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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
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輪廻へと飛ばす

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 人間は一人では生きられない。人間は孤独で生きられるようにはできていない。だから家族以外の人のことを、知らない誰かのことを自然と好きになるようにできている。そのように小学校の国語の先生は言っていた……気がする。それが同性であろうと異性であろうと、好きになることは決して悪いことではないとも言っていたように思う。

 きわめて曖昧なことばかりが記憶から甦ってくるが、そのときの僕はその言葉に感銘でも受けたのだろう。でなければ、こんなことを一々、憶えてなんていられない。それに、小学校を卒業してからも国語の先生の名前は唯一、フルネームで憶えている。それはきっと、僕がその先生に対して好意的な感情を抱いていたからだと思う。


 でも現実というのは、先生が言っていたように単純な構造にはなっていないらしい。僕が人を好きになろうと努力しても、あんまり上手く行かないから。人助けの気持ちや、関わる際に少しでも相手の気持ちを慮ろうとすると、やんわりと拒絶される。

 優しい言葉をかける。確かに僕は、仲良くなりたいという気持ちを隠すために、優しく接しなければと思ってしまう。それはきっと、好きになることが良いことだけじゃなく、悪いことも含んでいるって高校生になってからなんとなく分かってしまったからだ。特に好きになる対象――僕の場合はたまたま、或いは偶然、もしくは環境が、そして自分の性自認が男だから、仲良くなりたいという気持ちが前に出過ぎるのはいつも決まって女の子に対してだ。

 つまり、異性と仲良くなりたいという気持ちには下心が混じる。それは思っていた以上に相手に気取られやすく、嫌われやすい。だったら優しさで、自分を塗り固めたくなる……というか、塗り固めるようになった。そうやって塗り固めなきゃ、下心であろうと心を守れないから。要は保身でしかない。けれど、そうやって努めていたって優しいだけじゃ女の子とは自然と話せるようになったり、仲良くなったりするのは難しく、むしろ下心も混ざった本心で接している奴らの方が上手い具合に女の子と話をすることに馴染んでいる。

 不思議なものだよな。人を大切にしなさそうな奴らほど、なんか女の子と話すのを自然にやってのける。


 そういうのを見てしまうと、もう面倒臭くなってしまった。だったらもう、仲良くなろうとするのなんてやめたらいいじゃないか、と。主体的にではなく受動的になってしまえばいい。自分から話しかけるのではなく、自分に話しかけてくれる人と仲良くなればいい。波長が合う男友達と親交を深めるだけでいい。それに、異性に好感触を持ってもらいたいとばかりに優しくするのは、自己中心的だしナルシストが入っているような気がして酷く気分も悪い。

 自分から仲良くなりにいかずに相手から仲良くしてほしいという欲望にさえ応えていれば、無理して取り繕う必要もない。


 でも、神藤理空(りぞら)とは無理やり優しく接してでも仲良くなりたかった。好きになることが悪いことでないのなら、恐らくだけど僕は神藤理空のことを好きになろうとしていた。だから優しくするだけで、なんとかして気を惹こうとした。


 結局、お見通しで、キツいことを言われて二日休んで、それから二週間は凹むくらいには傷付いた。だけど、それで恨むとか、嫌いになるとかはなかった。そりゃ最初はムカついて、腹立たしくって、家では枕に当たり散らしたりしたけれど、一日中ベッドの中で眠っていたら感情が整理されて落ち着いた。

 見抜かれたことを悔しく思う気持ち以上に、見抜かれて良かったと思うようになった。だって、もしも見抜かれずに神藤と接し続けていたら、それって結局、ずっと優しさで取り繕い続けることになる。ずっと嘘をつき続けることになる。


 それである日突然、溜め込んでいたものが我慢できなくなってしまって彼女に欲望をぶち撒ける、なんてこともあったかもしれない。女とヤることしか考えていない連中と大差ないことになってしまっていたかもしれない。それが未然に防げたのならむしろありがたいことだ。


