆる全てを捧げ続けた蛇の男の前に降り立った一人の鳥人の姿を。
その鳥人の名は――
*
「エーデルシュタイン、と言ったな」
「……それが?」
「感謝しよう」
シュランゲから発せられる覇気にカーネリアンとクルタニカが気圧される。
「貴様の先代、或いは先々代。それとも連綿と続く血筋の中の一人。そのただ一人が、我の命の全てを賭す術を授けてくれたのだから」
「『本性化』でしてよ」
「見た目はほとんど変わってないぞ」
「過去には半人半蛇であったが、それでは歩くことすらままならん。ゆえに『本性化』の形を我は変えたのだ」
できるできないではなく、現にカーネリアンたちにやってみせている。そのため無粋な質問はしなかった。
黒い魔力が迸ったかと思えば、もう真横にシュランゲがいる。瞬間移動でもしたのかと思うほどの速度――疾走の痕跡も気配もなく、唐突に真横に湧いて出たような動きにカーネリアンは意識的に対応することができなかったが無意識に貸し与えられた力が反応し、シュランゲの剣戟を氷晶で防いだ。
「わたくしを無視するのはあまりよろしくない選択でしてよ」
黒い氷晶の翼を羽ばたかせながら空中でクルタニカが無詠唱で氷のつぶてを生じさせ、その全てをシュランゲへと射出する。
「魔の叡智を退ける術は持っている」
ギラリとクルタニカの方を睨み、迫りくる氷晶を片腕に持つシャムシールだけで淡々と撃ち落としていく。全てのつぶてではなく、やはり急所を狙うものだけを弾き、掠った部位は皮膚を剥がれ落ちて無傷となる。
皮膚の先にある肉に達するほどの傷でなければシュランゲはきっと止められない。
だからこそ詰めての薙刀での一撃を試みたが、魔法で意識が持って行かれているはずなのだが完全にカーネリアンの攻撃を捌いている。裏を取っているつもりなのに常に正面で、かと言って真横を取ってもやはり正面。シュランゲはカーネリアンを正面に据えることはやめず、クルタニカの魔法は気配とその威力で判定して片方の剣で凌いでいるのだ。
「秘剣」
「獣剣技」
「“菖蒲八橋”」
「“狼頭の牙”」
薙刀の距離感での袈裟斬り、そこからの流れで続く二撃目の逆袈裟斬り。かなり自身の型に近しいものだったはずだが、驚くことにシュランゲは魔法が途切れた一瞬を狙ってカーネリアンの二段階の斬撃を、似通った二段階の剣戟で拒んできた。
「今のはアレウスがよく使う技でしてよ」
だが、カーネリアンの記憶が正しければアレウスはこの技を二つに分けていたはずだ。一連の流れの中で技を二つ放つのではなく、一連の流れを一つの技として組み立てている。だから自身の“菖蒲八橋”は凌がれた。
「だが、奴はバラバラに撃っていたぞ」
「我の技を持つ者がいるのか?」
シュランゲは嬉しげに訊ね、そして黒い魔力を置き去りにした瞬間的な移動を行い、更に跳躍する際も自身が纏っている黒い魔力を更に置き去りにして空を舞うクルタニカを狙う。
「であれば、我が高めし技の数々はしっかりと受け継がれているようだ」
クルタニカが氷のつぶてを放つ。シュランゲは中空で黒い魔力を踏んで、それらを避けると共に足場代わりにして疾走し、背後を取る。
「獣剣技の始祖だとでも?!」
迫る剣戟を氷晶が生み出す障壁で防ぎ、強く羽ばたく際の冷風でシュランゲの両腕を凍て付かせる。
「砕け散れ!」
複数の氷晶の鎗が、その穂先を凍り付いた両腕に定めて一斉に収束する。
「ぬるい!!」
両腕の筋肉が蠢いて包み込んでいた氷を一気に砕き、鞭のようにスイングして氷晶の鎗を全て弾いて砕く。
