これはきっと無駄死にだ
-ロジックの成長がレベルアップなのか?
魂の成長がレベルアップなのか?
そもそもレベルとはなんだ?
私たちの練度は数字ごときで表せるものなのか?
なぜ、神官はロジックを与える?
なぜ、『祝福』としてロジックを授ける?
私には知りようのない世界のことを、
何度、問いかけても、
あの人は答えてはくれなかった。-
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「副神官様、シンギングリンの現状について、どうお考えでしょうか?」
この街で一番の大教会にて奉仕活動に励んでいる副神官にアベリアが問いかける。世間話など一切しようとは考えていないらしい。恐らくだがアレウスの魔力が遠ざかっていることに起因しているのだろう。ジュリアンもまた、自身の放出している魔力の糸で既に彼を追うことができなくなっている。だから彼女が時間的にではなく、精神的に焦っている。今すぐにでもアレウスのあとを追いたいという気持ちが溢れてしまっている。
「ビスターが行った所業については認知している。しかし、それを糾弾したところでもはやどうにもならない。一年前にシンギングリンが呑み込まれてから、多くの者が肉体を失い、魂だけの存在となった。輪廻に戻ることもできず、ただたださまよい歩く屍のごとく、じゃ」
恐らくだが『ビスター』とはギルド長のことを指している。
「ちょっと待ってください。ギルド長がこのことに関わっていることを知っておられたのですか?」
突っかかった部分をジュリアンは即座に言葉とする。
「知っておるとも……知らぬわけがなかろう。ビスターはワシが冒険者の道へと歩ませた……歩ませてしまったとも言える。『勇者顕現計画』に参加、のちに中止……帰還後、全てを喪ったビスターに残されていたのは……魂への執着だけだった」
「分かっていながらギルド長になるのを止めなかったんですね?」
「ギルド長まで登り詰めたのはビスターの努力じゃ。それをワシがどうして責めなければならない? それも、生まれ故郷のシンギングリンに配属されたとなれば、彼の中に住まう闇も、いつかは晴れるだろうと信じておった。いや、今も信じておる……のかもしれないのう。優秀であっただろう? この街のギルドは、ビスターがいなければ成り立ちはしなかった。ビスターがギルド長に就く前にあった制度はほとんどが廃止、業務体系の一新、冒険者同士に仲間意識を芽生えさせるための適度な干渉、他のギルドとのアライアンス制度の打診……ありとあらゆることを率先して行った。だからシンギングリンの冒険者ギルドはここまで育った。なによりビスターは『異端審問会』を是とはせず、強く否定しておるだけでなく、多くの構成員を捕まえてきた。信仰心を利用して悪行を働く者たちを正義によって断罪する彼の行いは、ワシら教会側の者たちすらも黙らせた」
「だけど、シンギングリンが異界に堕ちた事実は変わりなく、もしその原因がギルド長にあるのなら教会は動くべきです」
アベリアは言いつつ、靴先でコツコツコツと床を叩く。焦りが苛立ちに変わりつつあった。
「どのように?」
「まだここには魂の虜囚となっていない生者がいます。まずはその方たちを保護するべきではないのですか? 副神官様は知っていて黙っていらっしゃったのなら、悔い改め、贖罪に動くべきです」
「ここに神はいないのだよ」
「え……?」
「もう一度言う。ここに神はいないのだ」
副神官が嘆くようにして天井を仰ぐ。
「神なき異界において、ワシら神官が信仰を説いたところでなにも変わらん。どれだけ神に祈りを捧げても信仰を得ることができないのならば、ワシら神官は全てを失っていく」
「失う?」
「神官は神へ祈りを捧げて信仰心を高めるから、神に祈りが届かなかったら、その信仰心は薄れていってしまう。回復魔法や、祓魔の術の効力が落ちていってしまうの」
素朴なジュリアンの疑問にアベリアが早口で説明する。
「では、生者を保護することも、ギルド長へこの問題の解決方法について語らうこともないのですね?」
「解決もなにも、もはやビスターは誰にも止められんよ。魔物の首魁と契約を交わし、これを招いた全ての元凶であるのだから」
「魔物の首魁……異界獣のこと?」
「ワシの前に双子の赤子を連れてきたときから、ビスターは既に契約を交わしておった。シンギングリンが異界に呑まれたのは魔物の首魁との契約が関わっておる」
「アイリーンとジェーンは何者なの?」
「神官としてロジックを与え、『審判女神の眷属』としての地位を与え、可能な限り人としての全てを授けた」
