知っていること
調査する順番を間違えてしまった感は否めない。事を急いてしまったがゆえに一番最後につつくべきところをつついてしまった。だが、いつまでも異界に留まり続けるわけにもいかなかった。事態が進んだと考えれば、停滞するよりはずっとマシだろう。
「ヘイロンさんは僕以外のロジックには寄生していないんですね? 乗っ取る気もないと?」
「私はオリジナルと違って、特定の一人にしか寄生できない。そして、寄生したなら以降はずっと寄生先を変えられない。私が異界で『異端』に寄生できたのは、先に世界で死んで魂だけになり、御霊送りですら浄化されずに呪いとして留まっていたから。肉体がない状態なら寄生はできる。問題は、そこから乗っ取るまでの力が残されていなかったことだけどねぇ……まぁ、たとえできたとしても私が『異端』の肉体を乗っ取ろうだなんて考えやしないよ」
「どうして?」
「だって楽ができないじゃないか。冒険者に求められる水準は担当者の比じゃない上にいつだって死地に飛び込むもんだ。口先三寸で冒険者を良い気にさせて、帰りを待つだけなら簡単さ」
「簡単でもないと思いますけど」
それはリスティやシエラの努力、そして覚悟を否定している。だからアレウスは脳内で聞こえるヘイロンの言葉に逆らう。
「冒険者に比べれば、って話さ。実際、頭を使って人を管理し、動かす方が私には合っているからねぇ。寄生するなら策謀家や軍師も良かったが、頭角を現せば目立ってしまう。だったら担当者に寄生すれば、まぁその街では有名にはなれど目立つまではしないだろう。そういう考えさ」
「だったら」
「『異端』に限らず、この街で私を見ていた連中はみんな私を見ちゃいなかった。あの体は私が過去に寄生した女の体だよ。もっとも……寄生したがゆえに、オリジナルのヘイロン・カスピアーナから外れてしまうことになってしまったんだがねぇ……まぁ、テッド・ミラーと運命共同体でいるよりは良かったのではと思ってしまう。だが、これも寄生した女のせいなのさ。死んで私の考え方はオリジナルに等しく戻ると思えば、乗っ取った魂は私が魂になったって同化したままだ。私は寄生した女と運命共同体になってしまったのさ」
ギルドを出て後方を確認したがギルド長が追いかけてくる様子はない。
「その女性とはなにか契約を交わしていたんですか?」
魂を縛るともなれば悪魔との契約にも等しき儀式があったのではないかと勘繰る。
「違う違う……あの女は寄生することでしか生きられないヘイロン・カスピアーナにとっての毒だっただけさ。なんなんだろうね、まったく……最後の最後まで私の甘言に引っかからず、火刑に処されて死んだ……私に体を委ねれば、同化などせず未だ反発して肉体の奪い合いもできていただろうに」
「思い出に浸るのはやめてもらっていいですか?」
アレウスはヘイロンの過去を知りたいわけではない。
「ギルド長――ビスター・カデンツァについて教えてください」
この異界の主はリブラ。そして契約を交わしているギルド長だ。契約とは言っていたが、ただ最も信頼を置く尖兵という扱いかもしれないが、リブラの手の届かないところでの管理を行っているはずだ。そしてその尖兵の部下なのがアイリーンとジェーンとなる。ただし、世界ではギルド長に絶対的に従っていた二人が、異界では若干ながら命令の外にある。アレウスに封印を施したのち、鍵を持って逃げ出したのはリブラとギルド長の総意ではなかったはずだ。
要するに、ヘイロンのことを知ったところで異界に関する情報は一つとして手に入らない。手に入れるべきはリブラ、ギルド長、そしてアイリーンとジェーンに関わることだ。そこには必ず異界の理や概念が関わってくるだろうから。
「私に興味は無いのかい?」
「ありません。シエラさんやリスティさんに意地悪を――そしてそれは僕たちへの意地悪へと繋がっていたと思っていますから」
「意地悪……意地悪、ねぇ。こっちとしては『異端』が危険かどうかを見極めなければならず、もし『異端審問会』と繋がりがあったなら、そしてそれを隠し通して活動を続けているのなら、どうやってその化けの皮を剥がし、どうやってみんなを守ろうかと考えていただけなんだがねぇ。なんにせよ、『異端』に限らずどんな冒険者にだって良い顔はしなかったもんだよ。感情的になれば、喪ったときに悲しんでしまうからね」
