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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第8章 -シンギングリン奪還-】
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なにが狂気に走らせるのか

-こんなにも多くを失うのなら、

なにもないままの方が良かった-

 錬金術は名前だけなら知っている。物質と物質の配合を行い、そのときに起こる変化を事象と成す。他愛もない石ころを黄金に変えるだけに留まらず、魂と生命の繋がりを求め、肉体の老化を阻み不老不死に至るための研究を行っている者。

「錬金術の本質は分かっていそうだな」

「……化学」

 稀代の『アイテムメーカー』がクラスアップすることで名乗ることのできる職業でもある。ギルド長は無防備ながらに、その衣服の裏側に想像もつかない化学薬品を仕込んでいると思われる。


 しかし、どうにも腑に落ちない。ギルド長の言う『錬金術師』は、アレウスの知るところの『錬金術師』と定義が異なっている気がする。

 なぜなら『錬金術師』は研究の職業だ。『歴史家』や『発掘家』のように戦闘の最前線には出てこないどころか冒険者にすらなりえない。むしろ冒険者を雇って、自身の研究材料を採取してくるように依頼する側だ。


「その通り。だが、魔法も混在するこの世界の化学は、『異端』の知る化学に留まるとは限らない」

 ギルド長の部屋は木造だったはずだが、徐々に金属へと変質を始めている。

「化学変化、化学反応、そのどちらにも含まれない変化。『異端』には決して至れない。そして、魂すらも」

 部屋に留まり続けるのは危険と判断し、後ろ跳びで廊下へと逃げる。

「まさかと思いますけど、あなたの錬金術は人間にも及ぶのですか?」

「元は『屍霊術師』に近しい『魔術師』だ。錬金術はその後に得た知識の先端に過ぎない。魂に付加価値を与える。魂の価値を底上げする。私が最も得意とすることと錬金術は非常に、都合が良かった」

 知識をひけらかすばかりだが、答えに否定が含まれていない。下手にギルド長の魔法――もしかすると錬金術と呼ばれるものの化学反応に肉体や身に付けている物が触れると巻き込まれるかもしれない。

「勘が良いな」

「僕はあなたと争うためにここに来たわけじゃない」

「だが、『異端』は異界を認めはしないのだろう?」

「人々の安穏を獲得するために、世界に蔓延る魔物を生み出し続ける異界は、その全てを消し去らなければならない。僕たち冒険者に与えられた使命の一つのはずです!」

「だが、異界は消えることを望んでいない。リブラのように、無作為に人々を罠にかけて異界に堕とすことを好まない異界獣もいる」

「自分がなにを言っているのか分かっているんですか?!」

 アレウスは狼狽する。

「あなたは! 異界獣に“良い”と“悪い”があるかのように言ったんですよ?!」

「その含みを持って私は言ったつもりだが?」

 部屋から廊下へと金属への変質が続く。

 魔法として分類するなら『金』に属しているようにも見える。だが、魔法としての金属性の特徴は金属や鉱石を魔法によって加工し、武器として用いたり射出する。クラリエの『金属の刃』のような魔法の短刀がそれに属する。

 ギルド長の魔法は、範囲に及んでいる。つまり『冷獄の氷』や『原初の劫火』に近い。ギルド長の歩くことで生じる一定の範囲で化学反応すら無視した金属の変質行われるとすれば、もし戦うとなれば接地することも着地することも、あるいは接触すらも危険である。できることは距離を保ちながら、どうにか説得できないかと試みることだけだ。

「考え直してください。『異端審問会』を潰すことを考える前に、一人の冒険者としての判断を」

「……なぁ、『異端』よ? 冷静を装ってはいるが、お前だって私の気持ちは理解できるのではないか?」

 言いくるめられてしまう。その気配を感じつつも、アレウスは耳を貸さずにはいられない。

「『異端審問会』に復讐するためならば、どんな手だって行使する。私はそれがたまたま、異界であっただけのこと。お前が私のように異界や異界獣を自分の力のように行使できるのであれば、恐らくその力は『異端審問会』に向けていたのではないのか?」