「言ったはずだ、形を変えたと」
黒い魔力を置き去りにし、再びクルタニカに肉薄する。そこにカーネリアンが割って入り、剣戟を防ぎ、薙刀を振るって払い除ける。
「一体なにがどうなっているんでして?!」
「この蛇の王は『本性化』することで両腕を蛇の肉体と同等に変えたんだ」
両足に限らず両腕までも関節と思っていたものが消えた。だから鞭のようにしなり、そのスイングによる遠心力が腕を僅かに延伸させる。見極めた距離感が狂わされるだけでなく、剣戟そのものが強力となる。
繊細な剣術まで混じるのだ。使い分けられると防戦一方になるのは目に見えている。
「我は決して獣剣技の始祖ではないが、荒々しく不格好な技の数々を昇華させた。エーデルシュタイン――貴様と同じ家名を持つ者の技を盗み見ることで」
「過去に『秘剣』を見ている……だと」
空中での斬撃と剣戟のやり取りをし続け、力強く放たれた飛刃を受けるとカーネリアンは後方へと打ち飛ばされる。
「しかも私の家の名だと!?」
「あり得るんですの?」
「……なくはない」
ガルダは地上に降りることを拒んでいるわけではない。ただ、罪人は翼を切り落とされて二度と空へ帰ることが叶わない。そういった面を幼い頃から見ているために空に居続けることを望むようになる。そのため、行商を仕事とする者以外で地上に興味を持って降りることは極端に少ない。
少ないだけで、降りようと思えば誰だって降りることができる。エーデルシュタイン家は先祖代々から続く血筋で、その中には奔放な性格を持っていた者もいなかったわけではないはずだ。
「先祖が鍛えなければキングス・シュランゲは誕生していないと思うと頭が痛くなる話だ」
呟きながらクルタニカに抱き付きながら押し飛ばし、魔力を置き去りにして迫っていたシュランゲの剣戟から逃がすだけでなく地上へ降り立つ。
「魔力で空中を走り回っていても、それは甦ったがゆえに魔力を用いることができるから。でしたら、あれにも技があるんでして?」
クルタニカは秘剣を学ぶ前に地上に降りることを余儀なくされ、それゆえに素質として持っていた魔の叡智を果てしなく伸ばし、現在に至る。そのためガルダが知っている当たり前を一部、彼女は知らない。
「『藤不如帰』は接地技法だ。だが、その根本は鞘にある」
戦闘を始めてからカーネリアンは既にこの接地の秘剣を用いている。鞘に残っている魔力が消えない限り、地面に接地しているようで接地していない。よって、地面から引き起こされるありとあらゆる事象を受け付けない。『天炎乱華』の炎の中で、地面から伝わる熱に靴も足も焼かれないのはそのためだ。
「だが、奴が鞘を持っているようには見えない」
「だったらなにが鞘に……」
「骨だ」
「骨?!」
「奴は自分自身の骨を鞘と認識させ、ガルダの接地の秘剣を再現している。恐らく、生前は気力のみでそれを可能としていた」
「できるとは思いませんわ!」
「思えなくてもできている。奴は秘剣から獣剣技を昇華させた蛇の王。そして今は、」
言い切るより先にクルタニカが氷晶の壁を展開し、シュランゲの剣戟を受け止める。しかし連続的に続く剣戟により氷晶はあまりにも脆く崩れ去る。
「獣剣技、」
クルタニカが無詠唱で氷晶の鎗をシュランゲへと収束させる。
「“とぐろ封じ”」
自身を中心にして起こす蛇のとぐろのような気力の障壁が氷晶の鎗を弾き飛ばす。これは秘剣における『桜幕』に等しい。では『蛇追いの鎗』は『萩猪』を獣剣技にしたもの。
「クルタニカ! 全力を出せ!」
「全力?! そんなことしたらあなたが!」
