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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
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世界へと吐き出される


 信じられないほどの震動の果てにアレウスとアベリアは異界から拒絶されるように強い力で吹き飛んだ。その勢いは凄まじく、何度も地面に打ち付けられてようやく止まるほどだった。未知のエネルギーに反発されたようなもので、受け身すらままならなかった。そもそも受け身を取ったところで吐き出された勢いを殺し切ることができたかすら怪しい。ただ、受け身を取る努力さえしていればこの全身の痛みも緩和されていただろう。小さな失敗が後々に大きな失敗に繋がることもあるが、この程度の痛みなら貸し与えられた力を行使した際に吹き飛ばせるはずだ。


 空気が軽い。閉塞感が漂う場所の空気はこもりがちになり、随分と重たい物になるが、開放感のあるところでは基本的に空気は軽くなる。


 周囲の景色を見ても間違いない。アレウスとアベリアは異界から脱出している。自力で“穴”に辿り着いたわけではない。やはり、拒絶されたことで弾き出された――あるいは吐き出されたと考えていいだろう。


「ヘイロンさん……は、もうロジックからいなくなったのか……?」

 自分自身のロジックに寄生し、途中から全く応答しなくなったヘイロンへの問いかけを行うが、やはり返事はなかった。彼女は呪いとしてシンギングリンに留まっていた魂だ。アレウスにいくつかの助言をした時点で残されていた力を使い果たしたのかもしれない。

 それでも、唐突に会話を切った点に違和感がある。“自身に話しかけていたのは本当にヘイロンだったのか”。疑問は膨らむが、確かめる方法はない。


 震動は未だに続いている。


「アレウス!」

「この位置なら問題ない。だけど、念のためもう少し下がろう」

 アベリアと言葉を交わし、彼女の手を掴んで震動で転ばないように慎重に後退する。


 異界の“穴”は拡大と縮小を繰り返し、遂には大きく大きく広がって、虚空とすら思えるほどの暗くて黒い大穴から“シンギングリンの八割”を吐き出した。削り取られたところに削り取られた分だけ戻り、異界だったところとそうでなかったところの境目(さかいめ)は亀裂と、手入れが行き届いているかいないかの違いこそあれ、ほぼほぼ元通りだ。


 人々の声が聞こえる。街ごと異界に呑まれ、魂の虜囚にならずに生者として生き続けていた者たちが辺りを見回し、異界とは違った“本当の景色”を見て、大きな大きな喜びの声を上げる。


「……死ぬかと……思いました」

 止めていた息を吐き出し、ぜぇぜぇと呼吸を繰り返すジュリアンの姿を見つけ、二人で駆け寄る。

「ここが世界なら、脱出できた……んですね? ……ああ、こちらはエイラの母親で、」

 説明をしている中、エイラの母親は一心に駆け出した。どうしたのかと思い、後ろを向く。早々にエルヴァの手によって脱出していたエイラが、駆け寄った母親に抱き留められ、大粒の涙を流して再会を喜び合っている。

「僕の依頼を完遂していただき、ありがとうございます、アレウスさん」

 ジュリアンは母娘(ははこ)の姿を眺め、自身の依頼に応えてくれたアレウスへと深く頭を下げた。


「まだ終わってないぞ」

 彼の感謝に対し、姿を見せたエルヴァが返事をする。

「あの二人だけじゃない。戦えない人たちを一気に下がらせろ。既に『指揮』で命じているが、世界に戻ってこられた感動で効果が鈍っている。奇跡が起こったと思い、神の存在を信じてしまったせいだ。信仰心が全体的に上がって、効果が薄くなってしまっている」

「分かっているけど、その役目は、」


「その役目は、このわたくしが担いましてよ!」

 空気を掻き乱し、風という名の羽衣を纏ったクルタニカが高らかに宣言する。

「シンギングリンの生存者の皆様方!! 未だここは安全ではありません!! 戦えぬ者は互いに手を取り合い、退避してください!!」

 彼女の連れてきた冒険者たちが人々を避難させるため街へと入っていく。


「それにしても、一体どのようにして異界からシンギングリンを取り戻したんですの?」

「ロジックは法則であり、絶対的な概念です。僕とアベリアはその概念に触れました。簡単に説明すると、『シンギングリンを異界獣の保有物ではない』ことと、『生者は異界獣の保有物ではない』ようにしました。書き換えはもう少し踏み込んだ内容だったんですけど」

 リオンの異界でやったことをリブラの異界でもやった。ただ、書き換えた内容は大きく異なる。だから、出来るかどうかは分の悪い賭けではあった。


 しかし、成功したのならリスクに見合っただけの見返りがある。それが世界への脱出に繋がっている。


「でも、異界での生活を望む生者までは、どうにも……」

 物質と同化した者たちはリブラの尖兵だ。大半が魂の虜囚と化しているだろうが、中には生者もいたかもしれない。帰還を望んでいない以上、生者であってもリブラの保有物という判定になってしまった。

