はかりごと
結局、夜に訊ねてきた女が何者であったのか分からないまま、朝が来た。夜襲もあるのではないかと思い、ガラハと交代しつつ夜を明かしたのだがガムリンの手先と思われる人物が宿舎周りを歩き回った気配もなかった。また、なにかしらの痕跡を残してもいなかった。
「決闘という形式だから正々堂々としているのか?」
アレウスは決闘の支度を進めているヴェインの横で疑問を零す。考え方が偏りすぎなのかもしれない。評判の悪い貴族というものは自身の階級よりも下の者を虐げ、卑怯な方法で人を陥れる。そんな風に思っていたが、自らの将来を決めるようなことにおいては正々堂々と戦うのだろうか。
「そんなわけないさ。絶対にどこかで仕込んでいる」
特に表情を変えるわけでもなく、当たり前とばかりにヴェインが答える。
「でなきゃ評判が悪くなることなんてないからね。真面目に、真っ当に、人の役に立つために貴族として当たり前の責務を果たしているのなら、悪い噂なんて立つものか」
言われてみれば、エイラの父親の悪い噂は聞いたことがなかった。爵位を買ったことで、古くからの貴族から「金で買った爵位」と罵られてこそいたが、それだけだ。
「ヴェインらしくないな。いつもなら僕に、そんなに人を疑わなくてもいいって言いそうだけど」
「ははっ、そりゃ初対面の相手に限ってだよ。基本的に俺は初めて会う人を『良い人』って思うようにしているからね。アレウスは疑いから入る分、そうした方がバランスが取りやすくもあるだろう?」
「確かに」
「でも、初対面じゃなくなれば話は別だよ。様々なことを耳にし、事実を目の当たりにすれば、その好感触の第一印象も覆す。だから俺は、ガムリンについてそこまで正々堂々とした精神を持った貴族ではないと言うんだよ」
冷静な分析のもとに出された結論であるなら、アレウスはなにも言うことはない。
「なら、気は抜けないな」
「だからガラハには先に街に出てもらっているんだろう?」
「別に僕はそうするように言っていないよ」
バートハミドの広場で決闘を行うことは早朝にガムリンの使いの者が通達してきている。ガラハはその通達後、誰よりも早くに宿舎を出た。そこにアレウスの命令は介在していない。ヴェインの邪魔をするような輩がいないかどうか監視しておきたいという彼の自己判断だ。
「クルタニカさんもいないようだけど?」
「あの人は昨日に事情を知ったから、ヴェインの計画を台無しにするような立ち回りはしないはずだ。ちゃんと決闘の時間には姿を現して、ガムリンの気を惹いてくれる」
「ああ、信じている……いや、嘘だ。ちょっと不安ではあるんだ。アベリアさんだったらアレウスの言うことには絶対に従うから……ああいや、それもなんだか悪い意味で言っているわけじゃないんだ」
「気にしなくていい。僕とアベリアの関係はヴェインの前ではずっとそうだったし。でも、この一年でアベリアも成長してくれている。だから今後は、彼女の自己判断も信じようとは思っているんだけど」
「なかなかそう思えるようにはならないかい?」
「一年間も行方知れずだったクセにな」
「はたから聞けば随分と虫の良い話だけど、男女の関係は結局のところどれだけお互いに歩み寄れるかだよ」
「……決闘前になんで僕の相談になっているんだ」
「それが俺たちのいつも通りだったから。だからかな、安心した」
「ああ、僕も」
こんな日常会話を再会してすぐにできるようになっている。きっとヴェインはもっとアレウスへの苛立ちを溜め込んでいる。一年間、音信不通だったことをきっと恨んでもいるし憎んでもいる。けれど彼はその感情を呑み込んで、アレウスを許そうとしているのだ。
「本当は広場まで護衛をしたいんだけど、それだと僕との繋がりを気取られてしまう。だから、気を付けてほしい」
「アレウスと過ごしてきた俺はそんなにも頼りなかったかい?」
「いいや、頼りないと思ったことなんて一度だってない」
「だろう? だから俺も君を、そして君たちを頼りにしている。一年前から、そしてこれからも」
ヴェインと固い握手を交わしてからアレウスは気配を消して宿舎をあとにする。吹き溜まり地区を出てからは技能を解いて、今度は感知の技能に集中する。ガムリンの気配は初見で覚えている。ただ、問題はガムリンの気配ではなく、ガムリンとの接触の痕跡を残している人物を特定することだ。
決闘の時間に至るまで、アレウスはずっと街中を歩き続けてガムリンの手の者が悪さをしていないか探ったが、どこにもそのような気配はなく、そして姿も見当たらなかった。逆に歩き回りすぎて、この街の悪い部分を見続けることになって気分が悪くなってしまった。
なんの成果もなかったが、広場に行く。そこには既にガラハもいて、クルタニカは決闘を見ることのできる広場の最前列にいる。上手い具合に良い場所を取ったようだ。