 大いなる力を保有することができたなら、あらゆる一切合切を放り出し、己が復讐のためにありとあらゆるものを犠牲にする。


 ギルド長の言っていることはまさにその通りで、アレウスだって自分自身に超常の力が――それも他を圧倒するほどの、暴力的なまでの力があったなら、冒険者にすらならずに、自身を異界に堕としたことを後悔せしめるために、ただその者を追い続け、ただその者を庇う者たちを討ち滅ぼし続けていただろう。

 しかしそれは、あくまで妄想に過ぎない。アレウスは『超越者』などとは言われているが、一般的な冒険者よりもちょっとだけ頑丈で強くなっただけで、未だ『上級』の冒険者の足元にすら及ばない。結局のところ、唐突に都合良く、己の中から“持ってもいない才能”が開花することも、“持っていた才能が実は希少な力”と判明することもないのだ。そしてたとえ希少であったとしても、その力は己自身の能力、肉体に収めるために極限までに弱体化される。だからこそ、異界を除いた世界では未だにただ一人の大陸を統一した天下の覇者を生み出していない。


「……あなたのどこに、『異端審問会』への恨みがあると言うのですか?」

 アレウスは以前、審問を行った際に復讐心を抱いていることを伝えている。しかしギルド長からは、『異端審問会』に対しての直情的な感情を耳にしたことは一度だってない。

 その程度の間柄で、その程度の上下関係だ。切り捨ててしまえばいい。ギルド長を倒す方針へと感情をシフトさせてしまえばいい。


 それができないのは、一握りではあれど冒険者として認めてくれた恩義を感じているから、だろうか。


「『勇者顕現計画』で私は多くの親友を喪った。共に研鑽を積み、共に歩み、共に競い合った仲間がいた。だが、彼らはもうどこにもいない。あの場所で、あの計画で、死んでいなくなってしまった。帝国はシンギングリンに限らず、領土内のあらゆるところでこの計画を一時(いっとき)、推し進めていた。その被害の数は甚大で、国内において冒険者の数が一気に減少した。私はもう後戻りができないところまで来ていたが、その問題によって最終的な試練は中止され、挑むことができなくなってしまった」

「……まさか、『勇者顕現計画』を始めたのが『異端審問会』だったと?」

「いいや、それは皇帝陛下が決めたこと。だが、中止するように皇帝陛下に吹き込んだ者こそが『異端審問会』だった、と……ある男は言った。私と同様に、もう後戻りすることができなくなり、前に進むことしかできなかった男だ。信じないわけがあるまい?」

 男の名を聞こうとしたが、廊下の左右からアイリーンとジェーンの気配を感知する。

「よく考えてください。『異端審問会』が、国力を弱める『勇者顕現計画』の中止を進言するなど、あるわけがない。大体、『異端審問会』が皇帝陛下に進言できるほど国内の中枢深くに忍び込んでいるとでも思いますか?」

「では、私と共に生き残ったあの男の言葉を信じるな、と?」

 左右が塞がれているなら後ろの壁を破壊してでも逃げるしかない。

「私はね、生きる意義を異界に来てようやく見出した。『勇者顕現計画』などに挑まなければよかった。だってそうだろう? 私はその計画に参加しなければ親友も、仲間も決して喪うことはなかった。それどころか計画中止に伴い、『勇者』にもなれず、死に場所すら見失った。だからこそ上位の存在を目指すのだ。魂を一つ押し上げることで、できなかったこともできるようになるのだから」

 どうにも、上位の存在を目指そうとする輩は志が歪むらしい。ギルド長に限らずイプロシア・ナーツェだって、魔物と戦っていた頃は悪意ではなく善意でもって生きていたはずだ。


