リブラの狙い
-その者どもは、我が異界で魂の虜囚どもがこさえた子供だ。
産まれたときから死んでいる。ゆえに名などない。
貴様が見つめる世界を我が見るための道具に過ぎない。-
宿屋に辿り着き、エイラをアベリアに任せてしばらくジュリアンと外に隠れ潜んでいたのだが、やはり追っ手や警備の者が向かってくる様子はなかった。釈然としないが、捕まらずに済むのなら越したことはない。
「ジュリアンはエイラと同じ部屋で寝るのか?」
「え? さすがにアベリアさんと同室で寝かせますよ」
「アベリアと一緒に寝ることを仕向けたのは君だろ。人数比を考えたら君はエイラと同室で寝ることになる」
「なにをそんな……え? いや……無い、無いですよ。でも……ううん?」
狼狽している。
「それが昨日の僕の苦しみだ」
異性と同室で寝る戸惑いを味わえとばかりにアレウスは追い打ちをかける。
「アレウスさんのとは違うと思いますけど……でも、ううん……なんか、嫌ですね」
「嫌とは?」
「なんであの子と同室で寝なきゃならないんだという憤りがあるんですよ」
ジュリアンが再び異性を意識できるようになるのはまだ時間が掛かる。だからこの発言は無自覚なわけではない。そこまで思考が至って、ようやく二人が言い争っていたときにアベリアが『仲が良い』と言っていた意味を知る。図らずも同室で寝る戸惑いを与えようとしたアレウスの小さな復讐は、二人の仲を取り持つような形となっていた。
「この話をしてエイラが嫌だって言ったら面白いな」
「なにが面白いんですか? 十中八九言うと思いますよ。大体、あの子はアレウスさんに懐いているみたいですから」
前はそうだったが、ついさっき懐く相手が変わったとアレウスは思っている。
「ま、僕みたいな嫌われ者は静観しておきますよ。あの子は面倒臭いガキですけど、将来は物凄く可愛くなると思いますし。今もその片鱗が見えます」
嫌みのごとく吐き捨てているが、同時にエイラの容姿を褒めていることにジュリアンは気付いていないらしい。
「異性の、しかも年下と話すのは疲れることがさっき証明されましたし、もういっそのことアレウスさんに構ってもらった方が僕も良いのかもしれません」
「怖いことを言うな」
「異性として会っていたらまずあり得ないですけど、同性だからこそアレウスさんに惹かれるところはあるんですよね。アレウスさんに男色の気配がなくて助かりましたよ。あったら僕はもう、食べられていたでしょうから」
「だから怖いことを言うな」
二人の仲を探ろうとしたことへの仕返しをされた。冗談で言っているのか本気で言っているのか判別しづらく、そして聞き出したくない。
「あと、エイラが僕との同室を拒めばアレウスさんはアベリアさんと別室になってしまいますよ? 残念でしょう?」
「……君が言った通りになったらいいな」
「なりますよ」
彼の主張を聞き終え、一向に追っ手が現れないこともあって宿屋前での潜伏を終える。結局、どうして追っ手がやって来ないのかは分からないままだった。
「堕ちてからのことを話してくれるか?」
部屋へ入り、アレウスは椅子に腰掛けてリラックスしているエイラに訊ねる。
「話すのが嫌なら、もうちょっとだけ時間を取る。でも、長くは取れない。僕たちも割と決死行だ。それほど時間を与えられていないんだ」
「……本当の本当に、正真正銘のアレウス? 私、まだ実感がないの」
「一番辛いときになにもしてやれなくて、すまなかったと思っている。でも、」
「アベリアから聞いたわ。敵に、捕らえられていたんでしょ? よくは分からないけど、怖い人にさらわれるみたいなことなんでしょ? それも一年も……なんにも、してくれていなかったんなら、嫌いなままだったけど……それを聞いたら、なにかをしようとしてもできなかったんだって、思う。思うけど……もう少し、早く、会いたかった」
エイラはまだ物分かりが良い方だ。両親を亡くして、慕っていた相手から一年も連絡すらなく放っておかれれば、大人であってもその環境下であれば壊れやすいのに、子供ながらによく耐えた。
「僕の前だと話しづらいか?」
場合によって席を外すことも考える。
