思わぬ協力者
「今の状況について話すね」
谷底を出て、急ぎ足で仲間の元へと向かう最中にクラリエは気配を発し、アレウスとアベリアの隣に姿を現し、同じように走りながら状況を伝えてくる。
「呪いとして産み落とされた双子の姫君を生かそうとするキングス・ファングにカッサシオン・ファングが強く反発。どちらか片方は殺せと強く言い続けた。でも、結局、双子の姫君はそのまま育てられることになって、カッサシオンにも兄としての情が湧いたのか面倒を見るようになった。でも、そのカッサシオン・ファングは遠征先で瀕死になって異界に堕ちた。その瀕死の彼をアレウスが食べて、その眼を継いだ」
どこへ向かうかはしばし悩んだのだが、ともかくは仲間の元へ向かうことになった。
「獣人の姫君から少しずつ良識が奪われ始めたのが一年前、キングス・ファングの力が衰え始めたのが半年前。そして今、キングス・ファングは『呪い』によって全盛期以上の力を取り戻し、再びの支配を始めようとしている。キングス・ファングは獣人が恐れおののく力を逆に我がものとすることで、王の座を守り通そうとしている」
だからと言って、突如としてノックスとセレナがアレウスとアベリアに襲い掛かった理由は明確には分からないままだ。『呪い』そのものだからといって、意識までもを支配できるものなのだろうか。一年前だけに限るなら、二人と話す余地はあった、交渉する余地もあった。
なのに今のノックスはアレウスを騙し、セレナは巻物で怪しまれないようにロジックを書き換えてきた。もうその干渉されたロジックも元へと戻りつつあるが、未だにアレウスは二人に裏切られていることに対し、憤慨できないし悲しむことも、絶望する感覚もやってきていない。
「クラリエがいた理由は?」
黙ったままのアレウスに代わってアベリアが訊ねる。
「谷底にそんな都合良くクラリエがいるのはおかしいでしょ? それに、エルフが危険を顧みず獣人の縄張りに入り込むのも変。いくら気配を消せるからって、少しでも油断したら殺されるだけじゃ済まないかもしれないのに」
「聖女については知ってる?」
「神によって刻まれた聖痕を持っていて、『魔眼』が高い確率でアーティファクトとして現れるって聞いているけど、それがなにか?」
「今回のキングス・ファングの群れで起こることは取り込む策はエルフの聖女が星辰で予見していたの。だけど、星辰は占いと一緒で起こるかもしれないし起こらないかもしれない。それに、もしそれでなにかが起こったって現状のエルフは森でひっそりと暮らしていた方がいい。特にイプロシア・ナーツェの種を植え付けられることなく、正常なままのエルフはね。向こう百年ぐらいは周囲との交流を断絶させるべきだろうって話にもなってた」
雨音の中、気配を探るがノックスとセレナが追いかけてくる様子はない。いや、『闇』を渡られていたら感知の技能などアテにはならない。
「でも、イェネオスとエレスィを中心としたコミュニティは、外との交流をまだ続けていて――それもかなり危険なんだけど、ほら、イェネオスは森ではなくキャラバンにいたでしょ? そのおかげもあって、なんとかなっていたんだけど」
「なんとかならなくなってきたのか?」
先を読む。しかしクラリエは首を横に振った。
「ううん、あたしの負担が多くなっただけ。あたしはナーツェの血統だけど、同時に『勇者』の血も流れてる。だから別のコミュニティとも関わる必要があって、ああでもお母さんの思想に染まった連中との関わりは絶対にないって言い切るんだけど、それでエルフの聖女と話をする機会があった。別に獣人がなにをしたってあたし的にはどうでもよかったんだけど、エルフの聖女は言ったの。獣人の手により『原初の劫火』に危機が迫る、って」
「だから来てくれたのか?」
「だって、アレウス君もアベリアちゃんも仲間だし、親友だし、放っておけるわけないよ。すぐに森を飛び出して、キングス・ファングの縄張りを目指して、それからしばらくは縄張りに入るか入らないかのギリギリのところで観察を続けてた」
光が瞬き、雷鳴が一際強く轟く。驚いて会話が途切れてしまうばかりか、足すら止まってしまうほどの轟音だった。
「呪術を使えるあたしから見て、あの黒い魔力の塊は間違いなく呪いの集合体。ありとあらゆる怨嗟を一ヶ所に集約することで、あんな気持ちの悪い状態になってる。呪いは生者を妬み、死者を侍らす。黒い魔力を取り込んだ死体が軒並み動き出したのはそのせい」
