今後
「考えてもみてよ。息子の結婚式当日に父親が来るのは遅すぎるだろ?」
リッチモンドに引きずられるようにして広場から連れ出されていくガムリンにヴェインは言った。ただし、その言葉がガムリンにはきっと届いていない。
「どれだけの仕事を抱えていようと、息子の晴れ舞台に当日、なんの準備もなくやって来る父親なんてそうはいない。ましてや貴族の結婚式となれば格式高いものになる。失敗、失態を他の貴族に見せないために少なくとも数日前から段取りや予行演習を行うのが当然さ」
だからガムリンの父親――リッチモンドは結婚式の前日にバートハミドに到着した。息子に連絡が行かなかったのは早朝から決闘の準備に入っていたせいもあるが、ヴェインやエイミーの策略もあるのだろう。従者が伝えるのを遅くすればするほど、言伝が本人には届かなくなっていく。
「昨日の内に話していたのはこういうことか?」
アレウスは柵を越えて、ヴェインに昨日の言葉の真意を訊ねた。
「まぁね。息子の結婚式が迫っていることを手紙で伝えておいた。それでも前日って辺りが、あの人の仕事量の多さを物語っているみたいだ。だから昨日に話すことはしたけど、内容までは教えられなかった。ひょっとしたら本当に当日に顔を出してくるだけってこともあっただろうから」
しかし、どことなくヴェインの表情には混乱も見られた。
「けどね……皇女様については俺がどうこうしたわけじゃないよ。ただの平民の冒険者が手紙の一つを寄越したって、そんなもの検閲で跳ね返されるに決まっているだろう?」
それはまさにその通りだ。
オーディストラ皇女が顔を上げることを許可したことで誰もがひざまずいていたあの異常な光景は少しずつ解消されつつある。しかしながら、悪事に手を染めている自覚がある人たちは未だ畏れおおく、ひざまずいたまま動こうともしていない。
「私がなんのためにここまでヒッチヤード家を名立たるものへと育て上げたと思う?」
リッチモンドが呆けているガムリンへ冷たい言葉を投げかけている。
「国のためだと思うか? それもあるだろう。国のために身命を捧ぐのは当然のこと。国がなければ私に金銭が回らない。しかし、それは決して一番ではない」
「わ……私の将来を、考えての、ことで」
「息子だというのに私がそんなに老いて見えるか? 私はまだこのヒッチヤード家を息子に継がせるために働いてなどいない! 間違いなく、この私が息子のために働いたことなどただの一度もないわ!」
怒鳴り、ガムリンが怯える。
「全ては私自身のためだ! 私が、私のために、私という存在を遺すために! 全身全霊を懸けてここまでヒッチヤード家をのし上げてきた!! それがまさか貴様のためなどと思っていたのではあるまいな?! 留守を任せたことを私が貴様にヒッチヤード家を任せたのだと思ったのではあるまいな?!」
襟首を掴み、ガムリンにリッチモンドは詰め寄る。
「多少の不平不満は出よう。貴族であればそれらは避けられぬ。だが……! 己が性欲を満たすためだけに女子供を巻き込むなど! 我がヒッチヤード家に泥を塗ったな?! ガムリン!!」
「ひぃっ!」
「親子の縁は切らせてもらう。貴様を我が家から追放する」
「ま、待ってください、父上! それでは私はこれからどう生きろと?!」
「我が家にすがることでしか生きられんのか貴様は!! 貴様がしでかしてきたことを全てヒッチヤード家から切り離さなければ、今後の商談にも影響が出る! いや、切り離したところでもはや影響は避けられんかもしれんがな……! 貴様は決闘に負けたのだ。裁判を受け、然るべき裁きを受けよ。その裁判に、ヒッチヤード家代表として私は出ることもなければ、手も貸さん。貴様のやってきたことが爛れ、乱れたことでなければ軽い罪で済むだろう。それとも、全て合意の下、ではなかったのか? 一年より少し前に私に文を寄越しおったときは、そのように書いておっただろう?」
「当然の結末ですわね。その家柄に産まれたからには、背負わなければならない責任がありましてよ。どうやら彼は、それがなにもかも自由にできる権利としか考えていなかったようですけど。決闘のさなかもチラチラとこちらを見ていましてよ」
「そんな余裕のあるような戦いには見えなかったけど」
ガムリンはヴェインから目を離している素振りなどなかった。アレウスにはそう見えていたが、クルタニカには感じる目線があったのだろう。
「女に強いところを見せたい気持ちは分からなくもないですけど、彼は時と場合を考えるべきでしたわ。ヴェインの力量も見誤っていたようですし、そもそも貴族の器ではなかったとしか言いようがないですわ」
