再会の刃
荒々しくも軽やか、それでいてしなやかさも備えて隙を見せることもない。アレウスには絶対に真似のできない関節の柔らかさや、地面を踏み締める際の脚力にも繊細さを残し、必ずしも強い踏み出しに拘らない回避。そして、剣戟で見せる野性的なまでの暴力。全てにおいて適量の体力の消費を意識したノックスの立ち回りには、思わず見惚れてしまうものがある。しかし、彼女のさながら舞踏にも似た立ち回りにばかり気を向けていてはいられない。己自身も戦いのさなかにあることを忘れず、ノックスに追従しつつも確実に終末個体と化した獣人へと剣戟を加えていく。
「さすがは獣。地上においてはなかなかの動きを見せる」
感心しているのか、それとも貶しているのか分からないカーネリアンの言葉が耳に入る。刹那的に振り返った元獣人の爪を彼女は刀一本で受け止め切って、そこに込められている腕力という名の暴力すらも凌ぎ切り、ただ一振りで元獣人を切り飛ばす。
「だが、獣人が終末個体化するなど聞いたことがない。いや、獣人内ではあったのか……?」
「滅多に起きないことだ。いわゆる先祖返りってやつだな。たまに獣人よりも魔物寄りで産まれる奴がいるんだが、見た目もなにもかもワタシたちとはなんにも変わらない。強いて言えば、成長速度が少し早いぐらいか。まぁ、だからこうやって稀に起こるんだよ。蓄えた魔力を放出しようもなく、意識が飛んで元に戻ることさえできない『本性化』を起こす奴が」
切り飛ばした元獣人は着地後すぐに全身の筋肉に力を入れて、ノックスへと地面と平行に飛ぶような跳躍で一気に迫る。
「『本性化』はワタシたちが備えているものなんだが、別に魔力を必要とはしないんだ。そもそも獣人が魔力を擁することなんてほぼ無いからな」
迫ってきた元獣人の両爪を正面から受け、自身の体に掛かる負荷と衝撃を踏ん張ることで留め切り、左へと切り払う。
「要は魔力を吸収してしまう体質の輩が稀に産まれて、そこから更に稀にこうなる。つっても、こんなことは群れの中で済ませ切れる問題だから特段、外に漏れることでもない。もし他種族に目撃されたって言わねぇしな。ただの縄張り争いと言い張るだけだ。おかしいと思われたって、それで通す。無茶苦茶を言っているかもしれねぇが、それでどうにかなる。なにせ縄張りに入っている時点でそいつらの生殺与奪を握っているのはワタシたちだからなぁ」
元獣人が咆哮を上げる。全身を黒い魔力が包み込み、爆ぜる。その衝撃がアレウスたちの体を打つ。
「んでも、最近はちょっとおかしくてな。頻度もそうなんだが、あんな感じで目に見えて魔力が黒い。魔の叡智に触れていない連中にも見えるらしいから、本当に魔力なのかどうかも怪しいんだが」
「ピジョンの終末個体も黒かったけどな」
穢れたロジックによって肉体の維持と崩壊が引き起こされ、死にながら生き続けようとし、生き続けていても極めて短い期間によって死に至る。終末個体は全ての魔物が生き続けた果てで待つ絶対的な死である。人間たちの寿命に比べ、その死に様は悲惨としか言いようがなく、そして同時に人間たちにとっては大迷惑をかける。
「ありゃ黒い血を流していただけだろ」
「今のとそれがどう違う?」
「違いはそんなにねぇけど、気にするところはそこかよ?」
言い合っている中、瞬間的に詰めてきた元獣人の両爪を左右に分かれて避ける。
「そのヒューマンは肝心なところに気付いているのに気付いていないフリをする。問い掛けで答えを引き出し、自分の中の理論が確実なものにならないとなかなか話してはくれないぞ」
空へと逃げたカーネリアンは手に掴んで逃がしたエキナシアを乱雑に元獣人へと投擲する。エキナシアを構成する様々な部位が形を変え、獣人に激突すると同時に鋭利な先端が肉へと突き刺さる。
「なんだその『私はこのヒューマンのことをよく知っているぞ』的な上から目線の言い方は? お前、このヒューマンのことが好きなのか?」
エキナシアが突き刺さった元獣人の動きが鈍り、ノックスが機を逃さず迫って、骨の短剣で肉の薄い脇を切り裂く。
「異性としては好いていない。だが、人間としては好いている」
「嘘くせぇ~」
「獣人の姫君、貴様はどうなんだ?」
マズい会話の流れが始まっている。
「はっ! ヒューマンなんざ御免だね」
暴れ回る元獣人の反撃を避け切り、引き剥がされたエキナシアが人の形に戻ったところでその手をノックスは掴み、カーネリアンへと投げつけた。
「ま~アレウスがど~してもって言うなら考えてやらなくもない」
「それはそれは、とても嘘臭い返事をありがとう」
エキナシアを掴んだカーネリアンは上空から飛刃を飛ばし、ノックスの後退を手助けする。
