二人じゃない
-私はアイリーン、あなたは?
私はジェーン、あなたは?
私もアイリーン、あなたは?
みんな一緒、私もジェーン-
もし、『勇者顕現計画』とやらに『異端審問会』が帝王に口添えをして中止させたのが事実であっても、それで命拾いした者だっているはずだ。
しかし、『異端審問会』がわざわざ中止するように求める理由はどこにあるというのか。ビスターのような生き様を終わらせる気で挑んだ者を燃え尽きさせ、狂わせるためだろうか。それにしてはリスクが大きすぎる。そもそも、そんな中途半端に生き残った者を大量に残すことが、結果的に『異端審問会』にとってプラスに働くとは思えない。
ビスターに、『異端審問会』を意図的に憎ませる。その憎しみが冒険者から叩き上げでギルド長になった男の原動力となったからなんだというのか。『異端審問会』はシンギングリンに限らずあらゆる国のあらゆるギルドが敵対組織として捉えているだけでなく、その謀略や策略を阻止するべく動いている。
だから、得がない。ビスターがギルド長になったことで『異端審問会』に得になるようなことがあるのなら話は別なのだが、今のところそこの繋がる点は見つからない。見つからないのだから線を引いて繋げることもできない。
外のゴーレムは轍さえ意識すれば、ほとんど反応はない。
ヘイロンにかなり不安を煽られたためにゴーレムが見えれば目的の方角から逸れることになっても大きく迂回し、轍は必ず飛び越えることを徹底していたが、ゴーレムの大群がアレウスに押し寄せてくる傾向は見られない。この異界のゴーレムに限って言えば、本当に『轍』に拘っているだけだ。そして『轍』が彼らにとっての縄張りで、縄張りの外へとわざわざ踏み出すこともない。
では、ヘイロンがどうして警告を出してきたのか。訊ねようにも、ロジックに寄生している女はどれだけ虚空に話しかけてみても反応がなくなった。アレウスが自身の力の気配を追い始めた頃から『少し休む』と言っていたが、まさか本当に休んでいるのだろうか。寄生されているというのに、その辺りは全く分からない。話しているだけで体力を消耗するとでもいうのだろうか。
いや、ギルド内では手助けをしてくれた。あれが魂だけになってしまったヘイロンの精一杯の力添えだったのだ。そして、休まなければならないとなれば、ロジックに寄生していようとも消耗する力はアレウスの魔力や体力ではないことになる。しかし、それはたまたまだ。ヘイロンが自分の意思でアレウスからなにも拝借していないだけだ。これが真に寄生虫と呼ばれるような存在だったなら、体力や魔力どころか意識も、そして肉体すらも奪われていることだろう。
「だからって、僕に寄生しているこの人を良い人とは思わないけど」
既に散った命で、殺された恨みで地上に呪いとして留まり続けて、異界にシンギングリンごと呑み込まれ、魂として顕現してアレウスに寄生した。理屈として通っているだろうか。通っているとも思えるが、どこか嘘臭い。だが、その嘘も含めて利用すると決めたのだ。
反射的に体を左に向け、抜いた短剣で飛来した矢を叩き落とす。不快な鳴き声、聞き慣れない足音、そして統率の取れた包囲網。矢を放たれてから三十秒も経たない内にコボルトに囲まれてしまった。
仕掛けさせたのはゴブリンかとも思ったが、どこを見てもゴブリンの気配はない。ならばゴブリンと共生していないタイプのコボルトだ。知恵はゴブリンより下だが、ガルムのような展開力と足の速さを持っている。油断していれば足元をすくわれる点は変わらない。
そして、コボルトの体と物体が同化している。肉体の代わりに木材や瓦礫や石のつぶてが混ざっている。リブラの異界特有――いや、この魂に価値を付与するのはビスターの実験によるものだ。リブラの異界の特徴は『轍』に拘るゴーレムだ。
「……悩ましいな」
ただ物質が肉体と同化しているだけなら構わないが、急所を守るように物体が皮膚の代わりに張り付いている。これでは鎧でも着ているかのようだ。自然に身に付けた鎧ではなく、実験の結果として得た防御力を突破しないと倒し切れない。
コボルトはアレウスの悩みを待つことはなく、次から次へと手に握る石の短剣を接近と同時に振り回してくる。回避に徹するが、回避したところで数の有利はコボルトにあるため、避けた先でまた避けるといった動作を繰り返さなければならなくなる。それは一対一で行う回避よりも挙動を大きくせざるを得ず、反撃のために急所を狙いに行っても短剣の切っ先はコボルトと同化している物質に弾かれる。しかし急所以外を狙わずに処理していくには数があまりにも多い。