アレウスは宿屋へと走っていたが、このままだとエイラを巻き込みかねない。だからといってアベリアとジュリアンが行っているであろう教会に向かうのも得策ではない。目指すべきは街の外だ。
「ビスター・カデンツァは私をギルドの担当者に誘ってくれた、いわば恩人さ。だが、さっき話して分かったが……奴は私を担当者として適正があるから誘ったのではなく、魂の在り処について興味があっただけだろう。他人のロジックでしか生きられない寄生虫の私を観察できるように手元に置いておきたかったのさ、あの男は」
「ギルド長はこの街出身だと仰っていましたが」
「出身を口にしていたことは何度かあったよ。『なにもなかった頃のシンギングリンで育った』と。まだ街として発展していなかった頃の話さ。だから、およそ三十年から四十年前ってところさ。年齢については語ってはくれなかったよ。容姿から見て四十代から五十代ってところだけどね。ひょっとしたら三十後半かもしれない」
育った頃の記憶が残っているのなら、物心が付いた年頃となるだろう。一般的には四歳頃、もっと自覚や自認が早ければそれより更に幼くなる。だから三十代中盤でもおかしくない。ビスターの年齢について詳しく知りたいのではなく、当時の生き様を知り、この異界における共通点を探したい。
「『勇者顕現計画』について聞いたことは?」
「担当者になる前に聞いたことがあるよ。知ってなんになるんだい?」
「そのときの挫折が、リブラとの契約へ繋がるのなら知っておきたいんです」
「『勇者顕現計画』ってのは、その名の通り、廃人になってしまった『勇者』の代わりに人工的に『勇者』を発現させようっていう帝国の計画さ。発現ではなく顕現という言葉を使うのは、高尚な計画であると思わせたいだけの誇張表現さ。帝国中の新進気鋭の冒険者を集め、各地で帝国が規定した条件を満たし、ダンジョン攻略を行うことで最終的に『勇者』としてロジックに刻まれる。そういう計画だったと私は聞いている」
「でも、そんなことは起こらなかった」
「分かると思うけど、『勇者』も『聖女』も努力で得られる称号じゃないんだよ。あれは生まれ持って、その運命を背負った者にのみ刻まれる。『勇者』より『聖女』は発現しやすいらしいけどね。これも計画で人工的にロジックに刻まれるかどうか実験されていたけど、やっぱりなるべき者がなるべきタイミングでしか得られない称号だと結論付けられた。考えてみな? 『勇者』は世界で一人しか確認されていない。それなのに、人工的にその称号が得られるなんて、そんな虫の良い話なんかあるわけないだろう」
急いで街の外へと目指していたが、前方になにやら人だかりができているため道を変える。
「そもそも、『勇者』の称号を得るための基準ってなんだって話だよ。聞いた限りじゃ、そりゃもう非道で非情で、加虐的にして虐殺的だったと……なにをすれば『勇者』になれるのかも分からないまま、将来有望な冒険者は身勝手な帝国の犠牲となった。中止されていなければ、もっと多くの冒険者が帝国から失われていたらしいよ」
「……さっきの人だかりは明らかにリブラの尖兵でしたね」
話を聞きつつも、アレウスは自身が見た人だかりの正体についてヘイロンに確認を求める。
「ビスターが『異端』をリブラに捧げると決めたんだ。魂の価値を付け足された者たちは、ビスターの意思に従ってあんたを捕縛しようと動く。先回りされていたのは、街の外に出るだろうと予測されていたからだろう。完全に気配を消せないなら、感知できる中で消えたり生じたりする気配を追えばそれはアレウリス・ノールードだと気付かれている」
「じゃぁ、魂に付加価値を与えられたのは一般人だけじゃなく、冒険者も?」
エイラの父親に施された所業は、冒険者にも及んでいたことになる。
「貴族領で襲われたことを憶えているだろう? あそこで襲ってきたのも冒険者だった。どいつもこいつも、腕や足に物体を引っ付けていたけどね」
だが、貴族領の冒険者が動き出したとしても速すぎる。街の中にも少しずつリブラの尖兵が作られていたことを物語っている。
その少しずつが、徐々に広がればいずれは街全体を支配する。そうするとシンギングリンはリブラの尖兵であり、捕食対象でもあるただ一つの魂の虜囚の行き着く先となる。どこに逃げても、どこに隠れても、この異界に堕ちることが即ち、リブラにいつか喰われる結末へと至る。街全体をリブラが支配するのなら、堕ちた者を救助する余地すら生まれなくなってしまう。
