二日目は順調に
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翌朝、最後の火の番を終えたアレウスにヴェインが鹿の毛皮を被せ、眠りを促して来る。三十分ほどの眠りを終えたのち、アレウスは二人に遅れて軽い朝食を摂って、焚き火を消した。
血の小瓶を三本取り出し、再びそれを周囲に撒いて野営用の荷物は置いておく。これで魔物除けの血は全部使い切った。出来るのなら、今日中に墳墓のクエストは終わらせてしまいたい。
「魔法だから、で片付けてしまいそうだけど風を一方向に送り続けることなんて本当に出来るのか?」
墳墓の入り口に着いたところでアレウスがヴェインに問い掛ける。
「酸素供給の魔法は特定の対象に空気を送り続けるというのが根幹にあるんだ。それってアレウスが思っている以上に複雑で難しいことなんだ」
「対象は動き続けるから魔法はそれを追い掛けなきゃならない」
「そういうこと。でも、今回は対象は存在しない。あるとしたらこの墳墓の入り口、そして奥へと続く通路ってことになるけど、これは人種と違って不動だろう?」
「動かれたらこっちが驚くからな」
「だとしたら、あとは簡単なんだよ。座標を指定して、流れる方向も決める。これだけさ」
アレウスが飾矢を使い、それを座標として捉え、アベリアが火で燃やすのと同じ理屈なのだろう。アベリアは分かっているようだが、自身は魔法についてはからっきしであるため、半分ぐらいしか言ったことを理解していないかも知れない。
ヴェインが鉄棍で地面を叩く。
「“風よ”」
頬を撫でるそよ風がヴェインの前でつむじ風として集まり、やがてそれは墳墓の中へと綻びるようにして流れて行く。
「どれくらい魔力を消費した?」
「この魔法の維持に関しては半日分かな。それほどの消費量じゃないよ」
「最善の注意を払って行きたい。マジックポーションを飲んで」
アレウスは小瓶をヴェインに投げ渡し、「ありがとう」と言って彼は中の液体を一気に飲み干した。
「手は抜かずに一匹ずつ退治する。囲まれるのを避けるために、通路へ釣る」
この墳墓の構造は異界の戦い方が通用する。それは前日の蜘蛛との戦闘で分かったことだ。ただし、通路は今まで経験した異界の通路よりも狭いので、アレウスは回避よりも防御に徹しなければならない。剣か短剣か。そのどちらかで歩脚に限らず、鋏角を凌ぎ切ることが求められる。
風の流れを確かに感じつつ、アレウスたちは引き返したところまで取り敢えずは到着し、今日はヴェインではなくアベリアが魔法で光球を生み出し、天井へと一時的に飛ばす。やはり蜘蛛の巣が溢れるほどに張ってあり、その上で四匹の蜘蛛が降りるタイミングを探している。
「燃やすと埋蔵品が破損してしまいそうだな」
「でも、それで手を抜いて死んだりしたら笑えないから」
アレウスは歴史ある品々を前に悩んでいたが、アベリアの杖には既に複数の炎が灯っている。
「“火の玉、踊れ”」
待てと言う前に放たれた火球が蜘蛛の巣に命中し、激しく燃える。
「ちょっとは歴史の産物を敬えよ」
墳墓の埋蔵品に木製の物があったなら燃え移って大惨事になっているところだ。
「魔物が棲息しているダンジョンでなにを言っているの?」
物乞いとしての精神よりも、魔物への憎しみの方が大きいらしい。巣が燃え落ちて、合わせて四匹の蜘蛛が敵意を剥き出しにして迫り来る。事前の打ち合わせの通りに通路へと下がり、蜘蛛が一匹単位でしか入って来れない状況を作り出す。
息苦しさは無い。そしてそよ風も感じる。ヴェインの魔法はここより更に深くまで風を送り込んでいる。魔物との戦闘以外での生命の安全は確保出来ている。だからこそ、アレウスは蜘蛛を目の前にして短剣を振るうことが出来る。剣であった方が歩脚は切りやすい。しかし、この通路の狭さではいつ壁に刃をぶつけてしまうか分からない。間合いを詰める分、危険性は増すが短剣の方が立ち回りとしては安定する。なにより歩脚による攻撃のどれもこれもを冷静に見極め、断ち切りやすい。
一本ずつ先端から時間を掛けて切り落として行くため、素材としては細切れになってしまうものの、身の安全が第一である。鋏角による激しい抵抗もあったが、口に剣を突き刺して倒す。短剣では剣身が絶命に至るための剣身が足りないかも知れない。だからこそ剣を左手で用いたが、これはどうにも扱い辛い。手間取っていると危うく歩脚が首元に突き刺さり掛けたが、アベリアの火球がそれを妨げる。
「剣を持っていてくれ」
後衛のヴェインを中衛まで上げる。後ろ手に剣を渡し、続いて蜘蛛の歩脚を短剣で薙ぐ。死骸に乗って、やや高めの位置から攻撃を続けられて僅かに後退する。
「焼け、アベリア!」
