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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第9章 -キングス・ファング-】
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水浴びにて

 ノックスとセレナを交えて夕食を摂った。昼食と違い、肉だけでなく魚も出されこそしたが、味付けは香草のみに留まっていたため、持ち込んでいた塩を足した。


 その後、寝床での就寝準備を進めつつ、順番を決めての沐浴を行うことになった。アレウスは望んで最後を選んだ。

 ガラハが帰ってきた頃には日もすっかり沈み切ってはいたものの、松明を用いれば道筋は見える。問題はその道筋が獣道であることだけだろうか。


「ノックスが王を目指していなかった、か」

 それにしても、物事は思い通りにいかない。アレウスもそれは分かっていたつもりだが、それでも溜め息が出る。


 沐浴として選んだ川は場所は寝床から少し離れたところにあるが、シンギングリンの川よりもずっと浅く、小川と呼んでも差し支えがない。体を沈められるだけの深さがないため、ほぼ水浴びに近い。とはいえ、贅沢は言えない。むしろ体の汗や汚れを洗い流せる場所があるだけありがたい。ただ、気になるのはこの小川が飲み水として使われていないかどうかだろうか。煮沸すれば問題なく、合わせてヴェインの魔法で毒性を排除してもらえばほぼノーリスクではあるのだが、これは気持ち的な話となる。獣人たち、あるいは自分たちが水浴びに使った小川の水を、人体に影響がないからと言って口にする。潔癖でなくとも気になる。

「泥水を啜っていた頃とは思えないな」

 自分自身の感覚の変化に驚き、呟く。


 人間は生活環境を一段階や二段階上げると、下の段階にはなかなか戻せなくなると聞いている。同時に突然、生活環境が上がってしまうと適応できずに再び同じ段階まで落ちることもある。そう考えれば、アレウスの感覚はまさに生活環境がもたらした代物だ。

 ただ、比べる段階があまりにも劣悪、そして最下層であるため、この一段階や二段階の感覚の変化をそこまで深刻には捉えなくていいのかもしれない。なのに不意に意識してしまったのは、自分自身の置かれている環境を『満足』と捉えていないかと思ってしまったからだ。

 『満足』ではないのだ、決して。未だそこに至るまでの過程である。


 濡れたタオルで体を拭き、隅々まで洗い流したあと、衣服を水に浸す。着替えは持ってきている。鎖帷子のような防具はまだ洗うには早いが、肌に触れたり擦れることの多い物は早い内に洗い、干しておきたい。長居するつもりもなく、長期にここに居続けるつもりもないのだが、いつもやっていることをやらずにいるよりも、やっていた方が気分が落ち着く。なにもアレウスだって、見知らぬ場所に来て不安がないわけではないのだ。不安がないように気丈に振る舞うのは精一杯の強がりで、きっとみんなには見抜かれているだろう。言ってこないのは、指摘しても人間関係においてプラスにならないから。そして、アレウスが抱える不安はみんなの心にも必ず存在しているからである。互いに互いを気遣い、不安を意識しないようにする。そうすることで言わないまま不安は共有される。不安の許容量は人それぞれだ。無意識に不安を共有し、分散することで互助の関係が成立する。


「後継者……後継者の次は、世継ぎ……どこに行っても問題になっているのはさすがに笑うしかないな」

 人間とは獣人に限らず、群れなければ生きていけない。決して一人では生きられない。当初はアレウスも一人で生きていこうと考えていた。だが、ヴェラルドに救いの手を差し伸べられたとき、その手を掴んでしまった。導いてくれる者に救われたいと思うことは逃れられないのだ。だからどんなところにも王や長がいて、人々を導く。それでも孤独が怖くて、人間は信仰に手を伸ばす。

「死んだ先でも、一人は嫌だからな」

 こうして一人でいるときは哲学的なことを考えてしまう。あくまで『的』なことで、深みはない。

 衣服の汚れを流し終え、手で一枚ずつ絞って広げ、畳んで重ねて一纏めにする。最後にもう一度だけ水を浴びておこうと小川に足を入れる。


 技能の網を越えて、唐突に気配が現れる。アレウスは戦闘用にではなく護身用の短剣も備えている。たとえ裸であっても、帯剣しない選択肢はない。だから反射的に抜剣するも、気配の主はアレウスの反射を凌駕する速度で接近し、しばしの競り合いののちに押し倒される。しかし押し倒されても肩と腕の可動域にはまだ余裕があった。だから首の側面に短剣を突き刺そうとする。

 瞬間、ほぼ全ての無意識に行っていた動作を意識的に無理やり停止させる。


「セレ、ナっ?!」

 口元を手で塞がれ、もう一方の手の人差し指を自身の口元に当て、セレナは静かにするようにアレウスに求めてくる。短剣を下ろし、アレウスはセレナの要求を飲んで首を縦に振る。すると口を塞いでいた手は優しく離された。

「なにをしに来た?」

 小声で訊ねる。小川の音色がアレウスの大半の声を打ち消してしまうのだが、セレナの耳は確かに聞き取ったらしい。

「話をしたいのです」

「だったら普通に呼び出してくれれば」

「それは含みを持たせてしまいます。アベリアに、変な風に思われたくはないので」

「逢引の約束をするわけでもないだろう」

 話をするだけならアベリアが疑いはしない。

「多少は逢引の要素もあるかもしれません」

「いや、ないだろ」

「……そうですね、ないです」

 自分で言う分にはイライラしないが、相手に言われるとイライラするのはどうしてなのか。これはセレナだからではなく、相手が誰であっても同じである。ただ、アベリアは別だろうか。彼女にそんなことを言われればアレウスは普通に落ち込んでしまうに違いない。

