回復を待つ
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「『天秤座』を討伐したと? それは本当か?」
「早馬にて報せがありました。星詠みの者たちからも話を聞いている限り、ほぼ間違いないかと」
「それは良かった。あのような前時代の遺物がいつまでも残っていては、帝国の大いなる繁栄の弊害になるところだった」
「なんの話をしておられるのですか?」
男とその部下の話に割り込むようにして厳かなる女性が訊ねる。しかしその表情には説明するまでもなく一切合切を知っているとでも言いたげな強い眼差しがあった。
「オーディストラ皇女……!」
驚き、そして二人はひざまずく。
「話を聞こうとするだけでひざまずかれてはやってはいられない。顔を上げよ。それとも、顔を上げられぬほどに知られたくないことでもあったか?」
「いえ、そのようなことは……」
「では、なんの話をしておられた?」
皇女の問いに二人の男は黙ったまま答えられない。
「答えられんのだな?」
「皇女様……どうか、お察しください。我らが語っていたことは帝国の暗部。華々しい世界に生き、帝国の象徴となるであろう皇女様には知らぬままでいた方がよいことなのです。このことは我々の方で全て処理いたします」
「そうか」
皇女は僅かばかりの同情の表情を見せるが、すぐに険しい表情を見せる。
「連れて行け」
皇女の後方に立っていた近衛兵が二人の男を掴み、拘束する。
「なにをなさるのです?!」
「『勇者顕現計画』。我が知らぬとでも思うたか? 『天秤座』の件は我の方にも届いておる。父上にまで報せが行くまで遅らせたのは、貴様たち『異端審問会』をあぶり出すために過ぎない」
「我らをあのような賊どもと仰られるのですか?!」
「違うかもしれない、或いはそうであるかもしれない」
「では、この拘束がもしも冤罪であったなら?!」
「疑わしきは罰せず。確かにこの言葉はとても重たい意味を持つ。しかしながら、疑わしい者たちを罰さずにいたせいで、帝国内部にまで腐り切った者たちが忍び込んでいる。だから我は貴様たちを罰する。疑わしいから罰する」
皇女は威圧するように男たちを睨み付ける。
「牢獄に落ち、我の前から消えろ。『異端審問会』及び『勇者顕現計画』に関わった者。それら全てを我はこの帝国から排除する」
「疑わしいからと誰もかれもを捕らえる。それは差別を生みますぞ!」
「差別も区別も行わなければ貴様たちは蔓延るだけだ。甘く見過ごし続けた結果、政策の穴を突かれて喰い物にされている。戦争に合わせ、情報流出のみならず技術流出、人口流出にも歯止めがかからない。ゆえに、時代に合わせて我は強硬策を取らねばならない。父上が成せないのであれば、我が成す。たとえ愚かと呼ばれようともな。だから手始めに皇族内部にまで取り入っている者たちから洗いざらい、整理する」
連行される男たちを見届けてから、皇女は深いため息をつく。
「……それにしても、異界獣を討てるほどの冒険者が現れるとは思わなんだ。シンギングリン……か、まだ帝国にも希望を抱かせてくれる街はあるということか」
*
目を覚ますと、アレウスはベッドの上だった。
「そのまま寝ていてください。気力も体力も、それどころか魔力すらもほぼ空っぽだったんですから。起き上がれるようになるのは最低でも夕方……場合によっては明日の朝でしょう」
隣でリスティの声がする。
「……アレウスさん? 私は、あなたに酷いことを言いました。もう『冒険者』などという職業に拘っていられるような状況ではなくなった、と。それどころか、あなたに手助けすることさえも迷った」
「僕も意固地になって歯向かったんですから、仕方がないことじゃないですか……?」
リスティの言うように体を動かすことさえ億劫なほどに重い。
「はっきり言って、私は出来ないと思っていました。シンギングリンを取り戻すことなど不可能だと。分かっていて、私はあなたたちを死地へと赴かせた。担当者として失格です……いえ、もう担当者という枠組みにすら私はいないのですが」
「冒険者は出来ないことを出来るようにする存在だと僕は聞いていますが」
「誰から?」
「『異界渡り』から」
実際には聞いていない。ただ、そんな風にヴェラルドはアレウスに示していたように思う。
