死体の王
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「獣人同士――それも身内同士で殺し合うところに巻き込まれるとはな」
「と言いつつも内心では仕方がないと思っているよねぇ?」
「なんでオレに突っかかる?」
「しばらくぶりに会ってみても、なんにも変わっていなさそうだったから」
「オレもお前も、たった一年足らずで見た目など変わらんだろう」
「いや見た目は変わっているでしょ。前とは着ている服も鎧もお互いに違うからねぇ」
「そんなことは言わずとも分かることだ。指摘するにしては幼稚が過ぎる」
ガラハとクラリエのやり取りを見つつ、カーネリアンは嘆息する。
「嘆かわしいな。種族の誇りが乱れていく様は」
「いや、これが本来あるべき姿なんだと俺は思うよ」
「これのどこが?」
「全ての種族が垣根を越えて、日常も非日常もまとめて当然のように話をする。互いの環境を、生き方を認め合い、決して強く否定しない。誰でもできることなのに、どうしてか種族の違いや生き方の違い、そして産まれた場所の違いで分かり合えないよりはずっとマシだと思う」
「そうは言っても、世界は広い。どれだけの善意を並べ立てようとも、貴様だって全ての人間とは分かり合えないはずだ」
「そうだよ。だから分かり合える相手とは分かり合っておきたいんだよ。分かり合えないからって決め付けて、自分たちの種族だけのコミュニティに引きこもる。それもきっと立派な生き方なんだろうけど、だからって外に出てコミュニティを広める者を罵る道理にはならないだろう?」
「……生き方は人それぞれ、か。その人それぞれを分かり合える者と分かち合うということか?」
「まぁ、具体的にこうしろとかああしろとかは俺にもまだ分からないんだけど、アレウスを見ていると俺も頑張らないとなって思うんだよ」
ヴェインは遠くを見つめながら言う。
「アレウスは生き抜いてきた環境が環境だから、人を素直には信じないし、すぐには認めないし、かなり捻くれている部分が多いけど、少なくとも種族で差別はしないんだよ。みんな平等に、信じてないし、信じられる相手だけを信じる。今回はその信じている相手に裏切られた形になってしまったけど、そのこと自体は悲しむことでも悪いことじゃないから」
「どうだろうな。信じられる相手だけを信じるからこそ、こうして面倒事を背負い込むのではないか?」
「それは……そうだ。アレウスは等しく人を信じないから、信じられる人を見つけたらとことんまで心を許してしまう。最初に会った頃に比べたら、ビックリするくらい俺に色々と話してくれるようになったし……だけど、普通は裏切れないんだよ。あんなにも信じ込まれていたら、普通はさ」
カーネリアンはヴェインの言葉に僅かながら賛成する部分があったようで、静かに肯いた。
「私が同行することになんの疑いもなかったからな。一度は敵対した相手だというのに、私を用心棒として連れてきた」
「その期待に応えたいと思っただろう?」
「ああ。期待されたからには応えなければならない。貸し借りの観点からではなく、人として、あの者を裏切ることはできそうにない」
「それがアレウスの魅力なんだよ。口先だけの輩なら君はすぐに見捨てられたはずだ。でも、アレウスは決して口先だけじゃない。苦しんでいるし、悲しんでいるし、強くなるための努力を惜しまない。だからだろうね……俺たちは一年もアレウスが行方不明だったのに、こうしてまた集まった。疑うこともできたのに、スッと当然のように俺はまたアレウスのパーティに入りたいと思えた。アレウスが俺に見せてきたことは一年ぽっちじゃマイナスにはならないのさ」
ただ、とヴェインは続ける。
「もう少し肉体的接触をもって女性というものを知った方がいいとは思うけどね。用心深いアレウスが人と話す中で唯一残している弱点だ。今回はそこを突かれてしまった」
「……なぜ、あの者の周りには相応に良い女が揃っているはずだが、ヒューマンでありながら誰一人として手を出していないのはどういうことだ?」