「エルフの聖女は他になにか言っていなかったか?」
「えっと、待ってね……確か、」
クラリエは言いかけたものの、背後に信じられないほどの魔力を蓄えた者の気配を感知して黙る。アレウスもそうだが、アベリアさえも口を閉ざす。
これは死を感じているわけではない。ノックスとセレナが黒い魔力の塊を見せたときに感じたものとは別のものだ。振り返ることさえままならないが、敵意は今のところない。しかし、振り返った瞬間に隠されていた敵意が表面化するかもしれない。そう思うと、誰も振り返ることはできなかった。
「その話、私も一枚噛ませてもらってもいい?」
脳の深奥――忘れかけていた声音が、さながらそっくりそのまま現実に戻ってきたかのような。そんな錯覚を憶えつつ、アレウスはある種の確信を持って振り返る。
「リゾラ」
「憶えていてくれてありがとう。あと、ちゃんと愛称で呼んでくれて嬉しいかな」
以前に話していた通り、アレウスから干渉するのではなくリゾラから干渉されることになった。やはりと言うべきか、それともそうなる運命だったと諦観するか。
「あ……ぁ、あ……あ、ぁああ」
どちらにせよ、背後で感じた魔力の正体はリゾラのものに違いない。そしてこの場に彼女がいることには説明が付かない点が大きいのだが、振り返ってもまだ敵意を見せてこないのなら、一応ながらに協力してくれるのかもしれない。
だが、そんなことを置き去りにしてしまいたいくらいにアレウスの横でアベリアが怯えている。思い出してはいけないことを思い出して、その記憶に振り回されているかのようにブツブツと独り言を呟き、取り乱すだけでなく、手に握り締めていた杖すらも落としてしまった。
「……過去のことを語っていたり、過去のことで怯えている暇はないの。分かる?」
子供をあやすようにリゾラはアベリアに話しかけ、杖を拾って彼女に手渡す。
「面識があるのか?」
確か、敬語で話しかけるのもやめてほしいと言われていた気がする。だから、控えめな訊ね方をした。
「同じ元奴隷なのよ。要は奴隷商人の被害者。今の私は昔のことを掘り返したいんじゃなくって、色々と思うところを押し殺して、あなたとも協力するって言っているの」
まるで、こんな状況でなければ昔のことを掘り返してアベリアに追及していきたいと言っているみたいだ。みたいではなく、アレウスが察したそれは正解に違いない。
「どうする? 私から協力の手を借りるか、この子が怖がっているから協力しない方向で行くか。あなたが決めて」
「……決めろと言ったところで、協力しなかったら僕たちは状況整理が付かないまま、キングス・ファングと立ち向かわなきゃならない」
アベリアはまだ震えているが、リゾラから数回だけでも話しかけられたことで落ち着きを取り戻し始めた。それでもこの二人の間には亀裂がある。リゾラが今回はその亀裂を見ないようにしてくれているのなら、なんとかアベリアも耐えられると思いたい。
「でも、もし大した情報を持っていなかったら、協力は無しだ」
「了解。そっちのエルフさん……ダークエルフさん? それとも、ハーフエルフさん? どう呼ばれたい?」
「呼ぶならクラリエ」
「……ああ、イプロシア・ナーツェの娘さんか。喜んでほしいんだけど私はイプロシア・ナーツェとは敵対しているから……それとも、娘さんとしては気まずいかったりする?」
「いいえ、あたしにとってもお母さんは敵になった」
「だったら後ろから刺される心配もないってことか……」
リゾラはホッとしたように言っているが、ちっともホッとしているようには見えない。むしろ余裕綽々としている。つまるところ、この態度には後ろから刺されようとも撃退してやるという意思が込められている。
それくらいリゾラが持っている魔力量は膨大だ。もしかしたら魔力の短刀ですら肌に触れることなく弾き返してしまうのではないだろうか。
「エルフの聖女は獣人以外にも気を付けなきゃならないのがいるって言っていたけど、それは間違いなくあなたのことね」
「協力はするけど、確かに仲間だと思われたくはない。そういうの、私は好きじゃないから。冒険者っていう集まりも、あんまりね。そういうの『部活』っぽくて嫌だから」
「『部活』……?」
「ううん、なんでもない」
その単語をアレウスは聞いたような憶えがある。しかし、上手く思い出せない。そして思い出すための情報もリゾラはこれ以上、提供する気がないらしい。