「同情の余地はないにせよ、そこまで言うか」
ガラハは辛辣なクルタニカの言葉にやや怯えているようだった。
「ヴェイン!」
エイミーが駆け寄ってくる。積もる話もある。二人切りにしてやろうとアレウスたちはやや離れ、様子を見守る。
「無事で良かった、エイミー」
「……先に言わせてもらいます。私は今からあなたを叩きます」
その真意をヴェインが問う前に、エイミーの張り手が彼の頬を打った。
「その痛みは一年前に私を孤独へと追いやった罪の痛みです。よく理解して、今後も痛みを思い出し、決して忘れぬようお願いします」
「…………ああ、すまない。本当にすまないことをした。ごめんなさい、エイミー。あのとき、君と話を合わせることすらできなくて、君を突き放すことでしかチャンスを掴めそうになかった」
「伝書鳩があなたの手紙を届けることがなければ、私はいかにしてあなたに恨みと呪いと不幸を遺して死んでやろうかと考えてばかりいました」
「まさか、伝書鳩までは全て行き当たりばったりだったのか……?」
二人に聞こえないようにアレウスは小声で言う。
「話を合わせればどこかで怪しまれるから、だろうな。思うが、ヴェインは人への信頼感が高い分、察してもらえること前提で話を進ませすぎる」
アレウスの小声にガラハもまた小声で答える。
「思いますけど、許嫁には話すべきでしてよ」
それは、そうだろう。クルタニカの言葉に二人は肯くことしかできなかった。
「でも! こうして、あなたの傍で、あなたと話せる。それに免じて、今回だけは……その一発だけで許してあげます。ただし、今後もこのような不義理があれば、私は容赦なくあなたを叩きます」
「わ、分かった。分かったよ。肝に銘じておくから」
「アレウスさん」
「はい!」
彼女の勢いに気圧されて、返事が強くなってしまった。
「あなたが一年間、どこでなにをしていたのかはこの際、問うことはしません。あなたと私、人の一年に密度の差などないはずなのですから。そして、こうしてヴェインを、私を助けるために来てくれたことに感謝します」
「いや……僕があなたたちの状況を知ったのはほんの数日前のことで、この結末を想定し、準備したのはヴェインです。そして、ガムリンの従者や付き人を懐柔したあなたの手腕によるものです。僕はなんにもしていません」
「いいえ、あなたが来たことでヴェインは覚悟を決めた。私はそのように思います。何事も、その決め手が欠けるものです。最後の一押しは、自分自身だけではなかなか難しい。だからこそ、あなたという存在は大きかった」
エイミーはヴェインに振り返る。
「今後もアレウスさんたちを困らせることがないよう、気を付けてください」
「……あの、エイミーさん?」
アレウスは言い淀みつつも言葉を並べる。
「その、今後もヴェインは様々な危機に陥ることがあると思います。そのたびに、あなたは気を揉むことになります。もしも、普通の結婚を望み、普通の生活を求めるのであれば、彼には冒険者を引退してもらった方がいいんじゃないかと……僕は思います」
「それがヴェインの望みなのですか?」
「いえ……僕個人の、人の幸せを感じた上での、身勝手な発言です」
「そうであれば、私もヴェインも首を縦に振ることはないこともお分かりなのでは?」
アレウスは肯き、後ろめたい気持ちからか自然と地面を向いたまま顔を上げない。
「死は誰にだって平等に訪れるものだよ、アレウス。世界を救うために理由はいらない。俺は魔物から人を守りたい。その思いで冒険者になった」
「でも冒険者は普通に暮らすよりずっと死にやすい」
「だとしても、俺はその道を歩むと決めた。その生き様は、誰にだって否定できない。そうだろ?」
「ああ」
「きっと、アレウスさんの言うようにヴェインを止めた方がいいんでしょう。ええ、絶対に止めるべきだと私も思うときもあります。でも、彼はきっと止まらない。その覚悟だけは、止められない。私が必死に訴え、シンギングリンの様子を見に行かないように止めたときでさえ、彼は冒険者を辞めるとは一言も言いませんでした。私が父と祖父を喪っても、その言葉が私の耳に入ることはありませんでした」
エイミーの声音には少しばかり恨みが込められている。
「許嫁が失意の中、なにを考えているのか分からない。更には貴族に給仕として連れて行かれる始末。なにもかもが嫌になって、死にたくなる日々ばかりを過ごしていたのですが……私はとても単純な女なのでしょうね。伝書鳩の手紙一つで、一瞬で心変わりしてしまいました。彼が夢を語るのなら、その夢を可能な限り追いかけられるように支える。支えた上で、私は彼との幸福を掴みたいのです。これからも無茶をするでしょう。よく分からないことをしようとすると思います。ヴェインはお人好しで、初対面の人は全員、『良い人』と考えて接します。なので、アレウスさんの注意深い性格で悪い人の甘言や囁きに乗ってしまわないように支えていただきたいと思っています」