 だけど、あの日に彼女を守るために優しくしたことは悪かったとは思っていない。そこで声を掛けていなければ、僕は激しく後悔し彼女は深い心の傷を負うことになっていたはずだから。


 キツいことを言われてからは諦めの境地に入った。「これから、たまに話をしてもいい?」と言ってきたのはあっちだったのに、それで期待したら拒絶されたんだから諦める以外にないだろう。

 でも、それはそれで心地が良かった。なにせもう取り繕わなくて済むようになったから。キツいことを言ってきたクセに神藤は僕に普通に話しかけてきて、二、三回は無視するような態度を取ったけど、そのあとは無視したことを謝りつつなんにも考えずに話せるようになった。

 下心がなかったと言えば嘘になるけれど、神藤は普通に話せるようになった僕に「ちょっとマシになった」と言ってくれた。

 正直、そうやって、諦めた僕に妙な可能性を感じさせるのはやめてほしかった。男というのは、ちょっとでも優しくされると好きになる。それっぽいことを言われると気があるんじゃないかと思い込み、思い悩む。僕にはこれっぽっちも可能性なんてないのに、まだあるんじゃないかと混乱してしまう。虚しいことに、諦めていても“ひょっとして”を期待するのが男なのだ。

 多分だけど、彼女は僕を試したんだ。気のあるようなことを言って、また僕が優しく接したからという理由だけで彼女に対価を求めるような態度を示さないかどうか、って。数度の返事のあとに彼女は納得したような顔をして、それからまた僕と彼女の密やかな関わりは続いた。


 密やかと言えば聞こえはいいけれど、逆に言えば表立って仲良くすることはないという宣言だ。

 友達以上恋人未満なんて言葉がよくあるけれど、僕なんかは彼女からしてみれば顔見知り以上友達未満だったと思う。


「〇〇、神藤とたまに話していることがあったよな?」

「あったけど、仲が良かったわけじゃないよ」

「つっても、神藤は気難しい奴だっただろ」

「僕ほどじゃない」

「なんつーか、俺たちよりも一つ上の位置にいるみたいな感じだったんだよな。美人だけど庶民的みたいな」

「いや……よく分かんない」

「あんま美人っぽい振る舞い方じゃないっつーか。ああいう奴って基本、イケメンと付き合っていて俺たちみたいな陰キャを虐め倒すイメージあったんだけど、誰とも付き合わねぇし、すっげぇくらい女子グループ全体と仲良かったし」

「女の子は誰も歯向かえなかっただけだろ。楯突いたら、虐められるとかそんな」

「でも陰口ですら聞いたことなかったな。それぐらい言論統制が進んでいたってんなら、それまでだけど」

 神藤は割と上手く立ち回っていたと思う。僕が見聞きしていた範囲でしか彼女のことなんて知らないけれど、少なくとも悪い噂は聞いたことがなかった。逆に神藤の話題を出す輩が悪目立ちするぐらいだ。


 誰も触れられない存在みたいな。高校卒業までにタレントやモデルの事務所にスカウトされて、芸能人としてテレビで見ることになるんだろうなと思っていたくらいだ。ああでも、性格は口調の割にキツいとは言われていたか。でも、僕が話した印象だと“同い年の女の子なんだな”という感想しかなかったけれど。