「ううん……ジュリアンがいてくれるなら、話してみようって思う」
やはり信頼での部分はアレウスよりもジュリアンだ。一年という年月を考えれば当然のことなのだが、ジュリアンは怪訝な顔をしている。
「なんで僕なんだ?」
「だって……見捨てずにいてくれたの、ジュリアンだけだもん」
熱の入った声音だが、ジュリアンは平然としている。信頼の差ではあるが、ちょっとは誇らしげにしたらいいのだが彼は変わらず黙ったままだ。それこそ反応がないのを見て、エイラが頬を膨らませるくらいに無反応である。
「ジュリアンのことは後回しにするとして」
アベリアがたまらず横から声を掛ける。
「堕ちてから、今に至るまで、気になったところとかなかった?」
「異界に堕ちたとき、そんな都合良く死んだ人が暮らしている街に着けるわけないと思って、私、死んじゃうんだなって思っていたんだけど……目を覚ましたとき、私はシンギングリンにいて……夢じゃないかって何度も自分の頬をつねってみたりしたんだけど、全然、覚めることがないから現実なんだって気付いて……それからお父様とお母様に会いに行ったら、ちょっとした騒ぎになった。けど、そのあとは、あんまり大きなことにはならなかったと思う。お父様が変だなって思ったのは、一昨日くらいからで……凄く、私に固執していて……ううん、固執するのは当たり前だと思うけど、なんか、家族としての固執と……違う、感じで……気味が悪くて……お母様に話したら、なにを言うでもなく『あなたはここにいちゃいけない』って。それで隙を見て、逃げられるように手伝ってくれて」
エイラが無傷だったのは直接、魂の虜囚が暮らすシンギングリンに堕ちたから。随分と運が良すぎる話だが、彼女のような無力な子供が異界で死なずに済んでいるのは、そんな豪運がなければあり得ない。
そういえば、アレウスも堕ちてすぐは死体の中に転がっていたが、動き回れるようになってからはすぐに魂の虜囚の集落に着いた。アベリアも物乞いにこそなっていたが、魔物に襲われずに集落に辿り着けていた。
そんな豪運、あるわけがない。その一言で否定することは簡単だが、自身の生い立ちを考えるなら、あってもおかしくはない。
「死んでないとか死んでいるとか、そういうのって外見から分かるものなんですか?」
ジュリアンが口を開く。
「エイラを無事に救出した、良かった良かった……で、終わりにするのは簡単ですけど実際のところはどうなんでしょう。この子は知らないところで死んでいて、死んだときのことを憶えていないだけなのでは?」
「なんでそんなこと言うのよ!」
「冷たくしたいわけじゃない。君を助けて、高まった気持ちが落ち着いてきて冷静になって、ふと思っただけだ」
言いたくないことを言っている。彼の顔からはそんな歯痒さを感じ取ることができた。
「それで、どうやったら確かめることができるんです?」
冷静を装いつつアレウスに訊ねてくる。
「エイラは死んでいない。僕が保証する」
魂の虜囚かそうでないかは外見だけで判断することはほぼ不可能だ。だが、アレウスとアベリアに限ってだけ言えばそれが可能である。魂の虜囚を毎日のように見続けた生活を続けたことで、生者と死者を見分ける直感が養われている。
これはこの日に始まったことではない。クラリエと共にヴァルゴの異界に堕ちたとき、そこで出会ったエウカリスが既に死んでいることをアレウスはすぐに看破した。
「前にも言ったかもしれないけど、魂の虜囚の中には死んでいることに気付いていない者もいる。だから死んでいるか死んでいないかを口にするのは控えたいから、部屋に入るまで黙っていただけだ」
特にリブラの異界は『大半が死んだことに気付いていない』とシエラが言っていた。人々にとって、生死の話題はひょっとしたら禁句かもしれない。そう思うとよけいに話すのはためらわれた。
「一番良いのはロジックを開くことだけど、どうする? 開いてみる?」
アベリアの提案にジュリアンが少しだけ悩んだ。
「……アレウスさんたちに確証があっても、僕やエイラには確証がありません。それに、僕がこんなことを言い出したから、この子は自分が死んでいるのかいないのかの自問自答を始めてしまうと思います。だから、僕は開いてほしいと思っています」