「どうだった?」
ガラハにそれとなく訊ねる。
「ヴェインに襲撃を掛けられるような連中はどこにもいないように見えたな。そっちは?」
「僕もだ」
「誘拐でもして、決闘の時間になっても現れないから不戦勝にするつもりかと思ったが」
「しっかりと時間通りにヴェインは来ているな」
決闘の場所がバートハミドの広場になったのは急遽の決定であるため。ガムリンが決闘の申し込まれた次の日を指定したために広場以外の場所を確保できなかったのだろう。なので決闘場としての機能はどこにもない。衆人環視の中で行われるために一応ながらの柵が設けられているが、この柵は仮設であるため、誰でも乗り越えられてしまう。
しかし、それなら逆に好都合だ。ヴェインの命を狙う者が人々の中に紛れ込んでいてもアレウスは感知し、誰よりも早くその者を捕らえる準備ができている。
ガムリンも時間通りに現れ、決闘の見届け人として手配された神官の言葉を聞いている。アレウスたちがいるところより向こう側――ガムリンが現れた側にエイミーの姿も見えた。いつぶりかは忘れたが、以前よりも痩せては見える。極端に痩せてはいないが、心労が体に現れ始めているのではないだろうか。
神官がこの決闘の意味を語る。エイミー・エルフロイトとの不義の婚約、またガムリンがこれまで行ってきた不正や女性への被害。逆にヴェインはガムリンへの不誠実な態度、無意味な決闘の申請。
ヴェインが勝てばエイミーを取り戻し、ガムリンは裁判を受けることになる。負ければヴェインは資産を取り上げられ、ヒッチヤード家の庇護下にあったカタラクシオ家の者たち共々、バートハミドを追放される。
神聖な言葉が連ねられ、二人がありがたい言葉を口にする。なにを喋っているのかはまるで分からない。恐らくは神への誓いを改めて行っているのだろう。
二人の前に杯が用意され、そこに酒が注がれる。目の前にある杯をお互いに交換する。
「まずいな」
ガラハが不安を口にする。
「決闘のしきたりを知らなかった。あの酒に毒が盛られていたらどうする?」
「盛るとしたら杯の方だろうな」
ヴェインがガムリンから受け取った杯は装飾が凝っていて、高級感を漂わせている。恐らくはガムリンの私物に違いない。そしてその杯でヴェインは酒を口に含んだ。
「どうする?」
「しばらく静観する。ヴェインの用意した舞台を台無しにはしたくない」
もし台無しにする場合は、本当にヴェインが負けそうなときだ。
「両者、構え」
ヴェインが薙刀ではなく鉄棍を構え、ガムリンは従者から剣を受け取り、鞘から抜き放つ。定められた間合いに立ち、その時を待つ。
「始め!!」
合図と同時にヴェインは強く地面を蹴り、素早くガムリンまでの距離を詰め切ると前方からではなく、すぐに真裏を取って鉄棍を振るう。それを辛うじて、あるいは奇跡的に剣で受け止めたガムリンは、剣を振り回しながら距離を取る。ヴェインが近付こうとすればなりふり構わず逃げて、逃げて、逃げ続ける。血沸き肉躍る決闘を期待していた衆人環視は罵り出し、更に笑い声まで聞こえ始めた。
「神に誓った戦いだ。神の前にそんな姿を晒すのか?」
「勝てばいい! 勝つためならば、どんなことでもする! 最終的に私が勝てるのなら!」
ヴェインの鉄棍を必死に捌いてはいるが、ガムリンの剣術には定まったものがない。誰にも教わらず、そして独力でも学んでいない。これまで剣というものを振るってこなかった者の振り方だ。
それでもヴェインは強気には出ず、様子を窺うように立ち回り、ガムリンが逃げ続けて十分ほどが経過する。
するとヴェインは唐突に動きを鈍らせ、立ち止まった。
「なにを……した?」
「ふ、ふふふ! ようやくか!」
ガムリンが不敵な笑みを浮かべる。その顔はヴェインが酒を飲んだときに一瞬だけ見せたものだ。ニタリとしていて、どこにも爽やかさのない、なにかを企んでいる笑み。そこに策が見事にハマったことの喜びが今は込められている。
「まさか……」
「睡眠薬を盛った。普段は女に使う物だが、仕方がない。砕き、粉にして、水と片栗粉と混ぜて杯に塗り込んだのだ」
「このようなこと……が、神の前で……」
「なにを言う? 杯の確認を取らなかったのは貴様のミスだ。だからこれは神にも胸を張れる行いだ」
そう言いつつガムリンは恐る恐る、ヴェインへと近付く。
ガラハが今にも飛び出しそうだったがアレウスは手でそれを制止する。
「このままだと」
「問題ない」
アレウスは言って、ヴェインの行動を待つ。
「私の勝ちだ!」
剣を力一杯振り上げて、振り下ろす。そのガムリンの一撃を軽々と鉄棍でヴェインは受け止める。
「なっ?!」
「まったく……睡眠薬か。驚くほどの愚策で呆れてくる。それとも、第三者の手がかかる決闘ではそれぐらいしか策を講じることができなかったのか」
