高尚な価値観であっても
尊敬の念を抱くだけ無駄だった。なにか解放する手立てはないだろうかと考えるのも無駄だった。こんな男を敬う気持ちを抱いてしまったのが運の尽き。ただただ残念で、虚しく、目の前から消えてくれという思いだけがアレウスを突き動かす。
ビスターへの感情はもう無い。争うことへの抵抗感は薄れてしまい、このままでは消えてしまいそうだ。
冷酷に残酷に、無感情のまま、アレウスはビスターの剣戟を捌いていく。
恐らくだが、心が制止しなくなった。だからビスターの凄まじいまでに鍛え上げられた剣戟を目視できており、適切に捌けている。それどころか体術に入るタイミングさえも読み取り、体を逸らすことさえできるようになった。人間から躊躇いを消し去ると、命の取り合いをしておきながらここまで冷静に、己の体を傷付けるであろうなにもかもを“見る”ことができてしまう。
まだビスターが善人の意思を持っていたならば、ここまでは至っていない。逆に言えば、悪人であると判断したからこそアレウスはここまで至れた。
気配も音も無い、位置の転換。さながら肉体の分解と再構築。錬金術師ならではの瞬間移動さえも、極限の精神力であれば看破できる。
大前提として、“人は音も無く、突然に姿を現すことはできない”。気配消しの技能でさえ、高め切って常に機能する状態になったとしても感知できる者は感知してくる。それこそクリュプトンのように、そしてイプロシアのように。『影踏』を見ないようで見ることが彼女たちはできていた。つまり、位置転換が技能である限り、同じように見ないようで見ることができるはずなのだ。その本質を見れば、ビスターの音も無く、瞬間移動のようにして別の方向から現れてからの襲撃にすら間に合わせられる。
「私を捉えていると言うのか」
足元にビスターが小瓶を落とす――のを阻止するようにアレウスはその小瓶を片手で掴み、遠くに投げる。
今のはこの男の甘えだ。アレウスならば動作さえ見せなければ近距離でも小瓶を落とすことができると思ったのだろう。アレウスからしてみれば、逆にそれがわざとらしい動きに見えて、距離を詰め切って短剣と剣を重ね合わせた直後に腕を伸ばして小瓶を掴めてしまった。
「“死”を見てから、なにを得た?」
「死んだって、なんにも得られない」
「嘘を言うな! “最悪なる死”を受けてから、明らかに貴様の動きは変わった!」
「死んで得られるものがあるのなら、誰だって死に抗うことはしない! 『死にたくない』と心の底から叫ばない!」
「違うな! それは持っている者が言う台詞だ! 持っていない者は、心の底から『死にたい』と願いながら生き足掻くしかないのだ!」
「生き足掻いているのなら死んでいないのと同義だ!」
「違う! 生き足掻いているのは、生きているんじゃない。生きているように自分自身を誤魔化しているだけだ!」
「それでも生きている!」
「死んでいるに同義だ! だから私は、平等を求める! 持っている者も持っていない者も平等に死を味わう! でなければ卑怯だろう?! 持っている者だけが、死なずに生き続けることができるのは!!」
ビスターが跳ねる。アレウスが退く。投げて割った小瓶から生命体が飛び出し、悲鳴にも似た雄叫びを上げながら男に纏わり付き、鞭となって辺りを打ち鳴らす。
「卑怯なものか! 生きたいと願って、必死に生き続けるために、努力をして、」
「ならば『死にたい』と思っている者は努力していないとでも言うのか?! 持っている者はいつだってそうだな! いつだって上から目線で、物事を下から見ようとはせず! 頭ごなしに説教をしようとする!」
鞭を避けた先にビスターが蹴りを構えている。炎を着火させて無理やり退いた先から軌道を変えてどちらも回避しするが、男が一気に肉薄する。
「くだらない。成功者の声は、私のような中途半端な人間にとっては反吐が出るほどの綺麗事だ!」
「成功か失敗かなんて、」
「『その時にはまだ分からない。だから挑戦し、努力し、前に進むべきだ』。正論はもう聞き飽きた。持っている者の言葉と持っていない者の言葉。それを比較している時点で、貴様たちは私たちを下に見ている。そもそも、“持っている”とはなんだ? “持っていない”とはなんだ? 貴様たちは平等に私たちに機会も、力も、なにもかもを分け与えてはくれない。結局は環境が全てを決める」
常に自己評価の低いアレウスですら引いてしまうほどの卑屈さに、言葉も出ない。それどころか卑屈な言葉を吐き散らすビスターは先ほどのような甘えた行動を取らなくなった。つまり、集中力が上がっている。
「だから私は平等にする。全てを、一定に保つ。保ち続ける。そこには成功も失敗もなく、生き死にもない。持っている者も持っていない者も上がらず、下がらず、上がり続けず、下がり続けない。永遠なる同じ日々の繰り返しこそが、永遠なる平等を可能にする! 秤は常に、平行を取る!」
