ノックスの心情
ランページの死体をノックスは木陰まで運び、大きな木の葉で覆い隠す。儀式――この場合は葬儀の意味合いとなるが、谷底に落とすかどうかの判断をノックスだけがするわけにはいかないため、この件は群れ全体へ報告しなければならないらしい。アレウスがノックスに群れへと訪れた事情を説明すると、今後の見通しなどについて話し合うためにアベリアたちとの合流を彼女は求めた。そのため、アレウスたちは来た道を引き返し、パルティータに用意された寝床へと向かう。
「黒い魔力について、なにか知っていることはあるか?」
カーネリアンはノックスへと訊ねた。空を飛ばず、わざわざ徒歩を選んでいるのは獣人の姫君との交流を図っているからとも思えるが、単純にアレウスに冗談っぽく言われた「用心棒」を意識してのことだ。空からではノックスの奇襲からアレウスを守れないと踏んだのだ。
「これまで呪いの類はワタシが扱ってきたが、黒い魔力については分かんねぇな。いや……種類っつーか、雰囲気? いや、魔力の質としてはワタシやセレナが持っている物には似ているんだけどな」
「セレナは『闇』を渡れるんだったな」
アレウスは思い出したように呟く。
空間を叩き、歪みを生じさせ、そこに『闇』をセレナは作り出す。そして彼女はその『闇』に入り込むことで一瞬で信じられない距離を移動する。この『闇』にはノックスも入ることができる。むしろ、ノックスとセレナという獣人の姉妹以外が生み出した『闇』を渡っているところを見たことはない。ただ、渡れる距離には制限がある。終末個体のピジョンと戦う前に確かノックスは言っていた。『闇』は横への移動は自在だが、上下は難しい。だからダンジョンでアベリアと一緒に落とし穴に落ちた際、彼女は『闇』を渡っての脱出ができなかった。
「壁は通過できない……だったか?」
「あのときは地下だったからな。壁を通過できても、その先は土の中だぞ」
「僕はまだ呟いただけだぞ」
「どうせピジョンと戦ったときのことを思い出していたんだろ?」
そんな分かりやすい顔をしていただろうかとカーネリアンに意識的に視線を向けたが、無視される。というよりも察してもらえていないようだ。戦闘中は驚くほど察しが良かったはずなのだが。
「セレナの『闇渡り』は群れでもあんまり受け入れられてねぇから、縄張りの中じゃほとんど見られねぇけどな。だからワタシも仕方なく、自分の足を使わざるを得ないってわけだ」
「妹に頼ろうとしている点に貧弱さを感じざるを得ないな」
「頼るときには頼って、その分だけワタシもセレナに頼られる。兄弟や姉妹の頼り合いは悪いことでもなんでもねぇよ。ま、悪いことをしようとしてんなら別だけどよ」
明らかなカーネリアンの挑発だったが、ノックスには響くものがなかったようだ。
響かれても困るが。
「そっちには思い当たる節はねぇのかよ?」
疑問を振られる。
「一年前、エルフのキャラバンが黒騎士に遭遇している。黒騎士が現れたところを中心に範囲的に地面が黒く染まり、木々や草花が枯れていた」
「エルフ……か。一年でワタシたちと扱いの差が変わっちまったな、そういや。一年前までは獣人が害悪とまで言われていたのに、今じゃエルフがその位置付けだ。ワタシたちはエルフよりはマシと呼ばれ、人間に危害を加えないなら放っておいてもいいとまで思われ始めている」
「良いことじゃないか」
「村や街を襲いにくくなったことこの上ない」
「そもそも襲うな」
「まぁな……ヒューマンどもは揃いも揃って戦争に夢中だしな。ワタシたちも危害を加えられないんなら、わざわざ襲う理由もない。同胞を殺されたとなりゃ、群れ総出で潰しに行かなきゃならねぇが……ああ、そうだ」
ノックスは思い出したことがあったようで、両手を合わせ音を鳴らす。
「シンギングリンに魔物の“波”と一緒に仕掛けに行ったことがあったな?」
「忘れていない。そこで僕とお前は初めて会ったんだから」
「あれもシンギングリンの冒険者に同胞が殺されたって話が群れで出ていたんだ。そのときはお前がどんな奴かも知らなかったからな。父上に言われるがままに同胞の敵討ちのために“波”に乗った」
「その同胞を殺されたって話は事実だったのか?」
「いいや、事実無根だった。だからその話を出した奴は父上によって始末され、谷底に落とされた。シンギングリンを攻めたことで群れも被害を負ったし、何十人と死んだ。でも始めたのはワタシたちの方で、嘘に踊らされたのもワタシたちだ。あのときのことは怒りではなく申し訳ないとも思っている……というのが、群れの見解だ。でも、結果や結論には感情が乗らないからな。実際のところは、嘘によって起こったことであっても、ヒューマンに多くの同胞が殺された。それは未だ遺恨として残ってしまっている。だからだろうな、あちらこちらでお前たちに対して相応の殺意が向いている。向いているだけで手出しをしないだけマシだと思え」