「さぁ? 俺がもしその立場だったら、間違いなく全員を口説いているよ……そんな怖い顔をしないでほしい。敬虔な僧侶が見境なく口説くわけないし、俺には婚約者がいて最近じゃ監視も厳しくなった。それに、アレウスだからみんなはそういう一面を見せているんだ。俺には絶対になびかないよ」
「恨み節か?」
「いいや、羨ましくはあっても同じ立場になりたいとは思わないよ。きっと心労が半端じゃない。俺にはあの役割は担えないよ。だから俺はアレウスには足りていない交流を試みているんだよ。こうやって話してあげないと、アレウスのことを勘違いしたままになりやすいから」
「本人が勘違いを解けばいいだけの話だろうに」
「それは俺も思うけど、なかなか上手くはいっていないのが現状だよ」
呆れつつもヴェインは微かに笑みを見せる。
「俺はまだアレウスの成長を見てみたい」
「だからこんなところでアレウリスの人生を終わらせたくはない、と」
「そういうことさ」
「……ふふっ、まぁ確かにあの者の生き様はこんなところで終わらせるには勿体ない。今しばらく、生きてもらわなければ困る」
カーネリアンが軟化した態度をヴェインに見せる。
しかし、それも束の間でしかない。
「『死体の雑兵』を目視で確認しました。総数は定かではありませんが、あの距離ならば五分と掛からないでしょう」
獣人の一人がカーネリアンたちに告げる。
「そろそろ、ああだこうだと言い争うのもこれくらいにするか」
「そうだねぇ。ここからはもう気を抜けない」
ガラハとクラリエの発する雰囲気は静かに、確実に高められていく。
「パルティータさん」
ヴェインが後方のパルティータに声を掛ける。
「アレウスがここを出る前に危惧していた点はどうだろう?」
「……見間違うはずもない。なにせ我らが同胞を弔うための谷底です」
ヴェインは続いて「戦えるか?」と問う。
「戦うしかないでしょう。戦わなければ、明日はないのですから。もはや逃れられない。再び安らかに、お眠りしていただく他ない」
「古の王を起こすとは、気でも狂っているのか」
「狂っていなければ、獣人をゾンビにしてエルフの森を侵略しようなんて気は起こさないさ」
「それでもはるか昔の王を起こすことは叶わなかったようです。俺から見えるシュランゲ、ティーガー、チュルヴォの一族。その御三方だけに見えます。誰もが元キングス・ファングではありますが、一族の名を好んで使っていた方々です」
「その三人と戦うというか、持ちこたえられるかってのがねぇ」
「簡単なようで難しいな。オレだけなら持ちこたえられない」
「弱気じゃん」
「だが、仲間と共にならアレウスが『不退の月輪』を止めるまでは持ちこたえられるだろう」
「急に良いこと言うのやめてくれない?」
「もしかしてだけど、震えているのかい?」
「怖くて震えているのではない。強者と命の取り合いを行えることに奮え、昂っている」
「俺は一生分からなくていい感覚だけど、頼りにさせてもらうよ」
ヴェインはカーネリアンの武者震いにやや引き気味に言いつつも、なにやら気配を察知して鉄棍で地面を打ち、詠唱を始める。
「“盾よ、一方より防ぎたまえ”」
生じた障壁はガラハの正面――あらゆる雑兵を置いてけぼりにして、たった一人で突貫し、跳躍した獣人の飛び蹴りを受け止め、崩れて消える。
「我の足を小癪な魔の力で防ぎおって」
地面に着地し、置いてけぼりにされた黒い魔力を纏い直して、『死体の雑兵』――ランページビーストは苛立ちをハッキリと口にする。
「控えろ、ヒューマン。虐げられし我らが一族を解放せしめんとするところを邪魔するでない」
口を開き、咆哮を上げ、カーネリアンたちに黒い魔力が波濤のように押し寄せる。それ自体には痛みも、威力も込められてはいない。だが、威嚇が――示威が、後方の獣人の足を竦めさせる。
「我に従え、獣人よ。我ら王たちが、獣人を世界の頂点へと導く」
瞳孔には光はなくとも眼光は鋭く、パルティータは口を開きそうになるがクラリエがそれを必死に制する。
「言の葉を口にすれば、肉体も従わされてしまう。あれは黒い魔力で、そして呪い。忘れず、強く心を持ち続けて」
「エルフごときが! 我らの生き様の邪魔、をっ!」
