混戦
紐解いた魔力は今のところ再構築されてジェーンの体を成す、ということはなさそうだ。だが、異界では世界と異なる理を持っている。もしかしたらもう既に別のところで復活を果たしている可能性だってある。やはり長居は無用だ。
「早くエイラの母親を」
歩こうとすると立ち眩みが起き、ジュリアンは倒れこそしなかったが膝を折る。
「忘れていらっしゃるようですけど、あなたの魔力はほぼ尽きかけています。それでも尚、立ち上がろうとするのなら止めはしませんが、死にますよ?」
「僕は……まだ、やらなきゃいけないことが」
「……そのエイラという御方の母親がいらっしゃるのはどこですか?」
「この先の――」
ジュリアンはエイラの邸宅の特徴と場所を口頭でアニマートに伝える。
「では、私が助けに参りましょう」
「父親は既に物質と同化していています。ほぼ魔物ですが、まだ魔物でもない」
「分かっていますよ。可能な限り、接触しないように努めます。ですが、死という名の救済を与えなければならないのも神官の使命。その点はお忘れなく……逆に言えば、母親がまだ生きていらっしゃるようでしたら無傷で救い出すつもりではあります。これから前を向いて歩き出すであろう見習いの冒険者が期待以上のことをしたんですから、一応の礼儀は果たすべきと考えていますから」
ああでも、とアニマートは続ける。
「助けに行っている間、あなたがここで何者かに襲われて死んでも、私のせいではないですから」
「僕が頼んだことです。あなたに責任を押し付けたりしません。だから早く……お願いします」
ジュリアンはうつ伏せに倒れる。意識はあるが、体は全く動かせない。この状態のまま瞑想に入り、魔力の回復に移らなければならない。
「誰がために命を賭せる……意気込みは認めますが、危うい。このまま育てば、平気で命を投げ出してしまう冒険者に成り果てる。『異端』の他にも師事して、精神面での補強が必要になるでしょうね」
アニマートは杖を引きずりながらジュリアンから聞いた道順で邸宅を目指す。
*
「陣地の拡張にムラがあるな。長い間、俺の力を拒否していたツケだな」
「ブランクと言え。さっきの子供はちゃんと退避させられているんだろうな?」
「異界の外の臭いを辿って、まずは登る穴へと向かわせている。ここは三界だ。二つ登らせるのはなかなかに手間だな」
「轍には気を付けさせろ。アレウスから聞いているが、轍を荒らすとゴーレムが追い掛けてくるぞ」
「俺の寄越した狼がそんな分かりやすい罠を踏み荒らすと思うか?」
「ここに実体を持ってきていないお前を信用していないだけだ」
自身を中心にして円を描くように地面を硬質性の高い岩肌で覆っていく。あくまで覆っているだけで変質させているわけではない。それは錬金術師の領分だ。
「お前がここにいない。僕にブランクがある。それ以外にも、陣地が広がらないのは絶対に理由があるだろ」
「まぁ、異界は異界獣の巣穴だからな。いわば奴らの領地だ。そこに俺の貸し与えた力でお前の領地を作ろうとしているんだから反発される。鬩ぎ合いの中で今はなんとか勝っている状況だが、そのうち――」
エイラを乗せて走らせた岩の狼ではない、また別の岩の狼が全てを語る前に街から放たれた閃光に射抜かれて砕け散った。
「巣穴を荒らされていることに気付いて、巣穴の主が動き始める」
砕け散った破片の中から『逃がし屋』の声は続き、破片を核として周囲の岩を取り込み、再び岩の狼となる。
「だが、さっきの閃光はたまたま俺に当たっただけで狙いは別だったようだな」
「それはお前が流れ弾に気付けずに当たる能無しを自称したいから言っているのか?」
「手厳しいな。お前に大抵の技術を叩き込んでやったのは俺だというのに」
