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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第1章 -冒険者たち-】
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決して足が竦んでいるわけではない

 側近の死体と生涯を共にした兵士たちも混じっているのか、この墳墓には壺や棺が多い。それだけ人望が多かった証拠であるのだが、土偶などで兵士の代用としてくれていた方が良かった。死体には慣れてはいるがミイラには慣れていない。腐乱臭はしていないのだが独特の臭いが充満している。


「臭い……充満……?」

 アレウスは振り返り、来た道を見つめ、次に松明をジッと睨み付ける。

「どうかしたのか?」

「入り口よりも火の勢いが弱い」

「まさか」

 アベリアは状況を察したらしい。

「引き返すぞ」

「まだ魔物は退治していないけど」

「それは確かにそうだが、こんなところで魔物と対面でもしたら……」


 声を失う。


 中型――人種並みの大きさを持った蜘蛛がアレウスの正面に落ちて来た。

「ヴェイン! 光球を真上に!」

「分かった!」

 反響する声を耳にして、ヴェインが浮遊させている光球を一気に天井近くへと飛ばす。

「蜘蛛の巣……」

 各々のテリトリーを主張するように五つの蜘蛛の巣を天井に張っていた。そして巣の主は四匹。つまり、その内の一匹がアレウスの目の前に糸を伝って降りて来たのだ。

「アベリアさん、火の魔法で燃やすんだ」

「それは出来ない」

「どうしてだ?」


「この墳墓は“空気が循環していない”。魔法の炎でも酸素は必要だ。こんなところで使ったら、僕たちは息が出来なくなる。早急に階段を上がって、一段か二段ほど前のところまで引き返す」

 鉱山において、最も危惧すべきは毒性のガスと崩落、そして酸素不足にある。だから鉱山では手動の送風機を動かすために人員が割かれ、空気を送る管も設置される。そうしなければ、鉱山の奥で働いている鉱員は全員、酸素不足で死の危険に迫られてしまう。


 この墳墓もまた、先に出口の無い空間である。入り口は人一人分だけの狭い通路。中だけは無駄に広い。その分だけ酸素は多く蓄えられてはいるが、奥に進めば進むほどに酸素は薄くなっている。松明の勢いに陰りが見えたのも取るべき酸素が薄れているためである。


 最大の問題は全員が息苦しいのか異臭のせいで呼吸し辛いのかが判断出来ていなかったところにある。


「入る前の段取りで後退する」

 蜘蛛が確実に近付いて来ているため、アレウスは剣を抜いて言葉だけで二人を急かす。

「ヴェイン! 止まっている場合じゃない!」

 強く言い放つ。逃げる算段は整えていたはずだ。なのに、一番最初に下がらなければならないヴェインが動かない。


「待って!」

 急かすアレウスとは対照的にアベリアが声を張る。

「まだヴェインの答えを聞いてない。聞いてないのに下がる判断は早過ぎる」


 アレウスは剣で間合いを取りつつ、いつ蜘蛛が襲って来ても良いように身構え、荒くも短い呼吸を繰り返す。

 彼女の意見は最もだ。判断を急いた。逃げるのが適切だと思い、即断即決に至った。だが、アレウスはパーティを組んでいる。一人増えて今は三人居る。リーダーとしての使命は確かに重いが意見を尊重しなくなれば、ただの傲慢でしかない。

「考えがあるなら言ってくれ」

 やはり顔を向ける余裕は無いため、ヴェインに声だけで伝える。


 顔は常に魔物に向けていなければならない。だがその魔物は未だ交戦を始めようとはして来ない。蜘蛛は巣に絡まった獲物を捕食する。つまり、この魔物が本質的にそれと同義であるのなら、絡め取ってもいない獲物を自ら喰い殺しに来ることに躊躇いを感じているはずだ。その目を、その節足動物と同じ目をジッと見つめ、次に人種よりも多い脚の動きを一つ一つ、丁寧に見つめる。僅かな動きも見逃してはならない。だが、観察できる状況にあるということは急ぐ状態にはないということだ。

 急ぐべきは酸素の確保であって、この魔物を倒すことではない。最重要なのは、生き残ることだ。そこにはまだ、魔物は踏み込んで来ていない。


「人一倍に思考して、もっと有効な手があるんじゃと考え、けれど思い立った時には既にパーティが行動を始めている。戦況は流動的で常に状態は変化を続ける。その波にお前は考え過ぎるがあまりに乗り遅れる。そういうことなんだろ?」

