特別な依頼
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「エイラさんからご依頼が来ています」
「魔物退治ならともかく、話し相手になってほしいとかだったら依頼を受ける前に断ってほしいんですが」
シンギングリンは無事に世界へと帰ってきたが、そこをまだ人の住める場所へと復興させるのには時間が掛かる。リブラが結果的に死を選んだことで、あの場所に蔓延っていたほとんどのゴーレムは動くことなく瓦礫へと還ったが、あの場所には人の怨念というものが強く残ってしまった。呪いを祓うために聖水を撒かなければならず、その浄化作業は以前にカプリースが起こした波濤の穢れを祓う作業よりも進みが遅い。シンギングリンが異界に呑まれてから一年も経つのだ。そこを拠点に活動していた冒険者も少なければ教会関係者も少なく、なにより神官の数がずっと少ない。もう帝国のあちこちに散らばってしまったシンギングリン出身者を集めることは難しい。クルタニカが呼び掛けたところで、きっと応じてくれる者もほとんどいない。
シンギングリンに残っている建物、及び家屋の管理は現状、自己責任となっている。とはいえ、あんなにも怨念や恨み、呪いが詰め込まれているような場所を盗賊が早々に根城にすることもなく、火事場泥棒よろしく貴族領の幽霊屋敷を荒らしているような輩もまだ出てきていない。機を待っているのだろう。全員の関心がシンギングリンから遠ざかるような、それぐらいの月日が経った頃にふらりと現れて、盗める物を盗んでいくという算段だ。
「屋敷を警護してくれという依頼であっても、期限を設けてもらわないと困りますし」
現在、一部の冒険者がシンギングリンに残り、露骨に犯罪を行っている者たちを取り締まっている。とはいえ、やはりあの場所に留まり続けることができるのは頭数が減ってしまった神官たちだ。屍霊術師はこういった際に適任なのだが、職業として適正のある者が限られている。幽霊を視認し、幽霊を救いたいと思っても、その幽霊たちを仲間にして共に戦う、または対話を行おうという気は起きにくいのだろう。神官たちが考えるべきは救済であり、現世に留まらせ続けることは苦痛であるという教えが一定以上、浸透しているからだ。だから仮拠点にも屍霊術師の姿は見当たらない。
「私を含め、アレウスさんたちが住んでいた家の維持管理についてなのですが」
興味なさげな返事をしていたアレウスだったが、その言葉で視線をすぐにリスティの方へと向けた。
「エイラさんが費用を工面すると申し出てくれています」
「へ、ぇ……その代わりに、なにを?」
「荷車や馬車を用いれば資金や資材の回収は今のところ難しくありません。エイラさんの母親も娘たってのお願いということで許可を得ているそうです」
リスティはアレウスに依頼内容が記された書面を見せる。
「ただ、場合によっては没落貴族になってしまいかねない状態でもある。当主である父親は、運悪くも貴族領における実験に使われてしまい、命を落としてしまいました。そのため、まだ母親は当主代理です。ここから当主になるためには書類上、また形式上の様々な問題を越えなければなりません。それができそうにない場合、最悪、資金の没収まで考えられます」
「そこまで?」
「エイラさんの父親は不動産でその地位を、その富を築き上げました。不動産は信頼性を重んじるだけに留まらず、投資においても地価を適切に見極めなければなりません。母親は父親の仕事を手伝うことが多かったそうですが、その手腕を真似することはすぐにはできないでしょう」
そうなると、あの家の維持管理費の工面してもらえるという話も遠ざかってしまう。
「つまり、財務や会計、経理のできる人を探しているんですね?」
「察しの速さは変わりませんね、さすがです」
「……でも、かなり信頼のおける人物じゃないと駄目なんじゃないですか? その手の仕事はどうしてもお金を見る仕事です。少しでも信頼できない人を雇ってしまうと、持ち逃げされてしまう可能性が」
「ええ。とはいえ、お二人ともそういった方々との面識はほとんどないのです。エイラさんの母親は引っ込み思案な性格も相まって、仕事を手伝うことはあっても面会に立ち会ったことはほとんどないそうです」
「それを僕が探した人で雇う? さすがにこの依頼は嘘じゃないですか?」
「確かに、嘘みたいな依頼ですね。アレウスさんにその手の話ができる方がいらっしゃるとは思えませんし」
自然と馬鹿にされたような気もするが、言っていることに間違いはない。ムシャクシャはしても反論されたら負けるので呑み込む。