「もっと劇的な救出を望まれていたかもしれませんが、これが僕たちの精一杯です」

「なにを恥じることがあるんでして? 誰にもできないことをあなたとアベリアはやり遂げたんでしてよ? おかげでわたくしたちは、また希望を持てる」

 クルタニカは金色の瞳を爛々と輝かせながら、力強く杖を握る。

「世界のために、まだわたくしたちは戦えるのだと心から信じることができるんでしてよ」


 鐘の音のような、しかしながら地鳴りにも近い大きな音が轟く。空洞の固い金属を叩いたときのような痺れるような音波はやけに耳障りだ。


「出て来るぞ」

 エルヴァが危険を知らせる。

「これだけの数、そして物体を動かしたんだ。異界獣は意地でも奪い返しにくる。最初に奪ってきたのは向こうなのにな」

 シンギングリンの八割を世界へと吐き出し、魂の虜囚とするはずだった生者までも世界へと帰還した。異界の中に、リブラが望む物はない。だからそれを再び奪取する。そのために、リブラは異界から世界へと顕現しなければならない。


 でなければビスターの契約も果たされない。シンギングリンの八割とその魂によって(はかり)は中立を保っていたのだ。ビスターの魂だけでは、秤はずっと傾いたままとなる。それを是正するためにも現れないわけがない。


「リスティ、腹は括れたか?」

 クルタニカのすぐ傍にリスティの姿が見えた。

「リブラはともかく、その尖兵がどんな肩書きで、どんな姿をしていても、絶対にためらうな。ここからの一戦は、覚悟のない奴から死んでいく」

 その言葉の真意をリスティは問い掛けることもなく理解したのか、首を強く縦に振った。

「私はこれより避難誘導の指揮を執ります。クルタニカさんはアレウスさんたちと共闘してください。そしてエルヴァ……死ぬことは、許しませんよ」

「許される許されない関係なく、僕はクールクースを殺すまでは死なない」

 相変わらずの怖ろしい会話を交わしたのち、リスティがエイラとその母親に逃げるように言い、方角も指し示したあと、人々を避難させるために街へと入っていった。

 どれだけの人を避難させ、どれだけ損害を抑えられるか。考えることは山ほどあるが、リスティに任せることで思考の負担を減らす。


「アクエリアスのときは再誕直後だった。今回は、どうだろ」

 アベリアがアレウスへと声をかける。

「私たちは命を懸けて、この異界獣を討ち果たすことができるのかな?」

「できる。やるんだ、僕たちで」

 短剣を抜く。

「僕たちはずっと、前に進むんだ」


 太陽の輝きを浴び、後光が差すほどの眩さを発しながら、大きな大きな天秤が街の外に現れ出でる。質量はあったのかもしれないが、その現れた瞬間に生じるはずの衝撃も、重力も、音も、なにもかもが一切存在しなかった。まるで以前からそこにあったかのように、そこが当たり前の居場所であったかのようにリブラは君臨した。


「まったく……どうして、こうなる?」

 ビスターの呟きが木霊する。

「なんで、この世界で一生懸命に生きてきた私たちが、“産まれ直した”だけの外部からやってきた奴に……才能どころかなにもかも劣るというんだ」

 呟きながら、ビスターが現れてアレウスを睨む。

「この世界に愛されていると信じ、この世界に愛されたいと願い、世界を変えるだけの力を得るための努力を惜しまず……なのにどうして、お前たちはそうやって簡単に力を得る? 卑怯だ、そんなのは」

 踏み締めた地面を金属に変質させながら、恨み言をぶつけてくる。

「なんの代償を払うこともなく、悠々と先達者が果たせなかったことを果たしていく。お前たちは、先達者の生き様を無駄だと嘲笑うように、強くなる。平等ではない。均等ではない。均衡でもない。だから私が、世界に平等を与えるために摘み取る以外にない」


 スッと、声も出せないほどに自然体で、流れるように、滑るように急接近したビスターの手に握りしめられている剣がアレウスの首を掠めた。掻かれずに済んだのはアレウスが後退したからではなく、ジュリアンの魔力の糸に強く引っ張られたためだ。つまり、アレウスはビスターの動きを完全に掴めていなかった。


「いつからそんな思想を持つようになったんですか?」

「思想なら、かねてよりあった。だが、それを完遂できるだけの力が私にはなかった。だから、あのときの“死”の経験は、『超越者』に届くだろうと踏んだ」

 思っていた以上にビスターの動きが速い。アレウスの回避に完璧に合わせられている。剣戟で弾くことはできているが、ビスターの速度に合わせることができなければいつかは首を掻き切られる。