「“火よ”」
死骸の足元から起こった大きな火が、その上に乗っていた蜘蛛ごと燃やす。身を炎で焦がされ、歩脚の動きが激しいものになるがこちらをまるで捉えていない。ヴェインから剣を受け取り、再び口へと突き刺してこれを倒す。
引き抜き、その剣を鞘に納めてしばし静観する。
「死骸が二匹、前方に積み上がった。これだと残り二匹はこっちに来られないな」
「なら最も簡単な方法を使おう」
ヴェインが鉄棍を前方へと力強く突き出し、死骸を二匹纏めて通路から押し出す。通路の外側で様子を窺っていた蜘蛛はしばらくこの様子から通路へと入ろうとはして来なかったが、アレウスが少し前進したところで一匹が潜り込んで来る。
ヴェインが下がり、アベリアが火球を飛ばす。歩脚が焼かれている間にアレウスが一気に間合いを詰め、鋏角を切り落として、そこから二本の歩脚も根元に近いところで切断する。ただし、口に短剣を突き刺すことは避ける。もし絶命させられなかったなら、短剣ごと手が喰われかねない。
「トドメは任せて良いか、ヴェイン?」
剣を抜いて、先ほどと同じサイクルで戦っても良いが、剣を交互に受け取り続けるのは手間である。
「ちゃんと失敗した場合も考慮している」
「なら、やらせてもらおう」
鉄棍を前方に鎗のように携えて、渾身の突きを放つ。魔力を込めずともその一撃は強く、蜘蛛の口を潰すだけでなくその奥を貫いた。戦士をやっていただけあって、その筋力は頼もしい。
「あと一匹」
アベリアが言い、アレウスが即座に反応してヴェインに向かって来ていた歩脚を短剣で弾く。彼が中衛へと下がり、アレウスが最後の一匹を丁寧に切り裂き続け、それでも絶命しないためにヴェインが鉄棍で頭を潰してトドメとする。
追撃や増援が来ないことを十秒ほど掛けて確認し、アレウスは大きく息を吐く。
「第一関門クリア」
「十匹程度で良かった。これをあと一回だけでも大変なのに、二十匹や三十匹だったなら手に負えなかった。先にこのクエストの難度を落としてくれていた中級冒険者以上の方々に感謝だね」
「難度が落ちる?」
「魔物は穴から同時多発的に這い出て来るだろ? でも繁殖はしないからダンジョンに棲息しても、数は増えないんだ。それでも多数に棲み処にされてしまうから、それを複数回叩いて一時的であれ根絶状態にする。最初はもっと多かったはずだよ。五十とかそれぐらいかな。中級以上の冒険者が二十匹ずつ倒して、最後の十匹を俺たちが倒してようやくクエスト達成なんだ」
ヴェインはクエストの経験が多い分、詳しく語ってくれる。
「五十匹も棲息しているところには、さすがに入れないな。経験を積み重ねれば、きっと大丈夫なんだろうけど」
十匹の蜘蛛にこれだけ警戒しているのに、五十匹となれば更なる警戒をしなければならない。これまで通って来たところに魔物が姿が見えなかったのは、先達者がその数を減らしてくれていたからのようだ。当然、数が増えれば危険性は増す。およそ十匹であることと、およそ五十匹であることは、増援という意味でもまた他の面であっても神経を擦り減らす割合が段違いである。
「レベルが高くなれば五十匹ぐらい一組のパーティで終わらせられると思ってた」
「それは俺も思っていたよ。でも、アベリアさん? 思ってはいても慢心しては駄目なんだ。常に生存を念頭に入れて、着実に数を減らす。増えないと分かっているなら残存させるのは悪いことじゃないからね。周辺への危険も数が減れば下がるわけだし、幸いこの魔物は仲間を倒されても棲み処を移動しようとは思わなかったみたいだ」
「これがガルムやゴブリンだったなら、アライアンスを組むべきって話になるのか?」
「ゴブリンは同胞が死ねば、いずれ自分の身に危険が及ぶと分かるからね。ダンジョンを移動してしまう。でも、一定数減らすと人種に対する恐怖心でしばらくは静かにしているよ。再び穴から同胞がやって来るのを待つぐらいには。だから一概にアライアンスを組んで、一気に掃討するのも正しいとは言えないんだ。冒険者の目を盗んで逃げ出した魔物が近場の街や村に侵入する場合もあるからね。つまり、刺激する加減は見極めないと行けない。俺はまだそんな感覚は身に付けられていないから、難度を落としてくれたクエストしか手を出せないけれど……まぁその前に、担当者に止められてしまうけど」
何事も経験である。ダンジョンは異界と似たようなものと考えていたが、その在り方は似て非なるものであるらしい。しかし、どちらにせよ人種にとって、はた迷惑な場所であることには変わりはない。
「二人とも、一応だけど聖水」
アベリアがやはり二人には近寄ろうとはせずに聖水をバシャッと乱暴に掛けて来る。
「お前やっぱり虫が苦手だろ?」