「まぁ、そう難しいことではありませんよ。幸い、私の後輩が数人ほど手を挙げています。居場所を追跡できるようにロジックに書き加えることにも応じていますし、なによりギルドを運営する上で裏方の事務作業をしていても、機密情報を漏洩したことはありません」
「なら、僕が依頼を受ける理由はないんじゃ?」
「後輩たちを纏める人が足りません。数字に強く、人を纏める力を持ち、面会も代理で請け負えるようなたくましい人物が」
「……いや、それこそ僕には誰も思いつかないんですが」
「エイミーさんを憶えていらっしゃいますか?」
「ヴェインの許嫁でしょう? ……ああそういや、ヴェインは今どこに? 最初にここに来たとき、教えてくれそうになかったのだけは憶えていますけど、そろそろ教えてくれたっていいんじゃないですか?」
再び仲間になってくれとお願いしに行くのは心苦しいものがあるのだが、それでも頼むだけ頼み込んでみようと考えている。断られた場合、新しい仲間を探さなければならないが、それで彼を責めるという気にはならない。
やはり許嫁がいるのだから、危険な仕事をするべきではない。たとえ甦ることができるのだとしても、冒険者はいつだって死と隣り合わせだ。だったらもう家督を継いで、許嫁のエイミーと結婚して村での仕事に従事すべきではないだろうか。結婚でヴェインが婿入りするのか、エイミーが嫁入りするのか。その辺りの話は村で考え、その後は村を繁栄させることに心血を注げばいい。その方がエイミーも気が休まるはずだ。
「非常に言い出しにくいことなのですが……戦争が始まってすぐに、ヴェインさんの故郷では争乱が起きました。いわゆる戦争賛成派と反対派の争いです。帝国の兵士として戦地に赴くことこそが男児のすべきこと、いや、戦争中だからこそ村を守れるように留まり続け、体を鍛えるべきだ。そんな争いです。他にも色々と意見や混乱が多かったそうです」
「それで……?」
「エルフロイト家の息子――要するにエイミーさんの父親が凶刃に倒れました。そのショックで彼女の祖父も弱り切り、逝去することに……そうなると、分かりますね?」
「次の村長にどの家の代表が成るべきか。でも、エイミーさんは祖父の村長代理として会議に出ることも多かったんじゃ?」
「根強く残った家柄主義には、基本的に男尊女卑が存在します。村長が存命であったからお目こぼししていただけだ……そのように言われ、エイミーさんは家督を継ぎこそはしたものの、村をまとめる長としては認められなかったそうです」
リスティは唇を一度、強く噛み締める。
「引き金、だったのでしょう。そこから一気に村は衰えていき、合わせて戦争の余波によって資材のほとんどを徴収されるようになり、遂には放棄せざるを得なくなったそうです」
「……随分と詳しいんですね」
「はい。アレウスさんが来たら、お話しするようにとヴェインさんから頼まれていましたので」
「でもここに来たときは、」
「ヴェインさんたちの現状を伝えるわけにはいきませんでした。どうしても、シンギングリンの奪還。これが私たちにとって急務でしたので、黙っていました」
「そう……ですか」
「でも、それが果たされたのであれば話は別です。今、ヴェインさんたちはここから北上したところにある街に身を寄せています。首都に向かう馬車に乗れば二日も経てば見えてくるはずです」
「エイラからの依頼なのに、ヴェインやエイミーさんの名前が出てくるってことは……なんとかしなければならないのはヴェインではなくエイミーさんってことですか?」
「村を放棄したということは、どういうことか分かりますか?」
「取り決めが無いも同然になります」
「つまり、もうヴェインさんとエイミーさんは許嫁ではありません。ここに物凄く悪い噂しかない貴族が付け入っています。彼女をこの依頼で貴族から引き離すことで、ともかくも彼女の意にそぐわない決定を覆したいのです」
そこには同性だからこその、強い意志が見えた。
「ヴェインさんと会って、話を聞いてください」
「……許しては、くれないでしょうね」
「戦争の引き金を起こしたのはあなたではありません……が、今の状況を恨んでいるのならそのように頭の中で方程式を作っているかもしれません。殺されそうになれば、拘束も視野に入れてください」
「そこまでしてでも、エイミーさんを……? そんなに悪い奴なんですか、その貴族は」
「噂はついさっきエイラさんから聞いたんです。聞いたからこそ、緊急性が増しました。どうしてこっちを先にしなかったんだと悔いるほどです。エイラさんも貴族ですから、その手の人物が屋敷を訪れてきた際、立ち聞きしたり盗み聞きしたことがあるそうです。仕事とは関係ないことを言っている貴族連中ほど、よく憶えているみたいなので、その点ではエイラさんの記憶力があれば当分は彼女の家は安泰かもしれません」