「……終末個体は縄張りで魔力を蓄えるだけ蓄えて起こった成れの果てだろう? 終末個体が周囲の魔力を喰い切ったなら、次に終末個体が現れるのはかなり先になる。それが群れの中で頻繁に起こるのは、あの黒い魔力が原因なのかもしれない」
アレウスはどうにも言い出し辛い雰囲気の中で、さっき言えなかったことを伝える。
「あと、暢気な話はしないでくれ」
命の取り合いをしているというのに脳が混乱してしまう。そういった話はこんなときにすることじゃない。
「あれの呼び方は群れごとに統一されてはいないが、ワタシたちの間では『ランページビースト』と呼んでいる。それでも呼び名が長いから『ランページ』と言えば大体は事情を知ることができる」
ノックスがアレウスの元まで後退し、呟く。
「お前は呼び方に拘りそうだからな」
「だからって戦っている最中に教えるもんじゃない」
二人と一人。エキナシアを加えればどちらも二人だが、元獣人――ランページはアレウスたちの方を脅威と捉え、黒い魔力を強烈な衝撃波へと変換して放出しながら走る。
「判断を誤ったな」
加速し、疾走するランページの真後ろに同等の速度でピッタリと付いて、走りながらに斬撃が閃く。ランページが纏っていた黒い魔力の半分が斬撃によって吹き飛び、獣毛と皮膚が露わになる。
ノックスより先にアレウスが走り、ランページの右爪の振り下ろしに呼吸を合わせ、短剣で受けると見せかけて懐へと滑り込む。隙が生じたランページへとノックスが最接近し、躊躇わずに黒い魔力が剥がれた部位へと剣戟を奔らせる。続いて胸部をアレウスが追撃する。
咆哮を上げ、真下にいるアレウス以外が吹き飛ぶ。ランページの懐から這い出たところ、腕で薙ぎ払われる。
「心臓を狙ってみたが届かないな」
魔力で硬質化しているのかもしれないが、単純に筋肉に邪魔されたといった方がいい。
「オーガでも胸部は貫けたぞ?」
懐に滑り込むまでは良い動きだったが、その先に甘さがあった。自身の経験がその甘さを生んだ。
だからこの反撃を受けるのは許容範囲。アレウスは自覚しつつ、ランページの更なる腕を短剣で阻みつつも、薙ぎ払いによって打ち飛ばされる。
「“芥の骨より出でよ”」
ノックスが骨の短剣を唾と土で濡らし、凄まじい勢いで飛ぶアレウスの方角へと投げる。
「“地を奔れ、蛇骨”」
骨の短剣は投擲されながら周囲の魔力を取り込み、骨の大蛇となって走り抜け、アレウスを牙で引っ掛け、とぐろを巻いて受け止める。
「地面に打ち付けられるよりはマシか」
膂力は想像を越えていた。受けはしても、打ち飛ばされた先で地面にでも直撃すれば致命傷になっていたはずだ。ノックスの機転によって最小限の痛みで済んだが、その分だけ彼女には負担を掛けてしまっている。特に主要の武器を投擲させてしまった。骨の大蛇はすぐに崩れ、骨の短剣に戻りはしたものの、今度はこれを彼女が窮地に陥る前――陥ってからでは遅いのだ。最速で届けなければならない。
「タダでくれてやる命もないといったところか」
アレウスが駆け出し、カーネリアンがノックスの補助に入る。ランページの爪は更に長く太く鋭利に尖り、力任せに爪を振り乱してノックスを下がらせるばかりか、一切の踏み込みを許さない。
「体力は無尽蔵か?」
近付けないため、ノックスの後退が完了したところでカーネリアンは間合いを詰め切らずに観察していたが、ランページの暴力に休息の暇は見られない。
振るう爪に黒い魔力が纏わりつき、空を裂くと質量を持った刃と化して奔る。飛刃は気力の消費だが、これは魔力によって起こされた飛刃である。それどころかランページは止まることなく爪を振り乱しているため、大量の飛刃が前方――ノックスとカーネリアンのいる方向へと放たれる。
「見せる気などなかったがな。秘剣」
カーネリアンは刀の切っ先を地面に突き立てる。
「“桜幕”」
エキナシアも含んだ三人を大量の桜の花弁によって生み出された気力の膜に包まれ、質量を持った爪撃の全てを弾き飛ばす。
「ノックス!」
アレウスは骨の短剣の投擲する構えを取る。
「返さなくていい。お前はお前で技の準備をしろ。短剣が二本あれば出す速度も上がるだろ」
気力の膜が解け、ランページの距離を無視した爪撃をノックスが軽やかに避け、カーネリアンはエキナシアの手を掴んで空へと退避する。
「ワタシが隙を作って、お前が技を出し切って、そしてワタシがトドメを刺す!」
アレウスは投擲の構えを解き、低い姿勢を取って、二本の短剣それぞれに気力を込めるべく意識を集中させる。
「秘剣」
空からエキナシアを投げ、ランページの注意がそちらに向いたところにカーネリアンが縦に刀を振り上げる。
「“松鶴”!」