「ジュリアンが不安なら、私も開いてほしい。もしアレウスが嘘をついていても、ジュリアンまでその嘘には乗っからないと思うし」
「さっきまで僕のことを嘘つきって言っていたけどな」
「私が引きこもっているときに嘘は沢山ついたでしょ」
「嘘の一つでもつけば出てくると思ったんだよ」
「どれもこれも、私を挑発するための嘘ばっかりだったけど?」
また言い合いを始めてしまった。しかし、どれほどアレウスが心配いらないと言っても張本人が不安を残しているのなら取り除いてあげるべきだ。アベリアに意図を込めた視線を向け、肯いたので二人でエイラの後ろに回る。
「「“開け”」」
二人で指を滑らせ、エイラのロジックを開く。
「アレウスさんたちがロジックを開ける噂は本当だったんですね」
「神官以外が開くところは珍しい?」
「はい。それに二人で開くというのもあまり聞いたことがありません」
興味津々にジュリアンはアベリアの問いに答える。
「あんまりエイラの隠したがっているところは見ないようにね」
それはジュリアンに対してでもあり、そしてアレウスに対しての警告でもあった。
「なら僕は目を閉じているから、該当するテキストのところまでアベリアが読んでくれ」
「うん。ジュリアンも、もう少しだけ待って」
「はい」
アレウスは瞼を閉じ、アベリアが発する魔力の流れだけに集中する。ページを何度も捲り、テキストを読む時間が続く。
「ここ。アレウスも目を開けていいよ?」
瞼を開き、アベリアが指差したテキストを読む。横からジュリアンも覗き込んできた。
「……『生存』の記述があります」
「本当は最初の方のページに書いてあったんだけど、あそこはちょっと、ね」
男性であればさして気に掛けるところではないのかもしれないが、女性の場合は知られたくない数字がある。異性に見られるのもきっと好まれない。最初のページには一般的に開いたロジックを持つ者の能力値が刻まれている。そして身長や体重だけでなく胸囲、胴囲、腰囲も含まれる。生きていることを示すなら能力値のページだけで済むが、アレウスとジュリアンはエイラの個人情報を知ってしまう。だからアベリアは別のページに記述がないか探したのだ。
「ロジックに書かれているのは生き様。であれば、そこに書かれていることは、書き換えられてさえいなければ真実……誰かに書き換えられた形跡はありますか?」
「ないとは言い切れないが、エイラのロジックを書き換えて、なにかを得られると思うか? それに、もし書き換えたのなら父親に違和感を覚えないようにすると思うが」
何度か一時的にロジックを書き換えてきたアレウスからしてみれば、エイラのロジックはとても自然であり、どこかに誰かの手が加わっているようには決して見えない。
「いえ、どうせ聞くなら念には念を入れなければと思っただけです。そうですか……魂の虜囚になっていないなら……良かったです」
「それをエイラにちゃんと伝えてみたら?」
「アベリアさんに言われても、断固として拒否します」
妙なところで頑固なジュリアンに呆れつつ、二人でエイラのロジックを閉じる。数分後、意識を失っていた彼女は目を覚まし三人の顔を見る。そこに怪訝な、あるいは不安げな表情がないため、エイラは胸を撫で下ろした。
「ちゃんと言ってほしいだろうから言うけど、君は生きていたよ。おめでとう」
どことなく生意気にジュリアンはエイラへロジックを見た結果を告げる。
「もうちょっと言い方、どうにかできないの?」
エイラの声は少しだけ震えていた。自身が生きているか死んでいるか。その事実がハッキリとしたことで緊張から解放されたのだろう。ただし、あくまで不安の一つを取り除いただけで、未だ彼女が抱える不安はある。
父親のこと、母親のこと、メイドや執事のこと、そして異界からの脱出。生きてこそいるが、未だ命の保証はされていない。
「……やっぱり、僕とは距離を置いてやってください。捻くれたことしか言えません」
「この子が拠り所を喪ってから、あなたは拠り所になることはできなかったかもしれないけれど、立ち直ってもらえないかと努力し続けた。その全てを投げ出すことになるけどいいの? こんなにもこの子は、あなたとの間にあるわだかまりを解き放ちたいと思っているのに」