「いや……俺は」

「戦いにおいて状況判断は最速でなければならない。そこに遅れた妙案を提示しても混乱を招くだけ。そうやっていつもタイミングを逃してしまう。それで一歩が出ない、一歩遅れてしまう。だから自分のことを弱虫だと思っている。でも、想定や思考が悪だと言うのなら予測や見立てはなににおいても役立たずになってしまう。僕は発言に速度を求めるけれど、でも、言う前から全てを否定するような馬鹿じゃない。あるなら言ってくれ。言ってから決める」

 良策が出るまで時間を稼ぐ。それも前衛の仕事である。通路への後退はまだ耐えられる。天井で今か今かと待ち侘びている残り四匹の蜘蛛が降りて来たなら、それは実行しなければならない。

「特段、不思議に思うこともないだろ。僕がそういうタイプだ。考えて考えて、考え過ぎるぐらいに考えて用意周到な割に実力が伴わない。やれるだけの知識は持っているのにやり切るだけの力がない。けれど、一人で出来ることにはなんだって限界がある。だから僕たちはいつも二人で半分に分けながら乗り切って来た。アベリアだって、なにも考えていないわけじゃない。僕だけに判断を仰いでいるわけじゃない。ちゃんと自分の判断でやりたいことはやる。やれることもやる。だからヴェイン? お前のやりたいことをやってみろ。僕はその結果は必ず好ましい方向に転ぶと、今だけ信じてやる」


 信じなければ始まらないというのなら、信じると言葉だけでも掛けるのが正しいのだろう。心の底から信じるかどうかは、まだ時間が掛かる。だが信頼しない者同士でパーティを組んでいるなど、それこそお笑い種なのだ。


 せめて笑われない程度には、信じるしかない。


「補助魔法に酸素供給の魔法がある」

「本当か?」

「私も知らない」

「水中に棲息する魔物退治を想定して習得した。ただ一つ問題がある。これは沈む魔法なんだ。水底に体を留めるために、足に(おもり)を付ける」

「腕の振りは?」

「錘を付けている間、酸素の供給と水中での剣戟速度は向上する。錘が小さくなるほど魔法が解け掛けている合図になる。ただ、この錘は水中ではさほどの邪魔にはならないけど、地上じゃどんな風に作用するか試したことはない」

「僕たちに足りないのはまず酸素だ。酸素が足りないと思考力が低下する。そんなデメリットは気にしてはいられない。それに、掛け合わせればデメリットは一時的に帳消しに出来る。通路まで逃げれば、あとはその場から動かなくても良い」

「酸素供給の魔法を使ったあと、私が重量軽減の魔法を掛けて一気に後退する。それで良い?」


「分かった」

 鉄棍が床を打って、響いた音がさながら魔力の如くヴェインへと集約する。

「“空気よ、(エア・)三方より集まり給え(サプライ)”」


 空気の塊を体現したような光球が三つ、床を転がり、そこから一本ずつ伸びた光の鎖が三人の足を捉えて枷となる。足は床に張り付いたかのように動かなくなってしまったが、呼吸は先ほどと比べて随分と楽になった。

「アベリア」

「“軽やか、三つ分”」

 足が床から離れる。二人に後退を促しつつ、アレウスは蜘蛛との間合いを維持したまま通路へと逃げ込む。同時に魔法が解けて、再び足をその場から動かせなくなってしまう。


 これはアベリアの泥沼に似ている重みだ。どれだけ力を込めても引き抜けない、あの重みと似ている。


「正面からやり合うの?」

「通路に入らなかったらあと四匹を同時に相手にしなきゃ行けなかったんだ。これだけでも随分とマシだ」

 足は動かない。踏み込みを行わない斬撃に威力は乗らない。だが、この極端に狭い通路で自身が遮っている限りは二人まで蜘蛛は攻撃に行くことが出来ない。異界の通路であったなら横を擦り抜けられてしまっていたが、ここではその心配がいらない。

「アベリア、もう一度」

「“軽やか”」

 魔法を掛けてもらい、アレウスは蜘蛛に真正面から挑む。歩脚、鋏角、そのどれもがアレウスを捉えようと蠢いているが昆虫と違って固い外骨格に覆われているわけではないため断ち切るのは難しくない。