「やはり……『異端審問会』か」
「あの“波”に乗じて、件のエルフが現れたらしいな。確か、『人狩り』だったか……? そいつは今、どうしている?」
ノックスはクリュプトンのことを聞いている。しかし、アレウスは彼女の行方を知らない。
「『人狩り』があのときは『異端審問会』に所属していたのはハッキリしているが、そのあとは分からない。エルフの暴動が起こる直前は共闘していた。すぐに姿を消したから足取りは掴めていない」
「なら未だに所属したままって可能性もあるわけか」
居場所さえ分かればノックスは問い詰める気でいたのかもしれない。
「で……? いつまで貴様はアレウリスを遠ざけているつもりだ?」
三人で帰路についている。間違っていない。ただし、カーネリアンとノックス、そしてエキナシアは近い距離にあってアレウスはひどく遠い位置にいる。獣人特有の耳に良さでアレウスのボソボソとした喋りにもノックスは対応できているが、カーネリアンには入る余地がなかったために我慢できなかったらしい。
「アレウスとは当分、この距離を保つ」
「なぜだ?」
「言わなくても分かるだろ! ワタシの近くにアレウスがいたら群れの連中に色々と勘違いされてしまうからだ!」
心からの叫びに若干の焦りのような、それでいて照れも含まれているような微妙な感情をノックスは乗せる。
「子作りはしないと言っているが?」
「分かんないだろ! 急に発情したらどうするんだよ!」
「気持ちが悪い」
ノックスの反応にカーネリアンが拒否反応を示している。
「姫君なら、その程度の話は鼻で笑って済ませろ」
「鳥人と違ってこっちは純情なんだ」
「純情かどうかにガルダは関係ないだろ」
呆れている。凄く呆れている。アレウスもノックスの対応に呆れているのだが、それをはるかに凌ぐほどに、カーネリアンは呆れ返っていた。
「せめて私が話を聞くことのできる距離にしてくれ。それに、ここからはあまり大っぴらに話せることでもなくなる」
「な、な、なにを話すんだ?」
そしてノックスはノックスでカーネリアンの言葉に勘違いを起こしかけている。
なぜ、アレウスが意識していないのにノックスが意識しているのか。これではさっきまでの獣人事情についても話すことができなくなってしまうのではないだろうか。
「パルティータは本当にキングス・ファングの実子なのか。それと、僕たちの共通点である『産まれ直し』についてだ」
「『産まれ直し』……?」
ノックスが立ち止まって考え出す。必然的にアレウスは歩を進めることになるため、彼女との距離は縮まる。しかしその距離についてとやかく言ってくることはない。やはり形式的に、そして周囲の獣人たちに勘違いされないための分かりやすい演技だった……と受け取ることもできそうだ。できそうなだけで、かなり苦しい推察ではある。
「ワタシが『産まれ直し』?」
「特定の人物にしか開けないロジック、開いても読むことができないロジック。そして、ロジックを開く力」
「私はロジックを開けないが」
「だったら前二つを持つ者は、『産まれ直し』である可能性が高いと僕は踏んでいる。ノックスには、ノックスと自覚する前の記憶があったりしないか?」
「…………あったとしてもお前には教えねぇ。そういった質問には答えないのが正解だ」
「利口なことは認めるが、その答え方は悪手だな。私は貴様にもこの世界より以前の記憶が残っていると確信したぞ」
「あるのか無いのかだけでいい。答えてくれ、ノックス」
沈黙ののち、ノックスは小さく肯く。
「あるよ。産まれた直後に、ワタシはワタシである前の記憶を持っていて、父上たちが一体なにを話しているのか分からなかった。いや、赤子だったんだから分からないのは当然っちゃ当然だが、ワタシはノクターンと名付けられることが理解不能で、同時に産まれた直後に自己を持っている自分自身に驚いた。とはいえ、月日が経つに連れて、そんなものは夢の中の珍事で、現実の物じゃないと思うようになった」
「僕と同じだ」
「私は『産まれ直し』の自覚はなかったな。以前にも言ったが、ラブラにロジックを書き換えられて、そこから自己を取り戻してから唐突な自覚を得た」
「だったら、なにか? ワタシが夢だと思い込んでいた様々なことは、産まれる前の記憶で、この世界の記憶じゃないってことか?」