アベリアにしては強い言葉だ。責任の所在を問うている。
恐らくはアレウスがヴェラルドに言われたことを彼女なりに形を変えてジュリアンに向けている。アレウスはそのとき、アベリアを救うことを選び、面倒を見ることを決意した。
さながらジュリアンとエイラの関係はアレウスたちの関係の焼き直し――次に続く世代への教育だ。
「僕は優しくもないし、性格もクソだし、自分が人に迷惑を掛けたくないし、だからと言って他人に迷惑を掛けられるのも耐えられない。捻くれ者は、嫌われている方が、生きやすいから」
「だからって、嫌われるような振る舞いをしなきゃいけないわけじゃない。捻くれ者にだって、分かってくれる人はいる。人間、誰だって捻くれている。僕だってそうだ。でも、そこで自己完結させようとしても意外と身の回りの人はそんなところで完結させてはくれないんだよ」
アレウスはジュリアンの背中を叩く。
「君はもっと人と触れ合うべきだ。捻くれている自分を怖れるな。少なくとも僕たちはその特異性を分かっている。エイラも、怖がったり反抗したりしているけど、分かろうとしてくれている。それだけでちょっと、体が軽くなった気にならないか?」
「……なりませんよ、そんな簡単には。ですが……意外とどうにかるものなんだなと思いました。僕とあなた方は、割と年も離れていますし、きっと上手くは行かないと思っていました。こんな年下の生意気なガキに真面目に向き合ってくれて、感謝してもしきれません。まぁ、異界から出られたなら……アレウスさんやアベリアさんの言っていたことを考えてみます」
どことなくジュリアンは現状に満足している。異界から出られるとは思っておらず、ならばせめてエイラが生きており、危険なところから救い出せたならそれでいい。そんな風に考えているに違いない。
なんとかして、その満足感を不足させなければならない。次の目標を用意させなければならない。この話でそれができたなら良いのだが。
「髪……切りたい。お風呂も入りたい……」
ジュリアンの今後を左右するような話をしているのに、なんとも気の抜けることをエイラは言う。
「ずっと引きこもって、自分でテキトーに切っただけで……クシャクシャだし……堕ちてから、お風呂にも入れてないから」
「蒸し風呂があったんじゃないか?」
「私一人では使わせてくれないもの。お父様もお母様も、時間を取ってはくれなかったし」
そういえばそうだった。
「アベリア、大衆浴場に連れて行ってやってくれ。髪は……どうしようか」
「私、ちょっとだけなら整えられるよ? 本当にちょっとだけだから、似合わない髪型になっちゃうかもだけど」
「切ってくれるの? じゃぁ一緒にお風呂にも入ってくれる?」
「うん。でも、髪はあんまり期待しないでね?」
「やったぁ」
元気な声で喜び、エイラがアベリアにくっ付いて部屋をあとにする。
「ほら、この調子だとエイラはアベリアさんと同じ部屋で寝ることになりますよ。僕の予想通りでしたね」
そうジュリアンはアレウスに勝ち誇ってみせる。
「そうだ、ジュリアン! 今日は一緒に寝させてあげる! あなたには色々と、言いたいことが沢山あるんだから!」
忘れていたとばかりに扉を開け、エイラは言いたいことを言ってまた扉を閉めた。
「どこが予想通りだった?」
「……あり得ない。なんであんな、なに考えているか分からない子と一緒の部屋で、寝なきゃならないんだ……」
「そんな顔もできたんだな」
凄まじい動揺と嘆きを見せたジュリアンにアレウスはそう呟いた。
二人が大衆浴場に行っている間、アレウスたちは昼食の買い出しを済ました。買ってすぐに食べられる物を中心としたため果物中心となり、店先で火を通してもらった腸詰――ソーセージを栄養源とした。
大衆浴場から帰ってきたエイラは髪が綺麗に整え直され、ボサボサだった長髪が思い切りの良さで肩にかかる程度――ミディアムヘアとなり、見た目の印象が変わった。ただ、この一年間で荒んでしまった心を表すような刺々しい吊り目に近い目付きは変わらない。前髪もアベリアと相談しながら素人ながらも整えることに挑戦したらしく、ちょっとした失敗も含めて幼さが残っている。