「『勇者の子孫』――その称号を持っていたクラリェット・ナーツェは元気しているかい?」
「一年ほど連合に捕まっていた僕には、語ることさえ難しい状況です。生きているとは信じていますが」
アレウスは足を止め、疑問を抱く。
「僕のロジックに寄生しているのに、どうして知らないことを聞いてくるんですか?」
「あんたの場合、寄生はできても中身は見れないんだよ。私がもう死んでしまっていることもあるんだろうが、あんたのロジックは特殊が過ぎる。でも、ちょっとだが分かったことがある。クラリェットについて聞いたのはそのついでさ。あんた……『勇者の血』をなんでアーティファクトとして持っている? 気付かないフリをしてやろうとも思ったけど、『勇者顕現計画』に加えてビスターの『勇者』という称号への拘りを知ると、聞かないわけにはいかないよ。私が生きていた頃はまだそんなもの、持っていなかっただろう?」
「一年前に、エルフの暴動が起きました。その原因を作ったのがクラリエの母親――『賢者』のイプロシア・ナーツェでした。『神樹』を取り込み、『継承者』となりました。そのイプロシア・ナーツェに対抗するためにクラリエは血を捨てたんです。血が重いから『衣』を使いこなせない。だったら血を軽くする――血統を軽くすることで『衣』を自在に使えるように、と」
「捨てた血がなんであんたに渡っているんだい?」
「言葉通りの意味で捨てたんじゃなく、クラリエは僕に血を飲ませたんです。彼女の中では、そうすることで血統を軽くすることのみならず、僕がそれを有することに確信があったのだと思います」
「……『オーガの右腕』、『蛇の目』、『エルフの耳』。『異端』のアーティファクトはどれも部位に関わる。だからって、取り込める確信なんざ得られるかねぇ」
「いえ、きっとあったんだと思います。詳しくは言えませんが、僕は血を飲んだ瞬間、彼女の確信と同様の確信を抱いていました」
アレウスのロジックはアーティファクトとして“取り込む”。条件は不明瞭だが、現状では口にした物はアーティファクト化している。そしてアーティファクト化するだけでなく欠損した部位を補完さえしてしまう。イプロシアとの戦闘はまさに極限状態であり、身に差し迫る死の感覚があった。だからクラリエはアレウスに血を飲ませることで、『勇者』の血統の重みを放棄できるチャンスを得た。
クラリエが『勇者の血』を与えたことにはなにか理由がある。アレウスはそう思いたいし、与えた理由を聞きたい。単に血を捨てたかったからとは決して思いたくないのだ。仲間に良いように利用されたなどと、そんな信用ならない出来事ではなかったと信じたいのだ。
「信用していない相手に血なんざ飲ませんだろう。クラリェットもクルタニカも、認めた相手には尽くす。ミーディアムであるがゆえの習性だろうね。とはいえ、あんたが男でなくともそこまで深く関わっていたなら尽くしているだろうがね」
「それで、話は逸れましたが」
足を止め、気配を探る。この道から街から脱出するのは困難と判断し東を目指す。
「まだ僕が知らないことはありますか?」
「ビスターについて知っていることはさっき話したこと、そして奴が話したことが全てさ。アイリーンとジェーンはビスターが孤児を引き取って鍛え上げたと聞いていたんだが、ひょっとしたらこれも作り話なのかもしれないねぇ。私が担当者に誘われたときには、もう既に幼い二人が彼の背中に隠れてこちらを窺っていた」
「二人の出生は不明ですか?」
「調べようにも調べられないさ。『拳聖』として登録されてこそいるが、誰も二人のロジックを開いたことはないよ。アニマートですら開いたことはなかったはずだ。そうなるとこの街で開いたものなど…………いや、副神官殿は開いたことがあるかもしれない」
「副神官が?」
「ビスターと副神官は懇意の間柄だと聞いている。昔からの知り合いであるのなら、アイリーンとジェーンについて知っていることはあるだろう。『拳聖』にしたって、ロジックに干渉しなければ刻めない。だから、誰かしらは開いている。だが、その誰かしらとして挙げられる人物は副神官殿しかいない」
となれば、どうにかしてアベリアたちと合流すべきだろうか。
「東門を目指す前に教会へ行くかい?」
「……いえ、どうにもそんなことができる雰囲気ではないようです」
またも不審な気配を感知する。それらはアレウスの方へと着実に迫ってきている。無意識に道を歩いているというより、目標に向かって歩いている者特有の気配の動きがある。