「黒い魔力の塊は、呪いの塊。キングス・ファングの群れが抱える呪いそのものとして双子の姫君が産まれる前から、ずっとずっとずっと前から群れの中に蔓延る呪力を取り込み続けてきた。双子の姫君が産まれてからは、そっちから発せられる呪力を中心に取り込み始めていたみたい。要は呪いが自分の身に抱え切れなくなった分の呪いを貯めておく貯蔵庫。そこに呪力を送り込み続けてきた姫君たちは、当然だけどその呪力を行使することができる」
「そんな膨大な力を貯めておける物なんてこの世にはないだろ」
「その通り。だけど、この世にはなくても、異界にはある」
「まさか」
「あれはアーティファクト。名称は『不退の月輪』。見た目は鏡だけど、『原初の劫火』や『冷獄の氷』と同じ異界から持ち帰られた力。でなきゃどんなアーティファクトだって耐えられないよ。この私でさえ、あんなに溜め込まれた呪いを見て気持ちが悪くなったくらいだし」
「力を器に蓄えさせるのはハゥフルの小国でも見た。でもあれは異界獣の残骸――『水瓶』だったはず」
「『不退の月輪』が鏡に込められているって考えて。アーティファクトはロジックに眠っている力だけど、抜き取ると物体化する。今回はアーティファクト自身が器の代わりをしていて、他の器が必要じゃなかっただけ……じゃないみたいね。必要になったから双子の姫君を呪いそのものとして産み落とさせた。いい具合に発散もしてくれないと、蓄えすぎて自壊するのを怖れたのよ」
ハゥフルの小国で起きたことをリゾラは知らないはずだ。なのにまるで見てきたかのようにアレウスの言葉になんの疑問を抱かず、話を続けている。それぐらい彼女の情報収集は全国に渡っているのか、それともあのときリゾラもハゥフルの小国にいたのか。
薄っすらと記憶に残っている。ハゥフルの娼館。あそこで起こった騒動で、凄まじい魔力を放出してアレウスたちに脱兎のごとく逃げ出す選択肢しか取らせなかった人物の存在を。こうして思い出すのなら、あのときの魔力と彼女の発している魔力が似ているのではないだろうか。
「怖れた? アーティファクトが?」
引っ掛かった部分を追及する。
「『原初の劫火』を持っているアベリアなら分かると思うけど、異界から世界へと持ち込まれた力はとても流動的。物体のクセに、力のある方へと寄ろうとする。さながら“意思”があるかのように」
「……うん」
キングス・ファングに危うく『原初の劫火』を奪われかけた。あのとき、アベリアは別に『原初の劫火』を放棄したわけではなかったはずなのに、勝手にキングス・ファングの元へと渡ってしまったのだ。それをアレウスが貸し与えられた力で取り返せたが、もしそれでも呼応しなかったら今頃、アベリアのロジックからは『原初の劫火』は失われていただろう。
「でも、力あるところに力は寄っても、強欲が過ぎたみたい。キングス・ファングは既に『不退の月輪』の力を受けている。だから取り返すのが容易だったのかもしれないわ。つまり、アレウスが『原初の劫火』の『超越者』であるように奴は『不退の月輪』の『超越者』ってこと」
だから黒い魔力を纏っていたのにキングス・ファングは意識を保てていた。意識のないランページのようにはならなかった。
「あたしが一番分かっていない部分をあなたが分かっているといいんだけど、聞いてもいい? それを答えることができたら、あたしはあなたを協力者として認めるから」
「いいよ、言ってみて」
「呪いの力で、衰えた力を取り戻したキングス・ファングの目的はなに? そこのところをエルフの聖女から聞くのを忘れて森を飛び出しちゃったから」
「『死体の雑兵』を用いて、エルフの森への侵攻、そして侵略」
「……あくまで狙いはあたしたちってこと?」
「獣人は古くからずっとエルフを妬んでいる……いや、恨んでいる。獣人は常に他種族から敵視されがちだけど、エルフは獣人の居場所を奪い、自らの森として、決して獣人を踏み入らせないようにした。古くからの憎悪がキングス・ファングを動かしている。そしてエルフの森を侵略せしめたあとは、ヒューマンとの戦争を起こすつもり」
「ヒューマンの戦争に参加するっていうのか?!」
不干渉を貫けば、なにも起こらないというのに獣人は自ら殺戮の道を選ぶつもりらしい。さすがのアレウスもその選択は頭になかった。