感情の起伏に乏しくなっていた点も心配だったが、打ち解けられる相手がいることで表現力が戻りつつあるようだ。
子供の一喜一憂はあっと言う間だ。大人の真似事をしているアレウスたちの方がよっぽど物事を引きずる。
「どう、ジュリアン?」
「どうって? 僕に感想を求めなくたっていいだろうに」
「一回だけ私のことを『可愛い』って言ってくれたことがあったよね?」
「あれは引きこもっていた君を誘い出すための嘘の一つだよ。ま、その誘い文句で部屋から出てきていたら鼻で笑ってやっていたけどね」
「むぅうううう」
「君は顔に似合わず活発なところがあるから長い髪じゃすぐに汚れる。前よりはお嬢様らしさも薄れて似合っているんじゃないか?」
「むぅうう~」
噛み合うような噛み合わないような。この二人を無理に意識させ合おうとするのは逆効果だ。こういうのはしつこいと大抵が悪い方向へと転がる。アレウス自身には二人をくっ付けようなどという邪な感情はない。だが、どちらも一人切りでは生きられなさそうなので、互いに生きる理由になってくれないだろうかとは思っている。
「アレウスも前置きはともかくとして、ああいうこと言ってくれればいいのに」
「僕にジュリアンほどの毒舌家になれと?」
「そうじゃなくって」
アレウスとアベリアの会話もどことなく噛み合っていない。はぐらかしても、どうやら今回ばかりは逃がしてはくれないらしい。
「綺麗だよ」
凄く短絡的な褒め言葉だったが、それだけで満足げにアベリアは表情に綻びを見せた。面と向かって言ったアレウスは頬を赤らめ、恥ずかしさを押し殺す。
とてもではないが現実とは掛け離れた非日常の中、日常にありそうな甘い一ページの余韻に浸りつつも、現実を直視するためにアレウスたちが買った昼食を摂る。
「追っ手についてもそうだが、あの冒険者たちに一体なにが起こっていたと思う?」
食事後に一息つき、エイラが睡眠欲に抗えず眠りに落ちたあと、小声でアレウスは切り出す。
「腕が変形していましたね。外で見たゴブリンと同じような変化です」
「人間にも起こることなの?」
「それが分かったら苦労しませんよ」
「……そう言えば、さっきエイラと湯浴みに行ったでしょ? そのとき、あの子が言っていたの。貴族領のみんなはとても規則正しいって。堕ちてからずっと窓から外の景色を眺めていたけど、大体が同じ時間帯に同じ人が同じ道を歩いて、同じ会話を交わして、同じ方向を歩いていたって」
「日課で言い切るにしても、同じ会話というのが気になるな」
「以前に聞いた話を次の日も聞いたんだって。それも抜け出した日も聞いていたみたい。ほとんど同じ話をしていたんだって」
「一言一句同じだと?」
「そう言いたかったんだと思う。もしかしたら、ちょっとは表現の仕方が変わっていたのかもしれないけど、内容的には変わらないなら変でしょ?」
規則正しい生活にしては度が過ぎている。挨拶であれば毎日のようにするものだが、エイラが挨拶程度の話をアベリアにするとは思えない。
「規律……規則…………」
呟きつつ、アレウスは一つ思うところがあったが、まだ仮説とは言えない段階であるため言うのは控える。
「まだなにか足りない。この異界の特徴を僕たちはまだ、掴み切れていない」
肝心な部分がまだ分かっていない。そこさえ分かれば、この異界を掌握するのにそう時間は掛からないはずだ。
「ギルドと教会、その両方での調査だな。正直、またギルドに忍び込むのは危険だと思うが……アイリーンとジェーンの真意を知るためにも行くしかないだろう」
その二人に限らず、あそこにはシエラがいるかもしれない。そして、ひょっとするとヘイロンだっているかもしれない。四人から事情を聞けば、物事の真実に辿り着くことができる。
「夕方まで休憩にしよう。気を張りすぎて、ジュリアンも疲れたろ?」
「僕たちに休む時間は与えられていないんじゃ。急ぐならギルドを調べに行くべきです」
「正直、万全じゃない状態だからな。それに、ジュリアンにはアベリアと一緒に教会に行ってもらいたい。そっちは僕にはどうしようもできないところだから」