岩石で作り出した鈍器を陣地拡大のため、まだ岩で覆い切れていない地点に突き立てる。即座に『緑角』の意匠が縫われた旗が鈍器に巻き付くように現れて広がり、風を受けて綺麗にたなびく。
「二ヶ所目」
岩で覆う範囲が広がる。
と同時に凄まじい勢いで街から炎と踊りながらアベリアが飛び出してきた。
「『泥花』?」
「エルヴァさん?!」
驚いているのはむしろエルヴァの方なのだが、アベリアの方が反応が大きい。
「どうしてここにいるの?」
街側の前面に火炎を張って、アベリアは問う。間髪入れずに閃光の鎗が炎の壁へと突き立てられる。貫通こそしなかったが、ほぼ破られる寸前といったところで押し留めている。もう少し魔力を込められていればかなり危うい。
「アレウスと相談してエイラを逃がした。逃がしたあとは異界に残っている生者に『指揮』を行使した」
「脳内でエルヴァさんの声がしたのは幻聴じゃなかったってこと? その『指揮』は効補助魔法に近いなにか?」
敬語を使おうか使わまいかで悩んでいる素振りはあれど、結局は使ってこない。敬う対象とは思われていないらしい。
「魔法ではない。あくまで技能の一つで、神を信じていない者ほど効果が高い」
「ああ……だから直後に私の体が少しだけ軽くなったんだ……」
アベリアは神を信仰していながらもエルヴァの『指揮』の効果を実感している。かなり珍しいことだ。
この少女は神への信仰心を維持しながらも、神からの愛など存在しないと理解している。理想と現実の両方を、あり得ないことに両立させている。
「街中はどうなっていた?」
「小さな争いが起きた。エルヴァさんの声が届いたことで、生きている人たちが蜂起したんだと思う」
「だったらこのまま『指揮』を執って、ギルド長のビスターが従えている連中と戦わせたいところだ」
「人の命をなんだと思っているの?」
「死なせないために指示を出し、捻じ伏せたいと言っている」
言い争っている内にアベリアの炎の揺らぎを読み取った光の鎗が二人の合間を抜ける。直撃しなかったのは二人同時にその場から横に跳ねたからだ。
「さっきから私の崇めるリブラの領地を、どこの者とも知れない魔力が穢している」
拳闘士の少女が両手に光の鎗を携え、アベリアとエルヴァの両方へと投擲する。当たりこそしないが、エルヴァが避けた先へと少女が先回りしてくる。
「あなたですね? あなたが、リブラの領地を穢している」
「一癖二癖あったとしても所詮はただの嬢ちゃんだと思っていたが、まさか人外だったとはな」
先回りした少女の後方を取った岩の狼が牙を振るう。翻り、少女は手元に集めた魔力ごと拳を放って打ち砕く。
「私たちの異界で、岩が言葉を発する……?」
「そう疑問を抱かなくてもいいだろ。ここじゃゴーレムも轍を荒らせば自由に歩き回れるらしいじゃないか」
砕け散った岩片が集まり、再び岩の狼を形成する。
「実体がここにない」
「さすがは似た者同士。すぐに見破られてしまったな」
言いながら岩の狼が少女を攪乱し、エルヴァはその間に距離を置く。
「あれはどっちだ?」
「アイリーン……だと思う。肌の色がジェーンより少し薄い。あと、まつ毛がほんの少し短いのはアイリーンの方」
「そんな明確に彼女たちを見分けられるぐらい交流があったわけでもないだろう」
「でも私には分かる。見た目の特徴もそうだけど、魔力の形が違うから」
「形、ね……僕には表情すら見えちゃいないけどな」
要は愛してくれている精霊が喜怒哀楽のどれで語りかけてくれているか。器に満たしている魔力がどんな形をしているか。それが彼女には感覚的に分かるらしい。エルヴァも魔の叡智に触れられているはしくれだが、精霊についての学びは薄く、大した愛着も抱いちゃいない。そのせいでアイリーンとジェーンの見分けがつかない――というわけではない。結局、アイリーンとジェーン、一つの街の二人の少女に過ぎなかっただけだ。その少女がギルド長に付き従っていた『審判女神の眷属』であったとしても、エルヴァにとってはその域を出ない。そんな相手のことを注意深くは観察しないし記憶にも留めない。