「僕には人間にしか見えなく……え、待ってください。人として……人として? あの二人は人ではないということですか?」
「それは――」
「“審判の制約”」
教会の地面より突き出した複数の光の鎗が副神官の体を貫き、身動きが取れないように拘束する。
「ワシを……祓魔の術によって束縛する、じゃと……?!」
「なりません、副神官様。私たちの秘密を暴露されては困ります」
シーッと口元に人差し指を当てながら少女が歩く。
「この異界に神はおりません。ゆえに、拘束も成立いたします」
「お主らとて、祈りを捧げる神はおらぬのじゃぞ?!」
「いいえ、違います。私とあなた方では、祈る対象が異なるのです。あなた方は神々、私は『審判女神』。常々に不思議だとお思いにはなられなかったのですか? 私たちに『審判女神の眷属』という名称をロジックに書き込んだ、あの日から一日も疑問に思うこともなく?」
壊れた人形のような不可解な動きを取りつつ、少女が子供らしい満面の笑みを浮かべる。
「ではお教えいたしましょう。この言葉、この『審判女神』という文字に秘匿された真実を」
邪魔臭いとばかりに少女は神官の外套を脱ぎ捨て、肌面積を増やしつつも『拳聖』の名に相応しい身軽な格好となる。そして、露わになった未発達な胸元に刻まれていたのは“天秤”であった。
「祈りを捧げていたのは、『図り知る者』だったのです。異界はどこにでもあってどこにでもない。『図り知る者』の尖兵たるギルド長の傍で祈りを捧げるだけで信仰を得ることはできました。そして異界に堕ちても尚、“私たち”の信仰は薄まるどころか高まり続けている」
「魔物の首魁に、祈りを捧げる……など……あり得ん!」
「あり得ない? なぜ? 私には分かりません。信仰の対象をどうして『神』に限定するのですか? あなた方は『神』で、私は『異界獣』だった。それのなにがいけないのですか? むしろ、信仰する対象を否定するなどあってはなりません。それは冒涜以外のなにものでもない」
「……この子、本当にアイリーン……それともジェーン? こんなペラペラと喋る子じゃなかった」
アベリアが印象と異なることを語っても、ジュリアンはギルド長の傍付きの二人の少女を詳しくは知らないため記憶の中で比べることができない。
「二人分の言葉を一人で全て語るのは、思った以上に疲れる。だから、もう私にこれ以上の苦労を押し付けないで」
さながら自分が被害者であるかのような物言いをしつつ、少女は歩みを止めない。いや、止められない。アベリアもジュリアンも状況を理解できていないこともあるのだが、少女から“空間すら震撼させる気配”に呑まれている。
「ギルド長は、あなたに感謝している。だから生者のままにしていろと言っていた。でも、もうその必要もないらしい」
「ビスターめ……恩情で生かしておったか」
「感謝していると伝えてほしいと。最上の感謝を、あなたに伝えてと言われている。あなたがいなければ、ただ霊的な存在と遊ぶだけの孤独な子供のままだったと。あなたがいなければ、冒険者になることも、錬金術に手を出すこともなかったと」
「この者たちは『繋ぎ――」
「『断罪せよ』」
周囲を回転し、数十本にも及ぶ光の鎗が床と水平を保ったまま輪を作り、ピタリと止まったと思えば一瞬にして副神官へと突き刺さった。
抵抗しようとアベリアとジュリアンは動いた。ここで死ぬことはできないが、せめて一本でも致命傷に至らない部位で制することができたなら、見殺しにせずに済む。自らが負った傷は回復魔法を唱えればいい。だからこその身を挺して副神官を守ろうとした。だが、光の鎗はアベリアとジュリアンも囲っていたはずなのだが、まるで障害などないように擦り抜けて副神官だけを貫いたのだ。
「ここの概念は『図り知る者』が決める。あなた方に私たちを止める手立ては、無い」
更に深く光の鎗が副神官へと突き刺さり、大量の血を噴き出しながら倒れ伏す。もはや意識どころか命はなく、遺言の一つすら残せないまま彼は死んだ。それも、自身が信じて疑わない“祓魔の術”によって。
「……なんで」
ジュリアンは呟くように怒りを満たす。
「なんで、こんなことができるんだよ!!」
「それはそのままあなた方の所業への問いとして返させていただきます。なんで、あんなことができるのですか? 人でないから、魔物だから、たったそれだけであなた方は、異界を拒み、魔物を拒み、破壊し、討伐する。私がやったことは間違いなのでしょうか? 恐らくは正解ではないのでしょう。しかし、私が正解を選ばなかったからといって、あなた方が決して“正しい”などとは限らない」