「鬱陶しい!」
叫んだところで、コボルトは二の足を踏まない。『オーガの右腕』を封印されていることも相まって、威圧することができない。こういった下級の魔物を追い払うために血の小瓶も用意していたが、これもまたアーティファクトが封印されていては“ただの人間の血”になっているだろう。
適切に対処していく。少しずつコボルトの体力を削るように、急所以外を攻撃する。ただし、急所以外も物質で守られている場合もあり、これも効率的とは言いがたい。かといって、この地道な戦闘を続けなければコボルトからは逃げ切れない。一点突破して逃げたところで、ゴブリン以上に鼻が利くコボルトはずっとアレウスを追ってくる。これではアイリーンとジェーンを見つけたところで、コボルトの集団との挟み撃ちを受けてしまう。コボルトでこの耐久力を有されるのはたまったものではないが、物質と同化した冒険者とまだ出会っていないだけマシと思うしかない。
一匹、二匹と倒してはみるが突破口はやはり見えない。持久戦にはしたくない。しかし、この耐久力を前にしては短期決戦は厳しいか。
『たった一人に指揮を執るのもどうかとは思うが、君と『泥花』がいないとリブラを異界の外へ引きずり出す計画は始まらない。隠す気はなかったが、少しばかり取っておきのように出し惜しんでしまったな』
「僕に構う余裕があるのか?」
エルヴァからの『念話』に返事をする。
『ないが、もっと余裕がなくなる前に君に起こっている余裕のなさを払拭する。神を信じない君には聖歌隊の讃美歌は届かない。そうなると、魔法以外で得られる唯一の強化だ』
不審に思いつつも、コボルトの攻撃を避けてまず体勢を整え直す。
『“奴らの陣形を崩せ”!!』
力の波濤を感じる。まるで物理的に背中を押されたかのように足は勝手に前へと踏み出し、勢いに呑まれるままに走り出す。コボルトは変わらずがむしゃらに突撃してくるが、アレウスはそれ以上に自身の中、そして外部から注がれた力を乱暴に短剣へと乗せて振り抜いた。
アーティファクトを封印されたままの筋力と、短剣という切り裂くことに特化した武器だと打ち砕くことすらできなかった物体と同化したコボルトの急所の鎧を、ただ力任せに振った一撃だけで砕き、皮膚を、肉を、更には骨まで断った。一匹を倒すのに多くの手間をかけていたのに、たった一撃で屠ってしまった。
それからも外側から干渉してきた力と、それに牽引されるようにして内側からみなぎる力を重ね合わせ、石を、木片を、瓦礫を、ありとあらゆる物質と同化したコボルトの皮膚を次から次へと砕き、そして急所を貫き、倒していく。
『リスティが僕を異界に行かせた理由がこの『指揮』の技能だ。魔法や讃美歌に比べたら微々たるものだけど、負荷はほとんどない』
「そんな技能、僕は聞いたことも見たこともありませんけど」
『部隊を担う者全員が持っている――と言いたいところだが、残念ながら帝国では未確認だ』
「帝国では……?」
『念話』に応じることができるほどに余裕が生まれている。ほぼ一撃で倒せるため、回避も小さく済むようになり、闇雲にしか立ち回れなかったアレウスも、一定の間合いを測れるようになっているだけでなく、単体ではなく全体を見ることができている。
『こう言えば分かるか? 僕とリスティ、『逃がし屋』。そして、クールクースと、奴に憑いている天使』
「王国限定の技能」
『奴らが帝国に張り合える理由の一つさ。連合が『不死人』、王国が『指揮』、そうなると帝国はなにを持っている?』
「……分かりません」
『だろうな。僕もまだ、分からない。それを見るために軍に入ったというのに』
コボルトが徐々に勢いを失っていく。アレウスが次から次へと同胞を屠る姿に、少しずつ“敵わない”と思い始めたのだろう。そうなると包囲もグチャグチャになるどころかアレウスとの戦闘を諦め、逃げ始める魔物も出てくる。
尚も果敢に攻めてくるコボルトだけを集中的に叩き、力を見せつけ、後退しながら矢だけは一丁前に射掛けてくるコボルトには拾った石を投擲して威嚇して戦闘を諦めさせ、逃がす。
『指揮』によって与えられた力はもうほとんど残っていない。明らかに強化魔法よりも効果時間が短い。ただし、“軽やか”の魔法に見られるような、効果が切れたあとに襲う疲労感はほとんどない。