「言っている場合じゃない!」
「獣剣技、」
シュランゲは別に防御の獣剣技を使いたかったわけではない。それでも氷晶の鎗を看過することはできず、防御の獣剣技に切り替えた。つまり、このあとに続く獣剣技こそがシュランゲの放ちたかった技ということになる。
「秘剣!」
予想が当たっているなら、シュランゲは攻撃の獣剣技を放つだろう。しかしそれは秘剣の流れを汲んでいる。蛇の王だけなのか、それとも蛇の王以降の獣剣技が全てそうなのかは分からないが、秘剣に等しい技はやはり秘剣によって防ぐしかカーネリアンには手段がない。
放たれる技に合わせる。通常ならできはしないのだが、シュランゲの構えが答えを示してくれている。
「“獅子の腕”!」
「“柳燕”!!」
横にのびやかに伸びる獣剣技と、それと同質の秘剣が激突する。この鬩ぎ合いにカーネリアンは気力を注ぎに注ぎ込み、貸し与えられた力も加わって気力の刃を凍らせて砕き、シュランゲの体を切り裂き、一気に凍り付かせる。蛇の王を閉じ込めた氷は横一文字に割れ、崩れる。
「やった……?」
「やってない!!」
クルタニカの叫びでカーネリアンは我に返る。
不思議なことに“柳燕”で仕留めたはずのシュランゲが眼前に立っている。
「“末期の夢”」
「……“梅鶯”、か!」
ガルダにとっては音色による前後不覚の秘剣だが、獣剣技でのそれは“幻覚”を一瞬であれ見せられるらしい。
シュランゲの剣戟を浴び、カーネリアンの上半身から血飛沫が上がる。
「“癒やしよ”!」
即座にクルタニカの回復魔法で傷口が縫合されていく。しかし、回復に転じたことで彼女は他の魔法を展開できない。それが狙いだとばかりにシュランゲはカーネリアンの横を抜けて後方に立つ彼女へと走る。
「舐めるな!!」
クルタニカを中心に起こる冷風の波濤を浴びてシュランゲが引き下がる。
「悩ましいものだ。どれほどに己を鍛え上げても、魔の叡智を持つ者には今一歩及ばない。ゆえに、憧れもあったのか……」
シュランゲは凍て付いた皮膚を新陳代謝で砕き、脱皮する。
「甦り、己が力にした今は…………こんなものを憧れにしていたのかと、思ってしまう。贅沢な悩みではあるがな」
「大丈夫なんですの?」
「死んではいない」
未だ縫合し切れていない傷口は貸し与えらえた力で凍り付かせることで無理やり塞ぎ、回復完了までの応急処置とする。
「それより全力を出さなかったな?」
「だって」
「私は耐えられる。クルタニカの――あなたの力を引き受けた『超越者』よ? 私の言うことが信じられない?」
「カーネリアン……」
「大丈夫。私たちはこんなところで終わらない。終わると思ったら、あなたが来てくれた。だから絶対に、終わらない」
遠目にエキナシアの素体を見る。シュランゲはまだその動きには気付いていない。いや、気付いていないフリをしているだけなのかもしれない。
「全力でもって使命を全うする。そして私たちは生き残るの」
「……分かりましたわ。行きますわよ、カーネリアン!!」
「……よい、よいぞ。それでよい」
シュランゲは呟きながら気力を高める。
「月に盃、月見で一杯。ゆえに“こいこい”」
クルタニカから流れて来る力の全てを薙刀に込める。全身の肌が蒼白となり、いつかと同じように心の臓まで凍え切り、口からの吐息は一瞬にして極小の氷晶となって落ちていく。
「獣剣技!」
「秘剣!」
投擲の姿勢に移るカーネリアンに対し、シュランゲは左右のシャムシールを垂直に上下に振るう。
「“菊盃”!!」
「“蛇王刃”!!」