 後ろの壁に接し、手で叩く。壊せるかどうかは分からないが、分け与えられた力を行使すれば燃やして穴を空けることぐらいは造作もないだろう。

「お前を素直に逃がすと思ったか?」

 小瓶をギルド長がアレウスの足元へと投げつける。割れた小瓶から零れ出た液体が空気に触れて気化し、アレウスの鼻腔に触れた直後に猛烈な不快感を与えてくる。ほんの一呼吸によって、脳が痺れ、吐き気を催し、全身の筋肉が軽い痙攣を始める。

「普通に吸い込んでいれば気絶するところだが、『異端』のことだ。投げた直後から息は可能な限り潜めたのだろう? だが、これでお前は気配消しの技能が使えなくなったな」

 息を止めれば気配が消えるのではない。呼吸を整えない限り、気配消しは行えない。

 小瓶に入っていたのは軽度の毒素を有する液体だったのだろう。筋肉に痺れは残っているが、徐々に吐き気を催すほどの不快感も薄れている。しかし、これが重度の毒素であったなら、アレウスはたちまち悶え死んでいた。


 ギルド長を侮ったのではなく、化学を侮った。金属への変質を気にするあまり、錬金術の本質にある化学反応への注意をおろそかにした。


 だが、殺してこなかったのなら運が良い。このまま分け与えられた力を着火させて後方の壁を壊すだけだ。

「『善』なる力が『悪』を滅する」

「『悪』なる力もまた『善』を壊す」

 アイリーンとジェーンがアレウスに片手を伸ばし、全ての指先が虚空をつまんで手首を横へ(ひね)る。

「「“錠をかけろ(ロック)”」」

 右腕が重くなり、己の身から起こった発火が沈む。

「あなたの『善』なる力に鍵をかけた」

「あなたの『悪』なる力に錠をした」

 二人はアレウスに小さな鍵を見せびらかす。


 ロジックに干渉された。驚いてしまうが、息はまだ止めていないとならない。

 冷静にならなければならない。考えてみれば、ドワーフの連れていた妖精もアレウスの右腕のアーティファクトを封印できたのだ。干渉こそされたが、テキストそのものを書き換えられたわけではない。思えば、この右腕の重みもそのときに経験している。

 アイリーンとジェーンに『オーガの右腕』を封じられている。

「『種火』は封じることができたか?」

「問題ありません」

 そして、彼らの言うところの『種火』――分け与えられた力も封じられた。

 『オーガの右腕』の筋力ボーナスによる無理やりの破壊、そして炎での焼失。その二つを組み合わせることでの絶対的な破壊。その三つの突破口が使えなくなった。そうなると、穴を開けずに逃走することが必須となるが前方と左右を押さえられている。逃げ道はどこにもない。

「いっそのこと、呼吸をすれば簡単に意識を失うことができる。『種火』ごとお前はリブラに喰わせるが、意識のあるまま喰われるよりはよっぽどマシだろう」

 言い方からして、死なせるつもりはないらしい。『原初の劫火』も、そして分け与えられた力も未知の部分が多い。アレウスが死んだ場合、分け与えられた力が死体そのもののロジックに残り続けるかどうかが定かではない以上、殺せないということだ。

 だから生きたまま異界獣に喰わせる。ギルド長はそう判断した。そのためにアイリーンとジェーンに封じさせた。


「煙を使うのは私だけにしてもらいたいところだねぇ」

 アレウスを煙草の煙が覆う。

「あんたの気化したガスは私の発した煙よりも重い。私の煙が『異端』を包んでいる限り、毒を吸わせることはできないよ」

「死して尚、冒険者の肩を持つか。ヘイロン・カスピアーナ」

「そりゃそうさ。私はシンギングリンの担当者。それ以前はロジックに寄生するクソ虫と同等の価値しかなかった。あなた――あんたが、私に冒険者と担当者の関係性、そしてギルドについての意味を解いたはずだよ? それに胸を打たれて、私はヘイロン・カスピアーナでありながらヘイロン・カスピアーナの生き様を否定したのさ」