「どんな人の生き様も、誰かの影響を受けて大きく形を変える。ですが、あなたほどに人生を変えた人はそうはいないでしょう。それほどまでに運命的だった……それほどまでに、あなたにとって冒険者とは、憧れとなった」
「変わったことを今更、後悔なんてしませんよ……」
普段から体を動かすことに不自由を感じていなかったために、こうして動けないことは大きな不安となる。本当に動けるようになるのか。そんな心配が頭をよぎる。
「あなたへ言ったこと、あなたに命じたこと。その数々の非礼を詫びます。私は、大勢のために個人を犠牲にしようとした」
「……それは誰への謝罪なんですか? 僕への謝罪だとしたら、それは違うと思います。謝るべき相手はエイラで、そしてジュリアンだと思います」
「だからエイラさんへは既に謝罪を終えています。ですがジュリアンさんに謝りに行こうと思ったら、既に出立していまして」
「出立?! どこに?!」
そこまで急に出発しなければならないことが彼にはあっただろうか。
「なんでも、修行に赴くと。アレウスさんに師事したかったそうなんですが、とある人からアドバイスを受けて、まずは魔法の修行を始めたいと」
「あー……僕は魔法については全然ですからね……」
魔力を得ても、アベリアのように魔法を使いこなせるようにはなっていない。
「……一年間、僕はなんにもできなかった。一年間、なんの連絡をすることもできなかった。それがもしかしたら、今回の原因になっているかもしれません」
「それは……さすがに自分を特別視しすぎでは? あなたがいらっしゃらなくても起こることは起こるし、あなたがいても起こったことは起こったことです。止められるとか阻止できたかもとか、そんな風に思うのはお門違いではないかと。大きな流れというのは必ず存在し、抗うことは難しい。あなたもまたその奔流に呑まれた一人の人間です。全ての責任を自分が背負う必要はありません」
「だったら、リスティさんも同じです。全ての責任が自分にあるような言い方はやめてください」
リスティはいつまでも切羽詰まったような息苦しい喋り方をしている。
「自分に課せられた宿命だとか、自身が責任を持たなければならないとか、そういうのは無しにしましょう」
「ですが、」
「僕たちは、冒険者と担当者。その関係をこれからも続けられるのなら、あとはなにも言うことはないはずです」
「ええ……間違いありません。けれど、私が担当者としてあなたを支えられるようになるには、まだもう少し時間が掛かります。シンギングリン近くのこの仮拠点に関しても、建設や食料といった部分を放り出すことはできません。そういった仕事の合間なら口を出すこともできるかもしれませんが」
「それなら無理に担当者としての仕事をしなくてもいいですよ」
「……いえ、個人的に。そう、個人的に……私は、アレウスさんを……ああいえ、アレウスさんたちを支えなければと思っていますから」
声に少しだけ元気さが戻っただろうか。相変わらず体は動かないため、表情は見えない。このまま動けるようになるまでベッドの上というのは退屈の限りだ。それでも動かないものは動かないのだ。諦めて、この退屈な時間が過ぎるのを待つしかない。
「動かないと言えば……これ、僕が尿意を催した場合はどうしたらいいんですか?」
「ああ、それは大丈夫です」
言ってリスティがアレウスに尿瓶を見せる。このときようやく彼女の表情を見ることができたのだが、信じられないほどに好奇心に満ち溢れていた。
「本気で言っています?」
「ええ、本気ですよ? それとも漏らしたいですか?」
「嫌ですよ」
「だったら、覚悟を決めましょうね」
アレウスは顔から血の気が引いて行くのを感じる。薄ら寒さがある。一種の恐怖にも似た感覚が背筋を凍らせているのかもしれない。
「アレウスー! まだ漏らしてはいないんでしてー?」
クルタニカがアレウスの世間的な評判を貶めるようなことを大声で言いながら部屋に入ってくる。その際、アレウスはリスティから静かな舌打ちを聞いた。
「もし漏らしそうになったらわたくしに言うんでしてよ。華麗に処置してさしあげましてよ」
「クルタニカさん? こういったことは私たちのような担当者の方が相応しいかと」
「……ああ、リスティはまだ見たことがないんでしたね。だからこの機会に見ようと」
なんの話だ?! なんの張り合いだ!?
