集団戦
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「ああ、口惜しい口惜しい。厄付きのエルフでなかったなら我の世話役として置いてやろうと思えるほどにお主の顔は整っておるというのに」
しなやかに身を翻してクラリエの斬撃をかわし、手に溜めた血を黒い魔力と混ぜ合わせて、戯れとばかりにチュルヴォは撃ち放つ。爪を飛刃のように飛ばす技の一種のようだ。速度もそう変わらず、避けること自体は苦労しない。問題は、回避した先を予測されていると永遠に先手を取られ続けることになる。それを頭に踏まえつつ、クラリエは慎重に避ける。
「大きく避けない最小限の回避か。やはり相応のやり手と見受ける。口惜しさが募るばかりよ」
避けた先にチュルヴォの爪撃が置かれている、ということはなく彼女自身は距離を詰めることも距離を取ることもせず、血の爪を放った地点から一歩も動いていない。クラリエの力量を測った攻撃だったと判断してもいいが、この手の輩には必ず裏がある。そのことを森の外に出てから学ぶことが多くなったクラリエにとって、その動いていないチュルヴォが幻影で、後方に感じ取った僅かな殺気を放つ存在こそが本物だと理解するのは難しくなかった。
振り返り、優雅に爪を振るったチュルヴォの攻撃を短刀で受け止め、弾く。
「我の幻影を看破するか。やはり初手で魅了させられなかったのは痛いものがある」
本体と幻影。どちらにもチュルヴォの気配はあるが、その気配はどちらかと言えば幻影の方が強く発せられている。本物の方は極力、気配というものが消え去っており、彼女の小さな殺意が感じ取れなければ攻撃をすぐさま防ぐことができず、その後の対処が後手に回され続けていたかもしれない。
「あなたは幻影とその魅了の力を中心にして戦うの?」
「手の内を晒すと思うか?」
クラリエの怒涛の斬撃をヒラヒラと揺れ動く布のように、優雅にチュルヴォが避ける。独特の足運びはクラリエの知識の中になく、斬撃を先回りさせられない。そのため追撃することが敵わず、彼女を攻撃の範囲から逃れさせてしまう。
「我らは獣人であっても、そこまで頭が悪いわけではないぞ」
雑な質問を雑に挑発と受け取ったのかチュルヴォの殺意が増す。だがこれはクラリエにとってはメリットでしかない。拾い切れない殺意が増幅するのであれば、容易く拾える殺意へと変わる。そうすれば幻影と本体を見分けることは難しくなくなる。
「エルフどもはいつも自身の寿命、そして膨大な知識量を自慢話のように持ち上げるが」
クラリエの斬撃から逃れ切ったチュルヴォが目の前から消える。
「戦闘だけに関して言えば、獣人ほど得意ではない――いいや、むしろ苦手と捉えている」
消えたチュルヴォがクラリエの真横に立っている。
黒い魔力は先ほどまで彼女が立っていたところに残っている。そのように魔力の残滓が残るのは魔法を行使した痕跡と言える。だが、獣人で魔の叡智に触れられるのはごく僅かと聞いている。
「まさか」
それでもチュルヴォの接近は、瞬間移動の魔法に近しい。
「あなたは魔法が使えるの?」
「そんなもの、我が求めていると思うか?」
両手の爪を振るうチュルヴォに問い掛けられるが、返事をする余地がない。避けても避けても独特の足運びで離した距離をすぐに詰められる。不思議なことに逃れようと思っても逃れ切れない。クラリエの逃げ先を読み切っているかのように、華麗に、確実に付いてくる。
「我は魔の叡智に触れずとも、キングス・ファングに至った者。その功績を、その実績をお主は愚弄しておるのか?」
「そうじゃな、いっ!!」
黒い魔力が右手の爪に集約されて放たれた一撃は、防ぎこそしたが凄まじい衝撃をクラリエにもたらし、吹っ飛ぶ。防ぎ切れると思った一撃に、これほどの膂力が込められているとは思えず、吹っ飛んだ事実をしばらく受け入れられない。それでも自然と体は着地の姿勢へと移っている――のだが、着地点を見極めてチュルヴォが既に待っている。それも先ほどと同じく黒い魔力を爪に集約させて、だ。
単純な着地をしてはならない。
「“金属の刃”」
詠唱し、手元に複数の短刀を集め、チュルヴォへと投擲する。それに対し、彼女は右手の爪は置いて左手の爪で短刀を払う。依然として黒い魔力は集約したままだ。
「“我が名において命じる、動くこと能わず”」