「もしかしてエルヴァが『不死人』に殺されず拘束されたのは、この『指揮』の技能を調べるために?」
『それもあるだろうが、そうじゃない。俺が拘束されたのは、ほとんど君と変わらない理由だ。っと、そろそろこっちも余裕はなくなってきた。次からは期待するな』
エルヴァの『念話』が切れる。
「唐突に力を貸されても、恩を押し付けられているようにしか思えないんだよな」
生き残ったほとんどのコボルトが逃げたのち、アレウスはボソリと呟く。助けてもらったが、こんな“狙ったような”助け方があるだろうか。あまりにもタイミングが良かったせいで、あのコボルトたちをけしかけたのがエルヴァなのではないかとすら思ってしまった。
ただの妄想だが、やはり気を許してはいけない相手だ。
「僕の周りには気を許せない相手ばかりだな」
感情を吐露するが、思えば自分自身が特定の人物たちしか信じていないのだから、その特定の人物たちと行動できない状況に陥ればこうなる。一年前はなんとなく感じていたことだが、今は肌がヒリ付くほどに実感することになってしまった。
孤独を望んだがゆえの現実だ。受け入れるしかない。しかし、このまま利用し、利用される相手ばかりと関わり合いたくはないものだ。
アレウスは短剣に付着した魔物の血を、アベリアから受け取っていた聖水で洗い流し、鞘に納めて封印の気配を再度、追い掛ける。
コボルトに示威することが周辺の魔物に影響を与えたのか、アレウスの移動を妨げる要因はゴーレムの轍のみとなり、マッピングと移動を交互に繰り返してもほぼ危険はなくなった。こうなってくるとあとはビスターの息がかかった冒険者に捕捉されないかだけが懸念事項となる。
だが、呆気なくも封印の鍵を持って逃げた『聖拳』の一端を見つけ出す。
「我のところに先に来たか」
「アイリーン……いや、ジェーンか?」
この『審判女神の眷属』については、ほぼ相貌が瓜二つだ。違うのは髪型とほんの少し肌の色素が濃いか薄いか。正直なところ、アレウスですらどちらがアイリーンでどちらがジェーンかは分かっていない。
なにせ二人はいつも共に行動していた。悪魔退治のときはハッキリと差異を感じていたが、日が経ち過ぎている。あのときの感覚のまま話しかけたところで、きっと間違える。
「間違えることを怖れている?」
「なにを、」
「あなたは我がアイリーンかジェーンか、それを間違えるのを過度に怖れている?」
怖れてはいない。過度でもない。
だが、なぜだろうか。本質的には正しい。どうしてアレウスはアイリーンかジェーンかで迷う必要があったのだろうか。戦う相手は共に『聖拳』。一度見た限りでは、力量に差はなかった。
「その怖れは、異なる怖れ」
「……わけの分からないことを言っていないで僕のアーティファクトと力を返してくれ」
「我はツインズ、或いはジェミニ」
アイリーンか、それともジェーンか。どちらか分からないまま少女はアレウスを嘲る。
「我とアイリーンは双子ではないぞ?」
嫌な汗が噴き出す。この一言で、目の前にいるのはジェーンであることが分かったのだが。
「ツインズ……ジェミニ……意味は、双子座……双子……君とアイリーンも“双子”なのか?!」
ここにジェーンがいる。アイリーンもシンギングリンの外のどこか。ビスターの言葉から二人が双子と決めつけて、アイリーンとジェーンは“二人”だけだと思い込んでいた。
だが違う。この言い方ならばアイリーンもジェーンも双子同士。つまりアイリーンのような者がもう一人、ジェーンのような者がもう一人いることになる。“二人ではない、四人なのだ”。
「我らがギルド長を守らないと思ったか?」
体術の構えを取った瞬間、空間が震撼した。これは、肌でも分かる。『異常震域』だ。
『異常震域』は異界獣が現れる際に生じる特定の空間震動。界層を渡る際にも生じると言われている。そして悪魔のような特定の生物も同等のオーラを放つ。
思えば、アイリーンもジェーンも悪魔の放つ『異常震域』に意図も容易く共振できていた。その理由はとても単純なことで、二人――いや四人はそもそも『異常震域』の持ち主であったからだ。
こんな少女が、異界獣。にわかには信じられないが、信じるほかない事実が目の前に立っている。それどころか、シンギングリンに未だ残っているだろうアベリアたちに『審判女神の眷属』――『双子座』の脅威が迫っている。
すぐにシンギングリンを出るべきではなかった。アレウスは自身の安易な選択を、後悔した。