「本当によろしいのでして? 結婚し、共に幸福の時間を過ごし、たまの反発を乗り越え、共に生涯を過ごす。子を成すか否かはともかくとして、わたくしたちはそんな甘い生活の時間を、あなた方から奪うんでしてよ?」
「この道が、私とヴェインの幸福の道。先ほど申し上げた通り、この生き様は揺らぎません…………いいえ、嘘です。あなたの言うように、ちょっとだけ想像してしまいました。二人切りでの、楽しい日々を…………」
「考えはしても、衝動は抑え切れると言うんでして?」
「己が欲望が物事を破綻させることもあります。それに、今更ですよ。私は彼が冒険者になってからずっと、そんな幸せも良いなと思いながらも今の幸せを噛み締めて生きているんですから」
考えられない、といった顔でクルタニカはエイミーを見て、同時に尊敬の念を向けている。
「まぁでも、以前と変わらずの約束をしてほしい。一ヶ月や二ヶ月に一度、彼女に顔を見せに行くことを」
「それは勿論、構わないけど」
「そもそも、今回の依頼はヴェインとの合流というより、そちらの許嫁が目的だ」
話がまとまってきたため、ガラハが事情を伝える。
「その手腕を頼りたい者がいる。バートハミドではなくシンギングリン近郊の仮拠点での生活にしばしなってしまうが、ヴェイン共々来てくれると助かるのだが」
「私の手腕を?」
「とある貴族の再興のために取りまとめ役が求められています。同じ貴族でも、ヒッチヤード家とは雲泥の差ですので安心してください。それでも不安であるなら一度、ヴェインと訪ねてみてください」
「……いいでしょう。果たして本当に、あの男とは雲泥の差であるかどうか、見極めさせていただきます。そして、もしも嘘で私を再び貴族の元へと就かせるというのであれば、ヴェインをあなた方と同じパーティに入れさせるわけにはまいりませんね」
エイミーは挑戦的な目付きでアレウスたちを見やる。
「では、村人も合わせて仮拠点へ居住を移させるか?」
ガラハは力仕事ならばすぐにでもできるぞと言いたげだった。
「カタラクシオ家――父さんと母さんには話を付けてくるけど、村の人たちをわざわざ移さなくてもいいかな」
「私も母親には伝えはしますが、やはり村人を移すのには反対ですね。一応ながらにバートハミドに一年間、生活していました。なのにまた移住しろと言われたら、きっと拒む者もいらっしゃいます。なにより、私たちの家柄を気にするような古い人間は、どこに移っても迷惑を掛けやすい」
「村人の扱いについてはガムリンの条件を飲んだから酷くはないからね。たとえガムリンを追放したことでヒッチヤード家の力が薄まっても、それを成したのは俺たち『余所者』。貴族の中には俺に投資した人もいる。そんな不義理はきっと果たせない。最低でも半年か一年は大丈夫なはずさ。でも、リスティさんにはこれからもバートハミドの情勢をチェックしておいてもらいたい」
またリスティの仕事が増えそうなことを言うが、彼女はきっと首を縦に振る。彼女の心労については、少しばかり気を配った方がよさそうだ。
とはいえ、シンギングリンという大きな悩みが解消されて彼女へ掛かっていた負担は驚くほどに減ったようにも感じているが。
「様々な葛藤を経て、掴み取れる幸せもある。私には縁遠いものではあるが、自由恋愛憎しという感情が湧かないのは、人の幸せを見るのはやはり良いものだからだろうか」
「皇女様……!」
「そのままでよい」
その場にいた全員が慌ててひざまずこうとするが、一言で制される。
「面白い決闘を見させてもらった」
「あんなものは、決闘でもなんでもありません。とてもではありませんが、皇女様に誇れるような決闘では」
「いや、そんなことはない。愛する者のために手を尽くす。その先にあった決闘だ。結末がお粗末であろうと、それはお主のせいではない。決して恥じる必要はないぞ」
そもそも、どうしてこんなところに皇女がいるのかとアレウスは問い掛けたいが、無礼極まりないため聞けない。
「シンギングリンを視察しようと思ったのだが、帝都に来ていたリッチモンドの息子が結婚すると聞いてな。父親があれほど優秀であるなら、その息子も優秀に違いないと思い、一日早くに寄り道したのだよ。結果はご覧の通りで……がっかりしたものだ。しかし、同時に得るものもあった」
心に抱いた疑問に答えるように皇女は言う。