「なら、なんの話だ?」

 小川で押し倒されて背中を打ち付けた。後頭部を打たなかったことだけが幸いだが、それでも背中から節々に痛みが伝わってきている。そしてセレナは未だ、アレウスに馬乗りになったまま動こうとしないのである。


 冷静を装っているが、かなり危うい。このように女性に馬乗りにされ、見上げる体勢を取らされた経験はない。ベッドで動けず、横たわっていたときにリスティたちに見舞われたこともあるが、それでもこの角度から眺めることはなかった。

 とにかく、セレナが服を纏っていても目が泳ぐ。肢体をマジマジと見てしまいそうになる。というよりも、抗えない。セレナに不快感を与えてしまっては大変なことになる。そうは思っても、目は泳ぎ、顔、胸元、お腹、そして下腹部。そこを泳ぎ方こそ不規則だが絶対に視界に入れてしまう。


「ヒューマンについて、ジブンも相応に知識があるつもりですが」

「いや、そう思うならまず降りてもらえないか?」

 不快に感じているのなら、離れてほしい。そのように伝えてみたが、セレナは動かない。

「あなたについては、ジブンの知識とそぐわない点も多く、確かめておかなければならないのです」

「質問されれば答えるから」

「では」

 セレナは体を倒し、アレウスに密着しつつ耳元に口を近付ける。

「あなたはヒューマン以外にも欲情しますか?」

 言葉にならない声が出る。

「エルフやドワーフ、ガルダのみならずハゥフルやジブンたち獣人の異性を、性的に捉えていますか? それとも性対象は同性ですか?」

 種族の違い、同性愛か異性愛かの確認を求められる。


 アレウスは耳元での囁きに対し、極端に過敏に反応しているわけではない。これまでも異性に囁かれることは幾度となくあった。しかしそれは、あくまで一般的な状況下での囁きであったからだ。このように密着されて囁かれると、自分でも信じられないほどの快楽の痺れが全身を襲い、筋肉がピンと張り詰め、硬直する。


「女の人、を、好きになるし、そこに種族差は、ない」

「本当に?」

「……ドワーフのことは、そういう目で、見られない、かも」

 ドワーフの女性はアレウスの好みの体型と異なる。ただ、それはアレウスの好みの話であって、ヒューマンが全体的にそうであるわけではない。実際にハーフドワーフは存在し、ドワーフと結婚を望むヒューマンも少なくない。

「獣人は?」

「臭い、が気になるけど」

「容姿が嫌いではない?」

「爬虫類の見た目をしているのは、ちょっと」

「あぁ……ジブンたちはあの手の獣人に対する興奮も普通にあるらしいのですが、そうですか……ヒューマンにはないと」

「ヒューマンの姿に、近ければ近いほど僕の中では、異性だったら、その、性対象として見る」

「ではハゥフルはあなたの好みから外れるわけですね」

「外れるというか、言ったように、ヒューマンの姿に近かったら、そこまで嫌悪はしない」

 獣人ならばノックスやセレナのように四足歩行ではなく二足歩行で、容姿は人型。ハゥフルならば陸棲種で、同様に人型であってほしい。

「そうですか……では、ここからが本題です」

「これまでは本題じゃなかった……?!」

 アレウスはほぼほぼ降参状態のまま、自身の性癖を開示している。だからこれ以上はなにも白状するものがない。


「あなたはジブンたちに子種を仕込みたいと思うような、そのような劣情を抱けますか?」

「な、な、なななな、な」

 なんで、と言えない。訊ねる声音に色気が混じり、密着状態を解いて離れた彼女の瞳が潤いを帯び、信じられないほどに艶美に見えた。そしてなにより、彼女はわざと服を片手で着崩し、柔肌を晒してきたのだ。

「…………ああ、訊ねる必要はなかったようです」

 返事を待たずセレナは納得して、馬乗りにしていたアレウスを解放する。

「これなら心配はなさそうです」

「なんの心配だよ!」

 恥ずかしさと興奮と、あと様々な感情が入り乱れて女々しい言葉が口から出る。

「ジブンたち一族の将来が」

「は?」

「もしそうなったときは姉上共々、よろしくお願いしますね」

 セレナは気配を消し、小川から俊足で走り去った。


 しばし惚けるも、アレウスは思い出したように股間を両手で隠し、昂ぶりを鎮め、もうどうにでもなれと思い、小川から上がる。


「ノックスはともかく、セレナはそんな素振りはなかっただろ……」

 だから、確認を取りに来たのは『もしも』を想定しただけ。彼女はちっともアレウスのことを想ってなどいない。それがファングではなくカッツェの血を残すための手段であれば、それを受け入れるというだけの気持ちしかない。

 だから余計に自分に腹が立つ。


 好意を示していない女性にすら自身の欲望は抑えることができないのか、と。女性の強みを活かされれば誰でもいいのか、と。

 こんなことでは色仕掛けにも簡単に引っ掛かってしまう。偽りの愛情にすら気付かずに、コロッと転がされる。


「駄目だ……僕は」

 呟く。

「と言うか、もう一人で沐浴や水浴びはしない」

 かつてクルタニカとも一悶着があったときも沐浴していたときだ。つまり、川でなにかしら事態が起こる。


 だったらもう、それを避けるように学習するだけだ。

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