アレウスは心の中で叫ぶ。
「別に男性のそれを見た見ていないは関係ありませんよ」
「でもアレウスのは見たいんでしょう?」
「そこまで下品なことは考えていません。私は彼の世話をしなければならないという義務感がありますから」
「……冗談はここまでにしましてよ」
急に我に返ったようにクルタニカは言う。
「ちょっと度が過ぎていましたわ。発言についてはどうか聞かなかったことにしていただきたいですわ」
「なんで突然真面目になるんですか。張り合った私が恥ずかしくなるじゃないですか」
喉の調子を整えるようにクルタニカは軽い咳払いをする。
「言っていて女としての気品を失いそうだと思っただけですわ」
「なら部屋に入る前から気付いてください」
そのあと「もう少しだったのに」とリスティが呟いたのをアレウスは聞いた。
「アベリアは?」
必然的に救いを求める人物について訊ねる。
「『御霊送り』の準備をしていましてよ」
「クルタニカさんもでしたよね?」
「わたくしは慣れていますから、ちょっとぐらい私用で抜け出しても問題ないんでしてよ」
「問題ある」
珍しい怒気の込められたアベリアの声がした。
「全部、私任せにされたら……疲れる!」
「あー……許してくださいませ」
「許さない。あと、アレウスの世話は私がする」
「別に世話云々の話はしていませんわ。重要なのは誰が彼が起き上がれるようになるまで下の世話をするかという話ですわ」
「やはりここは、手が空いている私が」
「わたくしはもう見ているから驚きはしませんわ」
「私がアレウスのことを一番よく知ってる」
「頼むから出て行ってくれないか……」
しかし、三人が出て行ったあとに催した場合、本当に漏らすことになってしまう。だったらガラハに頼むかとも思ったが、再会してすぐに下の世話をしてもらうのは気まずい以外のなにものでもない。もはや医師にでも頼んだ方が早そうなのだが、この仮拠点ではもっと重傷な冒険者が運び込まれているはずだ。そちらの世話をするのに手一杯な医師に、ただ尿意を催したからと呼び出すのは忍びない。
「もうこうなったら三人で、ならどうでしょう? 一々、主張し合っているのも時間の無駄ですので」
「それですわ」
「それが平等かも」
変な方向に話がまとまりつつある。
こんなことで悩んでいる暇なんてないのだ。アレウスはもっと異界獣との戦い方を学ばなければならない。魔物との戦い方の延長線上と思っていたが、そうじゃなかった。だから、今回のことで色々なことを知った上で、戦法を作り出さなければならない。
結局、勝てたのはリブラが根負けしたからだ。平等じゃない世界の醜さと、人間の果てしない粘り強さを見て、こんな戦いを続けるのは面倒臭いと手放した。もしも根負けしていなかったなら、今回のように勝てていたかは分からない。秤の片方を壊しても、まだリブラには策があったかもしれないのだから。
その策を壊したのがビスターの最期の反逆だったのかもしれないが、あれを勝利の要因として含めたくはない。
「まぁまずは見るところから慣れなければなりませんね」
「その通りですわ」
「うん」
徐々に迫る身の危険から現実逃避する。
一時の平穏。もしそうであるのなら、もう少しまともな平穏であってほしかった。
「頼むから出て行ってくれ」
二度目の切なる願いを伝えるが、彼女たちは部屋から出る気配は一向にない。
諦めるしかないのか。いや、まだどうにかして自身の恥を守る方法はあるはずだ。
こんな馬鹿らしい攻防戦に頭を使わなければならないことにアレウスは辟易した。
「誑かす気も、誑し込む気もないのに大変だな、お前は」
開け放たれていた部屋の扉の向こう側――廊下でガラハがアレウスに向かって呟いて、諦めろと言わんばかりの表情を浮かべながら逃げるようにその場から立ち去っていった。
♭
「『聖女』から『魔眼』を取り上げて、自分のものに……かぁ。そんな話、初めて聞くけど……まさか本当だったなんて」
倒れているリゾラに少女の声が響く。
「でも、自分のものでもない『魔眼』を手にしたら、さすがに抵抗が強いのかな。馴染むまでに時間がかかりそう。『魔眼収集家』ですら、取り込むのではなくてアーティファクトとして格納する方法を取っていたのに」
少女はゴーグルを外し、リゾラの顔を覗き込む。
「起き上がれますか、『魔の女』さん? 起き上がれないなら、このまま私が殺してあげますよ」
その瞳は星の形を宿していた。