教会にアレウスと縁のある者はいない。いるかもしれないが、行ったところで話すことも少ない。それに比べればアベリアは術士ではあれ神官の仕事にも協力していたし、ジュリアンに至っては僧侶だ。教会と無関係ではないから、受け入れられやすい。
「では! 僕は少しだけ外に出ていますね」
「ん……駄目。ジュリアンは、一緒。一緒が良い。一緒じゃなきゃ嫌。一緒じゃないと、泣いちゃう」
都合が良すぎるほどのタイミングでエイラが寝惚けたまま拒否を示す。静かに自己主張していれば彼女が目を覚ますこともなかっただろう。まさにジュリアンは自ら望まぬ状況へと飛び込んだのだ。
「ああ言っているんだから、仕方ないんじゃない?」
アベリアに押され、ジュリアンは「最悪だ」と呟き、肩を落とした。彼が観念したので、アレウスとアベリアはそっと隣の部屋へと移った。
「意外と上手く行くかもね、あの二人」
「どうだろうな。そりゃ一時的には互いに手を取り合うこともあるだろうけど」
どちらもまだまだ幼い。成長すれば人生観も生き方も変わってくる。無論、好きになる人の価値観だって変わるだろう。そもそもジュリアンには未だ恋愛感情はなく、エイラに至っては異性として好意を寄せているというよりも、傍にいてくれる人の中で一番懐いているだけにも見える。
結局、お互いに思い合うような出来事がない限り、進展もないだろう。二、三年も経てばジュリアンは恋心を思い出すかもしれないし、エイラは他の誰かを本当の意味で好きになる。その相手が、お互いかどうかなんて誰にも分からない。
「人を好きになるって案外簡単なようで難しいからな」
「……なんでそんな深いことを考えられるのに、自分にそれを当てはめることができないんだろ」
ちょっとした嫌みをアベリアに言われてしまう。
「一年でかなり人と話せるようになったよな、アベリアは」
「話を逸らすの?」
「逸らさなきゃ僕が言い負かされそうだし」
「勝ち負けで話をしていたら、疲れるよ」
言い返せない。
「……人って案外、悪意だけじゃないんだなって思えるようになったの」
黙ったままのアレウスを見て、アベリアは「仕方がないな」とでも言いたげな顔をしつつ話し出す。
「身の回りは全部敵、男性が近付くときは常に警戒、食事だって誘われたらなにを盛られているか分からないから注意しろ。他にも色々、アレウスやリスティさんが教えてくれたんだけど」
「やり過ぎだったか?」
「ううん、護身の心構えはいつだって必要だし、無知だった私はそれで救われることも多かった。けど……全員を、そうやって敵視して、疑って、怖がって……なんでもかんでも拒否し続けたら、いつか独りぼっちになっちゃうんじゃないかって……それで、ちょっとずつ話す練習をしたの。クルタニカがかなり協力してくれた。なんか話すたびに頭を抱えて熱でも出したみたいに倒れそうになっていたけど、人と話すの楽しいなって、思えるようになったのはクルタニカのおかげかも」
「僕の偏った教育が是正されて良かったよ」
「アレウスは……今もずっと、そういう感じなの?」
「これはもう性分なんだ。君の言うように独りぼっちになる未来が見えていてもやめられない」
やめようとしたって、疑り深い性格が良くはならない。
だが、アベリアが少しずつ楽しさを学べたようにアレウスも少しずつ訓練をすれば話す楽しさを知ることができるのかもしれない。
「変に決め付けるのも良くないから、僕もちょっとずつ練習しようかな」
「その方が良いよ」
アベリアが勧めるのだから、決して悪くはないはずだ。
二人切りの、物凄く普遍的な時間を過ごして、このまま抱えていたものを全て放り出して気楽になってしまいたいという願望に揺れ動かされながらもアレウスは日が沈んでから、部屋に水を運ぶために井戸へ向かう。
『聞こえるか?』
井戸から水を汲み上げる最中、エルヴァの声が脳内に響く。
「今までどこに?」
『連絡をする機会が得られなかったわけじゃないが、なにか掴めるまで逐一連絡するのもやめておこうと思ったんだ』
「そんなことは良いから合流してくれないか?」
