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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
419/705

大人になりたい

---


「泣かないで」

「どうか泣かないで」

「あなたは頑張った」

「あなたは努力した」


「「ただ少し、嫉妬してしまっただけ」」


「あなたが築いた道は」

「あなたの辿った道は」

「決して正しくはないけれど」

「決して無駄にはならない」


「「あなたがいたから、シンギングリンで冒険者たちは育った」」


「その事実から目を背けないで」

「その真実を自ら否定しないで」


「「あなたが、我らに手を差し伸べてくれたのは嘘じゃない」」


「あなたは優しい人」

「優しいから見捨てることができなかった」


「「我らを人間として扱ってくれた」」


「だから、地の底に行くのなら」

「この世のどこにも行けないのなら」


「「我らも共に堕ちるだけ」」


「泣かないで」

「どうか泣かないで」


「「『双子座』はずっと、あなたに微笑む」」


「本当に行っちゃうの?」

「そんな名残り惜しそうに言われたって、思いとどまったりしないからな」

 ジュリアンはエイラの寂しげな表情と言葉に負けまいと努力する。

「……母親はともかく、父親は救えなかった」

「仕方がない……でも、一人ぼっちじゃない」

「そうだよ。君はもう一人ぼっちじゃない。だから僕が毎日のように引きこもっていた君の部屋の前で挑発的な言葉を並べ立てて、君の神経を逆撫でするような言動を取らなくて済む」

 しばらくエイラを見つめ、しかし気まずくなってジュリアンは視線を逸らす。

「…………君が異界に堕ちたのは、その挑発的な言動を続けた結果だ。恨んでくれていい」

「恨まないよ」


「言葉じゃなんとでも言えるよ。ふとした瞬間に君は思うんだよ。あのとき、ああしていれば、あのとき、ああ言われなければ、って。そうすると、その諸悪の根源が僕であることに気付き、恨み、呪うだろう」

 現実で、あるいは夢の中で。エイラがジュリアンの言動を忘れることはできず、そしてその言葉に触発されて異界に堕ちてしまったことも忘れられない。記憶として残り続ける限り、いずれどこかで負の感情として爆発する。ジュリアンよりも幼い彼女の心に、あまりにも深い傷を残すことになった。その償いの仕方をジュリアンは知らないし、なにより償うためにエイラの傍でなにかをしていられるほど自身も余暇が与えられていない。

「君はこれから壁にぶつかる。金で買った貴族であっても貴族は貴族。母親も、そして君もね。必然的に当主は母親に、君は跡取りになる。すると、周囲の貴族はこぞって君たちに群がるだろう。シンギングリンが世界に戻ってきたってことは、君たちの邸宅にはまだ資金が残っている可能性があるからね」

「うん……」

「未亡人の母親に言い寄ってくる輩は出てくるだろう。再婚が君の人生の支えになるのならと考えることもあるかもしれない。けれど、そんな甘言に決して乗せられないように君が母親を守るんだ。母親が認め、君が見極めた人となら構わないと思うけど……こんな大事(だいじ)のあとには、結構な頻度でろくでもない輩が寄ってくる」


「だったら」

 エイラが一呼吸置く。

「だったらあなたが、私の傍にいてくれたっていいじゃない!」


「……それもちょっとだけ考えたけど…………それを許してしまうと僕は僕を許せない」

 異界に堕ちた原因を作った張本人が、どんな顔をしてエイラの傍にいられると言うのか。


 嫌いではない。好きでもない。けれど、なんとも想っていないわけでもない。むしろなにかしら想っているから傍にいられないなどと思うのだろう。


「なんで?! 私のこと、守ってくれても……いいでしょ?」


「僕たちはまだまだ子供で、将来のことなんてなんにも分かっていなくて、そのときそのときに出てきた言葉と勢いと感情で物事を決めて……でも、大人になったとき、それは驚く形で足を引っ張ることがあるんだ。自分の最高に幸せな人生の、大きな大きな足枷になることがある。いや、君と大して年齢の変わらない僕がこんなことを言うのも変なんだけどさ……一年で生きてきた世界は一気に変わることを君も知っただろう?」