「ああ」
肯いたアレウスを見て、ノックスは小さく舌打ちをした。
「嫌な記憶だったか?」
「おぼろげながらに胸糞悪さが残っている。具体的になにがあったかまでは思い出せねぇな」
カーネリアンもそうだったが、産まれ直す前の記憶はあまり良くないものらしい。
かくいうアレウスも、その産まれ直す前の記憶がおぼろげながらにあって、不意に思い出し、苦しんでいる。なので二人を気遣うような言葉が浮かんでこない。
「アレウスが『産まれ直し』に拘る理由は?」
「『産まれ直し』はなにかと狙われやすい……というよりも、なにかしらの素質を持っていて、自然と頭角を現す。そのせいで周囲から危険視されるか、重要視されるようになって、注目を浴びやすくなる」
なにかしらの素質――『超越者』については伏せておく。
「だから次のキングス・ファングになりたがっているパルティータについても不審がっているってわけか。ワタシが危険視され、疎まれているからパルティータが群れからワタシたちを追い出そうとしている、と」
「正確にはノックスとセレナに連なる血筋を絶やそうとしている、かな」
「だったらパルティータが子作り云々を語るのはおかしくないか? お前をあてがおうとしている点については文句しかないけど」
「事情はどうあれ、自分以外のファングの血筋が絶えてほしいと奴は願っているのではないかと私たちは疑っている。だから、貴様の知るパルティータについて私たちは知りたいわけだ」
簡潔にまとめたカーネリアンの説明でノックスにはようやく伝わったらしい。
「パルティータは末っ子だ。たまにセレナと遊んでやっていたこともあったが、兄貴がいなくなってからはずっと己を高めることに全てを費やすようになった。知識もそうだが、戦いの腕前も確かなものだ。ワタシよりもパルティータの方が強いんじゃないかとも思っている」
「キングス・ファングの血筋なのだな?」
「間違いなくファングの息子の一人だ。他にも多くの娘や息子がいたが、どいつも長くはもたなかった。最終的に父上が息子や娘と認めたのはカッサシオン、ノクターン、セレナーデ、そしてパルティータの四人だけ。中でもあいつは父上の秘蔵っ子だから、シンギングリンへ侵攻したときも、本人は出たがっていたけど父上は縄張りの外に出ることを許してはくれなかったな。だから、キングス・ファングの縄張りの中でしかパルティータのことを知らない者は多い。ワタシやセレナも外では伏せろと言われ続けてきた。だからこうしてアレウスに話すのも初めてだ」
「私たちは疑うしかできなかった。なにせ、世間じゃ息子が一人で娘が二人と言われているキングス・ファングの一族に末の子が現れたんだからな」
「だろうな。正直、父上もどうしてあんなにパルティータを秘匿したがっているのか分からないんだ。その分、ワタシたちは自由にさせてもらっているけど……自由にさせられ過ぎて、あんまり縄張りじゃ評判が良くない。凶兆の双子ってところも相まって、次代の王としては認められないらしい」
「らしい?」
言い方にアレウスは疑問を抱く。
「キングス・ファングの一族として産まれたことを誇りに思っている。でも、ワタシたちは産まれた頃からずっと恨まれて、呪われて、嫌われて……王になろうとなんて考えたこともない。ワタシたちは姉妹揃って、静かに暮らしたいだけだ。誰になにを言われることもない日々を送りたい。それが本当の幸いだと、ワタシは思っている」
ノックスもセレナも、自分自身を姫君だと自覚し、そう口にすることもあるが「次の女王だ」と名乗ったことは一度もない。そこに彼女たちの本心があったとしたら、アレウスは今日までずっと気付かなかったことになる。
「だからパルティータが次代の王になることに、ワタシはなんの文句もない。むしろありがたいとすら思う。ただ、それを認めると、ややこしいことになる」
「アレウリスとの子作りか」
「それを言うなぁ!」
「血筋の維持のためにパルティータだけではなく、ファングに連なる血筋の者は子作りをするように命じられる。双子の獣人の姫君も例外ではない。この場合、ヒューマンと子作りしろとは言われることはないと思うが」
「だとしても、こっちは別に好きでもなんでもない男と子作りなんてできるかっ!」
「だったらアレウリスと子作りをするか?」
「なんでその究極の二択をノックスに突き付けるんだよ」
アレウスはさすがに物言いをする。
「決まっている。茶化せば茶化すほど、この馬鹿げた話が面白くなるからだ」
カーネリアンのその言葉に、アレウスとノックスは同時に項垂れるのだった。