「いつまでも子供のままごとに付き合わせないでください」
岩の狼を掴み、エルヴァの方へと投げつけてアイリーンは瞬間的に間合いを詰めてくる。
「“落上”」
彼女が地面から発せられた衝撃を受けて、真上に打ち上げられた。
「“落底”」
続いて打ち上げた少女を地面へと叩き付ける頭上の衝撃を発生させる。しかし、その衝撃をアイリーンは見破って護身の体勢を取った。地面に叩き付けられこそしたが最小限のダメージに済ませ、それどころか痛みに顔を歪めることなく、魔法を受ける前と変わらない速度で再びエルヴァとの間合いを詰めてきた。
「“落、”」
「そう何度も喰らう魔法じゃありません」
真下から来る衝撃を少女は拳を地面にぶつけることで相殺し、もう一方の拳がエルヴァの左脇腹を掠める。完全に打たれてしまうところだったが、魔法に気を取られてくれたおかげでどうにか避けられた。しかし自身の体勢は次の動きには繋げられない。それを読み取って、アイリーンが怒涛の連打を繰り出してくる。魔法を唱えることも、それどころか反撃に出るタイミングすら与えてくれない凄まじい速度で打ち出される拳の連続を、ひたすら紙一重でかわし続ける。だが、拳が放つ圧は体の一部を掠めただけで衣服を裂き、皮膚を破り、血が零れ落ちる。こんな拳をまともに受けてしまえば、骨は砕け、内臓は破裂する。
魔物を倒し切る一振りの拳。拳を主体として戦う冒険者が目指す一つの到達点にアイリーンは立っている。今は、それが対象を変えて人を殺し切る一振りの拳となってしまっている。
終わりのない連打に見舞われつつも、エルヴァは冷静に左右に体を揺らし、フェイントを加えつつの後退を試みる。だが、そんなものはお見通しとばかりにアイリーンが大きく回り込み、背後を取る。刹那に身を翻すが、これも完全に読み切られて再び背後を取られる。
「まずは私たちの主の領域を穢すあなたを仕留める!」
どれだけ体を捩じっても、アイリーンの拳には間に合わない。アベリアが火炎を飛ばすが、怯むことなく突き進み、エルヴァへと飛び掛かった。
「人間と戦い過ぎてキレが無くなったな」
『逃がし屋』のボヤきがエルヴァの耳にだけ届き、同時に岩の狼が地面から飛び出して、身代わりに拳を受けて弾ける。弾けた岩は魔力を伴い、つぶてとなってアイリーンへと降り注ぐ。
「あそこから防がれる……私の拳には祓魔の力が強く込められている。それが、私よりも魔力に乏しく見える相手が防ぐ……?」
アイリーンはつぶてにすら臆しなかったが、エルヴァから薄ら寒い“なにか”を感じてバク転をしながら距離を置いた。
「異界獣でもないのに陣地の拡大……? 干渉されている?」
疑問を口にしながら、アイリーンは考え込む。
「少なくとも、こいつは魔物と人間の両面を持っているが紛争の真っ只中で余裕ぶっこいている連中みたいに気を抜く輩じゃないぞ」
つぶてとなった岩が収束して狼の形を取る。
「なんだ? まだ気付いていないのか?」
岩の狼がアイリーンに呆れるように声を発する。エルヴァは構わず岩の鈍器を地面から引き抜き、アイリーンへと走る。
「そんな重い一振りごとき」
「当たらないとでも?」
避けるアイリーンに構わずエルヴァが加速し、軽々と鈍器を片手で振り乱す。
「足が……」
呟く彼女にエルヴァは頭上から鈍器を振り下ろす。
「ただ岩肌で覆い隠しているだけだと思ったのか?」
岩の狼の一言と共に完全に頭蓋骨を割った。血飛沫も上がった。だが、エルヴァは並々ならぬ気配を感じ取ってアイリーンから離れる。