「人生ってなにが起こるか分かんないな」

「〇〇?」

「僕たちみたいな、いわゆる彼女にとっての脇役がなんだかんだで生きていて、主役みたいな彼女が死ぬんだから」

「……まぁ、言わんとしていることは分からないでもない」

「助けを求めた方が助かって、助けに入った側が死んで……それって正しいのか?」

「正しいか正しくないかは置いといて、助けを求められたら助けるべきだろ」

「分かってる。でもさ……いや、違う。そうじゃない。御免、ちょっと僕は……心の整理が付いていないのかもしれない」


 救った命と、救うために散った命。そのどっちがより価値があったか。

 彼女が死ぬくらいなら、助けを求めた方が死んでほしかった。そんなこと、友達にだって言っちゃいけない。モラル的にも最低で最悪だ。


「通夜に行くと、現実味が増すもんな」

「……僕が誘ったのに、僕が取り乱してしまって御免」

「仕方がないだろ。俺より〇〇の方が話すことが多かったんだから。俺にとっては全く関わりのない余所のクラスの有名な女の子だけど、〇〇にとっては違うだろ」


 そうだ、彼女は僕にとって……かけがえのない、命だった。


――違う。


「〇〇?」


――死んだのは私じゃない。


 頭の中で、とても懐かしみのある声が響いた。


「……これは、なんの夢だ?」


――この記憶は、私のものでもなければ〇〇君のものでもない。一体、誰の記憶?


「お前は……誰だ?」

 脳内に響く声を頼りに、自分を取り戻していく。

「……人の記憶に土足で踏み入っておいて、その言い草はないだろう」

 友達の顔の形が、いや体格、骨格、筋肉、ありとあらゆるものが変わっていく。


――こんな記憶を見たところで、彼には関係がないでしょう?


「大いに関係がある。しかし、俺が見せたくて見せているわけでもない」

 辺り一帯が黒一色に染まる。

「輪廻に飛ばされた精神が、因果のある俺の記憶へと導かれたのだろうな」


――待ちなさい、あなたは一体、


「失せろ。『魔の女』ごと、出て行け。俺の記憶をお前たちに荒らされたくはない」

「僕は、」


「輪廻の中で俺たちの記憶は混ざり合っている。俺とお前が、因果の異なる『産まれ直し』であるがゆえに、だろうな。だから、俺とお前は世界に嫌われていて、俺とお前は世界から消えなければならない」



////////////////////////////////////////////////



 目を見開いた瞬間、そこにはアレウスの胸元へ静かに剣の切っ先を沈めようとしていたビスターの姿があった。アレウスは手を伸ばし、ビスターの剣を握っている手を掴み、阻む。

「こんなにも……早く“死”から戻ってきた、と言うのか?!」

「僕たちに……なにをした!」

 アレウスは腕に力を込め、動揺しているビスターを払い、そして突き飛ばした。空いた距離を更に開くために後方へと跳ねる。

「『即死』の魔法だ」

 エルヴァの掠れた声が聞こえる。

「ただ、詠唱と魔法の発動によって外的な損傷を与えずに心臓の動きを止める方法は未だこの世界にはない。だから『即死』の魔法は、精神を輪廻に飛ばす……錬金術師を経験した者でなければ唱えられない魔法だ」

「『指揮』でリブラの『即死』を軽減させたとはいえ、『異端』が戻ってくるのも、そしてお前が戻ってくるのも早すぎる」

「冒険者なら一度は“死”を経験している。僕だって元冒険者だ」

「そういえば、『衰弱』からの回復を帝国内の冒険者で最速で済ませたのは貴様だったな、エルヴァージュ・セルストー」

 ビスターと普通に話していたと思いきや、エルヴァは膝を折って崩れる。

「だが、『指揮』で大半の力を消費したはずだ。軽減するにしても、『睡眠』に比べて『即死』は重すぎる。違うか?」


「その通りだよ……クソが」

 どうやらエルヴァはもう戦えそうにない。

「錬金術師は呪いだとか魔法だとかを抜きにして、魂の価値、精神の在り方をおぼろげに掴んでいる。だから『即死』の魔法を唱えられるんだ。尖兵であるビスターが知っている魔法だから、それを増大させてリブラが唱えた」

「魂の、価値?」


「精神は脳にある。しかし、脳だけが精神を形作っているのだろうか。魂は脳にあるだろうか、それとも心臓だろうか。では、心はどうだろうか? 心は胸にあると言う者もいれば、頭にあると答える者もいる。哲学的ではあれど、私たち錬金術師はそれを追い求めずにはいられない。なぜなら、不老不死に魂と精神、心の在り方は必要不可欠だからだ」