跳ねる。ジュリアンの動体視力では間に合わないほどの加速でもって詰め寄られ、少女が拳を打つ。
床から噴き出す炎が少女の拳を遮って、灼熱でもってジュリアンへのこれ以上の接近を許さず、苦々しい顔をしながら少女が後退する。
「『原初の劫火』……」
「ジュリアンにお願いがある」
「逃げろ、ってお願いは聞きませんから」
「このままだとエイラが危ない。私がこの子を惹き付けておくから、あなたはエイラを守ってあげて」
「だから、逃げろってお願いは聞きません! それは僕が足手纏いだから追い払おうとしているだけでしょう?! だったら逆です! 僕が意地でも時間を稼ぎますから、アベリアさんはエイラを連れて逃げてください! 足手纏いの僕を切り捨てて、あなたが生きるべきです!!」
「ジュリアン……あの子には、あなたが必要だから」
強い言葉ではなく、優しい言葉で諭される。
「互いに寄り添わなくてもいいから、反りが合わなくてもいいから、傍にいてあげて。そうじゃなきゃ、あの子は異界から脱出できても生きていけないから」
炎がジュリアンを包む。
「待ってください!」
「行って!」
ジュリアンを包み込んだ炎はさながら火球のように閉じられていた扉など物ともせず、教会の外へと射出されてシンギングリンの大通りで水のように溶けて消える。
「なんで僕なんかを……! また僕は……僕は!」
なにもできないのか。ヴォーパルバニーに好意を寄せていた人を殺されたときも、その復讐を果たすためには力が足りず、冒険者に頼み込むしかなかったときも、ヴォーパルバニーを討伐するところを見ていたときも。
ずっとなにもできていない。ずっと、ただ見ているだけだ。
ジュリアンは衣服に付いた土汚れすら気にすることなく宿屋まで一気に駆け抜けて、息も絶え絶えのまま部屋へと飛び込む。
「そんなに慌てて、一体どうした?」
既に刺客が送り込まれていたのか。そのように思って身構えたが、部屋にいたのは異界に堕ちて以降、姿を見せていなかったエルヴァだった。
「どうしたはこっちのセリフです! 今までどこでなにをしていたんですか?!」
「詰所の方から異界について調べていた。探していた情報が手に入ったから、アレウスの頼み通りに貴族の娘をシンギングリンの外へと逃がすところだ……が、見ての通りテコでも動こうとしない。無理やり……でも構わないんだが、良い歳をした男が嫌がる少女を引き連れて街から出て行く姿はあまりにも目立つ。どうか、そっちでこの問題は片付けてくれないか?」
エルヴァが部屋の隅に行き、ジュリアンはベッドの上から頑なに動こうとしていないエイラに近付く。
「この場所が危なくなった。異界からの脱出も考えて、街から出た方がいい」
「アレウスは……? アベリアは?」
「僕たちの……ために……」
こんな、みっともない自分自身のために時間を稼いでくれている。アベリアがそうしたのなら、アレウスもきっとそうしている。
「みんなを惹き付けているんだ。この間に外へと出れば、敵だって追いかけてはこられないさ」
気丈に振る舞う。
「でも、お母さんが」
「大丈夫、お母さんはもう逃がしたよ」
「嘘よ。ジュリアンはそんな風には言わない。絶対に言わない」
どこまでも、どこまでも、無駄なところで頭がキレる。
「……君のお母さんは僕が助けに行く。だから君は、エルヴァさんと一緒に外で待っていてくれ」
これは明らかに無駄な行為だ。
「お願いだ」
自ら死地に赴く行為だ。アベリアの願いを踏みにじりはしていないが、自身の命を無駄にする。
「……ジュリアン、戻ってきてね?」
「ああ」
エイラはベッドから降りて、エルヴァの元へと駆け寄る。
「絶対だからね!」
エルヴァのあとを追ってエイラが部屋を出て行った。それを見届け、しばらく扉の外をジッと見つめたのち、ジュリアンは部屋に置きっ放しにしていた鞄と杖を手にして宿を出る。
目指すは街の外――ではなく貴族領だ。
「こんな、死に場所を選ぶなんて……誰のためにもならない、死に方なんて……」
呟きながら走り続け、魔力の糸を繋いで塀の上へ、そして乗り越える。魔力を一気に糸へと束ね、蜘蛛の巣のように放出する。冒険者の位置を確認するためだったが、不思議なことにどこにもその手の魔力や強者が持つ気配がない。アレウスが街の外へと出たことと、この場所の冒険者が消えたことになにかしらの繋がりがありそうだったが、仮説だけでは真実には至れない。しかし好都合であることには変わりない。人目を気にすることなくさっさとエイラの母親を連れ出して、この街から出られる。