 筋力にはアーティファクトでボーナスを受けている。ゴブリンの頭はかち割れなかったが、この柔らかな歩脚を切り払う際の抵抗は一切無かった。


 ただし、蜘蛛の体液ばかりは名状しがたいほどの忌避感に見舞われた。今まで戦って来た魔物の血液と同じだと分かっていても、体が拒むのである。しかし、動くこともままならないために頭から被らざるを得ず、総毛立つほどの気色悪さから目を逸らすように小さく唸り、蜘蛛の鋏角を切り捨てる。ここまで切り刻まれると蜘蛛も本能で死ぬことから逃れようと後退を始めたが、間髪入れずにアレウスの後ろから火球が飛んで行き、蜘蛛の目玉を燃やす。その隙にアレウスは蜘蛛の腹部に体を滑り込ませて、真上に剣を突き上げ、更に縦に切り裂いた。


 全身が体液まみれになり、且つ息絶えた蜘蛛の亡骸が圧し掛かって来たが、這いずり出る。そこでアベリアの魔法が解けて、その場から動けなくなる。


「いや……そんな近付くなって顔をするなよ」

 珍しくアベリアはアレウスから顔を逸らすような()振りを見せる。虫の体液に濡れたアレウスには向ける顔も無いらしい。ヴェインが見兼ねて聖水をその場からバシャリと掛けて、浄化を行ってくれる。乱雑に聖水を扱ってはいるが、これは空気供給の魔法で全員がその場から動けないためであって彼が信仰心の欠片もなく聖水を扱っているわけではないだろう。

「一匹で……あと九匹か。一旦、出直そう。残りの四匹が来る気配も無い。酸欠になったら元も子もない」

「ありがとう、ヴェイン。あなたのおかげで助かった」

「……助かった?」

「呼吸を乱していたら、たった一匹ともまともに渡り合えてはいなかった。酸欠になる心配が無いから僕は蜘蛛に切り掛かれたんだ。他の心配事が無い分、気楽ではあった。油断はしなかったけど」

「そうか……そう言ってもらえると嬉しいよ」

 ヴェインが鉄棍で通路の床を叩き、枷となっていた光球が消えてなくなる。体に掛かっていた重みは消し飛び、代わりに再び異臭が鼻に纏わり付く。

「それじゃ、階段を上がって……ヴェイン? なにをしているんだ?」


「なにって、倒した魔物から素材を剥いでいるんだよ」

 歩脚の一部を切り取り、且つ蜘蛛の甲殻を慣れた手付きでヴェインは剥がしていた。アベリアは「うげー」という顔をしていたが、その手捌きにアレウスは感心する。


「いつもやっているのか?」

「君たちは今までやったことが?」

「無い」

 アベリアが代わりに答える。

「魔物の死骸から取れる素材はヒューマンの商人には売れないけど、エルフやドワーフには売れるんだよ。彼らは魔物の素材を加工する技術を持っているからね」

「初めて聞いた」

「クエストの報酬だけじゃ冒険者稼業は続けられないよ。こうやって魔物から取れる素材を売らなきゃ……君たち、今までなんで取って来なかったの?」

「鞄が重くなるのを避けたかった」

「あと、どの部位が売れるのか分からないし」

 アベリア、アレウスの順で答える。ヴェインは呆れた様子を見せながらも、決してそれを蔑むようなことはなく「これからは資金調達の一つにすると良いよ」と助言する。言われてみれば、クエストの報酬だけでは家計は厳しい。冒険者になってから採掘業にも顔を出せる日は減って来ている。減給はやむなしだろう。そうなってしまうと冒険者という仕事だけでは暮らしすらままならない。

 だから、魔物の素材を売る。高値で売れるのかどうなのかは定かではないが、資金繰りで多少は頭を抱えずに済むらしい。


「その素材、一部は貰っても?」

「パーティで獲得した物だろう? 当然だよ。ただ、換金してから等分した方が良いだろうね。売り手によって価値がバラバラだから一番高く買い取ってくれる商人に纏めて売るべきだ。この時点で素材を分けちゃったら、知識の差で同じ数を売ったのにお金の量に差が出てしまう」

 素材を手早く縄で縛り、それを鞄に括り付けてヴェインが持ち上げる。


「助かる」

「助かったのは俺の方だよ……いや、外に出てからこれは話そう」

 この場に留まり続けて話をしていても危険が増すばかりである。アレウスたちは通路から階段に至り、それを登って地上を目指し、しばしの時間を掛けて入り口から外へと脱出する。この間に魔物の襲撃に遭わなかったのは運が良かっただけだろう。

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