「アレウリス・ノールード?」
「はっ!」
気迫を込めた声で返事をする。平民が言葉を連ねるなど許されないのだ。もしも話せることがあったとしても、それは同意を求められたときか、言葉を話す余地を与えられたときだ。
「お主がシンギングリンを解き放つ第一人者だったと聞いている。まさかバートハミドに足を運んでいるなど思ってもおらず、ついでとばかりに金を頼りに足取りを探ってみれば、あの吹き溜まりのような地区での話を盗み聞いてしまった」
「あ……ぁ」
取り押さえたときのことを思い出し、アレウスは大きく頭を下げる。
「皇女様とは知らず、あのようなことを……申し訳ありません! ぼ、く――私個人の判断であり、責任です。どうか、罰は私だけにしていただけないでしょうか」
「よい。むしろ、感心した。よくもまぁ、あんなに早く動けたものだ。側近はどいつもこいつも頭が堅い。冒険者と話す機会をこれまで一度も与えてはくれなかった。だから今頃、側近どもはそのお堅い頭を抱えているだろうな。私が出し抜いて一人でいるなど、胃がねじれて死んでしまうような痛みを伴っているだろう」
はっはっはっ、と笑っている。どこが笑いどころなのか分からない。
「皇女様が直々に足を運ばれるほど、シンギングリンの一件が国家の懸念材料になってしまっているとは思いませんでした」
笑っている皇女にクルタニカが言う。
「懸念? 懸念ではないよ。街一つ無くそうが、帝国は揺らがない」
その一言を聞いてアレウスは思わず睨んでしまう。
「そう怒るな。今のは国家としての意見であり、皇女としての言葉ではない。そう、国家としては街一つ無くそうがビクともしない。そのように言わなければ、他国にすぐさま干渉されてしまう。だが、個人としては街一つ守れずしてなんのための国家だ……と思っている。しかし、私には未だなにかを手配できるような権限はない。このように側近を出し抜くことでしか一人になることすら叶わない。それどころか今や、この国のために多くの民草が戦争へと赴いている……未熟だよ、私は。帝都内に蔓延る者たちを見極め、排除する。このことが、精一杯の反抗であり抵抗なのだ。帝都では私を見れば誰もが傅く。しかし、こうして遠くに来てみれば私の顔を末端の貴族ですら知りはしない。お飾りだけの皇女だ。しかし、お飾りのままではいたくない」
「人はなにかを始めなければ興味を抱かないものです。むしろ始まってしばらく経ってから、ようやっと興味を抱くのです。皇女様、あなたはまだ始まったばかりではないでしょうか?」
不遜にもガラハは意見を言う。
「抗うことに限らず、皇女として立ち続けてくれるのであれば、いずれあなたの名が世界に轟き、その顔が世界にとっての顔となりましょう」
「……長命なドワーフからそのようなことを言われるとは、やはり外に出るのはいいな。少しばかり、視界が晴れた。不遜、無礼、どれもこれもおおめに見よう。よい話ができた。感謝する。その道のり、果てなく続くものであろうが、潰えることなく果たせることを永遠に願おう」
祈られたことに気付かないまま呆けている内に皇女はその場を立ち去った。
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「ええ、バートハミドからは撤退した方が良さそうね。なにせ皇女様が現れたんだから。どいつもこいつも怯えて、息を潜めるはずだから奴隷市場は委縮するわ。闇市的に売買は続くでしょうけど、稼げる場所ではなくなったわ。ま、数ヶ月後には元通りでしょうけど」
女は屋根の上、気配を消しつつ『念話』の相手に状況を伝える。
「それにしたってガムリン・ヒッチヤードは使い物にならなかったわ。寄進してくれているから挨拶の一つでもしようかと思ったら、まさかの追放よ。これじゃもう寄進も無理そうね。あとはガムリンが洗いざらいを白状する前に始末するだけ」
『念話』の相手が女にとって信じられない命令をしてきたため、目を見開き驚き、続いて苛立つ。
「断ったってやらせるんでしょ? いいわ、私が殺す。殺せばいいんでしょ。大丈夫よ、一人殺しているんだからもう何人だって殺せる。でもその代わり――」
要求をしてみるが返事はない。
「命令だけしてきて、こっちの要求には答えないか。最悪……これじゃただの人殺し…………ははっ、でも仕方ないか。もう、その道しか私にはないんだから」
女は吐き捨て、天を仰ぐ。
「懐かしいね、アレウス……? でもさ、懐かしいだけ。以前にも増して冴えた弓の腕を、見せてあげたいのに」
女は呟く。
「あのとき、私を助けるべきじゃなかったね。そのせいで私がニィナになったんだから」