 エイラは肯く。

「人生の決断とも言える瞬間は僕たちにはまだ早いんだよ。だから」

 なぜかジュリアンは言い淀む。どういうわけか“照れ”が思考から抜けない。

「大人に……君が、あるいは僕が大人になったと言えるようになったときに、それでもまだ気持ちに揺らぎがなかったなら……そのときは、僕が、もしかしたら君が、真剣に考えていかないか?」


「……なによ、それ? 私のこと、なんだと思っているのよ」

「分からない。分からないから僕はそう言うことしかできない」

「……分かった。でも、覚悟しておきなさいよ。私が大人になったとき、気持ちに揺らぎがなかったら、あなたには有無を言わさず傍にいることを命じてやるんだから! 拒否する権利なんて、あげないんだから!」

「ああ、怖ろしい話だ。だからいつも頭の片隅に置いておくことができる」


 ジュリアンはエイラの伸ばしてきた手を握り、それからなぜだか不意に湧いてきた感情に流されるままに彼女を抱き寄せる。


 か細く、弱く、薄く、温かい。彼女の抱き心地は、二人の間にある絆という名の糸のようだ。ほんの些細なことで容易く切れる。しかし、切れずに残り続ければ決して切れない強い糸となる。


「ジュリアンはどこに行くの?」

「修行だよ。今のまんまじゃ駄目なんだ」

 体を離し、応える。

「リブラを倒してすぐあとに動けるようになったアレウスさんが言っていたんだよ。『欲しいのは、こんな苦々しい勝利じゃない。誰にも文句を言わせない快勝だ』って。『強くなりたい。もっと強く、どんな奴らも黙らせることができるくらいに強く。一年経ってもまだ僕は弱いままだ。泥臭くても勝ったと言い張れる戦いがしたい』って。僕から見たら信じられないくらいに強いのに、あの人はまだ未熟だと思っている」

 感化されたのかもしれない。同時に、自分の魔法の本質に気付けたことも大きいのかもしれない。

「だから僕は修行を、教えを請いに行く。異界で僕を助けてくれた人に教えてもらった場所に行って、そこにいる人に師事しようと思っている」

「だったら、ちゃんと帰ってくるんだね?」

「どうだろ……結局、僕は冒険者になりたくて……帰ることもできないくらい多忙にはならないだろうけど、帰ることができないかも、」


「帰ってきて!」


「……言ってみただけだよ。長々と話したけど、そんな長居するつもりなんてないんだ。僕が冒険者として働きたいのはシンギングリンなんだ。まだまだ復興はかかるだろうから、当分はここに仮のギルドができるだろうし……君がそのとき、どこにいるかは、」

「離れるときにちゃんとギルドの人に伝えておくから! 絶対に私を見つけて!」

「ああ、怖い怖い。こんな風に言われたら、もうそうすることしかできないじゃないか」


 強がりを、バカバカしいほどに分かりやすく言い張って、いい加減にこのままだと別れることすらできないと思ってジュリアンはエイラに背を向けて歩き出す。


「……ジュリアン!! あなたのこと、最初は本当の本当に大嫌いだったけど今は――!!」


 背中に向けて発せられた言葉がジュリアンの中で意味を成すようになるには、まだ時間が掛かる。

///


「一際強く発せられた星は、そのまま燃え尽きるように流れていった。落星(らくせい)したのを見るのは久方振りだな」

 星詠みの望遠鏡で観察しながら男は呟く。

「けれど同時に、聖人の星も幾つか落ちた。何人の教会関係者が命を落としたのだろう。それぐらい熾烈な争いだったのか……それにしては、邪な聖人の星はちっとも落ちていない。これはとても厄介だ。けれどもっと厄介なのは、この凶星(きょうせい)。あまりにも存在が強すぎる。どうにかして吉星(きっせい)に転じさせることはできないものか。怖ろしいことに、凶星に近付こうとする『聖痕』の星も見え隠れしている」

 呟き、観察を終えて男は望遠鏡を片付け始める。

「とはいえ、そろそろ部屋の片付けをしなければならないな。なんとか来客がこの家を訪れる前に……できるかどうかは知らないけれど」

 足元にあるゴミや書類の残骸を蹴飛ばしながら男はテーブルに星詠みで見たことを大きな紙に書き記していく。

「愛弟子の紹介状を携えて訪れる君は、いかほどの実力者か」

 ほくそ笑む。

「『至高』に触れることに、怯えなければいいけれど」

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