払った短刀が魔力を帯びて、空中で反転。彼女の足元へと一斉に突き立つ。呪術によってチュルヴォの動きは制され、目前で着地しても爪が振るわれることはない。しかしそれも束の間、すぐさま飛び退いたクラリエへと呪術を力ずくで跳ね除けたチュルヴォの爪が振るわれ、地面を抉り、衝撃によって砕け散った石のつぶてが辺り一面に飛ぶ。
短刀で自身に向かってくるつぶては全て払い落とすが、それらはクラリエの周囲で大量のランページと戦っている獣人の体を打つ。それが決定打となって多くの獣人がランページの残虐な爪に引き裂かれるところを目撃する。
「お主は常に個人同士での戦いをしているように思っているが」
チュルヴォは自身の隣に幻影を置く。やはり幻影の方が気配が強く、合わせて本体の方は気配が一気に薄くなる。
「これは集団戦、なんなら戦争。我は別にお主に固執する必要はない」
倒れた獣人から流れる血がチュルヴォの手元に引き寄せられる。
「我と争うのが雨の日であるのは、お主たちにとっては好都合であるな。雨水で血が薄らいでしまう。行使の効率がとても良くない」
「仲間の血を使うなんて」
「同胞の血を使うことのなにが悪い? 我は務めを果たせず、無念に散った同胞の血を、無念を晴らすために用いているに過ぎない」
チュルヴォは血を力の原料としている。ランページとして死体から甦ったことで得た力なのか、元々持っていた力なのか。少なくとも魅了そのものは彼女の技能だろう。登場に合わせ、獣人たちは魅了されたのだからその発動には血は不要だった。だが、推測しても無駄な話だ。
獣人たちは自らの生存のために戦っている。血を流すなと言ってどうにかなることではない。そして、これが雨の日でなければチュルヴォの爪撃はもっと強烈なものになっていたと思うと、身震いする。
「群れの王の成れの果てと甘く見たか? 確かに我らは過去の王。しかしながら、考えてもみよ。我らは常に王に挑み、王を勝ち取ってきている。群れを成してからずっとだ」
幻影の隣から本体が消える。だが殺意を追うことはできる。だからクラリエは寸前であっても爪を防ぐことができる。
「王は継げば継ぐほどより強くなっていく。そして、あらゆる種族を捻じ伏せるだけの強さを持った王が産まれる」
「それが今のキングス・ファングだと?」
「そのように申してはおらん。だが、これが鎮まったとて、いずれ再び同じことが起きるだろうな。それがいつになるかは分からんが、お主たちがいない世代であったなら、もはや誰にも止められはせんだろう」
爪を短刀で捌き、足運びに対しては常に密着されることを想定した立ち回りで対処する。出し抜くことはまだ考えない。そんな無茶を通せば爪を捌き切ることができず、切り裂かれるだけだ。
「王を前にしても、足が竦まぬことに関しては褒めてやろう」
足運びにフェイントが入った。この動きに、このフェイントを入れるのか。そのように思うほどに足の柔らかさが可能とした動きだ。
そのたった一つのフェイントに引っ掛かったことで、捌きつつも反撃を入れていた余裕は完全に失われた。チュルヴォは吠え、次第に攻勢を強めていく。合わせるだけが精一杯で、そこから攻勢に転じられない。無理を通さなければならなくなってしまったが、その無理を通す隙間すら見当たらない。
「くっ!」
こうなってしまっては状況を一度、綺麗にするしかない。クラリエは呼吸を一気に静めて、自身から発せられるありとあらゆる音、そして気配を消し去る。
「獣に気配を消し通せると思うたか?」
この声はチュルヴォではない。気配を消していたクラリエに襲い掛かったのは別のキングス・ファング――ティーガーである。避けることのできない蹴撃を浴びて、地面を激しく転がる。
「集団戦ということを忘れておったな?」
意識が飛んでしまいそうな状態にあるらしく、ティーガーの声が遠い。
「“癒やしよ、一方より集まりたまえ”」
そんなクラリエを引き戻したのはヴェインの回復魔法である。腹部に受けた砕けた骨、断裂した筋肉、避けた皮膚、そして打撲の痕を完全に消え去った頃には起き上がって状況を把握することに努める。
「ガラハが抑えるはずの相手がなんであたしのところに来ているの!」
「違う違う。ドワーフとヒューマンはなにも悪くない。お主は我らが一騎討ちに興じる狂人のように思っていたのかもしれんが、そのような狂人はあのキングス・シュランゲのみよ」