『群れるのは好きじゃない。群れの中で指示を出すのは好きだけど』
「……無事なんだな?」
『ちょっとばかり、多くの界層を渡り歩いたが五体満足だよ。シンギングリンに入ってからは兵の詰所を調べている』
「なんでそんなところを」
『僕が行方知れずになって『緑角』の部隊は恐らくだが解体された。だが、一部はシンギングリンに残していたんだ。そいつらが今、どこでなにをしているかの帳簿を探している』
「気になるんなら調べてもらってもいいが、いつ頃、僕たちと合流できるんだ?」
『だから群れたくはない。必要とあらば姿を現し、お前たちに手を貸す。ところで、今日は朝の時間が長かったな?』
言われ、アレウスは首を傾げる。
「正確には分からない」
『俺はちゃんと記録している。今日は確かに朝が長かった。お前、朝になにかやったか?』
「朝とは言わないが、昼以前にエイラを貴族領から助け出した」
『……なんだ、貴族の娘は生きていたのか』
忘れていたような口振りにアレウスは眉をしかめる。
「僕たちがエイラを助け出して、それで朝が長くなったとでも?」
『その通りだ。お前たちが貴族領を脅かしたことで、修正に追われたんだろう』
「……修正だと?」
『シンギングリン――特に貴族領内はリブラが用意した実験場であり箱庭だ。そこではあらゆることが毎日、同じサイクルを繰り返している。そこで活動する人物たちが想定外の時間の消費を行うと、それらを修正するために朝、昼、夜の時間を伸ばす。あそこにいる輩はほとんど物質と一体化していただろう?』
「そうだ。体の一部に物質がくっ付いていた。でも、どうしてそんなことが分かる?」
『そこの護衛に『緑角』の部隊が一部だが紛れている。そいつの日記を見つけたが、毎日毎日毎日毎日、どのページにも同じことを書いていやがる。日付、書いた時刻まで全部同じだ。これから察するに、』
「このシンギングリンは、日が経っているんじゃなくて同じ日を繰り返している……? 多少の想定外なことが起こっても、最終的にはほぼ同一の一日を送るように、リブラがしていると?」
『恐らくだが、まだシンギングリン全体には及んでいない。ただ、貴族領は既にほぼ完成されている。奴が次に狙うのはシンギングリンの箱庭化することだろう。笑えるが笑えない話だ。確かに同じ日を繰り返せば、最終的にそこには平等と平和が確約される。なにせ全てが同じサイクルなんだからな。常に生き方は変わらず、常に考え方も変わらない』
「……誰が、やっていると思う?」
アレウスは聞きたくないことだが訊ねる。
「こんなワケの分からないことしているのは、どこの誰だと思う?」
『リブラなのは確定。そして、そいつに使われていたアイリーンとジェーンも確定。そうなると、お前が『不死人』から聞かされた内容を踏まえれば』
「ギルド長も、か」
『アレウス? どうやってリブラを外の世界へと引きずり出す? これは、とても厄介なことになっていそうだ』
「実を言うと、考えがなくもない」
『へぇ? 聞かせてくれるとありがたいな』
アレウスはエルヴァに自身が考えている作戦について語る。
『――なるほど。だが、可能なのか?』
「できるはずだ」
『そのためには対話が足りないな。引きずり出すことを最終目標に置くと、どうしてもお前が危険にさらされることになるが……別に今回は貴族の娘を助け出すことだけでも構わないと思うが』
「それはリブラに僕の考えが通用しなかったときの話だ。“ここ”をリブラの思い通りの街にさせたくない。僕たちはこの街に恩がある。思いがある。だからこそ、こんな最悪な形で残されている街を解放する」
『覚悟を尊重しよう。なら僕も、お前に他になにか情報を与えられないかどうか、もう少し詰所で調べさせてもらう』
「死ぬなよ?」
『死ねるほどリスティと付き合いが浅いわけじゃないからな。死なない程度になんでもやるさ』
エルヴァとの念話が切れる。
「……僕たちは子供の頃、異界に堕ちて、割とすぐに“それ”をやったはずだ。だから、できないはずがない」
手の平を眺め、握ったり開いたりを繰り返してからアレウスは汲んだ水をバケツに入れて、部屋へと運んだ。