 錬金術師の目標は不老不死。その話は聞いたことがある。

「“小さな人”は、生命を人工的に――妊娠を介さず行えるかの実験で産まれた生命体だ。これもまた錬金術師の研究の範囲内だ。つまり、私たちほど“命”を知っている者はいないのだ」


「魂がどうとか、そんなのを語られても困る」

 アベリアは立ったまま意識を失っている。クルタニカに至っては飛び立った上空で意識を失っている。そう、ただ意識だけがない。黒氷の翼を羽ばたかせて、滞空を維持しているクルタニカを見れば、ただの意識不明とは異なるのがすぐに分かる。

「アベリアたちになにをした?」


「精神を輪廻へと飛ばした。『即死』の魔法は外的に死を与えるのではなく、自ら死を享受する魔法だ」

「……なんだって?」

 言っている意味が分からない。ビスターは深い溜め息をつき、呆れた様子を見せる。

「精神と魂は同一視する者もいれば、異なるものと答える者もいる。だが、精神と魂は繋がっていようといまいと、どちらも人間を構成する上で大事なものであり、精神は魂を引っ張り、魂は精神を引っ張る。そして精神も魂も抜け落ちた人間は、人間ではなく、それはただの抜け殻で死体にも等しい」

 饒舌に語るビスターの手元で剣が踊る。油断はできない。できない上に、よく分からないことを話されては頭も上手く回らない。

「精神を一時的にではあれ輪廻に飛ばすことで、もしもそこで精神が“死”を享受した場合、残された魂が輪廻へと昇る。(こん)を構成する要素を(はく)から抜き取ることで、そのまま“死ぬ”」


「お前が精神を飛ばされた先で見た世界で“死”を受け入れた場合、この世界に残された肉体が生命活動を停止させる。そういう魔法だと思え」

 やはりビスターの説明は難しく、エルヴァの簡潔的な説明でようやく理解が及ぶ。

「『指揮』で、真の意味での“悪夢”は軽減されたはずだ。僕が見た世界も、真の意味でのトラウマではなかった。お前もそうだったんだろう?」

「いや……僕は」

 自分自身の記憶とは違うが、自分自身の経験に激しく似た夢を見ていただけだ。

「それとも、心地の良い悪夢だったのか? 二度と覚めたくはない幸福な夢の場合もあると聞く」

「そのどちらでも、ないけど……戻ってはこれた」

「だったらなんでもいい」

 エルヴァはそう言うが、アレウスはどうにも腑に落ちない。

「待て……」

 アレウスは心の中で“ヘイロン”の名を呼ぶ。しかし、返事はない。


 あの世界でアレウスを正気に戻したのは間違いなく“ヘイロン”だ。いや、あれは“ヘイロン”だっただろうか。口調も声もなにもかもが異なっていたような気がする。

 むしろ、忘れ去った記憶の片隅に残っていた僅かな懐かしさを秘めた声だった。


「エルヴァージュは動けなくなり、未だ帰還しているのは『異端』だけ。残りの者たちは果たして戻ってこられるだろうか」

「残りの者……?」

「“最悪なる死”は貴様たちだけに範囲を狭めたわけではない。シンギングリン近郊を覆うようにリブラは放った」

 不愉快なほどに歪んだ笑みを浮かべながら、ビスターが答える。

「さて、どれだけの人間が、“死”を享受せずに戻ってくるだろうなぁ?」


「……はぁ」

 アレウスは嘆くように息を吐いた。

「世界に嫌われている……か。まさにその通りだな。世界に嫌われていなきゃ、こんな男をギルド長と呼ぶこともなかった」

 もう慈悲の感情はない。クルタニカと話していたときのような、「リブラのせいで」とか「ロジックを書き換えられるほどの契約」とか、そういう善人だったのに悪人になってしまった相手と戦っているがゆえの躊躇いは消え去った。

「死ね」

 一際、強い言葉を使ってアレウスはビスターへと飛び掛かった。

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