「で、なんと?」
「その貴族は、他の貴族と話していたそうですよ。『気が強い女、強がる女を無理やり侍らせて調教したい』と」
「は? そんな古典的な悪意の塊みたいな貴族がいるんですか?」
「いるんだから仕方がありません。世の中には女性の奴隷を購入し、文字通り飼い殺すような輩も大勢います。なんだったら気に入った娼婦や男娼も買うような連中です。貴族という立場だからそうなるのか、それとも資金が豊富になってしまうと色欲に狂わされるのか。全ての貴族が相応しい生き様を送っているわけではなく、ごく一部のただただ醜悪な生き様を送っている輩もいます。お金の力で場合によっては問題を揉み消すことさえできてしまう」
「貴族に目を付けられるのはマズいのでは?」
「だとしても、そんな変態な貴族を放置できません。法的に裁けないなら、私的に裁くことも検討してください」
「かなり熱が入っています……ね」
アレウスは書類に自身の名前を記述する。インクで指を濡らし、リスティが書類に判を押す。
「間違いなく女の敵ですよ? 熱くならないわけがないでしょう」
もうテーブルに拳を叩き付けてしまいそうなほどに怒りを露わにしている。どうにもなだめられる自信がなかったため、アレウスは乾いた相槌だけを打って、やや彼女の怒気に怯えつつ外に出た。
「どこに行くか決まった?」
「えーっと、ここから北に馬車に乗って二日、くらいかな」
「そっか。それじゃ準備しなきゃ」
「今回はガラハと行こうと思うんだけど」
「なんで?」
「いや……ちょっと、アベリアを連れて行くのは、考えなきゃならないっぽいから」
変態貴族とアベリアを会わせたくない。個人的な理由であるが、変に彼女のトラウマを刺激しないか不安でもある。
「そんなに?」
「ああ。奴隷商人との繋がりはないと思うけど、割と人として終わっている奴を相手にしなきゃならないみたいだ」
「うーん……行きたいけど、アレウスがそこまで言うなら」
「離れたくないはずなのに、悪いな」
「離れないよ。心まで離れることはないから」
もしかしたらその言葉はアベリアではなくアレウスが言うべきだったのかもしれないが、そんな気の利いた言葉はすぐには出てこなかった。
「シンギングリンの浄化をクルタニカとやりつつ、気長に待ってる」
「頼む」
「でも、もう一年も待てないから」
「待たせないよ」
「約束だよ?」
「約束する」
アベリアの頭を撫でる。
「なんか、前とちょっと違う」
「違う?」
「前は下からだったけど、今は上から。アレウス、背が伸びたね」
「そういや、ずっと身長では負けてたな。でも、上からって言うけど、差がほとんどなくなっただけだぞ」
抜いているかもしれないが、それも指一本分ぐらいだ。少なくとも、上から撫でているわけではない。
「私からしたら、上からの気分」
「あんまり、撫でるのはよくないか?」
「ううん、すっごい心地良い。これからも、時間があったら撫でてほしい」
「え、ああ、うん。考えとく」
「会えなかった分だけ、ちゃんと撫でてね」
綺麗な笑顔を見せられ、アレウスは駄目になりそうだった。なんならもう駆け落ちのようにアベリアを引き連れて世界の果てに行って、世界が終わるその日まで慎ましやかに暮らせばいいのではと思うほどだ。
うずくまって、様々な感情を抑え込む。
幸福は、合間合間の小さなものでいい。とにかく今は、多くの不幸を覆すことを優先する。
そうは思っても、アベリアを滅茶苦茶にしてしまいたい欲望を抑え込むのは平静を装って立ち上がっても、しばらくの時間を要した。
-アレウス、ガラハが北へ出発後-
「………抜け駆け」
アベリアはベッドに変わり身とばかりに詰め込まれている枕の大群を見つめ、呟く。
「抜け駆け、抜け駆け抜け駆け抜け駆け!!」
彼女らしくない、とても感情のこもった声で枕の一つを掴み、ベッドに何度も何度も叩き付ける。
「浄化の仕事! 私に押し付けて抜け駆けはズルい!」
しかし、この方法を思い浮かばなかった自分自身を恨む。
駄目だと言われても付いて行けばよかった。別にアレウスの許可は必要ないのだ。アベリアは服従しているわけでも、束縛されているわけでもない。どこまでも自由の存在なのだから。
「アレウス~……クルタニカとなにかしたら、許さないぃ~!」
どういうわけか抜け駆けをした相手よりも、自身の想い人に対しての理不尽な怒りをアベリアは蓄えるのだった。




