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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
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平均化

 布陣はあまり良くない。だが、アレウスたちはビスターを囲んで叩ける状況にある。ただし、攻撃に集中しすぎてジュリアンを守れなければ元も子もない。


 それでも、シンギングリンが異界から吐き出されているこの事実がなによりも大きい。シンギングリンが世界にあれば、この街で『教会の祝福』を受けた冒険者は死んでも甦ることができる。『衰弱』状態からの回復は苦難の道のりとなるが、異界で辛うじて生きていた冒険者たちからしてみれば、死ねない状況に比べれば前のめりに突っ込みやすいのではないだろうか。とはいえ、ビスターとリブラに敗北し、シンギングリンを異界に奪い返されてしまえば『教会の祝福』は再び機能しなくなってしまう。奪われる前に他の教会で祝福を受け直すことも、現実的ではない。


 つまり、ここを乗り切らなければシンギングリンの生存者たちの希望の芽は摘み取られてしまう。


 怖れるな。アレウスは心の中で自身に言い聞かせる。この一戦で、たとえどれほどの人の命が掛かっていようとも、怖れてはならない。その恐怖は不要だ。考えないようにしていい。

「産まれ直した人生は気楽だったか?」

 問い掛けながらビスターが迫る。信じられない速度なのは相変わらずだが、この速度はジェーンとの戦闘やアイリーンとの追いかけっこで慣れている。剣戟も、それほど熾烈なわけではない。間合いさえ間違えなければ短剣でも捌き切れる。

 注意すべきはやはりビスター本人との接触だろう。触れられれば金属に変わる――とは言い切れないが、彼の魔力によるなにかしらの弊害が起きるに違いない。

「人の努力を鼻で笑うのは楽しかったか?」

 問い掛けには応じない。ビスターはアレウスの人生を根本的に間違えている。しかし、もはや説明しようとも聞く耳を持つことはない。だから人生を語りはしないし、男が思う『産まれ直し』への偏見を変えようとも思わない。

 変えたところで、ビスターは既にリブラの尖兵だ。これがまだ、ギルド長としてやり直せる段階にいる男であるのなら、まだ説得を試みようとも思っただろう。


 ビスターが小瓶を投げる。反射的にかわすが、金属片が飛んでいき、小瓶は割れる。背後から法則を無視して液体がアレウスへと迫ってくる。液体が重力に逆らう時点で全てがおかしい。あれがビスターの魔力が込められた特別な液体であっても、やはり法則を無視するまでは至らない。


 だったら、あれはもう“魔物”に違いない。


 見ずに避けて、ビスターが液体を腕で受け止める。液体は男の腕に蛇のように巻き付いて、縄や鞭のようにしなやかに伸びてアレウスを叩き付けようと俊敏に蠢く。


「小瓶に入れていたのはスライムか」

 しかし核は見当たらない。

「違うな、これは私が生み出した生命体だ」

 なにを言っているのかさっぱり分からないが、この鞭のようにして振るわれている液体が固体に等しく硬度を有していた場合、打たれればタダでは済まない。

「構造としてはスライムを目指してはいたが、それにも届かない“小さな人”だ」

 錬金術に傾倒している男の語るものは新鮮ではあるが、研究職から遠い存在でしかないアレウスにはちっとも意味が分からない。

 鞭を避け、剣戟もかわして、気配を消しつつ移動も繰り返し、ビスターの粘着質な攻撃から逃れ切ってアレウスはアベリアの傍まで下がり切り、額の汗を(ぬぐ)う。

「反撃と参りましてよ!」

 クルタニカが無詠唱で突風を起こし、まずビスターの足を取って浮かせる。続いてアベリアが無詠唱で魔力で紡がれた泥の塊を次々と射出する。


 ビスターの腕に巻き付いたスライムが凄まじい勢いで奔り、全ての泥の塊を弾き飛ばすどころか、二又(ふたまた)に分かれてクルタニカとアベリアの真横をさながら鎗の投擲のごとく掠めた。


「やはり精度が足りないな。かといって、小瓶の外で生きられる存在でもない」

 着地したビスターの言葉通り、巻き付いていたスライムは突如として形を崩し、完全な液体としてバシャリと地面へと落ち、吸い込まれていった。

「次だ」

 懐から出した小瓶を足元に投げて割る。植物が瞬く間に成長し、その枝が複雑に絡み合うことで強固な鈍器に変わり、ビスターはそれを握り締めて駆け出す。


 重たい一撃。受けるのはやや抵抗がある。それを読み取ってアレウスの正面にエルヴァが割り込み、岩で作られた鈍器で対抗する。


「錬金術……化学とは到底思えないようなことばかりがさっきから起こっているな」

「エルヴァージュ・セルストー……貴様も私を笑う立場の人間か?」

「僕はギルド長のあなたには敬意を示していたと思うけれど」

「ならば貴様のその力はなんだ? リブラが支配する領域を奪うその力は!」

 力んだビスターにエルヴァは押し切られ、凄まじい勢いで鈍器を頭部に受ける。

「裏では笑っていたんだろう、エルヴァージュ?」

 確かな感覚があったのだろう。ビスターは勝ち誇ったような表情を見せる。しかし、そんな男とは裏腹にエルヴァは鈍器を頭部に受けたにも関わらず、打ち飛ばされることもなく、その場に崩れ落ちることもない。それどころか血飛沫すら上げない。