「それが自由だと?!」
「平等でなければ自由もない!!」
鞭を弾き、蹴りを避け、剣戟を防ぐ。巻き起こす炎はビスターを捉えられてはいないが逃げる方向を一つ潰し、下がるようならば距離を詰める。恐らく、距離を取ろうとするのは悪手だ。反射的に距離を置こうとしてしまうが、むしろこの男の戦い方から見て距離は詰めるべきで、詰めた先での読み合いに制する方がまだ切り口が見える。さっきまで退くことも前提で動いていたが、今はただひたすらに前傾姿勢。前のめりに向かうことだけを考える。距離を置けば、小瓶、生命体の鞭、体術、剣術といった様々な手段を、ほぼ一つの動作として怒涛のごとく攻め立ててくる。それらを捌き切ればこの男はまた距離を置こうとするだろう。恐らくだが、それがビスターのアレウス対策なのだ。これがアベリアやクルタニカであれば、また戦い方を変えてくるだろうが、とにかくほぼ近接戦闘でしかビスターへの攻撃手段を持っていないアレウスには、怒涛の攻めと距離の管理。これを一貫して通す気であるはずだ。
心に乱れはない。ビスターの世迷言には付き合わない。なにせ相手もアレウスの言葉を世迷言と吐き捨てているのだ。こちらが相手の言葉を真摯に受け止める理由はその時点で消失している。
鞭が来る。跳躍してかわし、アレウスに向かって投げ付けられた小瓶を空中で体を捻ってかわす。だがそれを割るようにしてビスターが金属の破片を投擲し、割れた背後から液体が降ってくる。
絶対に触れてはならない。足元で割らないのなら生命体ではない。そして身近で小瓶を落としたわけでもないのなら、液体は劇薬に違いない。だから液体へ炎を発射して、これを阻む。すぐにビスターへと視線を向けたが、その姿はない。
であれば位置の転換だ。
「っ!」
驚いた顔をしている。同時に、位置転換を行ったにも関わらずアレウスが合わせてきたことに強い嫌悪感もまた示している。
「なぜ、だ!」
振り切るはずだった剣はアレウスの短剣が弾く。反撃に転じて、ビスターに攻めさせるのではなく防御することを意識させる。
「どうして私が位置替えした場所を特定した?!」
「ずっと、自分から死角を作っておいたから」
アレウスは剣戟の果てでビスターの腹部を前蹴りする。空いた距離はすぐさま詰める。
「まさか今までの立ち回りが僕の全てだと思っていたんじゃないだろうな?」
全力は出していない。『火天の牙』は放ったが、それ以外での貸し与えられた力は最小限に留め、気配消しを行いつつも足運びは慎重にして、気取らせられるギリギリを攻めた。そして『盗歩』も、まだ見せていない。
「わざと作っていた、だと!?」
「位置転換のカラクリは分からない。分からない以上は、攻めやすい方向を用意して、そこを位置転換と同時に向いて防ぐ。一回限りかもしれないが、この一回限りが攻勢に転じるチャンスに変わる」
ヴェラルドから譲り受けた短剣はそのままに、もう一方の手に粗製の短剣を携える。
二刀流。鎗だけは最後まで扱い切れなかったが、剣と短弓も使えるよう自身を鍛え、その次の段階としてそれぞれの手で短剣を握って振るう戦い方を会得するべく努力していた。だからこそ利き手ではない方で短剣を握って戦ったこともあった。全ては『オーガの右腕』を有効に使うためだ。
『オーガの右腕』による筋力ボーナスは相手の防御姿勢を崩すという点では大きな要因になりうる。しかし、この筋力ボーナスを防御を崩すためだけに用いるのはあまりにも勿体ない。
求められるのは、左手で防御を崩し、右手で仕留めに行くこと。これならば己の筋力を越えた力で魔物を武器で倒し切ることができる。オークの肥えた肉体が持つ贅肉も、オーガの鍛えられ過ぎた胸筋や腹筋も貫ける。無論、振るうのが短剣であるのなら狙うべき急所は肉が薄く、血管を切り裂きやすい部位であることが望ましいが、そこを狙えなかった場合の対処方法は用意しておかなければならない。
だから最小の力で防御を越え、最大の力で仕留める。
そのための二刀流だ。ただの格好付けのためだけに握ろうと思ったわけではない。
呼吸を整え、いつもの身のこなしを思い出しつつ、ビスターの動きの一つも見落とさないように睨み付けながらアレウスは炎を纏いながら左右の短剣で断続的に剣戟を繰り出す。ただ左右を交互に用いるのではなく、男が避ける方向に合わせて足の向きを変え、左右の短剣による剣戟の比重を変える。
左は軽く素早く、右は重く鋭く。筋力ボーナスが引き起こす剣戟の差異によって、ビスターを惑わす。軽い衝撃と重い衝撃。どちらにも同じ防御を続けていれば、思いがけない隙が生まれる。
適切に捌けない防御は防御ではない。完璧は求めない。隙にならない適応力。アレウスがどれだけ頑張って、手に入れたくても入れられないもの。それをこの男もまた持ち合わせてはいなかった。