そう思って、貴族領の中にある綺麗な公園を横切ろうとした。
「あなたはここに来るだろうと思っていた」
先ほど教会で見た少女と瓜二つの少女が、大した気配もなく近付き呟く。ここまでの接近を許したがゆえに、もはや構えられた拳を受けるのは必然となる。
「“盾となれ”!」
魔力の障壁を体に張ったが、割れるような音とともにジュリアンは打撃によって吹っ飛んだ。肉体の損傷はほぼないが、障壁を張れていなければ即死だったかもしれない一撃に身震いを憶える。
「ただ逃げればよかったはずなのに、繋ぎ合わせてしまった縁があなた方を縛り付ける。そう、まるで“我ら”のように」
外套を脱ぎ捨て、拳闘士らしい身軽な服装となった少女の胸元にはやはり『天秤』の絵が刻まれている。
「あなたは口ではなんとでも言っても、結局はその縁を捨てられない。だかあなたはここにいる。我に殺されるために、ここにいる」
「ふざけるな……」
杖で足を叩き、痛みで身震いを掻き消す。
無意味に死にたくなどない。だがきっと、これは無駄死にだ。無駄に動いて、無駄に死んだ。無意味な死だ。なにも得ることなく、死ぬ。
「僕は……殺されるために生きているんじゃない」
それでも、悪足掻きはしてもいいだろう。無駄死にだとしても、無意味だとしても、足掻くことぐらいは許される。
「では、あなたはなんのために生きていると?」
その答えは、好きだった人が殺されるところをただ見ているしかなかったときから決めている。
「冒険者に、なるためだ! “盾となれ”」
肉体に障壁を張る。直後、少女が動く。
「“癒や、”」
次の打撃は先ほどよりも強いだろう。それを踏まえて事前に回復魔法を唱えようとしたが、少女が突き出した人差し指と中指が精確無比にジュリアンの両眼を貫いた。
「“し続けろ”!」
脳が弾け飛んだのではないかと思うほどの激痛と、視界が消し飛んだことに伴う恐怖を抱えながらジュリアンは詠唱を途中から切り替え、“回復”ではなく“継続回復”を唱え切る。
「“癒やしを”」
続けざまに回復魔法を唱え、破裂した眼球が再形成されて、視神経を繋ぎ、視界が回復する。
「継続的な回復を求めることで、肉体に回復が必要だと思わせる。両眼が潰されたという異常が正常になる過程を排除。見事ではあるが、それで一体、なにを見出す? 防戦一方どころかただ回復魔法を唱え続けていただけでは我に傷一つ付くことはないぞ」
少女がその場で跳ねつつ、自身の指先に付着しているジュリアンの両眼だった物を振り払うようにして捨て、走り出す――のだが、突如として両目を手の平で覆い隠し悲痛の声を上げて悶える。
「やっぱりだ。さっき糸を張ったとき、感知できなかった。でも、糸は絡み付いていた」
ジュリアンは両目から滴り落ちている血を袖でこする。
「僕ばっかり辛い思いをしているんだ……痛みぐらい共有しろよ」
だが、こんなのは通用しない。なぜならジュリアンは痛みに慣れないが、少女は痛みに慣れることができる。断定的な表現になってしまうが、ジュリアンにはその確信があった。現に少女はもう痛みから立ち直ったのか、こちらを睨み付けている。
「痛みを感じる前に殺せばいいだけのことだな」
そして早くも攻略法を見つけ出されてしまった。
痛みの共有はジュリアンが生きていれば可能だが、死ねばジュリアンの受けた痛みは糸を通して少女には伝わらなくなる。つまり、即死させられればなんの意味も持たないのだ。
「しかし面白い力だ。捧げずに食べてしまいたいと思ってしまうほどにな」
迫る。だがジュリアンには少女から逃れられる力はない。
「“制約を課す”」
少女の踏んだ地面から複数の光の鎗が突き出し、両足、両腕、腹部を貫き動きを制する。力任せに打ち破ろうとしているが、よほどに強固なのか光の鎗はビクともしない。
「死にたいのに死ねなくて、こっちに来てもやっぱりまだ死なせてはくれなくて……でも、やっと分かりました。これから育つ若者のために私は生かされていたんですね」
槌のような杖を引きずって、ゆらりと揺らめき、顔の半分以上が包帯に覆われている女性が狂ったように口角を上げた笑みを浮かべる。
「まったく……神様も、ルーファスも……意地が悪いですよ。死ぬときは、一緒だって言ったのに」
「アニマート・ハルモニア」
怯えるように、そして震えた声で少女は女性の名を発する。
「よく言えました、もう一人のジェーンさん。では、ご褒美にあなたの心と体に痛みを、与えて差し上げます」