「裏で笑えるほど腹黒い生き方ができていれば、こんなにも面倒なことには巻き込まれていないよ」

 ビスターの鈍器はエルヴァの頭部を捉えてはいなかった。正確には、頭部を保護するかのように展開した硬い岩。それが打撃の全てを吸収し、エルヴァの体を衝撃で吹き飛ばすことさえさせなかった。

 さながら岩の殻。彼の魔力がそうさせたのか、それとも彼を守るために何者かが魔力を展開させたのか。なんにせよエルヴァは勝ち誇っているビスターに容赦なく今度は自身の鈍器を打ち付けた。

 ビスターが吹き飛び、地面を転がる。


「これは、平等ではない」

 血を吐きながらビスターが呟き、起き上がる。

「これは決して均衡ではない」


「致命傷なはずだ。起き上がれるはずがない」

 エルヴァは自身の手応えに間違いはないと言いたげに背後のアレウスに向けて呟いた。


「平等にしなければならない」

 ビスターが天秤を――リブラを見上げる。


 一体、どうしてなのか。注視すべきはビスターであったはずなのに、アレウスの――それどころかビスターを倒すと決め、戦っていた全ての者がリブラを見上げてしまった。


――秤をもって平等を課す。


 なんの前触れもなく、アレウスは口から血を吐き、どういうわけか伝わってくる鈍痛に悶える。逆にビスターは起き上がる際には身を痙攣させて、今にも死んでしまいそうだったはずが、悠々と立っている。


「アレウスさん」

 ジュリアンに視線を向けると、彼もまた血を吐いていた。

「これは僕がジェーンに対してやっていたことと近いです。痛覚の共有……僕は魔力の糸で繋いだ相手に一時的にそれを押し付けることができます。つまり」

「リブラは影響を及ぼせる範囲で、ビスターが受けた痛みを全体に与えた……?」

 アベリアも血を吐き、苦しそうに悶えている。

「“癒やしを”」

 クルタニカがその場の全体に回復魔法をかける。だが、鈍痛は一向に消える気配がない。


「私は回復していない」

 ビスターが手元で枯れていく植物の鈍器をその場に捨てる。

「それは決して平等ではない」


「ただ痛覚を押し付けてきたんじゃない。受けた傷を平均化したんじゃないでしょうか」

 ゼェゼェと決して正常ではない呼吸の仕方をしつつジュリアンは仮説を語る。

「傷を負った分を平均化して僕たちに与え、健康体だった僕たちの分だけあの人は肉体が回復した。致命傷から立っていられるのは受けた傷が軽くなったからで、僕たちの傷が回復しないのは、ビスターに回復魔法がかけられていないから」


「でも、受けた傷を平均化しても、人の肉体と体力は一定じゃない」

 アベリアが苦し気に言う。彼女も耐えられてはいるが、クルタニカよりは辛そうにしている。アレウスが耐えられていても、ジュリアンが耐えられていない。元気そうなのはエルヴァだけだ。

「あの人は私たち五人に平等を押し付けてきている。多分だけど、押し付ける範囲は絞れる」

「押し付ける数が増えれば増えるほど、痛みは薄まっていく」

「うん」


 これは、どうすればいい? アレウスはビスターに立ち向かいつつ思う。

 ビスターに傷を負わせることは可能だと分かった。だが、リブラが干渉した場合、その傷は平均化されてアレウスたちにまで及ぶ。ならば回復魔法を唱えれば済むのかと思えば、ビスターも回復範囲に含まなければ受けた傷は治せない。そもそも、これは傷を受けた状態なのだろうか。血を吐き、鈍痛がある。臓器にダメージを負っているような印象もある。しかし、実際にアレウスが受けたものではない。


 ひょっとすると思い過ごしか思い込み。催眠にも似た状態にあって、痛いと脳が勘違いしている。だから回復魔法も機能しない。だが、この理論は催眠状態にあるという前提の時点で破綻している。