これは気配消しや位置転換といった技能を持つがゆえの落とし穴だ。これらの技能は戦闘においては、“魔物の攻撃を受けない”ように習得する。よって、奇襲する職業、後方支援に徹する職業が持つべき技能になる。とはいえアレウスは中衛から前衛にも出なければならないパーティ編成であったため、防御の意識は高い。
だが、ビスターは元がどのような職業だったかは不明だが、今は錬金術師という研究職である。当然、その職業は前衛や中衛ではなく後衛に当たる。守られる側にいる者は、この防御を疎かにしやすい。だから前衛が崩れたパーティは全滅しやすい。
ビスターは確かに前衛にも等しい圧倒的な剣術を持っている。それどころか戦士の『勝鬨』の技能によって、何者も寄せ付けない力すら一時的に得られる。だが、それらがあったとしても、結局は防ぐ手立てを他者に任せていたのなら、アレウスと同様に完璧な防御を有していない。
だからこその位置の転換だ。だからこその生命体や道具による補助だ。それらで誤魔化すことで、防御の求められない回避性能を持つ。
だったら、回避できないほどに挑むまで。怒涛に攻められるのなら、怒涛に攻め返すまで。アレウスの気迫のこもった剣戟の数々に、ビスターは防戦一方にならざるを得ない。
「貴様は平等も自由もいらないと言うのだな?!」
強く、アレウスを睨みながらビスターが叫ぶ。
「平等がもたらす世界は、恨みも妬みもしない世界であるというのに!」
「あなたの言う平等は、『妥協』の平等だ。誰もに発展性を与えず、『その環境、その生き方に妥協しろ』と言っている。『その環境で死んでいけ』と言っているだけの平等だ」
「環境を変えない限り、死は平等だ」
「たとえ死が平等であったとしても!」
アレウスは前のめりに攻め続ける。
「生き様までもが平等であってたまるか!」
生き方も人生もなにもかも、平等ではない。不平等だ。産まれてから今まで、一度も全ての人と平等になにかで苦しみ続けてきたことはない。
だが不平等な出会いを与えてくれたからアレウスはヴェラルドとナルシェに救われた。不平等な居場所で、アベリアに出会えた。
その出会いが、アレウスに不平等な世界での歩む力をくれた。
不平等だからアレウスたちは冒険者のテストを越えて、不平等ゆえの理不尽を学び、不平等ゆえの種族間の問題を知ることができた。
数え切れない不平等が、アレウスの今を作っている。身の丈に合わない出会い、身の丈に合わない理不尽、身の丈に合わない問題。そう、不平等とは決してマイナスなことを指し示しているわけではない。そこで得た知識は確実にアレウスに経験を与え、成長させてくれた。
「僕は選ばれた人間ではないけれど、選んでもらった人間ではあるんだ」
ヴェラルドとナルシェが助け出すと決めてくれたから、命を懸けてくれたから、アレウスは立っている。
「その不平等を僕は、誰にも奪われたくなんてない!」
火炎が渦を巻き、生命体すら寄せ付けず、アレウスの剣戟は連撃となってビスターを押し切る。位置転換でビスターが目の前から消える。だがアレウスは転換した先を予測して短剣を振り、男の体を袈裟に切り裂く。
「平等は聞こえの良い言葉だ。誰もが求める言葉だ。でも、世界の構造上……誰もが語りたくなる真の平等には辿り着くことができない。結局、聞こえの良い言葉で人々に安寧を与えるためだけに、用いられるだけ」
「私の語る平等は、夢幻と言いたいのか……」
「真の平等に辿り着きたいなら、誰もがあなたのような境地に立たなければならない。でもそれは、不可能だ」
「この世界が、不平等で成り立っているから……か?」
ビスターがうつ伏せに倒れた。
「まだだ! アレウス!」
エルヴァが叫び、アレウスは再び気を引き締める。
「そいつはリブラの尖兵だ。尖兵は死んだって甦りかねない! 根源を叩け! そいつがリブラの力で起き上がる前に!」
アレウスはリブラを見上げる。
「僕だけじゃ、」
「わたくしたちをお忘れになられては困るんでしてよ!」
「あんな“死に方”、私は絶対に受け入れないから……」
上空でクルタニカが、地上でアベリアが意識を取り戻して声を発する。
「あなた方だけではありません」
街の外へとリスティが元冒険者たちを引き連れて走ってくる。
「見せられた“死”などに、私たちは決して屈しません……ええ、救えなかった者がいたとしても、です!」
その言い方だと、街の人々の何人かは“最悪なる死”を享受してしまった者がいるようだ。
「僕にできることはありますか? 足手纏いになるようなら切り捨ててくれて構いません。でも、見ているだけなんてできませんから」
疲労困憊のジュリアンも戻ってきている。
「“総員、戦闘準備”!」
エルヴァが『指揮』を行使する。
「“勇気を抱いて進め”!!」
彼の負担を軽減するためにリスティもまた高らかに『指揮』を行使する。
「「“その手に勝利を掴め……突撃せよ”!!」」