「あんなに大きいのは虫って言わない。あと、あまり近付かないで」
浄化はしたものの体液まみれであることは変わらないため、アベリアは気色悪そうにこちらを見て来る。アレウスにとってはたまらない感覚である。彼女にそのような目で見られたことはこれまで一度も無かったため、なにやら目覚めては行けそうにない感覚に目覚めてしまいそうであった。
「アレウス?」
「え、ああ。いや、少し気が抜けていた」
ヴェインに声を掛けられて目覚めそうだった感覚を押し込んで、鋭敏な緊張感を取り戻す。
「行こう」
アベリアにマジックポーションを渡して、ヴェインが使えそうな魔物の素材を回収してからアレウスは前進を促す。蜘蛛の巣はアレウスたちが魔物と戦っている内に燃え尽き、どこにも見当たらない。埋蔵品についてはさほどの影響は無さそうだったが、壁画に僅かばかり傷が入っている。前から入っていたのか、それとも先ほど付いたものなのか。染料にカビでも生え出したら、もはや取り戻せない歴史の産物と化してしまう。
「空気が薄いから、カビも生え辛い……か?」
「なにをしているんだい? 先へ行こう」
壁画の傷付き具合を眺めていると、後ろのヴェインに催促される。
風の流れはまだ続いている。ヴェインが半日と言った以上は半日は保たれると分かってはいるが、そこは安易に信じ込まずに度々、調べておく。ヴェインの言葉を疑っているわけではない。だが、不測の事態というのはままあるものなのだ。だからアベリアもヴェインも隊列を崩さず、アレウスを前衛にしたまま前進を待っていたのだ。
「二人は歴史に興味は無いのか?」
「歴史?」
アベリアが首を傾げる。
「ヒューマンや、人種がこれまでに積み上げて来たことを知ることだ。こういった墳墓に眠っている埋蔵品を調べると、その当時の暮らしが見えて来たりする」
「仮に興味があるとしても、俺としては申し訳ない気持ちで一杯だよ」
「どうして?」
「そんな当時の暮らしを想像できるような場所に魔物が棲んでしまっている。昔の人々には頭が上がらなくなってしまう。それなら、今は無理でも将来、ちゃんと調べることが出来るように魔物を倒さなきゃならないんじゃないかな。いつか魔物という存在が居なくなるその時まで」
もっともな意見、とは言い難いものの大人な意見が飛び出した。精神年齢というものを持ち出すならば、ヴェインはアレウスよりも幼い。なのに、彼は自身を言い負かすほどの大人な意見を口に出来る。
精神年齢とは結局のところ、経験の有る無しではないのだろうか。アレウスは現在の年齢ぐらいの時に死に、この世界に産まれ直した。ならばその当時に体験し、経験したこと以上の意見は作り出しようがないのだ。過去の自分と今の自分の年齢を足した数値が精神年齢となるのであれば、もっとサバサバした生き方をしているんじゃないかとも思う。それが出来ずにいるのだから、もはやそんなものに振り回されるのはやめてしまった方が得策だ。
「じゃ、将来のために現状維持させる努力は大事だな」
「それって、私に魔法で壊すなって暗に言ってる?」
「暗に、じゃなくてしっかりと言っているから」
アベリアは杖で殴りたい衝動を抑えているようだった。どうしてこんなにアレウスに対してだけは暴力的なのだろうか。ヴェインに杖を振り回したところは見ていない。扱いの差に、異を唱えたい限りである。
怒りなのかも分からない感情を抱きつつも、アレウスは二人を連れて進む。階段を降りて、辺りを見回す。ここまで深くまで降りて来たが、先に続く通路は見当たらない。ここまでは一本道で、横道のようなところも見当たらなかった。それなのに特別、装飾の凝った棺が見当たらないということは、ここに埋葬された者は壁か、それとも隠し通路で守られているようだ。
「罠でも張ってあれば斥候の技能で、と思ったがそれらは見当たらないな……あと、痕跡が古すぎて隠し通路も見つけられそうにない」
「なら、ここが一番深いところだから」
アベリアは言いつつ光球を天井へと飛ばす。
「残りの五匹が潜んでいるところってことだね」
蜘蛛の巣と、そこに潜む魔物が照らし出される。
「やり方はさっきと同様だ。僕も剣を使える場面なら使うが、基本的にトドメはヴェインに任せる」
「分かった」
「“火の玉、踊れ”」
アベリアの火球が蜘蛛の巣を焼き、五匹の蜘蛛が一斉に降りて来る。通路まで後退して、アレウスが前衛として蜘蛛の進行を防ぐ。数は一匹増えたが、やはり通路での戦闘が強みとなった。三人での立ち回りも形になり、ヴェインの動きを意識しつつアレウスも動くことでトドメの速度は格段に上がった。
そうして、最後の一匹に至るまで一切の油断は無く、倒し切ることに成功する。