「誰もが全ての者の頂点に立ちたがる。ヒューマンが勝手に陣地を取り合っているのを獣人が黙って見ているわけがない。行く末を見守ろうとしているのは争い嫌いのドワーフやハゥフルぐらい。ガルダも、空に領地があるから手を出してこない限りは不干渉かしら」
「お母さんの目的も世界の支配だった。この世界じゃなくって、ええと、説明はし辛いんだけど、もう一つの世界? だっけ。そこで支配者になりたがっていた」
もう一つの世界――こちらで言うところの異世界であり、アレウスが産まれ直す前の世界のことだ。
「リゾラ、だっけ? あたしは一応、この事態が終息するまで協力者として認めようと思う」
「ありがとう」
「リゾラはなんでここにいる?」
彼女の問いは終わったが、アレウスの問いは終わっていない。
「クラリエはエルフの聖女による星辰に導かれたから。でも、君は一体どうして獣人の群れの中にいる?」
理由が見えないのだ。
「呪いだなんだと話は広がっているけど、私はこの一件にある人物が噛んでいると思えて仕方がない。制御できていた力が突然制御できなくなるわけがないし、良識的な思考が失われていくのも非現実的。黒い魔力の塊――呪いの塊だって、以前からあんな形をしていたら、さすがに他の獣人だって気付くはず。それらが一年の間に、信じられない速度で問題化するのは外部からの干渉がないとあり得ない。だって、あまりにも都合が良すぎるじゃない? いえ、不都合が過ぎるって言った方がいいかも」
物事が獣人にとって――いや、キングス・ファングとその呪いにとって上手く運びすぎている。そんな感覚はあった。だが確証がなかったから話さなかった。
「干渉されていなかったなら双子の姫君は呪いを制御下に置き続け、キングス・ファングの力は衰え続けて次代に王を引き継ぐ。この群れにとって当たり前のことが当たり前じゃなくなった。なんでだと思う?」
「争いを激化させたい者がいる」
獣人を戦争に巻き込むことで、利益を得られる者がいる。だから獣人を、この群れを混乱へと陥れた張本人がいるのだ。
「正解。そして私はそいつに心当たりがあるってわけ」
並々ならぬ思いがあるらしく、リゾラの声音はどこか怒りが込められていた。彼女は心当たりを求め、この群れに辿り着いたということか。
「名前は?」
「ヘイロン・カスピアーナ」
「……御免、ちょっとそれは、なにを言っているのか分からないよ」
彼女を協力者と認めたクラリエが否定的に言う。
「あなたたちの知っているヘイロンのことを言っているんじゃない。同姓同名の、シンギングリンにいたヘイロンとは似ても似つかない下劣な奴がいるのよ。今回、そいつがなにかしら裏で糸を引いている気がしてならない。私の仇敵よ。頭の片隅にでも入れておいて」
「同姓同名……ヒューマンの世界ではよくあることなの?」
困惑するクラリエがアレウスに訊ねる。
「よくあるというより、稀にあるかな。ヒューマンの中でも人気の名前があるんだよ」
神様にあやかって、神様の名を付けたりする。不遜なことかもしれないが、神と同じ名にすることで、神に振り向いてもらってそのまま見守っていてほしいというささやかな親心がそうさせるのだ。
「アレウス君がそう言うなら、彼女の言うヘイロンとあたしの知るヘイロンは別の存在って切り離して考える」
「理解を示してくれて感謝するわ。でも、そういうあなたも私の前で聖女の話はしないでほしい」
「聖女になにかトラウマでもあるの?」
「トラウマというか……あなたたち、『星眼』の聖女についてなにか知ってる? 付き纏われていて、困っているのよ。今回こそは撒いたと思っているけど、またどこかで会うような気がしてならないの」
聖女に付き纏われているから聖女の話をするなというのはなんとも極端な話だ。それぐらい、付き纏ってきている聖女のことが嫌いなのだろう。
「いや、僕たちは知らない」
『蜜眼』のアニマートならば知っているが、彼女がどこでなにをしているのかは不明のままだ。どこかで生きているかもしれないし、ルーファスと共に死んだかもしれない。
「そう、だったらこれも情報を集めなきゃならないことみたいね」
リゾラは背後を見て、それから前を見る。
「行きましょう。迎え撃つ準備をする必要があるわ」
雨は尚も激しい。
しかし雷は鳴らなくなった。ひょっとしたら天候が回復し始めている兆候かもしれない。天候の変化が、状況の転機になってくれないかとアレウスはささやかに願った。