剣を跳ね除け、ガムリンをヴェインは押し飛ばす。鈍った動きは元に戻り、それどころか決闘開始時よりも俊敏性が増している。
「なぜ、動ける?! 通常の数倍だぞ!?」
「神への信仰が、俺に降りかかる災いの全てを振り払ってくれる。俺はいつだって、そう信じている。
「どういうことだ?」
ガラハがアレウスに説明を求める。
「あまり口外しないでほしい。でないとヴェインは色んな意味で狙われる」
前提を語って、一呼吸置く。
「『純粋なる女神の祝福』。そのアーティファクトの効果で、ヴェインはあらゆる状態異常から守られる」
「本人は?」
「知らない。知らせていない。多分だけど、知らせたら効果が薄まる」
毒、睡眠薬、麻痺薬に至るまで彼の体は寄せ付けない。
「都合の良いアーティファクトだな」
「嫌いじゃないだろ?」
「そうだな。だったら、これまでオレと酒を飲んだときに酔っ払ったような姿を見せたのも演技か?」
「いや、害悪を成すかどうかだろうな。本人が酔いたいと思えば酔えるんじゃないか?」
「まぁ、素面であんな話をできるんなら、大したものだが」
「どんな話をしていたんだよ」
ともかく、ガラハは安堵の息を零した。
「どうした、ガムリン? 逃げないのか? 逃げ続けないのか? 言っておくけど、最初は様子見で立ち回らせてもらっていた。だからここからが俺の本気になる」
「ひっ!」
怯えるガムリンに容赦なくヴェインは仕掛け、鉄棍でひたすらに彼の剣を打つ。打とうと思えば体を打つことができる。だがそうしないのは、これまでの溜め込んでいたものを吐き出しているからだ。チクチクと少しずつ苦しめ、追い詰める。いつものヴェインらしくはないのだが、この日のために辛酸を舐め続けてきた彼の小さな復讐を止める者はいない。エイミーですらなにも言わないのだから、彼の行動を容認している。
剣が弾き飛ばされ、ヴェインの迫力に押されてガムリンが転んでしりもちをつく。そんな彼の真横の地面に鉄棍を強く打ち付ける。
「ま、待て」
「待てるものか。だが、もう勝負あっただろう」
ヴェインは神官へ目を向ける。
「勝負あ、」
「不正だ! この者は不正を働いた!! 私に毒を盛ったのだ!!」
神官の言葉を遮って、ガムリンが叫ぶ。
「体が重たい! 苦しい! い、息が続かない! い、今にも死んでしまいそうだ……! 苦しい! 誰か、助けてくれ!」
そんなことを言い出したガムリンにヴェインはただただ冷たい視線を向ける。そんな顔もできるのかとアレウスが思ってしまうほどだ。つまり、これまでアレウスたちへと向けたことのない表情をしている。
「そんなこと、」
「私を罠にハメるとは!! とことんまで卑怯な男だ!! こんな決闘は無効だ! 貴様の悪行は、これから白日の下へと晒されるだろう! あの杯が証拠だ! 従者よ、その証拠を押さえよ!」
ガムリンの世迷言に、仕方なくといった具合で従者が動き出すが、そんな従者よりも先に女が広場へと割り込んで、杯を手に取った。
昨日の夜にアレウスたちの前に現れた女だ。
「で、あれば」
女は酒を並々と杯に注ぎ入れる。
「私の口が、私の体が証拠となろう。民よ! 今より私がこの杯に注がれた酒を飲み干してみせよう! それも杯をゆっくりと回しながら! 毒の盛られていない部分に口を付けただけだと言われては参ってしまうだろう? それで私の体が毒に苦しむことがなければ、晴れてこの者の潔白は証明されよう! そう! ガムリン・ヒッチヤードの言葉が間違いであった証拠となる! しかし、私の体が毒に蝕まれれば! ガムリン・ヒッチヤードの主張が正しいものとなる!!」
「な、にをする! それはこれから私が!」
「いいや、私が――我が証明するに相応しい。我が名はオーディストラ! オーディストラ・ファ・クッスフォルテ!」
聴衆がざわめき、ガムリンが蒼褪め、ヴェインはためらいなくひざまずく。
「しかしながら、もしも毒など盛られていなければ……この唇、貴様の息子の唾液で犯された罪……高くつくぞ? リッチモンド殿」
そしてオーディストラの後ろから現れた男を見て、ガムリンはこの世の終わりとばかりに天を仰ぎ、身動き一つ取らなくなった。
「頭を下げなさい。皇女の御前でしてよ」
アレウスとガラハの元へと駆け寄ってきたクルタニカに促されて、三人揃って――それどころか聴衆全員が揃ってひざまずいていた。
そんなさなか、オーディストラはゆっくりと、杯を回しながらじっくりと、酒を飲み切った。
「神官よ。この身に毒が流れているように見えるか? 遅効性であるならば、聴衆には今しばらく待っていただく他ないだろうが」
「もうお許しください、オーディストラ皇女。あとのことは、この私が……リッチモンドが責任を持って、果たさせていただきます」
「その言葉に偽りはないか?」
「あろうはずもない」
そして決闘はヴェインの勝利で終幕を迎えた。