「どうやって止めればいいんでして?」

 戦闘経験が豊富なクルタニカも首を傾げる。

「いえ……でもわたくしたちを傷付けることもできないんではなくて?」

 そうだ。アレウスたちを傷付ければビスターはリブラの力によって傷を平均化され、自身も傷を背負うことになる。


「私はリブラと契約しているんだぞ?」

 その一言で、理論を全て覆される。あの自信満々な表情からアレウスは察するものがある。

 リブラの尖兵が負わせる傷はその限りではない。平均化という束縛から外れているに違いない。でなければ最初から殺気を纏った剣戟をアレウスに向けて放ってきてはいない。

「卑怯なのはどっちだ……」

 誰にも聞こえない独白をして、アレウスは舌打ちをする。


「凄く単純な話をしてやろうか」

 口の中に溜まった血痰(けったん)を吐き捨てて、エルヴァは鈍器を握り直す。

「奴は所詮、リブラの尖兵だ。そっちを叩いたら痛みを背負わされるなら、リブラ本体を叩けばいい」

 あの巨大な天秤を叩く。とてもではないが現実的ではない。だがエルヴァの言っていること自体は正しい。ビスターを傷付ければこちらも傷を負うのなら、完全に無視してリブラを倒してしまえば済む。この傷の平均化はリブラが引き起こしている作用だ。倒してしまえば、その作用も消え去る。


「それを私が許すと思うか?」

 ゆらりと揺れて、エルヴァがビスターの一撃をかわす。

「無視できるほどに矮小な存在だと私自身は思っていないが」

 小瓶を割って、液体が金属に変わり、剣となる。その剣を存分に振るい、エルヴァを速度で追い詰めていく。


 割って入ることができない。入る余地を見せてくれない。ビスターは全力でエルヴァを殺すために剣を振っている。その剣戟、振り方、立ち回り、足運び、そのどれもが常軌を逸している。

 完全に隙がない。アレウスですら足運びで付け入る隙を作ってしまうというのに、あの男は完璧すぎるほど完璧な立ち回りを獲得しており、臨機応変に剣の振り方を変えるだけでなく、体術の形も誰に教わったものではない我流のもので通している。


 技能の全てを高めた冒険者がそれらを巧みに複合させることで至れる境地。ビスターはそこに立っている。


「あれで『至高』の冒険者にはなれなかったって言うのか」

 それどころか『勇者』にすらなることができなかった。

 では、その『勇者』は更に上――雲の上に立つほどの存在であったということになる。

「人間か?」

 果たして、『至高』の『勇者』とは本当に人間だったのだろうか。


「さすが街のギルドを牛耳っていただけのことはある。場数が違うとはまさにこのことだ」

 そんな中で、エルヴァはほのかに笑みを浮かべている。

「『死』を経験したことで、自身が『超越者』にも近しい存在に立てていると、そう思える圧倒的な自信が全力へと昇華できているんだと思う」


 ビスターの剣は一度もエルヴァを捉えていない。乱舞にも近しい剣戟の嵐の中で、傷一つ負っていない。


「でも場数なら僕だって踏んでいる。別に誇れるほどのことじゃないけれど、年齢不相応なほどに絶望も知っている」

 言葉を零し、ビスターが振った剣の先――腕を掴む。

「だからって死んで強くなろうと思ったことなんて一度もない。お前と僕は違う」

 腕に触れたところからエルヴァの手が金属に変わっていく。

「やっぱり見下している」

 手から腕に金属という魔力が侵食していく。

「その見下した感情が、貴様を物質へと変えるのだ」


 エルヴァは手を“引き抜く”。爬虫類の脱皮のごとく、金属と化した皮膚の下には既に新しい腕と手があった。さすがにビスターも瞳を大きく開け、驚く。その驚いた表情から変わる暇を与えず、エルヴァはビスターを蹴り飛ばした。


「魔力で膜を張っていた。打撃を防いだのも魔力の膜だ」

 蹴り飛ばしたことでビスターから剥がれたエルヴァの腕の形をした金属は音を立てて崩れる。

「お前の魔力は、膜を滑って僕の内部まで侵食しなかった」


 同時に、アレウスたちにエルヴァが蹴撃による平均化が起こり、痛みを背負わされる。


「ビスターを攻撃したら、僕たちが」

「そこも悩んだんだが、思えば僕が死ななければどうだっていい。リブラを倒すのも手間、男を無視することも手間。そうなると、切り捨てるべきはこれに対応し切れない君たち、という結論に至った」

 エルヴァの腹部から岩の塊が零れ落ちる。


「……そっか、肩代わり」

 アベリアがハッとして気付く。

「平均化の押し付けは内側からじゃなくて外側からなんだ。だからエルヴァさんみたいに膜を張れば、魔力が肩代わりしてくれる」


 だったら、それをそう言えばいい。なのに言わなかったのなら、本当にエルヴァは切り捨てる気だった。

 利用し利用されるだけの関係。ここに来て、それをまざまざと実感させられた。


「気付かせてくれただけ、まだマシなの……か?」

 腹部の鈍痛にも苦しめられながらも、突破口を見つけ出したエルヴァに対してアレウスは困惑の声を漏らした。

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