放たれた飛刃はのびやかに縦へと拡大していき、ランページの肉体を縦に切り裂く。両腕で防いではいたが、その体には確かな斬撃の傷が生じる。
「硬いにもほどがあるな」
「獣人の弱所はワタシの方がよく知っている。獣剣技!」
ノックスの両手の爪が鋭く尖り、強く気力が込められる。
「“削爪”!!」
正面に振り抜かれる両爪が描く×印には、それぞれ五本の爪痕――計十本の爪撃がランページの防御を解いた上半身を引き裂くだけに留まらず、滞留していた黒い魔力がさながら卵の殻が割れるかのように剥げ落ちる。
「獣剣技!」
すかさずアレウスが低い姿勢から走り出し、絶妙な距離感でもって片方の短剣を真上へと切り上げる。
「“下天の牙”!!」
放たれた刃は狼の下顎と牙を模した形を作る。切り上げの勢いと同時に跳躍したアレウスは身をすぐさま縦に順回転させ、あるタイミングで骨の短剣に込めた気力を切り下ろす形で放つ。
「“上天の牙”!」
狼の上顎と牙を模した二発目の獣剣技が先行する一発目の獣剣技と重なり合う。
「合剣、“狼王刃”!」
不完全ながらも気力は狼の顎を完成形とし、ランページを地面を抉りながら上顎と下顎で“噛み合う”。気力を集中させたところはノックスが黒い魔力を剥がした部位だが、“狼王刃”は丸ごとランページを噛み切って、消失する。
「やっぱり下段だけじゃなく上段も使えるようになっていたか。それにしても、思った以上の威力だ。鍛え方を変えでもしたか?」
そんな感想を呟きつつ、ノックスはアレウスが投擲した骨の短剣を掴む。
「思った以上の威力なのに、まだ死んでいないこいつもこいつだが……」
ランページは秘剣と獣剣技を浴びてもまだ生きている。全身には大量の切り傷を残し、大量の血が噴き出しているが、それでも呼吸に荒さはなく、むしろ安定している。しかしそれだけの生命力とは裏腹に肉体は限界を迎えているようで、生きてはいるが体を動かすことはできないようだ。
「恨んで死んでくれていい。その呪いを背負って、ワタシは生きる」
集中し、ノックスは勢いよくランページの胸部に骨の短剣を突き刺す。
「どうか次の命では、幸せな死に方を」
込められた気力がランページの胸部へと送り込まれ、内部から心臓が引き裂かれ、絶命する。彼の者を包み込んでいた黒い魔力も雲散霧消し、そこには悲痛な顔のまま動かなくなった獣人の死体だけが残される。
「手が付けられなくなる前に殺せてよかった」
死体の瞼を閉じさせ、ノックスは深く深く溜め息をつく。精神的な疲労が表情から窺い知れる。殺すしかないとはいえ、やはり同胞を殺すことには耐え難い苦痛が伴うのだろう。
「谷に追い詰められなくてよかったな。あの勢いのまま谷底へ落とされていたらひとたまりもなかっただろうな」
カーネリアンは地上に降りてきて、刀を鞘に納める。
「それとも、まだ良心が残っていてなんとか谷底へ私たちを落とさないようにしていたのか」
「そんなお綺麗な話じゃない。こいつはただワタシを殺したいという感情に揺り動かされていただけだ。谷に落とすとか、追い詰めるとか、そんな戦略的な思考はないんだよ」
「……なんで谷底に?」
ノックスは谷底からランページに追い掛けられながら、そして打ち上げられて現れた。つまりこの谷底にいたことには理由がある。
「言えないことなら、言わなくていいけど」
「谷の底に、ワタシたちの群れは罪人や死者を落とすんだ。身体能力が高い連中は這い上がれる程度の深さではあるんだけど、それを阻止するために四肢をもいで落とされる」
「なんで谷底に?」
もう一度問う。なぜならノックスの説明はこの谷底の使い方であって、彼女が谷底にいた理由にはならないからだ。
「母上の死体を探していた。母上が死んだのはもう何十年も前だから正確には、母上の遺骨だ。そこで丁度、こいつと居合わせた」
「死者と罪人を落とす谷……? なぜ罪を犯した者と、命を全うした者を同じ場所に落とす? 少々、感情的な話になるが私には理解が及ばない」
「谷の落とす側で変わるんだ。群れ側――こっち側から落とすのは罪人で、向こう側から落とすのは死者。罪人がこちら側からあちら側に落ちるようにすれば群れの外を暗示して、死者があちら側からこちら側に落ちるようにすれば再び命が群れの中で芽吹くことを暗示する。死体を向こう側に運ぶのは手間ではあるが、これはワタシたちの群れのならわしだ」
「なるほど、及ばぬ思考で訊ねて申し訳なかった」
「はっ、鳥人にそんなことを言われるとは思ってもみなかったな」
ノックスは俯き、地面に転がっている石を蹴る。
「ま、いいや。母上の遺骨探しは後回しだ。それで、アレウス? お前がなんでワタシたちの群れにいるんだ?」