「教会に行けば、囲まれてしまう」
だが街を脱出したあと、どうやってアベリアたちと話をすればいいのか。ジュリアンの糸による魔法も、向こうからアクションを起こしてもらわなければアレウスは繋げられない。アベリアとは魔力的な繋がりを持っているが、それで話し合えるわけではない。そして『接続』の魔法もやはりジュリアンと同様でアベリアからアクションを起こしてもらわなければならない。
だが、考えてみればアレウスが宿屋に帰ってこなければアベリアもジュリアンも『接続』の魔法を唱えるのではないだろうか。あまりそこに頭を悩ませる必要はないのではないか。
「ビスターはあんただけが異界に堕ちてきたとは考えていないだろうさ。むしろ、既に感知しているかもしれないね」
異界に堕ちた時点でジュリアンもアベリアも捕捉されている。特にこの二人は普段から魔力を外へと無意識に零している。これをリブラが、そしてビスターが知らないわけがない。
「エイラを救い出したくとも、あんたたちが宿屋に戻るのは得策じゃないかもしれないね」
そう言われたって、危険な街と化してしまったシンギングリンにエイラをただ一人、置いておくわけにはいかない。
「……エルヴァ」
アレウスは虚空に向かって呟く。
「接地している限り、僕たちの位置を把握しているんだろう? 接地していれば念話だってできるだろ? 今だって盗み聞きしているんじゃないか?」
『俺に子供を拾わせて、外へと逃がせと言っているんなら無理な話……とも思ったが、この街のギルド長にとって俺は完全に外部の人間だったはずだ。俺に関する情報は『審判女神の眷属』に集めさせてはいたが、全容を知られてはいないだろうな。だから俺に頼む、そうだろう?』
「僕は僕で封印を解くために動かなきゃならない」
『こっちは盗み聞き程度でしか君の状況を知らない。封印と言われたって、そりゃ耳にはしたがハッキリとなにを意味しているのか分かっていない。順序立てて説明してほしいが……そんな時間もないか?』
「ありません」
『だったら善は急げだ。俺は子供を回収し、『泥花』とあの喧嘩腰の新米冒険者と共に街を出る。君はさっさと封印を解くために駆けずり回れ。こっちから連絡する手段はいくらでもある。ただ、界層を渡ったらそれもできなくなる。渡る前に、“接地”しているのなら俺にまた話しかけてみろ。可能な限り、君のことは追ってはみるが追い切れなくなっている場合もあるからな。俺からの返事がなければ、渡るのはこらえろ』
「分かりました」
『僕が君の居場所を追えなくなっても、『泥花』は君を追える。何度も言うことになるが、早まるな、こらえろ』
アレウスはエルヴァとの念話を終えて、今まで潜ませに潜ませていた俊足をもって街中を疾走する。人混み、人だかり、そしてアレウスへと向かってくる悪意ある気配。そのどれもを出し抜いて、擦り抜けて、あっと言う間に街門をくぐり抜けた。
足を止めて、肺に空気を送り込むために荒い呼吸を繰り返す。想像以上に息切れが早い。エルヴァと連合の収容施設から脱出するときはもっと素早く駆け回っていたが、こんなにも呼吸が乱れることはなかった。
「なにかとあんたを支えてくれた“貸し与えられた力”とやらと、筋力に補正をかけてくれていた『オーガの右腕』が封印されているんだ。そんな誰も追いつけないほどの全力疾走をすれば体が悲鳴をあげる。呼吸が乱れるだけで済んでいるのは『勇者の血』のおかげだよ。それすら持っていなければあんたは地に這いつくばって、しばらく身動きを取ることさえできちゃいない」
ヘイロンに忠告される。
「しかし、しばらく見ない間に冒険者を名乗れるぐらいにはなっているじゃないか」
褒められこそしたが、嬉しさはない。所詮はロジックに寄生しているだけの存在だ。無駄に感情を割く理由もない。
「問題はここからだよ。街にリブラの尖兵がいて、その標的はあんたになっている。轍に関係なく、ゴーレムどもも寄ってくるだろうさ」
息苦しさも治まったので、アレウスは“自分自身から奪われた力の気配”が僅かに感じ取れる方角へと、今度は加減して走り出す。
アベリアたちと合流してからは地図を重ね合わせて一応は一つの物を書き上げたが、それでもマッピングはまだまだ足りていない。ひたすらに突き進むにしても、安全性を考慮して地図を埋める作業も並行する。そうなると、そうすぐに封印を解くことはできなさそうだった。