「“死”から得られる力なんて!」

「お前は“死”から得たではないか。『産まれ直し』とは、そういうものだろう?」

 剣戟を放ったあとの、アレウス目掛けての跳躍と鋭い角度での蹴撃。ただし、その足は蹴り飛ばすためにあるのではなく、鋭利な刃物と化した靴によっての刺殺のためにある。

 合間にアベリアの炎が噴き出して、ビスターの蹴撃は遮られる。尚も強行されるが炎によってアレウスという目標を見失い、蹴撃は地面を穿ち、切り裂くに留まる。


 砕け散った地面はみるみると金属へと変わっていき、それらはビスターが剣で砕くことで刃物のような凶器となって辺り一帯へと放たれる。


 アレウスはアベリアの炎で守られ、クルタニカはジュリアンを氷壁で守り、エルヴァは岩塊で弾き飛ばした。すぐさま反撃とばかりにクルタニカが氷のつぶてを無詠唱で生み出し、一気に射出する。

「化学とは、ありとあらゆる事象に必要不可欠な変化である」

 懐から薬の入った小瓶を投げ、続けざまに金属の刃を投げてそれを割る。燃え上がる火の手は激しく、クルタニカの氷のつぶてをビスターに届く前に全て溶かし切る。

「ただし、この世界の化学はお前が見てきた化学よりも苛烈だろう。精霊の加護があるからだろうな。かといって、魔法を再現することにまでは至らないが」

 ビスターはアレウスが『産まれ直し』であることだけでなく、アレウスの世界にある『化学』を一部、知っているような口振りを見せる。誰かから聞いたのか、それともどうにかして知る方法があったのか。

 あるいは全てがでたらめか。考えている内にビスターは再び薬品を投げる。だが、今回は自分の手でその小瓶を割るような気配を見せない。


 となれば、その中に含まれている液体は劇薬だ。その場にいる誰もがそう判断し、即座に投げられた小瓶から距離を取る。


「避ければ散る。密集とは、一網打尽に成り得る最悪の一手であるからだ」

 ビスターがジュリアンの避けた先に回り込んだ。

「だから、なんだと言うんですか?」

 ジュリアンを狙ったのはこの場で最も殺しやすいという判断からだ。しかし、その判断こそが誤りである。なぜなら、ジュリアンはアベリアと同様に魔力を垂れ流している。そして彼女以上に魔力での感知を得意としている。

 だから、ビスターの刃が迫ってきても冷静に、自分自身を糸で引っ張ることで更なる回避を可能とする。その避け方は人間が元来持つバランス感覚や体幹を無視しているため、知識があればあるほど予測できない。

「散っても対処するだけの個別の力を持つ。それができなければ、パーティで生き残ることさえ難しいと僕は考えますが」

 避けて、ジュリアンはなんとかして糸を繋げようと試みたが、一足早くビスターが下がった。


「お前たちはなにも分かっていない。いや、分かっていなかったのは私の方だ……最初から、リブラと契約を交わしたその日から、期待など抱かなければよかった。あの日に、私は私の人生を終わらせればよかった。そうすればこんなにも卑しい気持ちになることもなかった」

 不意を突いて迫るエルヴァの岩で作られた鈍器を素手で受け止める。そして触れたところから金属へと変質させ、力強くエルヴァを振り払う。

「知れば知るほど、お前のような『産まれ直し』を憎たらしく思うのだから……!」


 再びの加速。合わせはするが、やはり急所擦れ擦れをビスターの剣が過ぎる。アベリアの援護もあって追撃が弱められているが、こんなものを一人で全て捌き切ることはかなり難しい。そうなるとジュリアンが再び狙われたときが心配だ。彼の避け方は頭の片隅にあれば対処できてしまう。それでもここでジュリアンを狙わないのは、アレウスたちが身構えているから。彼へとビスターが向かった瞬間、全員が全方向から一斉に攻撃する。それが分かっているからビスターはすぐにジュリアンを殺しに行くという安易な選択を取らない。

 パーティの崩し方、立て直し方。それらを知っている。

「それもそうか」

 この男はギルド長という役職に就いていた。伊達や酔狂で、ただただその立場にふんぞり返っていただけではない。


 金属の変質、化学という名の怪しい薬品、そしてまだ気配と存在の置換を残している。それらも踏まえて――いや、それ以外にも踏まえなければならない。


 ずっと鎮座している巨大な天秤。リブラが一体、どういった影響をこの場に及ぼしているのか。アレウスはビスターと戦いながら見極める必要があった。

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