「貸し与えられた力……『範囲』」
割れた頭蓋骨は接合され、弾け飛んだ肉片の代わりに魔力が流し込まれて再生と縫合が行われ、血にまみれながらアイリーンはすぐに起き上がる。
「あなたも『異端』と同じく『超越者』……だったってことですか」
笑みを零す。
「だったら都合が良いじゃありませんか。ここには『原初の劫火』と『種火』、『初人の土塊』はおらずとも『土塁』がいる。侵略者と判断し、狙ってこちらへ『原初の劫火』を追い立てるように逃がして正解でした」
「『継承者』と『超越者』を知っているの?」
アベリアがエルヴァの傍まで寄る。助けに来たのではなく、二対一の関係を維持しつつ戦うためにはどうしても寄る必要があるとの判断だろう。
「知らないわけがない。異界獣はどいつもこいつも揃って、『泥花』や『逃がし屋』が持っているような力は全て異界由来の力と信じて疑わない。むしろ僕たち人間が奪って行ったと考えているくらいだ」
「私たちは嘘を言うことはない。嘘を言うのは姑息な人間だけ」
「その人間に付き従っていたのはお前たちだけど」
「私たちは未だ『図り知る者』の一部に過ぎない。命じられれば従うまでです」
ハキハキとした受け答えだ。脳天をかち割ったが、思考が働いている。
「あの異常な回復をどう思う?」
「焼いても焼いてもたちどころに治るから、私たちと交戦する前に既に祝福を受けていたんだと思う」
「祝福……祓魔の肉体強化か」
「アイリーンの祝福は筋力じゃなくて再生能力に特化しているとしたら、頭が割れても立ち上がることができる」
「……魔法は万能じゃないはずなんだがな」
「降臨を待ち望んで祈りを捧げる神様とは違って、ここは異界で、彼女が信仰する異界獣が存在している。偶像ではなく実像としてあるから、祝福の効力が尋常じゃないほど高い……と思う」
「思うだけか」
「私は祓魔の術はあんまり……ヴェインなら、もっとよく分かったと思うけど」
自身の知識が薄いことに苛立ちを憶えているようだ。
アレウスもそうだが、この少女も信じられないほどに高いところを目標としている。普通は専門外のことをここまで分析することは不可能だ。パーティを組んでいたのなら尚更、専門ごとに分野を区切ってしまった方が良い。知識を偏らせれば偏らせるほど、パーティ内での役割は明確になり、立ち回りが安定するものだからだ。だが、アベリアは『観測』の魔法すら使わずに自分なりの意見を論じてきた。そしてそれは、まさか答えが返ってくるとは思っていなかったエルヴァの思考を納得させるに足るほどのものだった。この臨機応変さが怖ろしい。アレウスの描くパーティ像にはもはや、職業による役割分担など求められていないのだ。
「『泥花』はアレウスの気配を追えるか? あいつは力を封じられて、その封じた相手を追いかけている最中だ」
「……なんとか」
「だったら、アレウスのところに行け。こいつは僕が始末する」
「でも、一発でも喰らったら死んでしまう」
「あいつから作戦を聞いた限りだと、この異界から異界獣を引きずり出す要はアレウスと『泥花』だ。こんなところで分断されていてはいけない。さっさと封じられた力を回収して、あいつから話を聞いて作戦を実行してほしい」
アベリアはなにも言わず、火炎を身に纏い、空を駆けていく。
「逃がしません!」
アイリーンが光の鎗を投擲するが、エルヴァが魔力で集結させた岩塊で弾き飛ばす。
「まぁ、『原初の劫火』を優先するのは分かるけど……僕も君たちにとっては貴重だろう? ちょっとは遊んでみたらどうだい?」
笑いつつ、鈍器を地面に突き立ててその場に陣地を築く。
「それとも、さっきみたいに頭をかち割られるのが嫌なのかな?」
その分かりやすい挑発にアイリーンは更に分かりやすい感情を見せながら、乗ってくるのだった。