チュルヴォは蠱惑的な笑みを浮かべつつ喋り、その幻影が走る。その幻影をガラハが本物と思い込んで斧を振るうが、切り裂いた幻影は蒸発するようにして消え去り、斧を振り切って隙のできてしまったガラハにチュルヴォの爪が走る。強固な鎧が爪を跳ね除けるが、装甲にはくっきりと爪痕が刻まれた。
「ガラハ、ヴェイン! 集合!」
「分かっているよ!」
集合をかけたクラリエの元にヴェインとガラハが急いで駆け付ける。
「なんでこうなっているの?」
「オレはティーガーと呼ばれるキングス・ファングと戦っていたが、奴はオレとの戦いを中断してクラリエの方へと走ったのだ」
「あの転身の意味をすぐには理解できなかったけど、クラリエさんがやられたときに理解したよ。あの二人はあんなに声高に宣誓はしていたけど、個人同士での戦いを求めていないということが」
「元は同じ王でしょ? なんで王が王の手助けをするの? 王は孤高の存在でしょ?」
「恐らくだが、王にとっては王こそが命令できる立場にあるのだろう」
「どういう意味?」
「我はティーガーを下して、王となった。ティーガーは我よりも以前の偉大なる王ではあるが、我よりも強い王ではないということだ」
「我に勝ち、王となった者。それ即ち、我よりも力ある王ということ。ならば従わぬ道理はない」
「あの言い分だと、王の中で絶対の序列が存在するらしい」
「つまり、ティーガーの次に王となったのがチュルヴォだから、チュルヴォの判断に従うってこと?」
ならばどのタイミングでチュルヴォはティーガーを呼び寄せたのか。
「あのフェイントのとき……!」
チュルヴォはフェイントに引っ掛かったクラリエを見て、嘲笑のように吠えた。それこそがティーガーへの命令だったのではないだろうか。
「あたしたちには分からない獣人同士のやり取り。それでティーガーがあたしのところに来たんだ」
獣人は鳴き声で会話を行うことがある。翻訳を挟まなければ、彼らの会話の内容は他の種族には絶対に分からない。
「これで一網打尽にするつもりか?」
「できん、とは言わんだろうな?」
「次代の王ができると言うのであれば、やってみせよう。だが、シュランゲはあのままか?」
「奴に命令はできん。我より次の世代の王であるのだから」
「カーネリアンと戦っている元キングス・ファングには命じることができないみたいだ。そしてその王は、カーネリアンみたいに一対一を望んでいる……ってことかな」
「どうだろうな。危機に陥ればこちらにいる二人を呼び寄せるかもな」
「だったら、あたしたちがあの二人を止めさえすれば向こうの王に援護が入ることもない」
蹴られた際に吐血もしていたらしい。クラリエは口元に垂れていた血混じりの涎を腕で拭う。
「……相手はあたしたちが個人同士――一騎討ちを望んでいると勘違いしてる。あたしたちが時間を稼いで、あわよくば相討ちに持っていければという突撃精神で挑んでいると考えてそう」
「それは……見くびられたものだな」
「それこそ個人で倒せるなら一番良いさ。でも、いつだって俺たちは一人では戦い切れちゃいないんだ。カーネリアンさんみたいに飛び抜けて強いならともかくね」
「そうだよ」
クラリエはむしろガラハとヴェインと集い直せたことに感謝する。
「作戦会議は済んだか?」
「誰が犠牲になり、我らに牙を通すかの話し合いなどずっと見ていとうはないぞ」
「見せてやろうよ。集団戦こそあたしたち冒険者の十八番なんだって」
「出番だ、スティンガー」
ガラハの懐に隠れ続けていた妖精が姿を現し、宙で踊る。
「俺も支援だけじゃなく前にも出る。あと時々でいいから俺の声に耳を貸してほしい」
「いいよ、アレウスの次に上手く指示を通せるのはヴェインだけだから」
「臆病者なだけさ。よく一歩出遅れる」
「それだけ、物事を沢山考えているだけだ。悪い点と捉えるな。その一歩の迷いこそ、オレたちの命を繋ぎ止める」
鉄棍、斧、短刀。それぞれがそれぞれの武器を打ち合って、軽い金属音を奏でさせてから三人が体勢を整え直す。
「呼吸が変わったな」
「気配も変わった」
「我らは起こしてはならないものを起こしたか?」
「であれば、たまらんな。ケダモノのように争うのは好かんが、我らは獣。相手が強くなれば強くなるほど喜びも強くなる」
「死んで終わった喜びを、戦いの喜びを再び感じ取れるとは」
ああ、と二人が感嘆する。
「「再び強者と相見えることができたのなら、我らは死んでよかった」」