 アレウスは呼吸を再開する。煙草の煙に覆われているが、その煙臭さとは縁遠い格別の酸素がアレウスの肺を満たす。煙に包まれてはいるが、アイリーンとジェーンに気付かれない煙のように煙を直に吸うような魔法ではないらしい。

「生き様を否定した? だったらどうして今は『異端』のロジックに寄生している?」

「寄生……寄生?」

「すまないね、『異端』。この異界に魂だけでしか甦れなかった私は、寄生することでしかあんたに干渉できなかった。なに、一時的なものさ。あんたが異界を去れば、私もまた魂だけの存在となって消える」


「騙されるな、『異端』。ヘイロン・カスピアーナは幾つものロジックに寄生し、宿主の死亡すると同時に別の宿主へ人格を飛ばす。人間とは違い、ロジックの中でしか生きられない。彼女を信じれば、そのままロジックを乗っ取られるぞ」

「私はヘイロン・カスピアーナの人格から外れている上に、もう死んでいると言っているだろう。あんな辱めを受ける死に方を晒されたのは、深い恨みの念しかないがね」


「どっちが味方とかどっちが敵とか、そんなことはどうでもいい」

 この二人の会話を聞いていたってアレウスに高尚な決断はできない。

「今、僕にとってどっちが都合の良い存在か。そう考えると、ヘイロンさんに寄生は僕にとって好都合だ」

「そうさ、それでいい。都合の良い女は都合良く使い捨てな。となると、鍵を取り戻すのが先決になりそうだが……容易く返してはくれなさそうだねぇ」

 アレウスはアイリーンとジェーンのそれぞれに目を向け、威圧する。


「鍵が欲しいなら、奪い取ってみればいい」

「これはあなたにとっての試練」

「けれど、私たちにとっては児戯にも等しい」

「この『鬼ごっこ』を制することができたなら」

「「あなたの力を封じた鍵を返してあげる」」


 二人がほくそ笑みながら一瞬にして行方をくらます。


「少々、遊びが過ぎるな……リブラが取り込んだツインズの遊び心が邪魔をしている」

「なんだって……?」

「リブラはツインズと異界で争い、相討ちしているんだよ。死に際に僅かに残った魔力でリブラがツインズの残滓を吸収して再誕したのさ。その後、リブラがギルド長に接触を試みたといったところだろう」

「異界獣同士が争い合うだと?」

「珍しいことじゃない。十二も異界獣がいるのなら、縄張り争いくらいするさ。そうやって異界獣は消失しても、僅かな残滓を頼りに再誕する。それを繰り返し続けているのさ。たとえ吸収されてもツインズは未だリブラの中で主導権を奪い返す瞬間を虎視眈々と狙っているってことだろうねぇ」

 ともかく左右に道は開けた。ギルド長が差し迫ってきたが、素早く反応して右へと転がり抜けて、起き上がると同時に駆け出す。

「あの言い分じゃ街に留まるとも思えないねぇ。『異端』の魔力を奪った鍵の捜索範囲は異界全体に広がってしまった」

「元は僕の力だ。追えないものじゃない」

「その通り。異界は世界より狭いのさ。追い切れないわけがない」

 なによりシンギングリンに留まり続ければギルド長が追ってくる。


「そうやって逃げながら捜し回ればいい。私が付加価値を与えた魂は、私の手足としてお前を追い続ける。お前が追い詰められ、死が差し迫ったそのとき、最前線に立つ者と位置を転換し、私の手でお前をリブラの元へと捧げてやろう」


「鍵を奪い取ったあとのことを考えな。どうやってあの男――ビスター・カデンツァを殺し、『図り知る者』のリブラを討つのか」

 未だアレウスの前に姿を現すことのないヘイロンのせいで思考を放棄できない。

「やりようはあります」

 方法については既にエルヴァに話している。

「だから僕に、この異界のこと、そしてギルド長のことを知っている限り教えてください」

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