クラリエに気を取られた隙を突き、ガラハがランページビーストの懐まで潜り込み、気合いと共に斧刃を一気に切り上げる。腹部を引き裂く一撃だったはずだが、ランページビーストは飛び退いてかわし、黒い魔力を切ることはできたが皮膚までは届かなかった。
「オレを最初の標的にしたというのに、エルフの小娘を見ている暇があるとでもいうのか?」
「ふはははははっ! 違いない! 狩る獲物を間違えるところだった!!」
高らかに笑い、高らかに咆哮を上げる。
「良かろう! この我が、キングス・ティーガーが! 貴様と対等に殺し合ってやろう!! 来い、ドワーフ!!」
つられてガラハも大声を放ち、ティーガーへと走る。
「俺はガラハの補佐をする。あの王には構わず、他の『死体の雑兵』とぶつかってくれ」
先走るガラハに合わせるためヴェインもまた駆け出した。
「あーあーあー……殺し合いなど醜く、品がない。ああいう輩が獣人の品性を貶めている。勘弁してもらいたいものよ」
背後からの声に残された者たちが振り返ると、パルティータが束ねたはずの獣人同士が爪と牙で争いを始めている。
「獣であってもケダモノにはなるな。そのように我は教えたはずだというのに、なんという醜さよ」
呆れ返る者へクラリエが容赦なく『首刈り』を試みる。柔らかに、そして品を落とさずにランページビーストが避け、自身の身に宿る黒い魔力をさながらドレスのように纏う。
「みんなの中心にこのポーションを投げて! 揮発性で、嗅いだ者が吐き出した空気からも効能がしばらくは消えないからすぐにみんな元通りになるから」
クラリエが大きな瓶をパルティータに投げて寄越す。
「これは?」
「まだ分からないの? このランページに“魅了”されてる。その気付け薬で目を覚まさせてあげてって言っているの!」
「我の魅力は、獣人以外にも至るはずだが……なんとも不思議なこともあるものだ」
「呪いへの耐性はあるのよ」
「魅了を呪いと申すか」
「魔性である以上、呪いと大差ないとあたしは思ってるけど」
「我を魔性と申すか。ならば少しは品がありそうではある。しかし、エルフであることが唯一の無念よ」
纏う黒い魔力を着崩して、女のランページビーストはほくそ笑みつつ、自身の雅な足に指を滑らせ、更に獣人たちを誘惑してみせる。
「こいつの担当はあたし。多分だけどあたししか魅了に対抗できない」
「私が行ってもいいが?」
「あなたはもう一人の一番ヤバい気配を発している方をお願い。そっちとは正直、あたしは勝ち目ないから!」
「気に入った。キングス・チュルヴォが貴様を八つ裂きにしてやろう」
あくまで品は落とさず、咆哮の一つも上げないままチュルヴォがクラリエに「おいで」といざなうように手招きをしているが、「お前が来い」と逆にクラリエが手招きし返す。チュルヴォは近場の獣人一匹の首を容易くねじ切り、血を自らの手に纏わせる。さすがにその行動を無視できず、クラリエは仕方なくチュルヴォの元へと走り出す。
「己が肉体を極めることも、小癪な真似を極めることも、どれもこれも獣のやること」
湾曲刀――シャムシールを片手に一本ずつ握り締め、後ろを振り返っていたカーネリアンにランページビーストが語り掛ける。
「真に人に近付きたいのであれば、この道を極めることこそが正道であると、汝は思わないか?」
振り返ることに恐怖はない。カーネリアンはランページビーストを睨む。
「敵わぬと思ったのなら、下がられよ。臆病者を切り裂く刃を我は持っておらん」
「後ろを向いて逃げた先に私の進むべき道はない」
エキナシアが瞼を開き、無機質にジッと敵を見つめる。
「抜かせ、鳥風情が」
「風体で強さを推し測るなど、武人のやることではない。しかし、大いに結構」
刀を抜いて、カーネリアンは構える。
「推し測り間違って、一瞬でケリがつくような仕様もない結果にならないことを祈る」
「言葉だけでないことを、このキングス・シュランゲに見せてもらおう」
カーネリアンを討つべき敵と認定したスネイクマンのランページビースト――シュランゲは「参る」と呟き、密やかな殺意を黒い魔力と共に発しながら彼女へと迫る。




